第6話 “選ばれし少女たち”(その2)
エミと共に向かった先は、倉庫が立ち並ぶ港の埠頭だった。
高層ビルのマンションのベランダに出たエミは、ケイトの手を握ると、「さあ、飛ぶわよ」と言うなり、いきなり軽くジャンプした。
その動作に釣られるように、ケイトはエミと一緒に空に舞い上がった。
すうっと、まるで天井からロープで吊り下げられているかのように、ピーターパンの舞台か何かで見たような感じで、自分の身体が宙を舞っている。
「あら、意外と平気なのね。高いところは怖くない?」
「ええ、平気です」
ケイトの心は、実のところ、嬉しくてたまらなかった。
強がりではなく、ケイトは昔から高いところが平気な子だった。
平気というより、むしろ高いところが大好きで、男の子ようにジャングルジムの天辺で立ったり、木登りをしたり、塀の上を歩いたりして周りの大人から注意されることもあった。
そんなことは不可能だけど、鳥のように空を飛べたら、きっと楽しいだろうなと、いつも思っていた。
家族で沖縄に旅行したときに、初めて飛行機に乗り、感動のあまりはしゃぎ過ぎて、ママから叱られたことを思い出した。
窓から見下ろした下界の景色は、テレビやビデオで見たよりも、色鮮やかで美しいと感じた。
今、ケイトの視界に広がっているは、星のように煌めく都心の夜景だ。
鳥になることは無理でも、いつか、ハングライダーとか、小型飛行機に乗って自分で空を飛んでみたいと思っていた。
ひょんなことから、その夢がたった今叶ってしまったのだ。
嬉しくないわけがない。
「ちょっと驚かそうと思ったのに、残念ね。
人によっては、きゃあとか叫びながら、とても怖がって私の腕にしがみ付いてくる子もいるのに……」
エミは、演技くさい口ぶりで、がっかりしたような顔をして見せた。
「でも勘違いしないでね、これは、私が掛けた魔法で飛んでいるのであって、まだ、あなた一人で飛ぶことはできないわよ」
エミは、ケイトの心の中を見透かしたかのように、注意を与えた。
「そうなんですね……」
そうしたやりとりをしている間に、すでに目的地が近づいたようで、二人の身体は、ゆっくりと下降していくのがわかった。
ケイトとしては、エミの魔法のお陰であっても、初飛行をもっと楽しみたいと思っていたので、少しだけ残念な気分だった。
二人が降り立ったところは、シャッターの降りた薄暗いトタン葺きの倉庫の前だった。
*
なぜ、こんな場所に来たのか、ケイトにはさっぱり理解できなかった。
魔法を使ってテストするにしても、それらしい“材料”が見当たらない。
よく魔法少女もので出てくる、土管とか、煉瓦の壁とか、車のスクラップとか、そうした“材料”があれば、魔法で動かしたたり、穴を開けたりとかできそうだけど、倉庫の前のコンクリートの道のその先には、どんよりとした墨色の海が広がっているだけだ。
「この場所に何があるんですか……」
埠頭に降り立ってから、ただじっとしているだけのエミに向かって、堪らずケイトが声をかけると、エミが「しっ!」と言って、静かにするように口元に指を立てた。
「来るわよ」
エミが凝視する方を見ると、ヘッドライトを消してゆっくりと近づいて来る黒塗りの車が見えた。
黒塗りの車は、ヘッドライトを消したまま、エミとケイトの二人の前で止まった。
「なんだ、お前たちは」
ドアを開けて運転席から出て来たスキンヘッドの大柄な男は、降り立つと同時に威嚇するように、そう言った。
その声を聞いて、ケイトは恐ろしさで、勝手に足が震え出して 思わずエミの腕にしがみ付いた。
「あらあら、空を飛ぶときは全然平気だったのに、このオジサンの声で、びびっちゃったのね」
エミは、面白そうに笑った。
黒い車の後ろには、さらにもう一台の黒い車がやってきた。
さらにもう一台、そうこうするうちに、数台の黒い車が続々と阿集まり、中からはぞろぞろと、お揃いのユニフォームでもあるかのように、黒いスーツ姿の男たちが現れた。
夜更けだというのに、いずれも黒いサングラスをしている。
「この人たちは、いったい?」
ケイトは、いかにも漫画やアニメに出てきそうなアメリカのギャングか暴力団のような男たちの姿に、これからここで“良からぬ”ことが行われようとしていることだけは理解できた。
「この人たちはねえ、法律で禁止されている“白い粉”の取引をこれからしようとしているのよ」
「白い粉?」
それはきっと、麻薬とか、覚せい剤とか、そういう類のものに違いない。
「ここはコスプレ会場じゃありませんよ」
スキンヘッド男の後ろから、瘦せ型の貧弱そうな中年男が現れた。
黒いスーツとサングラスをしていなければ、どこにでもいるようなサラリーマンのオジサンと変わらない感じだ。
「でもですね、この“場”を見られたからには、さあ、お帰りくださいといって、ただ帰すわけにもいかないですがね」
そう言うと、痩せ型の男は、大柄の男にやれという風な合図を顎で送った。
大柄な男は、スーツの内側に右手を差し込むと、拳銃を取り出し、銃口をエミとケイトの方に向けた。
「ちょっと、まずいわね」
間髪入れず、エミはマジック・ワンドを取り出し、自分たちの前で真横に振った。
と、同時に、男は躊躇なく、拳銃の弾き鉄を続けて三回引いた。
──バン、バン、バン!
