真相
「―――つまり、お兄様は先程まで、お義姉さまが婚約破棄を目論んでいると思われていたと?」
「はい……」
王宮の談話室。
そこでハンスは妹のデボラから詰問を受けていた。
「そして、焦りを感じた兄さまは、お義姉さまを手籠めにしようという暴挙に出たというわけですか?」
「はい……」
ソファに正座させられながらハンスは妹からの問いに答える。
対面席には、クリスティーナの膝の上に座ったデボラがジト目でハンスを見てきていた。
「まったく、お兄様サイテーですよ。恥を知ってください、恥を」
「申し開きもない」
しゅんと縮こまるように反省するハンス。
(まさか……クリスティーナが婚約破棄の小説を書いていただなんて)
この時代、貴族令嬢たちの間では恋愛小説を書くことがブームになっていた。
公爵令嬢クリスティーナも、その流行に乗っかって恋愛小説を執筆している淑女の一人だったのだ。
聡明な彼女が執筆しようとしているのは、貴族だけでなく庶民たちにも大人気の婚約破棄ジャンル。
売上ランキング上位に食い込むために、沢山の婚約破棄小説を彼女は読んでいた。
―――事の始まりは、そういうことだったのだ。
「道理で、殿下と話が嚙み合わなすぎると思いました」
納得したようにクリスティーナが言う。
「本当にすまなかった……。早とちりで、君を辱しめるような真似なんかを」
深々と頭を下げて謝罪をするハンス。
クリスティーナは首を横に振って頭を下げ返す。
「いえ……、私の方こそ誤解を招くような発言ばかりして申し訳ございません」
「そんなことはないよ。悪いのは勘違いした僕なんだから」
「いいえ、私が――」
お互いに謝り合う二人の姿を見て、
「まあまあ、ここはお互い様ということで、水に流してしまいましょう」
と、デボラが仲裁に入る。
「それにしても、お兄様がそこまでクリスティーナお義姉さまに御執心だったとは。壁ドンからの顎クイに暗黒微笑だなんて公式が最大手じゃないですか。お義姉さまもそう思いませんか?」
デボラが尋ねると、クリスティーナは頬を赤らめて答えた。
「そう……ですね、殿下が私に、あの……あんなに熱く求めてこられるのは、計算外でした……」
ギュウッと、ぬいぐるみを抱くようにクリスティーナは膝に乗せているデボラを後ろから抱きしめる。
先程の出来事を思い出しながらクリスティーナは恥じらう。口づけされそうになったことまでは、教育上デボラには伝えていない。
―――あのことは、二人だけの秘密だ。
ゆえに、誰にも言えないという背徳感が、クリスティーナの乙女心をより一層昂らせていた。
「……んんっ。そ、それで……、どうしてクリスティーナは、婚約破棄小説を書こうとしてたんだい? 僕の勘違いだったとはいえ、あんなに引き止めても書くのを頑なに譲らないだなんて、何か思い入れでもあるの?」
恥ずかしそうにしている公爵令嬢を見て心を搔き乱されながらも、ハンスは咳払いをして話題を掘り下げる。
すると、クリスティーナは躊躇いながらも話し始めた。
「それは……現在の小説界隈において、婚約破棄ジャンルが最大勢力だからですわ」
「つまり、クリスティーナも流行に乗って書いてみたくなったということかい?」
「それもありますけど……、それだけじゃありません」
クリスティーナは一度言葉を区切り、真剣な眼差しでハンスを見つめる。
「私は、この国の筆頭貴族の娘として、かつて散っていった自作の為にも、売上ランキングでトップに立たなければならないのです……!」
「うん……? どういう意味かな?」
ハンスが首を傾げると、デボラが補足するように言った。
「お兄様。クリスティーナお義姉さまは前作で爆死しているんです」
「ば、爆死……!? 一体何の話をしてるんだ……!?」
なんだか物騒な単語が飛び出てきた。
雲行きが怪しくなってきたことを察しながら、ハンスは身構えた。
「その説明をする前に、お兄様は今の小説界の状況を理解する必要があります。少し長くなりますよ」
そう前置きして、借りてきた猫のように抱かれているデボラが語り始める。
「まず、今の小説界隈は『異世界転生』と『パーティー追放』、そして『婚約破棄』の三ジャンルが主流となっています」
