里帰り 3
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「浮遊魔法《風》」
真っ白な帽子に耳当て、もこもこのコートを着たわたしの体が、ふわりと宙に浮いた。
「じゃあ、いってきまーす」
見送りに出てくれたクリストフや使用人たちに手を振って、わたしはタバタの町のある西に飛んでいく。
冷たい風がビュンビュン頬にあたって痛いけど、こればかりは我慢するしかない。もう一つ魔法を展開させて、自分の周りに防御結界を張れるほど、エメラルドに魔力残量がないからだ。
凍えそうになりながら冬空を飛び続けて一時間ほど。
タバタの町の入口が見えて、わたしはふわりと地面に降り立った。
亡き師匠に代わり孤児院の管理をしている一つ年上のエレンとは、たまに手紙のやりとりはしていたが、樹海に移り住んでからタバタを訪れるのははじめてだ。五年前とはあまり変わっていないようにも見えるけれど、やはりところどころに違いはある。
……あそこのパン屋さん、閉めちゃってる。まあそうよね、五年前も相当お年だったもの。
懐かしい反面、小さな変化が少し淋しい。
孤児院のあるタバタの町の東に向かうと、孤児院の狭い庭で子供たちが走り回って遊んでいた。
門扉の前にわたしの姿を見つけると、一人の子供が大きな声を張り上げた。
「院長せんせー! 女の子のお客さんー!」
「え? 入院希望者かしら?」
子供の声を聞きつけて、レンガ造りの建物から、茶色い髪を三つ編みでまとめた二十代後半ほどの女が顔を覗かせる。エレンだった。洗い物でもしていたのか、白いエプロンで手を拭きながら門扉まで走ってくる。
「ええっと、こんにちはお嬢ちゃん。ここに来たってことは、わたしたちと家族になってくれるのかしら?」
孤児院の子供たちの大半は、捨てられた子供か、赤子のときに育てられないからと預けられた子供たちだ。わたしのように両親を亡くした子もいる。大抵は誰かに連れられてやってくるのだが、ごく稀に、自分の足で孤児院を訪ねる子供がいる。エレンはどうやら、わたしが行く当てもなく孤児院を訪ねた子供だと思ったようだ。
しかしエレンはわたしの服装を見て、不思議そうな顔をした。それはそうだろう。わたしが今着ているのは、王子で公爵でもあるクリストフが金に糸目もつけずに買い与えた高級品だ。邸のメイドたちが意気揚々とわたしで生きた人形遊びをしているので、わたしは頭のてっぺんからつま先まで磨き上げられている。金髪も艶々。どこからどう見ても貴族か金持ちのお嬢様だ。
……まあ、さすがにわからないか。
知り合いがいきなり七歳児になって現れて気づけと言う方が酷な話だ。
わたしは嘆息して、エレンにひらひらと手を振った。
「久しぶり、エレン。わたしよ、オデットよ」
「まあ、オデット…………え? ええええええええ⁉」
エレンはおっとりと頬に手を当てたと思えば、目玉が飛び出るほど目を見開いて、大声を出した。
「オデット⁉ オデットって、五年前に出て行ったあのオデットよね⁉ どういうこと⁉ なんで縮んで……ああ、せっかく大きかったお胸がぺったんこ……」
ほかに注目すべきところはあるはずなのに、まず胸に視線が行くのはなぜだろう。わたしのチャーミングポイントは胸だけだったと言われている気がして切なくなる。
「胸だけでかい幼子がいたら見てみたいわ。何バカなこと言ってんの。相変わらずエレンはボケボケね。そんなんで孤児院経営は大丈夫?」
「お口が悪いところまでオデットだわ。じゃあやっぱりオデットなのね。でも……どうしてそんな姿になってるの?」
口の悪さで判断されるのもまた虚しい。
わたしはエレンの無自覚な精神攻撃を受けて胸を押さえた。
「この姿のことはサーリアに聞きなさいよ。あいつがすべての現況なんだから」