ケイトは、恐怖のあまり目を瞑った。
目を瞑る寸前に見たのは、男が持っている拳銃からオレンジ色の火花がチカ、チカ、チカと弾ける瞬間だった。
(殺される!)
そんなことを思ったのは、生まれて初めてのことだ。
「ケイトちゃん、しっかりして。反撃するわよ」
気づくと、自分たちに拳銃の弾は当たっていないようだ。
大柄な男は、自分が撃った拳銃が、故障でもしたのかと、疑っているかのように、まだ紫煙が緩やかに立ち上る銃口を眺めていた。
「今の銃弾は、私の魔法で防いだわ。咄嗟のことだったので、危なかったけど、まあ、無事ね」
エミは何事もなかったかのようにそう言ったが、これはあまりにも危険すぎるのではないか。
まさか、魔法少女になった自分は、下手をすると、このように命を失う危険に晒されながら、これらの屈強そうな“悪党ども”と、これからも闘わなければいけないのだろうか?
「次は、あなたの番よ。相手が驚いているうちに、攻撃してちょうだい」
「何をすれば、いいんですか?」
「マジック・ワンドを取り出して、あの大男に向かって“振る”のよ。
そのとき、心の中で、“消えて”と強く念じなさい」
ケイトは、このままでは自分が殺されてしまうという恐怖心が強く残っており、エミに言われた通りに、マジック・ワンドを取り出すと、大男に向かって、“消えてちょうだい”と念じながら、「えい!」と声を出しながら思い切り振った。
すると、これまでにない手ごたえが手のひらに感じられた。
それはママの料理を手伝ったときにまな板の上で、キャベツをザクっと刻んだときのような感覚に似ていた。
いったい何が起こったのか、すぐにはわからなかった。
目の前にいたはずの大男は、どこに見当たらなくなっていた。
「いいわね、ケイトちゃん、合格よ」
エミが満足そうに呟いた。
最初に停車した黒塗りの車は残っていたが、その隣には、辺りをきょろきょろ見回している、痩せ型の男だけだった。
「いったい、どうしたんだ」
異変に気づいた黒づくめの男たちが、ぞろぞろと前の方に集まって来た。
「おい、お前たち、タシロをどこにやった?」
スキンヘッド大男の名前は、タシロというらしい。
そんなどうでもいい情報が、ケイトの頭の中に響いていた。
自分がいったい、今どんな魔法を使ったのか、半分以上はわかってはいたが、その実、わかりたくなかった。
「ほ、本当に消えちゃったんですか? タシロさん」
「そうよ、あなたが“消した”の」
「そんな!」
エミは、これまでの陽気な受け答えとは打って変わって、むしろ冷徹な響きを込めて、ケイトの方を見返した。
──っと、その時だ。
「待ちなさい! 悪の魔法少女!」
ケイトがショックを受けていると、自分たちの後方から、別の少女の凜とした声が響いてきた。
「遅かったようね」
その声の主は、白いコスチュームに身を包んだ、ケイトが憧れていた魔法少女の姿そのものだった。
年齢もケイトと同年か、少し年上ぐらいのような感じだ。
黒い髪を白鳥の湖を踊るバレリーナのように束ねて、天使にも見えるような姿をしていた。
彼女もケイトたちと同じように、空を飛んできたのか、倉庫の屋根の高さぐらいの中空にふわりと浮いていた。
そして、夜目にも眩しいぐらいの白い姿の少女は、ケイトたちの数メートル後ろに離れてゆっくりと降り立った。
「あら、白い魔法少女さん、もうここを嗅ぎつけたのね」
エミは、腕を組んで白い魔法少女の方を振り返った。
「彼女も、私たちの仲間ですか?」
ケイトは、先ほどエミから聞かされた五人の魔法少女の一人かもしれないと、期待して尋ねた。
「全然、違うわ。彼女は、むしろ、私たちの“敵”ね」
エミは厳しい顔で、白い魔法少女を睨んでいた。