暴走
(序盤の婚約破棄シーンは書き切れました。次は中盤から終盤にかけてのクライマックスシーンです)
お忍びデートの翌日、王宮図書室でクリスティーナはペンを走らせていた。
書き上げた文章を読み返しながら推敲をしていく。
(うーん……。ここの断罪返しは描写がちょっと弱いですかね。もう少しインパクトが欲しいところですが……)
自分の書いた原稿を手に取り、内心で唸る。
(でも、これ以上の断罪返しはリアリティがなさすぎるんですよねぇ……)
今回の作品は今まで以上に難易度が高かった。
ハンスに認めてもらえるような説得力のあるシナリオを考え出さなければならないからだ。
(ふむ……、困りましたね。ここは参考資料でも探してみますか……)
席を立ち、本棚へと向かう。
広大な王宮図書室を歩き、大衆小説が置いてある書架へ辿り着いた。
王宮図書室に置かれている書物は、いずれも格式の高いものばかりなのだが、この書架だけは違う。
第一王女のデボラ姫が増設したこの棚には、彼女が蒐集した婚約破棄の書籍たちで埋まっており、クリスティーナもよく利用させてもらっている。
(えっと、確かこの辺りに……。あ、ありました!)
参考になりそうなタイトルの本を棚から抜き出す。
そしてパラパラと流し読みをして、ストーリーの傾向を確認していった。
(ふんふん、なるほど。この方向性なら殿下も納得してくださるでしょう。しかし、これをどのように私の作品に落とし込むべきか……)
活路は見出せたが、なかなか難しい。
クリスティーナは難しい顔をして本を閉じる。
そして、机に戻ろうとした時、不意に後ろから声を掛けられた。
「どうしたんだい、クリスティーナ。何か悩み事かな」
「あら、殿下」
振り返ると、そこにはハンスがいた。
「実は、例の婚約破棄のことで悩んでおりまして」
「ああ、例の。……ちなみに、どんなところで行き詰まってるの?」
どこか投げやり気味にハンスが尋ねてくる。
「隣国の王子を登場させる場面までシナリオを練ったのですが、インパクトとリアリティの両立に苦心しているのです」
「ふぅん。隣国の王子ね……。クリスティーナは、そんなに隣国の王子がいいんだ」
「ええ、まぁ。やはり婚約破棄の定番かと」
「そうかい。――ねぇ、クリスティーナ」
「はい?」
「君にとって、僕って何?」
射抜くような視線で、ハンスはこちらを見ていた。
「婚約者の王太子殿下です」
質問の意図がわからず、クリスティーナは戸惑いつつも正直に答える。
すると、ハンスは小さく笑った。そしてクリスティーナに近づき、彼女の退路を塞ぐように本棚へと手をついた。
「そう。今は、まだ僕が婚約者なんだ。他の誰でもない、この僕が君の婚約者なんだ」
まるで自分自身に言い聞かせるように。
ニッコリと、爽やかでありながらも腹黒そうな微笑みを浮かべながら、ハンスはクリスティーナに覆い被さるように詰め寄る。
「逃がさないよクリスティーナ。僕は君との婚約を解消させるつもりはないからね」
「……? そうですか。ところで殿下、この婚約破棄小説は(次回作の)参考になると思いませんか? 婚約者が浮気して破滅する『ざまぁ系』の物語なのですが」
「……話を聞いてなかったのかな? 婚約破棄をする気はないんだよ」
優しい声音なのに、何故か背筋が凍るほど冷たかった。
いつもの優しい笑顔だというのに、何故か圧を感じる。
「あの、殿下? どうかされたのですか?」
流石のクリスティーナも婚約者の様子がおかしいことに気付いた。
恐る恐る尋ねると、彼はフッと口元だけ笑って言った。
「君のせいだよ、クリスティーナ。君が僕を捨てて、他の男のところに行こうとしているのが悪いんだ」
「他の、男……?」
「隣国の王子とかいうトンビのことさ。君は、そいつのものになりたいのだろう?」
