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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

タンポンタン

作者: 空見タイガ

 女の子の奥にある、無感覚ゾーンに挿入すれば痛くない。

 違和感がない。

 何も感じない。

 らしい。


 夏休みは何をしよう。三人で机を取り囲み、一点に向かって団扇や扇子をでたらめにばたつかせ、息継ぎをするように口をパクパクと開ける。今年の夏は泳ぎたい。屋内プール、屋外プール、レジャープール、川、海。

 机の東側に位置している加沢さんが拳を突き上げて主張する。

「やはり人は泳がないとだめですよ。だって山で遭難する機会って山に登ったときだけでしょう。しかし人間が溺れる機会はあちらこちらにあります。落っこちて普段の準備不足がたたってバタ足がおぼつかなかったらどうなるか? ゾッッッ。われわれは毎日のように足をばたつかせて前に進む練習をせねばらならんのです」

 その加沢さんが「お小水を我慢しない練習」とトイレに行くと、机の北側を陣取る綾寧が「これはあいつの言動に我慢する練習かね」と吐き捨てた。机の西側にいるあたしが「まあまあ」とたしなめても「なんだまあまあとは。おまえはマーマレードか」といらだちは治まらない様子。綾寧は「ひとりで行動しやがって! あいつは巨悪をたくらんでいるッ」と団扇をぶんぶんと強く仰いだ。

 おとなしく席に座って三方向から――今は二方向から、特に北から強風を受けてオールバックになっていた読み子は頬杖をついて、のんびりと。

「一ヶ月ちょっとで全部を回るのは難しいかもね。四人で予定を合わせるとなると」

「あいつなんていっそ無視じゃ」と険しい顔の綾寧。

「予定は水物だ」とあたし。

「てめえまでわけわかんねえ言葉遊びを始める気かあ」と団扇を机に置いてあたしの胸ぐらをつかんだ綾寧。

 助けて! ちらりと目配せをすると、読み子は目をそらすように白目をむいていた。

「家族旅行の予定がないだけ、わたしたちはまだ自由だよ」


 綾寧は加沢さんに反撃する計画を立てていた……明日の昼休み、加沢さんがいつものようにひとりで席を立つ前に、三人で息を合わせ、先んじてトイレに行く。

『ククク、あいつはあっしらと連れションをするか、あっしらが帰ってくるまでチッコを我慢しなきゃならないって寸法よ』

 あまりにもくだらなくて、断るのもばからしい。

 だけど、当日になって、というより直前になって、軽いことが重くなってきた。

 いつものおしゃべりがふっと途切れた瞬間、三人が同時に立ち上がった。加沢さんは二人を見つめ、次第に二人の視線の先にいるあたしを見た。あたしは肩をすくめた。

「トイレにいっといれ」

 三人は微妙な面持ちでうなずきあい、だらだらと教室を出て行った。

 殺風景になった。あたしは読み子の机にひじをついて、しずかに目を閉じた。教室がいつもより騒がしく聞こえる。加沢さんはすごいな、あたしはひとりでいられるほど心の太い人間じゃないや。

 あたしの父はどうだろう。あのひともひとりだ。あたしや弟がいるけど。加沢さんや綾寧や読み子の母親もそうだ。それぞれ立派な娘やきょうだいがいるけど。祖父母もいるんだっけな。そう考えると、たくさんで、いっぱいで、ぎょうさんだ。今のあたしよりはさびしくない。

 ぽっかりとあいた穴を埋めようと余計な気づきが侵入してくる。あたしの友だちは一人親ばかりだ。親を片っぽ欠いてバランスを取りにくいぶん、同じようにふらふらしている人とぶつかりやすくて、そいつと共に生きる運命にあるのかしらん。一人親は一人親で集まって、そこでまたくっついて、そこでまたわかれていくのか。

 父はあんなに真面目だったのに失敗した。失敗したからあんなに真面目になったのかもしれない。弟もあんなに無邪気だったのに今では虫の足をもいでいる。あたしは黙ってまぶたを下ろしているけど、でも、だめだ。

 そのまぶたに何かが触れた。まぶたはひとりでに冒険しないだろうから、風かだれかのいたずらに違いなかった。

 あたしはゆっくりと目を開けた。

 白い指だ。その指は離れていって、机の水平線に沈んでいった。いつの間にか席に座っていた読み子は「どうかしたの」と聞いてきた。

「トイレ、そんなに空いてたの」

「わたしは行かなかったの。綾寧が加沢さんを思う存分に詰問できるように」

「これで裏切りものが三人か。綾寧は疑心暗鬼だよ」

「三人は奇数だもんね。偶数にしないと簡単には割り切れない」

 そうか、それでわざわざ戻ってきたのか。あたしを奇数にしたくなかったし、読み子も奇数になりたくなかったのだ。

 なんとなく、あたしは先ほどまで綾寧がいた席をうばった。あたしの真正面に読み子がいて、読み子の真正面にあたしがいて、うまくつりあいがとれた気がした。

「わたしの質問に答えなかったよね」

「気が向かなかったんだよ」

「悩んでいるように見えるよ」

「弟の奇行が心配で」

「お願い、ほんとうのことを教えて」

 きさまがあたしを思う存分に詰問しているじゃないか。

「言わないよ、陰口をたたかれるから」

「加沢さんへの悪口に心を痛めているの?」

「んなこたない。加沢さんは世界中の子どもたちから非難されてもいい」

「わたしたち、まだ子どもの範疇なの?」

 のんきな言葉にかっとこみあげてきた。当たり前でしょ、大人だったら何でもできるんだから。納税もできる!

