里帰り 1
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「ジョン! しっかりして!」
(だから勝手に名前つけんじゃねーっつーの)
ぐったりと横たわったクイールは、片目を開けてこちらを心配そうに見下ろしている使用人たちを見やった。
魔力を消耗しすぎて、喋る元気もない。
(ったく、俺に元の力があればあんなんすぐにぶち殺せたのによ)
浅い呼吸をくり返しながら、王都中に張った巨大結界の様子を探る。まだどこにもほころびはできていない。だが、あと三日もてばいい方だろう。
(……天下のクイール様もこれまでか。笑えるぜ。世界の四本柱の一人の大魔人様が、三下相手に人を守って死ぬとか、何の冗談だ)
ジョン、ジョン、と呼びかける使用人の声が耳障りだ。それなのに、ジョンと呼ばれるのをまんざらではないと思っている自分がいておかしくなる。
うるせえなあ、と喉の奥から声を絞り出そうとしたその時だった。
クイールはハッとして、それから口元をゆがませて笑った。
「……おせーよ、ばーか」
☆
……なに、これ。
わたしは思わず息をするのも忘れていた。
王都に入った瞬間にまとわりついた魔力。これは結界だ。
「クイールの結界? 魔人が、結界ですって?」
しかもとんでもなく巨大な結界だ。王都と言う巨大な町をまるまる覆って、どこにもほころびが見当たらない完璧な結界。
……何なのあいつ。いくら強い魔人だからって、魔力の大半を失っててこれができるとか、いったい何者?
結界のおかげだろうか。王都で何かが起こったような形跡は見られない。
「何もないみたいだね」
クリストフがわたしの隣で拍子抜けしたような声を出す。
何も? そうよね。魔女じゃないクリストフには、この異常な状態はわからない。
これだけの強力な結界で守らないといけないだけの何かが、王都を狙っているのだ。たぶん、クイールの結界がなければ、王都は血の海だったかもしれない。
クリストフのラファイエット公爵邸に急ぐと、馬車がまだ停まらないうちに邸の中から使用人たちが転がり出てきた。
「旦那様、奥様! 大変でございます! ジョンが!」
ジョンとは使用人たちがクイールに勝手につけた名前である。
わたしを抱えて馬車から降りたクリストフが、使用人たちに案内されてわたしとクリストフの部屋へ急いだ。どうやらクイールはこの部屋にいるようだ。
部屋に入ると、クイールは床に置かれた大きなクッションの上でぐったりと横になっていた。
「クイール⁉」
クリストフに床に降ろしてもらってクイールに駆け寄ると、浅い息をくり返しながら、クイールがこちらを見る。
「おせーよ。だがギリギリ間に合ったから、ま、及第点ってとこか」
「何があったの?」
「魔人が来やがった。どうにか追い払って、こうして結界を張ってる。先週までは結界を破壊しようと暴れまわってくれてたが、ここ五日は気配を感じてねえから、もしかしたら諦めたのかもしれねえけど、今の俺じゃあわかんねえ。……あと任せていいか? すげー疲れたんだ」
任せていいかと言いながら、クイールは結界を解かない。
……これ、まずいかもしれない。
わたしはクイールの体に触れながらきゅっと唇をかんだ。
クイールはかなり消耗している。おそらくだが、魔人を追い払うのにも相当な魔力を使ったのだろう。そのあとで結界維持にずっと魔力を吸われ続けている。このままだったら近いうちにクイールは消滅するだろう。
……王都に来る途中に魔人の気配は感じなかった。五日来ていないと言うし、魔人は諦めて別の地へ向かったのかもしれない。
「クイール。結界を解いて。近くに魔人はいないわ」
「そーか……」
クイールはホッとしたように息を吐くと、王都中に展開していた結界を解いた。その途端、クイールが激しくせき込んで、喉をヒューヒュー鳴らしながらきつく目を閉じる。
わたしの隣に膝をついて、クリストフが心配そうにクイールを見つめた。
「クイール。君、魔人だろう? なのにどうして王都の住人を守ってくれたんだい?」
クイールは薄く目を開けて、鼻で嗤った。
「人? 知るかよそんなの。俺は俺の縄張りを守っただけだ。ここは昔から俺の縄張りだった。居心地いいんだ。みすみす奪われてたまるか。ただそれだけだ。人を守ったわけじゃねーよ」
「そのために……死んだとしても?」
「たりめーだ。死ぬのが怖くてこの俺様に尻尾を巻いて逃げろつーのか。そんなもん俺様の美学が許さねー。逃げるくらいなら俺は潔く死ぬね。逃げるなんざ性に合わねえ」
わたしにとって魔人なんてよくわからない生き物だが、クイールにはクイールの譲れないものがそこにある。
美味しくないから滅多なことでは人は襲わない。
縄張りだから命を張って守り抜く。
