南の魔法使い 1
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ヴェーレ地方の冬は王都に比べて暖かい。
王都から馬車で片道およそ一か月の旅を終えて、領主ヴェーレ公爵の居城に到着した馬車から降りると、わたしはとんとんと背中を叩いた。
宿を取りながらの移動とはいえ、一か月も馬車に揺られ続ければ、七歳児の姿とは言え腰が痛い。
浮遊魔法を使えば一日もかからずにつく距離なのに、ちまちまと馬車で移動しなくてはいけないなんて、非効率にもほどがあるわ。
小さくなって思ったように魔法が使えない苛立ちと、長旅の疲れもあって、わたしの機嫌はすこぶる悪い。
わたしと同じ馬車からクリストフが、後続の馬車からクリストフの邸から同行した二人のメイド、フィオナとアイリスが降りる。
王子様の旅行とあって、城勤めの騎士たちもたくさんついて来ていて、彼らも少し離れたところで馬を降り、出迎えたヴェーレ公爵城の使用人と話しているのが見える。
馬たちはこのあと、厩舎へ連れていかれて、長旅の疲れを癒すのである。
ちなみにクイールは、不在中の隙を突いて、縄張りである王都の中にほかの魔人が入り込んでは嫌だからと、ついてこなかった。
社交シーズンのためヴェーレ公爵は王都の居を移していて、彼の代わりに前公爵ロジェが出迎えてくれる。
七十をいくらかすぎた前公爵ロジェは、わたしの姿を見て目を丸くしたが、クリストフが、わたしが魔法をかけられて子供の姿になっていることを説明すると、まるで孫娘でも見るように微笑んだ。
「それはそれは、深き森の魔女様も難儀な目にあいましたな」
「ええまったく。子供ってとても不自由だわ」
わたしが大きく頷いて同意すると、ロジェはぱちぱちと目をしばたたく。
クリストフがにこにことわたしの頭を撫でた。
「でもオデットはとてもよく頑張ってるよ」
おりこうさん、と褒められてわたしはぷうっと頬を膨らませた。
この子ども扱い、何とかならないだろうか。
クリストフにしてもメイドにしても、わたしを外見年齢で扱いすぎている。
……大人なのに。わたしは立派な大人なのに――
「着替えを済ませたら、ここに来る前に買ったカヌレを食べようね」
「食べるー!」
大人の二文字をペイっと捨てて、わたしは即答する。
ここに来る前の街で美味しそうなカヌレを発見したのだ。ヴェーレ地方はカヌレが有名らしい。カヌレを食べたことのないわたしが馬車の窓に額とほっぺたを貼り付けて外をガン見していると、クリストフが馬車を停めて買ってくれたのである。しかし馬車の中ではお茶の用意ができないからとお預けを食わされていたのだ。早く食べたい。
クリストフはわたしを可愛い子供だと思っている節があるので、わたしのおねだりにはとにかく甘い。大人としての尊厳にピシリピシリとヒビが入っていくのを感じるも、この美味しい子供の特権をすべて捨ててしまうのはものすごくもったいないのではないかと思っている今日この頃だ。
ロジェが「おやおや仲がおよろしいようで」と微笑ましそうな顔しているが、わたしの頭の中は早くもカヌレで一杯である。
滞在中は好きにしていいけれど、外に出かけるときは安全のために外出先を教えてほしいとロジェから注意事項を受けて、わたしたちは使用人に案内されて二階の客室に向かった。新妻が七歳児だが、一応新婚旅行なのでクリストフとわたしは同じ部屋だ。
フィオナとアイリスは隣の部屋を控室として与えられた。
続き部屋の寝室で、わたしはフィオナとアイリスに手伝われてドレスを着替える。日に日に子供用のひらひらドレスが増えていくのは気のせいだろうか。ルームウェア用のドレスにもフリルとリボンがいっぱいついていて、着替えさせられたわたしは鏡の前で何とも言えない気持ちになった。年中黒いドレスとローブを着て過ごしていた過去の自分が遠くへ消えてしまったような錯覚を覚える。
わたしをピンクのルームウェアに着替えさせると、フィオナとアイリスも休憩のために隣の部屋へ移った。
お茶の用意は公爵城の使用人たちがしてくれる。
「落ち着いたら、君の専属侍女を選ばないといけないね」