「ふむふむ」
「ただし『異世界転生』は数年前に隔離政策が取られてしまったので、実質二強と言っていいでしょう」
「そうなんだ……」
「男性向けは『パーティー追放』、女性向けでは『婚約破棄』が流行っているというのが現状です」
「なるほどね。傾向は概ね理解したよ」
追放だの破棄だのと穏やかじゃないなと思いつつも、ハンスが相槌を打つ。
優秀で柔軟な兄の理解力に感謝しつつ、デボラは続けた。
「次に、現在ブームになっている匿名即売会『小説家になりましてよ』の存在はご存知ですか?」
「ああ。貴族や庶民が身分を隠して小説を無料投稿する巨大マーケットのことだよね?」
「はい。身分で作品の評価を忖度されることなく、純粋に小説の質のみで競い合おうという画期的な理念で成り立った市場です。プロの作家ではない素人の作品であっても、面白ければランキング入りして商業デビューを果たすまでになってきています」
「凄いね。なかなか夢のある話じゃないか」
こういった文化が流行れば識字率の向上に繋がる。
貴族の子息子女の教育にも良いだろうし、平民たちにも良い影響が出るだろう。
ハンスが感心の声を上げると、デボラは「ええ」と言って少しだけ表情を曇らせた。
「しかし、近年の匿名即売会では……ある大きな問題が発生しておりまして」
「問題……?」
「先程お伝えした『パーティー追放』と『婚約破棄』が人気過ぎて、その他のジャンルがランキングに入りにくくなってしまっているのです」
「えっ、そんなことが起きてるの?」
「はい……。『パーティー追放か婚約破棄小説でなければ小説にあらず』と言っても過言ではないほどに今の日間ランキングは偏ってます」
デボラは深刻そうな顔でうつむく。
読み専で重度の婚約破棄ファンである彼女も、現在の『小説家になりましてよ』の状況には憂慮していた。
今の匿名即売会は、例えるならラーメン屋に行ったら味噌ラーメンと豚骨ラーメンしかない状態だ。豚骨ラーメン派でも、たまには醤油ラーメンや激辛ラーメンを食べたくなる時がある。それなのにメニュー表には2種類しかない。それは非常に悲しいことだ。
「私は……、物語とは多様性があってこそ輝くのだと思っております。そう、ラーメンのように……!」
「ラーメン?」
いきなり我が妹は何を言っているのだろう。
前半までは名言ぽかったのに台無しである。
「このままでは近い将来、曲芸士先生が仰っていた『すまん、それ婚約破棄でよくね? パーティー追放を書いてない雑魚おる?』という暗黒時代が到来しかねません」
「誰だよ、曲芸士先生って」
「煽りカスで有名な作家先生です。インフレの火付け役となられた方ですね」
「へー……」
「ちなみに、文豪クラスの作家先生たちほど軒並みディスり倒してくる精神の持ち主なので注意が必要です。セーショー納言先生に対してパープル式部先生が一方的なレスバを仕掛けたのは『青い鳥のサロン』では永遠の語り草となってます」
「僕の知らない情報がバンバン出てくるなぁ……」
「ま、それはともかくとして。とにかくクリスティーナお義姉さまも、現状を憂いて小説界隈に新しい風を吹かせようとされているわけですよ」
「そういうことだったのか。でも、おかしくない? それならクリスティーナが婚約破棄小説を書く理由にはならないよね? むしろ助長させてるじゃないか」
「鋭いですね、お兄様。そうです、そこでお義姉さま……いえ、悲恋スキー先生の爆死した前作の話に繋がるのです!」
「悲恋スキー?」
「私のペンネームです、殿下」
「クリスティーナの!?」
またなんか変な名前が出てきたなと思ったら婚約者のペンネームだった件。
驚くハンスを他所に、クリスティーナがデボラに「ここからは私が説明を致します」と言った。デボラは神妙な面持ちで頷いて了承する。
「殿下。匿名即売会『小説家になりましてよ』は基本無料ですが、人気の指標として、読者からいただく仮想通貨『ポイント』の寄付量で小説の順位が決定するシステムが導入されているのはご存知ですか?」
「たったいま知ったよ」