「サーリア? まあ、また喧嘩したの」
「喧嘩じゃなくて、あいつが一方的に難癖付けてくるのよ!」
「でも応戦するオデットも行けないと思うわ。それはそうと……その服凄いわね。触っていい? まあ、ふかふか。……そんな高そうな服、どうしたの? わたしの知らない五年の間に、オデットってばとんでもお金持ちになったのかしら」
「とんでもお金持ちって何よ。また変な造語して。……まあ、いろいろあったのよ。話せば長く……ってほでもないけどいろいろややこしいと言うか」
「ふんふん。ややこしい……。つまりオデットは幼子の姿でどこかのお金持ちのおじさまを誘惑して幼女にでもしてもらったのかしら」
「あんたの想像力は相変わらず意味不明だわ。違うわよ! ……いろいろあって結婚したの。その結婚相手がお金持ちで、この服はその人が買ってくれただけよ」
「へえ、結婚…………結婚⁉ なにそれ聞いてないわ! わたし、結婚式に呼ばれてないわよ! どういうこと⁉」
それはそうだ。結婚式後逃げ出すつもりでいたから、ややこしくなるのでエレンたちには秘密にしていた。まさか結婚式で子供にされて、そのままクリストフのところに居座ることになるとは思っていなかったからである。
「だからいろいろよ、いろいろ。説明が難しいわ。今度改めて説明するから、今日のところは勘弁してちょうだい。で、わたしはサーリアに会いに来たんだけど、あいつ今どこにいるの?」
「サーリアなら、今も町の北に家に住んでるわよ。ああでも、今は行ってもいないと思うわ」
「……どういうこと?」
「昨日ね、この町の近くに魔物が出て、サーリアは魔物を討伐するために出かけて行ったの。ほら、昔よく木の実拾いに行ったあの山よ」
「あの山に魔物が出たの?」
「そうなの。このあたりは先生が存命のころから必ず魔女がいたでしょう? だからだと思うけど、ずっと魔物なんて見なかったのにね。まあ、あなたほどではないにしても、サーリアも強い魔女だもの。きっとすぐに戻ってくるわ。それまで孤児院の中で待っていたら? 懐かしいでしょう?」
温かいお茶でも入れるわとエレンが孤児院の中に入っていく。
冬空を飛んできたから体も冷えている。わたしはエレンの申し出をありがたく受け取ることにして孤児院に入った。
エレンの焼いたクッキーを食べながらお茶を飲んでいると、窓の外で雪がちらつきはじめる。
「あら、降って来たわね」
「そうね。でもこの雪なら、すぐ止むでしょ」
「そうかもしれないけど、山の方はもっと降るでしょう? サーリア、寒くないかしら」
「あいつも魔女なんだから、寒さくらい自分で何とかできるわよ」
窓から山のあたりを見つめるエレンにはそう言ったが、わたしも少しだけ心配になってくる。
つい先月ズイフォンに遭遇したからだろうか。強い魔物はそうそう現れないだろうけど、もし強い魔物が現れたら、サーリアで対応できるだろうか。
……あいつもそれなりに強いから、魔物の一匹や二匹、ものともしないでしょうけど……。でもあいつ、昔からけっこうドジだし、わたしと違って魔物の討伐経験はないはず。
わたしは師匠について魔物を討伐したことが一度あるし、樹海に住み着いてからは、一年のうちに、一、二度程度ふらりと現れる魔物を討伐していた。
「エレン、ちょっとサーリアの家でも見に行ってくるわ」
「そう? でもあの子の家、散らかってると思うわよ。片付け苦手だから」
「わかってる」
一応、サーリアが戻っているかどうか確かめるために家に行くつもりだが、いなければすぐに山に向かうつもりだ。サーリアの家に上がり込むつもりはない。
エレンはわたしの考えていることがわかったのか、不安そうに瞳を揺らした。
「気をつけてね、オデット」
「ええ」
わたしはエレンに手を振って孤児院を出ると、サーリアの家へ向けて歩き出した。