……本当に変な魔人。でも、だからこそ、信頼できる。
そう、わたしはクイールを信頼していたのだ。彼が一か月は持たせられると言ったから、それを信じて戻ってきた。
わたしは首から下げている布袋からエメラルドを取り出す。
一か月の間に、魔力は四分の三ほど溜まっている。
……この選択が、正しいのかは正直わからない。魔人なんて生かしておくとろくなことはないのだから、このままクイールが死ぬのを待った方がいいのかもしれない。
でも、それじゃあ、寝覚めが悪いからね。
命を懸けて王都を守ってくれたクイールを、ここで見捨てるのは、クイールの言うところのわたしの「美学」が許さない。
わたしはエメラルドを握りしめて、杖の先端をクイールの体の上にかざした。
「あんた、属性は?」
「……闇だ」
クイールは短い逡巡の後、小さく答える。
……闇? ずいぶん珍しい属性なのね。
「治癒応用《闇・魔力回復》」
魔力を相手に与えることはできない。だが、魔力回復を補助することはできる。クイールほどの強い魔人なら、魔力回復を補助するだけで一気に回復できるだろう。ついでに、体力もかなり消耗しているようだから体力の回復もかけておく。
エメラルドに貯めていた魔力分の回復魔法をかけると、クイールの呼吸が穏やかになっていく。
まだ起き上がれるだけ回復はしていないようだが、クイールはわたしを見上げて、皮肉な笑みを浮かべた。
「いいのか魔女。魔人を回復させて」
「……あんたを生かしておいた方が、王都を襲った魔人を探すのが楽そうだもの」
「そーかい。……まあいい。助かった。じゃ、俺はしばらく寝る。何かあれば起こせよ」
何かとは、つまり、魔人が襲ってきたらということだろう。こんなにぼろぼろになったくせに、魔人がまた襲ってくるなら迎え撃つつもりでいるのだから、クイールにも困ったものだ。
クイールが静かな寝息をたてはじめると、使用人たちが彼をクッションごと持ち上げて、彼が使っている部屋へ運んだ。
「あーあ、からっぽになっちゃったわ。ため直さないと」
エメラルド片手に口を尖らせるわたしの頭を、クリストフがぽんぽんと撫でる。
「……なに、急に」
「オデットは優しくていい子だなって思っただけだよ」
「わたし、クリストフより年上なんだけど」
「うん、わかってるよ?」
本当かしら。明らかに子ども扱いされている気がするけど。
だけど、クリストフに頭を撫でられるのは悪い気はしないので、ここは素直に撫でられておく。
「それにしても別の魔人が襲って来たなんて……クイールが言っていた、魔人の封印を解いて回っている誰かがいるのは本当のようね」
「そうだね。クイールから聞いた時に父上には奏上しておいたけど、世界に魔人が溢れたら大変なことになるよ」
「それだけじゃないわ。世界に魔人が増えると、魔物も増える。……昔みたいに、魔物がたくさんいる世の中になる」
魔人や魔物も、魔女や魔法使いのように魔力を持っている。しかし、その身に宿る魔力の本質が違うのだ。魔女や魔法使い――人が持ち得る魔力が「正」とするなら、魔人や魔物の持つ魔力は「負」の魔力。魔人は人と同じように子をもうけるが、魔物は「負」の魔力の魔力溜まりから生まれる。魔人が世界に多ければ多いほど、「負」の魔力溜まりができやすくなるため、魔物が増えるのだ。
「……今は昔みたいに魔女や魔法使いはたくさんいない。魔物が増えると、対処しきれなくなるわ」
世界に封印されている魔人が何人いるのかわたしは知らない。だが、封印されているということは、昔の魔女や魔法使いが倒しきれなかったということだ。それだけ強い魔人ということになる。数が多くなくても、楽観視はできない。
わたしが知っている魔女や魔法使いでブルトリア国にいるのは、わたしと碧き湖底の魔法使い、そしてサーリアの三人だけ。サーリアは知らないが、わたしは弟子を取っていないし、碧き湖底の魔法使いもあの様子では弟子を取らないだろう。
「魔法使いって、増やせるの?」
「才能があれば、数年修行すればそこそこ魔法が使えるようになるわ」
昔は国にお抱えの魔法使いがいたほどだ。魔女や魔法使いは人目を避けて生活する傾向にあるが、中には目立ちたがり屋の物好きもいて、そう言う連中が国に雇われていたと聞く。
「わかった。父上に相談してみよう」
王に相談したところでどうにかなる問題でもない気がするが、クリストフにはクリストフの考えがあるようなので口出しはしないほうがいいだろう。
「クイールが追い払った魔人がまた来ないとも限らないから、そっちも警戒しておいた方がいいでしょうね」
かといって、魔人が襲って来たときに、今のわたし一人でどこまで対抗できるか――
わたしは長く長く息を吐き出した。
……すっごく嫌だけど、この際、好き嫌いは言っていられないわよね。