紅茶が用意され、買って来たカヌレが高そうな皿の上に並べられる。使用人たちが下がると、クリストフが突然そんなことを言い出した。
「侍女?」
「そうだよ。今は侍女を雇っていないから我が家のメイドを君の世話係につけているけど、本来、身の回りのことは侍女の仕事だからね。君専属の侍女を……そうだな、子爵家か伯爵家あたりから探してみるか」
子爵家や伯爵家ってことはお貴族様である。平民の孤児のしかも魔女の世話をしたがる貴族令嬢がいるだろうか。いたとしても、礼儀作法とかマナーとかにすっごくうるさそうだ。そんな人たちに四六時中張り付かれて、やれ食べ方がどうだとか、姿勢がどうだとか言われる続けることになるのだろうか。心の底からご免こうむりたい。
「別にいらないわ。どうしても必要なら、フィオナとアイリスがいい」
クリストフの邸の使用人たちはいい人ばかりだ。とりわけフィオナとアイリスとはこの一か月の旅で仲良くなったし、彼女たちは口うるさくないので、できれば彼女たちがいい。
「フィオナとアイリスはとても働き者だけど、貴族じゃないよ?」
「わたしも貴族じゃないわよ」
「オデットはもう貴族だよ。僕の妻だからね。僕、十五歳で成人した時にラファイエット公爵の名前をもらっているから、君は公爵夫人だ」
「そうなの⁉」
知らなかった。いつの間にかわたしは公爵夫人になっていたらしい。
「そうだよ。領地もあんまり大きくないけど一応あるよ。王家の管轄地を分けてもらった形だけどね。といっても、経営はそのまま王家でやってるから、僕は名前だけの領主だけどね」
王子であるクリストフは、領地経営よりも政の方に忙しいらしい。十六歳でばりばり仕事が振られるなんて、王家と言うのは人手不足なのだろうか。ともかく、そういうことなので、領地の方の経営は役人任せで、最終的な承認作業だけしかすることがないそうだ。
自分がいつの間にか公爵夫人になっていたことには驚いたが、だからと言って生まれや育ちが変わるわけではない。やはり貴族令嬢を侍女として雇うのはなんか違う気がした。
クリストフも無理強いするつもりはないようで、わたしがいいならフィオナとアイリスを専属の世話係として置いて、必要なら侍女に上げてもいいという。
侍女の話がひと段落したので、わたしはお待ちかねのカヌレを手に取った。
しっとりしていて、ちょっとつるんと滑らかな独特の舌触り。……美味しい。たまらん。
ちょっと前まで樹海の中で獣を倒して捌いてその肉を食べていた生活していたのに、クリストフと結婚してからのわたしの食生活はとても優雅である。
七歳児の体には思うところがあるけれど、美味しいものをたらふく食べられる今の生活は捨てがたいものがあって、しばらくはこのままでいいかなと思うわたしもいた。
クリストフも七歳児のわたしを受け入れているようだし――……。
カヌレを食べながらそこまで考えて、わたしはふと、隣に座っているクリストフの気持ちが気になってきた。
二十七歳の姿のわたしのときもまあ大概だと思ったが、今度は逆に子供姿に変わってしまっている。十六歳の健全男子としてはどんな気持ちなのだろう。
「ねえクリストフ。王様の命令でわたしと結婚させられて、思うところはないわけ?」
もともとの年齢は彼より十一歳も年上の、あまり言いいたくはないが、まあ、クリストフの年齢からすれば「おばさん」である。そして今、彼の目の前にいるのは七歳児。
……せめて十七歳の姿なら釣り合いが取れたでしょうにね。
するとクリストフはきょとんとして、それからおかしそうに笑った。
「思うところって何? 僕はオデットと結婚して幸せだよ」
「……そう?」
クリストフの笑顔には曇りはない。でも心の底からそう思っているのだろうか。
……わたしなら、結婚式の日に夫が七歳児になったらすっごく嫌だけどな。
クリストフのようにさわやかな笑顔で「幸せ」なんて吐けなかったと思う。
わたしはクリストフの笑顔の中に隠された彼の本音がないかどうかを探ろうとしたが、いくら探ろうとも違和感はどこにもなくて、首をひねりながらカヌレをかじった。