「納税なんかしたくないよ……」

 それで長い沈黙があって、でもトイレから誰ひとり帰ってこなかったせいで、また読み子が口を開いた。

「ひみつにする」

「あのさ、ひみつはひみつじゃないんだよ。インターネットなんだよ。公開したらだれでも見られるんだから。公開範囲を指定したってセキュリティがだめだったらハッカーがやってきて情報をぬきとられるんだよ。心のなかがいちばんひみつなの」

「わたしはインターネットじゃないよ」

「拡声器かも」

 ガタッ。読み子が椅子から腰を浮かせて、ぬいぐるみをアームで掴むみたいにあたしの頭を片手でつかんだ。

「くるしみを分かちあおう。ひとそれぞれ波があるけど、波と波をぶつけたら弱めあうかもしれないから」

「強めあうかもしれないじゃん」

「ひとりで終わらせるのは器用じゃなくて不器用だよ」

 あたしは読み子の手を頭突きでぶっ飛ばして立ち上がった。

「人には言えないこと、言いたくないことを打ち明けなかったら、コミュニケーション能力に問題があって、内気で、不器用で、アンポンタンなのか?」

 読み子は吹き飛ばされた手の平をまじまじと見たあとで、あたしにほほえみかけた。

「ひみつを交換しよう。手紙を書いて同時に開いて読むの」

 ああだめだ。あたしは状況のしつこさにいいなりになって流されてゆくしかないんだ。

 茫然としたまま着席する。読み子は鞄からレターセットを取り出し、机に便せんをバンッとたたきつけた。

 狭っ苦しくてすぐに盗み見られて笑われる世界だ。筆箱や教科書で壁をつくり、姿勢の悪さを盾にして、あたしは震える手で便せんにひみつを書いた。ちらりと上目でみると、読み子も真剣そうな顔で何かを書いていた。

 彼女のひみつがあたしのひみつと釣りあっていなかったらどうしよう。

「あの、同時ってさ、どれだけぴったりしたら同時なんだろ。同時を細かくきりきざんだらじつは同時じゃないかも」

「友だちが合わせようとしてやることはいつだって同時だよ」

 読み子はきれいにたたんだ便せんをひらひらと見せた。あたしも急いで便せんを折って、ピンと背筋を伸ばす。

 差し出された手に、あたしは便せんをそっと置いた。読み子はあたしの手をつかんでひっくりかえし、彼女の便せんを置いた。

「いっせいのせの最後のせを言いながら開いて黙って読んでね」

「せを言いながら開いて黙って読むのって難しっ」

「不器用だね」

 きさまのひみつを声に出して読んでやろうか。あたしは恨めしそうに読み子を見るだけで復讐を終える。

「じゃあ、いくよ」

 二人で声を合わせた。いっせいのせ――。


『あなたのことが好き』

『タンポンがこわい』


 あたしと読み子はたぶん同時に顔を上げていた。

 これは、これは……。

 気まずさから目を伏せていると、机の下で足がからんできて、がっちりと固められた。

「導入がいちばんこわくて緊張するんだよ。はじめてがこわいのは生きているときにけっして体験しえないものと似ているから」

「なんかごめんね」

「大丈夫、ひみつを同時に解決する方法を思いついたから」

 読み子が続きを言う前に、ぽかんと口を開けた綾音と肌をつやつやさせた加沢さんが帰ってきた。二人は何も言わずに空いていた席にふわっと座り、どちらもあらぬ方を見やった。綾寧に「加沢さんの巨悪は?」と小声で尋ねると、彼女は「隠されたものを暴くとこわい目に遭う」と天を仰いだ。

 この場にあるひみつの総量が増えた。きっともっと増えるだろう。あたしは深く掘り下げることができるだろう。でも深く掘り下げることはできないだろう。

 ――押しこんだ先、深く入りこんだ先、無痛かもしれない、助かるかもしれない、でもこわい、そのこわさは分かちあえない。

 二人のあいだにある見えないものを見つめていると、顔を寄せて、と声が聞こえた。命じられるままに前のめりになり、同時に前のめりになっていた読み子があたしの耳元でささやいた。

「わたしがタンポンをいれてあげようか」

 あたしたちは分かちあえない。分かちあえないんだから。分かちあえないってば。顔が、顔が、顔が――近くて、痛い。

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