南の魔法使い 7
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手がかりをつかんだからと言って、そう簡単に出会えるものでもないのはわかっていた。
ラシュラドの町に行ったはいいものの、碧き湖底の魔法使いザーラを知る者には出会えず仕舞いで、わたしは湖のほとりに腰を下ろして、はーっと息を吐きだした。
クリストフがそんなわたしの頭を慰めるように撫でている。
冬の湖のほとりは寒いけれど、日差しを反射してきらめく水面は美しかった。
東西に大きな湖だと聞いていたけれど、この湖は本当に大きすぎて、湖に面している町だけでラシュラドを含めて三つもある。
ロジェの話は二十年も前のことだ。いつまでも魔法使いがここにいる保証はない。
……わたしに元の魔力があれば、探し出すことも難しくなかったのに。
「オデット、ほら、元気出して。町の全員に訊いたわけでもないし、探せば知っている人がいるかもしれないよ」
「そうね……」
クリストフはそう言うが、魔法使いが顔を出す先など、それこそパン屋とか肉屋とか、食料品を使っているような場所ばかりのはずだ。食べ物屋の店主には全員聞いて回ってそれでわからないと言われてしまったのだから、オデットには希望は少ないように思える。
「気晴らしにと言っては何だけど、さっきのチョコレート屋さんに行こうか、ホットチョコレート、飲みたいんでしょう?」
先ほど聞き込みをしているときに寄ったチョコレート屋に売っていたチョコレートドリンクは確かに美味しそうだった。飲んでみたかったが聞き込み中だったのであきらめたのだ。
「行くわ」
「あ、ちょっと機嫌直ったね」
クリストフが差し出した手をつかんで立ち上がる。外は寒いし、店内でホットチョコレートを飲んで温まろう。ついでにチョコレートケーキも食べたい。
クリストフに言い当てられたように機嫌を直したわたしが、彼と手をつないで歩きだしたその時だった。
「きゃあああああああ!」
「わああああああああ!」
遠くから次々に悲鳴が上がって、クリストフが反射的にわたしを抱き上げて表情を強張らせた。
「何かあったのかな」
この悲鳴の上がり方と数は尋常ではない。
わたしはクリストフの腕から身を乗り出すようにして、くんくんと鼻を動かした。
「……魔物の気配がする」
「え? 魔物⁉ 昼間だよ⁉」
「昼間でも活動する魔物はいるわ。今のわたしにわかるくらいだから、結構強いと思う」
魔物の数が激減し、それにともない人里に降りて来る頻度も減った。だからと言って、まったく出ないと言うわけでもない。
だが、わたしが深き森の魔女の二つ名をつけ継いでから、魔物が人里に現れたのを見たのははじめてのことだった。……まあ、ずっと引きこもっていたから当然と言えば当然か。
「クリストフ、降ろして! 行かなきゃ!」
「何言っているのオデット! 今の君が行ってどうするの? 魔物に殺されるだじゃないか! どうしてもというなら僕が行くから、君は早く逃げるんだ」
「何を言っているのかと問いたいのはこっちよ! クリストフこそ、行って何になると言うの? 魔物は魔女や魔法使いでないと倒せない。クリストフには無理」
「君も無理だ」
「でも、町の人が逃げるくらいの時間くらいは稼げるかもしれない」
「な――本気で言ってるの⁉」
「別に死にに行くって言ってるんじゃないわ。時間を稼ぐだけよ」
離して、とクリストフの腕の中で暴れたが、彼の腕はわたしの胴に絡みついてどうやっても外れない。
「今の君にはそれも無理だ! 小さな火の玉を出すだけで精いっぱいなんだよ? 僕は魔法使いじゃないけど、そのくらいの判断はできるよ!」
クリストフの言う通りだ。時間を稼ぐと言ってもどれだけ稼げるかわからない。最悪、魔物に食われて終わるだろう。だがこの場に、わたしのほかに魔女や魔法使いがいるだろうか。
わたしは別に好戦的な魔女じゃないけど、だからと言って、魔物に遭遇して逃げ出すようなら、そもそも魔女とは言えない。
「……わたしの育った孤児院の妹の一人にね、両親を魔物に食われた子がいるの。親が魔物に食われるその瞬間を目の当たりにして、奇跡的にその子は助かったけど、夜も眠れなくなって、小さな鳥にすら怯えていたわ。今は大きくなって落ち着いているけど……わたしは、そんな子たちを増やしたくはない」
魔女は正義の味方ではない。割に合わないと思えば人を助けるのを拒否することもある。でも、わたしにはわたしの譲れないものがあって、今がそれだ。ここで尻尾を巻いて逃げ帰るくらいなら、深き森の魔女の二つ名は返上する。
「降ろして、クリストフ。行くわ。あなたは町の人を先導して逃がして」
「駄目だ、認めない! 君はもう僕の妻だ。夫の意見も尊重してほしい」
「夫なら、妻の意見も尊重すべきよ」
こんな七歳児を前に「妻」なんて真顔で言えるクリストフに笑いたくなってくる。
……クリストフの側は、結構居心地がよかったわよ。
たぶん、ここでお別れになるだろう。
願わくば、この優しい王子様に、素敵なお妃様が現れますように。
わたしは大きく息を吸い込むと、わたしを抱きしめた離さない夫に向かって怒鳴った。
「あなたは王族でしょう! 民の命を守ることを最優先にしなくてはいけないのよ! そしてわたしは魔女。魔物を倒すのは、わたしにしかできない仕事なの!」
わたしの怒鳴り声に、クリストフの腕が一瞬緩む。その隙に飛び降りたわたしは、たたらを踏んで、そして駆け出した。
「オデット‼」
「行って‼」
振り向かずにクリストフに向かって叫んで、わたしは悲鳴が聞こえた方角を目指した。