「ポイントはブクマと★5評価から成り、公平を期すために、ひとつの作品に1人12ptまでしかポイントを付与出来ないのですが、作品を投稿し、読者からポイントをいただくことで作品の保有ポイントが増えていきます。その保有ポイントの総数順でポイント売上ランキングが決まるのです」
「つまり、より多くの人に読まれて尚且つポイントを貰うことでランキング入り出来るということかな?」
「その通りです。ですが、『小説家になりましてよ』の作品数は約百万と非常に多く、まず読んでもらうことが難しいのです」
訥々と思い返すようにクリスティーナは語る。
「人気作になるには、まず日間のポイント売上ランキング1~100位までにランクインする必要があり、最低限のポイント数を稼ぐ必要があるのですが、読者は余程気に入った作品でなければポイントを付与してくれません。体感上、100人が見たら1人がポイントをくれるような感じですかね」
「なかなかシビアだね」
「はい。私は以前、悲恋物語を投稿したのですが、残念ながらランキングのボーダーラインを超えることが出来ず、新作の荒波に押し潰されて爆死しました。その時、1,000人の読者に読んでもらえたのですが、ポイントをいただけたのは僅か13人からのみ」
「そうなんだ……」
「評価してくださった13人の方々は私の中で勝手に『十三使徒』と呼ばせていただいております」
「へ、へぇ」
「ちなみに、十三使徒の中で1人ブクマを一瞬だけ剥がして付け直してきたメンバーがいるのですが、その者は『裏切りの使徒』と呼ばせていただいております」
「設定が細かいよ……。読者も知らないうちに作者から変な称号をつけられてたら困るだろうに」
「あと、ポイントをくれなかった987人に対しては何時か報復をする予定です」
「こわっ!?」
「公爵家の人間を袖にしたことを、必ず後悔させてみせます……!」
「落ち着いてクリスティーナ! 『小説家になりましてよ』は身分を隠して小説を投稿する匿名の集まりなんでしょ!? 読者も作者が公爵家の人間だなんて分かる訳ないじゃん!」
メラメラと怒りの炎を滾らせている公爵令嬢を宥めるハンス。
こんなことで粛清されたら読者たちも堪ったものではない。
「……失礼しました、つい怒りがぶり返してきまして」
ふぅ、と深呼吸をして落ち着きを取り戻したクリスティーナは続ける。
「前作が爆死した私はアプローチを変えることにしたんです」
どうやら本題はここかららしい。
彼女は真剣な眼差しで言う。
「『郷に入っては郷に従え』という言葉があるように、まずは『小説家になりましてよ』で人気のジャンルで新作発表を行い、頂点を獲ることで、私という作者に対する知名度を上げる作戦です」
「ようやく話の筋が見えてきた。要するに、クリスティーナは視認率を上げて作者買いをしてもらおうと画策しているわけだね?」
「そうです。そして、今現在『小説家になりましてよ』で一番人気のあるジャンルは婚約破棄。ですので、婚約破棄をテーマにした小説を書くことにしたのです」
「なるほど……。でもパーティー追放じゃダメなの?」
「パーティー追放は悲恋要素が薄くなりがちで、私の作風に合致しません。それに引き換え、婚約破棄は『断罪してきた王子に後悔させるシーン』が悲恋要素として組み込みやすいので書きやすかったんですよ」
「あー……、そういうことなのか」
クリスティーナの説明を受けて、ハンスもやっと納得出来た。
悲恋系の恋愛小説が好きなクリスティーナにとって婚約破棄をテーマにした小説は挑戦しやすく、それでいて上を目指しやすいジャンルだったのだ。だからこそ、彼女は頑なに婚約破棄小説を書きたがっていたのだ。
「婚約破棄小説で人気を取ることで読者に認知してもらい、そのまた次の作品で今度は自分の書きたいものを書いてポイント売上ランキングに載る。そうすれば、いずれはランキングに悲恋ブームが巻き起こるようになる筈です。世界の中心で愛を叫びたくなるような作品を流行らせてみせます……!」
「ず、随分と長期的な戦略だね……」
意欲的なのは良いが、あまりにも遠大な計画にハンスは苦笑を浮かべる。
そして情熱を燃やしているクリスティーナを見て、ハンスは思う。
(ここ最近の僕の苦悩は一体何だったんだろう……)