南の魔法使い 3
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その日、城の中は阿鼻叫喚の渦に飲まれていた。
ラファイエット公爵の名を得て、王都に邸を構えてから、クリストフは城ではなく邸で生活するようになっていて、その日も、公爵邸から仕事のために城へ登城したのだが、あまりに城の中が騒然としているので何事かと思ったのを覚えている。
クリストフが登城すると、まず侍従長が駆けつけてきた。
そして急いで王の間に行けと言うのである。
わけがわからないままクリストフが父王に会いに行くと、そこには母である王妃と上の二人の兄と、一人の姉、そして双子の弟の姿もあった。
双子の弟はまだ成人しておらず、そっくりな顔立ちの彼らは互いの手をぎゅうっと握り合って、怯えた顔をしていた。
姉は今にも泣きそうな顔で、兄二人は眉を寄せて、まるで難しい数式を前にしたような表情だ。
父の顔は明らかに狼狽していて、母の顔は真っ青になっている。
「何事ですか?」
どうやら、事情を知らないのはクリストフだけのようだった。
ほかの兄弟たちは城で寝泊まりしているのだから当たり前かもしれないが、まるで一人だけ蚊帳の外に置かれているみたいで気分が悪い。
クリストフが訊ねると、父が重たい口を開いて、昨夜、地下の宝物庫の中に納められていた魔人を封印した壺の封印が解かれたのだと説明した。
クリストフは唖然とし、次に茫然とし、それから目を見開いて叫んだ。
「なんですって⁉ どうしてですか⁉ あれは中からは決して解けない封印のはずじゃあ……」
「理由はわからん。だが、魔人の封印が解かれたのは事実だ」
クリストフはごくりと唾をのみ込んだ。
(魔人といえば、魔物と同じで人を食らうんだよな。しかも、魔物よりもよほど強い。遥か昔魔人に国を滅ぼされたという逸話があるくらいだ……)
魔人の封印が解かれたのならば、この国はどうなるのだろう。人を食らいつくされて滅ぼされてしまうのだろうか。
手足の先から、急速に体が冷えていく。
得体のしれない恐怖が体を縛り上げていくような錯覚を覚えた。
「そ、それで、その魔人は……?」
「今は食糧庫の中だ」
「食糧庫……?」
「ああ。そこにある食べ物を荒らしている」
「では、今のところ人は襲われていないのですね?」
「幸いにも今のところは、な。だが、食糧庫を荒らしつくしたあとはわからん」
魔人が人ではなく食糧庫の食料に興味を覚えてくれたことは助かったが、父の言う通り、食糧庫の食料を食べつくしたり、または飽いたりした魔人が、次に人を襲わない保証はどこにもない。
父は難しい顔をしたまま言った。
「クリストフ、急ぎ北の樹海へ行き、深き森の魔女殿に助力を乞うてくるのだ」
「……樹海、ですか」
クリストフは目を見開いた。
ブルトリア国の北にある樹海は、人が住みつかないことで有名だ。険しい森の中には獣が多く生息しており、魔物も住んでいると言われている。
驚いて言葉を失うクリストフに、父王は続けた。
「万が一魔人が人を襲い出した時のために、兵を割くわけにはいかん。それに、深き森の魔女殿に助力を乞うならば、王家の誰かが行って誠意を見せるべきだ。そうだろう?」
父の言うことはわかる。わかるが――
クリストフはぎゅっと拳を握りしめた。
(……なるほど、僕が適任……そうだよね)
クリストフの上には二人の兄がいる。長兄は王太子で将来国を継ぐことになっていて、次兄はそのすぐそばで長兄を支える予定だ。
二つ年上の姉は隣国の第二王子と婚約していて、近く結婚し、移り住む。
下の双子の弟は幼いし、末子で父も母も二人を溺愛している。
この中で、一番いなくなっても困らない存在は、第三王子のクリストフだけだ。
クリストフがいなくなっても、下に二人も王子がいるのだから替えがきく。次兄とともに即位後の兄を支えることになっているが、クリストフでなければ困ると言うわけでもない。
中途半端な第三王子。
父も母もクリストフを愛してくれなかったわけではないが、特別目をかけてもらったことはない。
「クリストフ……」
姉が心配そうな顔でクリストフを見る。
クリストフは、心の中でどろどろととぐろを巻きはじめた醜い感情に蓋をして、にこりと完璧に微笑んで見せた。
「わかりました。行ってまいります」
運がよければたどり着けるだろう。
運が悪ければ獣に襲われて野垂れ死ぬだろうが。
母が頷いたクリストフに駆け寄ろうよしたのが見えたが、今は一刻も早く家族のもとから離れたくて、クリストフは気づかないふりをして踵を返した。