南の魔法使い 6
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ふわあと大きな欠伸をして目をこすっていると、くすくすと笑い声が聞こえてきた。
半目を開けると、窓際の椅子に座って本を読んでいるクリストフの姿がある。
「今日は少し早起きだね、オデット」
「ん。クリストフ、おはようー」
四つん這いで広いベッドを横断し、よいしょっと掛け声とともに降りていると、隣の部屋で待機していたらしいフィオナとアイリスが話し声を聞きつけて飛んできた。
フィオナがまだ半分寝ぼけているわたしをひょいと抱き上げ、顔を洗って着替えましょうとバスルームまで運んでいく。
普段寝坊しまくっているわたしは、顔を洗っても眠気は冷めなかったが、今日は行きたいところがあるのでぐうたらもしていられない。
ふわりふわりと何度も欠伸をしている間に夜着からオレンジ色のワンピースに着替えさせられて、フィオナに抱き上げられて部屋に戻ると、朝食の準備が整っていた。
美味しそうなシチューの香りに、ようやくわたしの眠気が吹き飛ぶ。
「オデットは行きたいところがあるんだよね?」
「うん。ちょっと師匠の知り合いに会いに行ってくる」
クリストフと一緒に「いただきます」と手を合わせてスプーンを握る。
とろとろで温かいシチューを口に運んでいると、スプーンが大きすぎて口の端からたらたらとシチューがこぼれた。
「まあまあ、奥様」
アイリスが慌ててナプキンでわたしの口元を拭ってくれる。
「オデット、こっちおいでよ」
見かねたクリストフがぽんぽんと自分を叩いたが、わたしは頑として首を横に振った。
あの顔は、わたしに「あーん」して食べさせる気満々だ。お菓子を目の前に差し出されてつられて口を開けたことは何度もあるが、さすがに膝に抱っこされて食事を口に運ばれるのはわたしの矜持が許さない。
しかしどういうわけか、自分で食べると言い張ると、わたしの口元を拭っていたアイリスがポッと頬を染めてスプーンを握った。
「それでは僭越ながらわたくしが」
「え?」
「はい奥様、あーん」
「…………」
わたしはどうやっても「あーん」される運命からは逃れられないのだろうか。
何故だろうとおかしいと葛藤しつつも、スプーンを差し出されると反射的に口を開けてしまう自分が虚しい。
「アイリスずるい! 奥様、はい、バターたっぷりのクロワッサンですよー」
右隣りのアイリスに対抗し、わたしの左に陣取っているフィオナがクロワッサンを一口大にちぎって差し出してきた。
いや、パンくらい自分で食べられるし。
スープがたれたのはたまたまだし。
さすがに二人がかりで口に食事を運ばれるのは――
くぅ、クロワッサンのバターのいい香りが……
「あーん」
……日に日に七歳児が堂に入っていくような気がするのは、気のせいだと思いたい。
メイド二人に朝食を食べさせてもらっていると、目の前に座っているクリストフが微笑ましそうに目を細める。
「それでオデット、その知り合いはどこにいるの?」
「もぐもぐ。んー……わかんないけど、たぶん湖の近くのどっか」
「え……オデット……湖、すごく広よ? ほかに手掛かりないの? 湖周辺をくまなく探そうと思うと数日じゃあ足りない気がするけど……」
「大丈夫、飛んで探すから」
「オデット、今の君は飛べるの?」
「……………………そうだった……」
忘れてた。わたし七歳児になっているから、魔力不足で空も飛べない!
馬鹿かわたしは。どうしよう。ヴェーレ公爵領に滞在するのは予定では五日だ。五日の間に探しきれるだろうか。
自分の馬鹿さ加減に絶望していると、クリストフが困ったように眉尻を下げる。
「えっと、もしかしたら誰か知ってるかもしれないから聞いてみようよ。探している人の名前はなんていうの?」
「……碧き湖底の魔法使いザーラ」
「碧き湖底の魔法使いかぁ。うん、聞いてみよう。魔女や魔法使いは地元だと噂になりやすいから、案外会ったことがある人がいるかもしれないし」
魔女や魔法使いと言えど霞みを食べて生きているわけではないので、最低限食料の買い出しはする。わたしの場合は全然仕事をせずに森の中に引きこもっていたので、お金がなさすぎて買い出しに下りなかっただけだ。大抵の魔女や魔法使いは、人に頼まれて薬を作ったり、魔物が現れる地域に住んでいるなら魔物退治をしたりしてお金を稼いで、そのお金で生活している。魔女や魔法使いは人目を避けて生活する傾向にあるが、まったく人と関わり合いにならず生活することはできないのだ。
「朝ご飯を食べたらロジェ殿にも聞いてみようよ。案外知っているかもしれないよ」
ロジェは公爵の地位を息子に譲ってから、この領地でずっと生活していると聞いた。確かに彼ならば何か知っているかもしれない。
師匠の友人だった碧き湖底の魔法使いザーラは師匠とそう年も変わらず、「碧き湖底の魔法使い」の通り名を継いでからずっとこのあたりを住処としていると聞いたから、もう何十年もこの地とともに生きている。それだけ長く住んでいるなら、知人の一人や二人いてもおかしくない。
クリストフの提案で朝食を食べたあとで彼とともにロジェの書斎を訪れると、クリストフの予想通りロジェは碧き湖底の魔法使いを知っていた。
「もう二十年ほど前でしょうか、私が領主の地位にあったときのことです。この近くに魔物が出て、それを討伐してもらったことがあるんですよ。住処まではわかりませんが、当時はここから馬車で一時間ほどの場所にあるラシュラドという町によく現れると聞いて探し回ったのを覚えています。住処を変えていないなら、今もその町に顔を出しているかもしれませんね」
地図を見せてもらったところ、ラシュラドの町の南が湖に面している。湖の近くに住んでいると言うのは聞いたことがあるので、湖に面しているラシュラドの町もしくはその近くに住んでいる可能性も充分にある。
わたしたちはさっそく、昼からラシュラドの町へ向かうことにした。




