ルルゥの夢
「カネだよカネ! いいからカネ出せや、ほら早く!」
毒々しい不自然なピンク色に塗った唇を歪ませて、恐ろしい顔を作って、ルルゥが言う。
私は彼女をただ見つめていた。傍に立って、微笑んで、彼女が張り切って仕事をするのを見つめていた。
「なんだよカネ取るだけでヤらせねぇつもりかよ!」
地べたに倒された男が唾を飛ばす。
相手の男はヒョロヒョロだ。明らかにこのご時世で栄養が足りてない。それとも偏ったものしか食べてないのかな。黒いズボンを履いた上の、裸の胸には、黒い蜘蛛の刺青があった。この辺をシメているグループのメンバー証だから、お金は持っているはずだ。
「テメェなんかに抱かせるカラダは持ってねぇよ、バカ」
ルルゥは男を簡単にブーツの下に組み伏せると、てのひらを上に向けてヒラヒラさせる。
「いいからホラ! カネ!」
「ううっ……!」
男は悔しそうに震えながら、手を自分のポケットに入れ、紙幣の薄い束を取り出した。
「よし、行っていいよ」
ルルゥが足を離すと、男は慌てて逃げ出した。
「ひぃ、ふぅ、みぃ……」
ベロを出して、その場にあぐらを組んで、楽しそうにルルゥは札束を数える。
「4千か〜……! まだまだ30万には程遠いな」
「お金なんて、価値あるの?」
私は不思議に思って、彼女に尋ねた。
「こんな末法の世の中なのに」
ここは私が生まれ育ったところとは随分違う。鉄と赤い錆の色ばかりが目につく。道路は名残がないほど瓦礫と化していて、気をつけていないと躓いて転ぶような有様だ。
そんな景色の中で、ルルゥの色が浮いている。
目に鮮やかなピンク色の髪と唇が、黒い夜空に浮かぶショッキングピンクの月みたいに、まるで別の世界の存在のように。
つまりは私のように。
「そんなことも知らないの?」
黒いレザージャケットの内ポケットに札束を仕舞いながら、ルルゥが少女のように笑う。
「この世界でもお金は価値があるよ。ま、暴力ほどじゃないけどさ」
「ミロク様のお陰なんだね?」
「そうなんだよ。すべてはミロク様のお陰なんだ。ミロク様は本当に、この世界の救世主なんだ」
だんだんと、いつものようにルルゥの口調が興奮しはじめる。
「ミロク様はね、世界一強いんだぜ? ミロク様を恐れるから悪いやつらも大っぴらには悪事を働けない。お金に価値があるのも強者が弱者から物を奪う時にカネを払わないとミロク様がやって来て、懲らしめてくれるからさ」
真っ白に塗った顔を罅割れるかと思うぐらい笑わせて、純真無垢な少女のように語る彼女の横顔を見つめて、可愛いと思った。恋する女は可愛いものだ。
「前にも言ったけど、あたし、ミロク様に会うのが夢なんだ。30万払ったらミロク様は誰でも会ってくれる」
「会ってどうしたいの?」
「どうもしないよ。ただ、あたしを見てほしいんだ」
「見てもらうだけ?」
「うん! それだけ。見てもらって、知ってもらえるだけで、あたしはさ、自分がこの世に存在してるって、実感できる。本当は愛してもらえたら一番いいんだけど……。贅沢は言わない」
そう言ってルルゥは小さく舌を出す。
「愛してる人がいるのに、その人があたしのこと知らないなんて、気が狂いそうに悲しいからさ、だから、見て、出来ればカッコいいって言ってもらえれば、それで満足だよ」
「なるほど。よくわかる」
私はうなずいた。
「つまり、ルルゥは私にとってのミロク様だ」
「コガちゃんはさ〜」
ルルゥが照れ臭そうに、私の名前を呼んだ。
「つまり、それって、あたしのこと、愛してるってこと?」
「うん」
私は微笑んで、うなずいた。
「だってルルゥがいなかったら……」
鈍い音がした。
背後にいた大男が、鉄パイプでルルゥの後頭部を打ったのだった。
ルルゥは前向きに倒れると、ピンク色の髪をアザミの花のように、地面に開かせた。ピンクを血の赤がじわじわと黒に染めて行く。
「あ。殺しちまったか?」
大男が呑気な声を出した。
「アニキ〜、力入れすぎだよう」
そう言ったのは、ルルゥに組み伏せられお金を奪われていた、さっきのヒョロヒョロ男だった。
「生きたままヤりたかったのに……」
「ま、いいだろ」
大男がルルゥの髪を引っ掴み、立たせる。
ルルゥの身体はブラブラと、命を失ってクラゲのように柔らかく揺れた。
「この状態でも楽しめるもんだぜ。あっちでヤろう」
「オレ、先、いいっスか!?」
「バカヤロー。俺が先に決まってんだろ」
2人の男はルルゥを引きずって、鉄の建物の中へ消えて行った。
ミロク様は、来なかった。
私にはどうすることも出来なかった。
私の姿は、この世界の人には見えないようだ。2020年代の日本から転移して来たはいいが、誰も私に気づいてくれなかった。この世界で私はまるで幽霊だった。
ルルゥが私に気づいて、声を掛けてくれた。
──あんた、何? 変な格好してるね?
異世界から来たことを告げると、天真爛漫な彼女はすぐに信じてくれた。私という話相手が出来て、喜んでいた。ミロク様のことをよく話していた。
──ミロク様はさ、一回だけ見たことあるけど、信じらんないくらい、イケメンだったよ
──あたしも自分のこと、カッコいいって思ってる。ミロク様の次にカッコいいって。コガちゃんから見てさ、あたしって……、あたしのこと、どう思う?
あなたはカッコよかったよ、ルルゥ。ピンク色がとてもよく似合ってた。
私はミロク様に会ってみようと思った。
ルルゥを見殺しにしたミロク様に。
文句を言おうと思ったわけではない。ルルゥの夢を引き継ごうとか思ったわけでもない。もしかしたら、ミロク様なら私のことが見えるかもしれないと考えたからだ。私を見ることの出来るルルゥ以外の人間に、私は触れない。ルルゥが手渡ししてくれる物にしか、私は触れることも口にすることも出来ない。それは困る。早く私を見てくれる人を見つけなければ。
ミロク様はどこにいるのだろう? 私はルルゥから聞いた話以外には、ミロク様のことを何も知らなかった。どこに住んでいるのかも、どんな顔貌をしているのかも。
ルルゥに聞いたこと以外には、耳にしたこともなかった。
果たして──と、不安がよぎる。
ミロク様は本当に、存在するのだろうか?