暗夜の礫Ⅳ
高級住宅地の中でも限られた一等地、丘の上に9区区長の邸宅は立てられていた。
これまでかというほどに贅をこらした瀟洒な建物で周りに民家は一軒もない。途中、間隔を開けてぽつりぽつりと設置された街灯が辺りを頼りなく照らしていた。任務の性質上、舗装された道路を堂々と歩くわけにも行かず、できるだけ木々に隠れるよう、林の中を行かなくてはならない。
拡張視のサポートを頼りに、大雨で川のようになった林の中を駆け抜ける。
『今どきこんなにも自然に囲まれた土地なんて、滅多にお目にかかれねえな』
後ろからついてくるハンスが呟く。
『なにせお偉いさんのご自宅ときた。これぐらい当然さ』
『こんな宴に、おれたちはお声がかからないなんてな』
ジャックの返しにチャーリーが反応する。
『まあなんてったって、あの区長が……』
とジャックが話を広げようとしたところで『静かに』と静止する。
『本館だ』
ここからは警戒区域だ。敵にはいっそう注意する必要がある。
本館を目視できる位置にある茂みまでたどり着き、姿勢を低くして状況把握の作業に移る。
広々とした裏庭にレインコートを羽織った機兵が1体、自動小銃を抱え徘徊している。動作から皮膚の質感まで、一見本物の人間と区別がつかない。
『この雨の中よくやるぜ。いくら水に強いタイプとはいえ』
ハンスがしみじみと言った。
『あいつらの君主さまには雨だろうと関係ないからな。それにしてもいくら機械だからってこの扱い。そのうち機械が人間様にストライキでも起こすんじゃないかってひやひやするね』
どこか本気で怒っているような口調のチャーリーに、ぼくは答える。
『そうならないように、今のうちに破壊しとこう。ウィリアム、〝蜘蛛〟と〝鳥〟の映像をぼくらの拡張視に表示させてくれ』
『了解しました』
返事と共に、各種偵察機による本館内部の全部屋の映像が視界に映し出される。内部はやはり警備が厳重、鳥の上空からの映像では外の見張りは門番の機兵2体と裏庭の1体だけだ。
別棟の方からは優雅な音楽に楽しそうな話し声が聞こえてくる。向こうに潜伏している蜘蛛が映し出すパーティー会場の映像では、賓客は不穏な侵入者に気づく様子もなく、1杯いくらか想像もつかないワインの注がれたグラスを持ち、口元を隠しながら上品に微笑んでいた。
パーティーにかかり切りになっているためか、本館に人は1人も見当たらない。各階にある本館と別棟をつなぐ渡り廊下を、給仕機が往来している。別棟の入り口、そして連絡通路の境界に機兵が番をしていた。
『用を済ませるまで本館を孤立させたい。連絡橋を封鎖することはできるか』
『通路をシャッターで塞ぐこと事態はかんたんさ。問題は機械の方だね。言うまでもないだろうけど、機兵の動きは遠隔操作じゃ止めらんない。できるのは給仕機だけで、それもほんの一瞬』
『何分が限界』
ぼくは訊ねる。
『せいぜいもって10分ってとこ』
『給仕機を壊す手はないのか』
チャーリーの話を聞いていたハンスが提案する。
『それもむり。さっき空で言ったけど、ここのセキュリティはそこらの雑貨屋とはわけが違う。どうやら会場で待機してるスタッフの端末と給仕機は、連動してるみたいでさ。おれたちが破壊した瞬間に端末上から表示アイコンが消える。それに気づいたスタッフが確認しに来たら、どんだけ目が節穴でもシャッターが閉まってる事ぐらい分かる。そうなったらサーバーに侵入されてることにも当然気づかれる』
『そもそも給仕機の感知能力ってそんな高かったか』
今度はジャックが疑問を投げかける。
『給仕っていう役割上、来賓にぶつかるなんてもってのほかだからなあ。ふつうのアンドロイドよりもセンサーは高性能。振動、音源、熱、それから……。ま、これらの感知能力は機兵と同じかそれ以上と考えたほうがいい』
『つまり機兵は各個撃破かつ10分以内に仕掛けて脱出。1秒でもすぎて給仕機が動き出しちまったら、一巻の終わり。そんなとこか』
ハンスが要点をまとめ、チャーリーはうなずいた。
ぼくは一連の会話を聞きながら頭の中で計算する。
本館付近は別棟に比べて警備は手薄。最悪逃げ遅れても爆薬を仕掛け終えられさえすればなんとかなる。
そして何よりこの雨だ。多少無茶をしても向こう側の来賓たちに気づかれる危険性は低い。これを踏まえた上で取るべき選択は……。
一瞬で考えをまとめ、指示を下す。
『10分以内に終わらせよう。ぼくは3階をやる。ジャックは2階、ハンスとチャーリーで1階を頼む。今回の目的はあくまで本館だ。別館には被害がでないように細心の注意を払ってくれ。それぞれ侵入経路に到着次第回線を入れる。その後チャーリーが通路のシャッターを下ろして給仕機を止めて本館を孤立させる。終わったらガレージの車両で脱出。異論がなければ迷彩を起動次第始めてくれ』
了解、と声が重なり、たちまち仲間が目の前から消えた。