「トンビ……? 鳥の名前のことでしょうか?」
「そうだね、鳥の名だ。『鳶に油揚げをさらわれる』という諺があるだろう?」
「え、はい。ありますね……。大事なモノを不意に横取りされるという意味ですよね?」
「そう。僕から大事な者を奪おうとする奴にはピッタリのあだ名じゃないか」
「……どういう意味でしょう? その、私には殿下が仰りたいことが今ひとつ分かりかねるのですが……」
「わからないのかい? 頭の良いクリスティーナなら、僕の言いたいことが分かるはずだよ。それとも、分からないふりをしているのかな? ―――悪い子だね」
ハンスはそう言うと、クリスティーナの頬に手を添えて上を向かせた。
そして、二人の顔の距離が、ゆっくりと近づいていく。
「っ!? な、なんですか、急に!? な、何をなさるおつもりですか……!」
「なにって、マーキングだよ。他の男に見向きできないように、僕の存在を刻みつけておかないとね」
「お戯れを……! お、お待ちください! こんなところで……っ、はしたないですよ……!!」
「知ったことか。もうなりふり構ってられないんだよ。軍部は掌握してるんだろ? イヤなら衛兵でも呼びなよ」
「いったい何の話です……!? だ、ダメです、殿下……っ!」
逃げようにも、背後は本棚があり、横はハンスの腕で塞がれている。
抗議の声を上げても、ハンスは止まらない。
「君が悪いんだよ。いつでも政権を転覆できるくせに、中途半端に僕を自由にしてるから。その勝者の余裕の所為で、君は僕に傷物にされるんだ。ハハッ、隣国の王子め、ざまぁみろ」
「本当に何の話ですか……!?」
「ほら、いいから早く目を閉じて? 君の心の中を、僕だけで埋め尽くしてあげるから」
「……っ!」
意地悪げに笑うハンスの顔が迫る。吐息が感じられる距離まで迫ってきている。
クリスティーナは顔を真っ赤に染あげながらギュッと目を閉じると、観念したように静かに唇を震わせた。
「―――お兄様、お義姉さま~~っ!」
「!?」
その時、シリアスな雰囲気をブチ壊す陽気な声が書庫に響いた。
とてとて。と近づいてくる可愛らしい足音。
デボラ……! 圧倒的デボラ……!
ハッと我に返り、慌ててクリスティーナとの距離を取るハンス。
純粋無垢な妹に破廉恥な行為を見せる訳にはいかない。兄としての理性がハンスに緊急回避をさせたのだ。
「ででで、デボラ!? ど、どうしてここに!?」
「お二人に用事があって参りましたの。今度の建国記念祭でクリスティーナお義姉様が発表される婚約破棄小説について、打ち合わせをさせていただきたくて……。あら? どうしましたのお兄様、汗だくじゃないですか」
「い、いや、なんでもない。なんでもないんだ、婚約破棄小説の件については、また今度にでも……」
異変を悟られないように冷や汗を流しつつも必死に取り繕い、
「ん? 婚約破棄小説?」
ふと、何かが引っかかったのか、ハンスの表情が変わった。
「建国記念祭で、クリスティーナが、婚約破棄小説を発表……?」
点と点が線になって繋がり、一つの真実に到達する。
(も、もしかして……僕は、今までとんでもない思い違いをしていたんじゃあ……)
ブワッと、加速度的に冷や汗の量が増える。震えながら、ハンスは視線をクリスティーナの顔へと移す。
そこには、頬を赤く染め上げながらも、全ての謎を解き明かしたような表情をしているクリスティーナの姿があった。
彼女も彼女で、ハンスの反応を見て真相に辿り着いたのだ。
「どうやら……、殿下は色々と勘違いされているご様子のようで」
プルプルと羞恥心に耐えてクリスティーナが言った。
凄まじく気まずい空気が流れる。
「あ、あはは。そう、みたいだね」
隠し切れない失態に対して、ハンスは誤魔化すように笑わざるをえなかった。
やはりデボラ……!
デボラは全てを解決する……!