暗夜の礫Ⅱ
ふと横を見るとメンバーの1人、チャーリーは床に座り込んで一切動く気配がない。
何をしているのかと彼の視線の先を辿ると、彼の指がタブレットの画面上をせわしなく動いていた。
「チャーリー、そろそろ準備しないと」
「分かってるよ。なんというか、そのー、この区長さんのお宅、堅物でさ。なかなかサーバーに侵入できないんだ」
焦燥感がにじみ出ている彼に、ぼくは忠告する。
顔を上げると、奥で既に準備を終えていたハンスと目が合った。やれやれ、とおおげさに肩をすくめて見せた彼の図体は、ぼくの頭一つ分を優に超える。
「おいおい。絶好調だな、メカニック。さっきまでの余裕はどこへやら」
殺気立っているチャーリーを相手にジャックが軽口をたたく。
「だから今必死にやってるよ。オーケー、入った。あとはこれをこうして……」
〈降下地点まで約10分。後部ハッチで待機してください〉
輸送機の操縦を担当しているウィリアムの報告で、ぼくは後部へと向かう。
「アラン、忘れもんだ」
呼ばれて振り返るとハンスが何かを投げてよこす。赤と青2つの液体が入ったプラスチック容器だった。
礼を言ってぼくは渡されたそれを点眼し、潤った目をぱちぱちとまばたきをして液体から固まるのを待つと、しばらくして薄膜が形成される。
〝拡張視〟と呼ばれるそれは、ディスプレイの役割を担う特殊なナノレイヤー層の薄膜を形成させる技術を利用したものらしい。
拡張現実そのものは一般に医療などで普及しているが、ぼくらの使用する軍用とは一般用とは異なり、体内のナノデバイスと連携して使用者の生態情報だけでなく、その他の各種情報を表示してくれる。
まもなくして視界の端に現在時刻、外気温、体温、酸素濃度、体水分量などの情報が現れる。
表示系は問題なし。望遠機能を試し、拡張視がしっかり機能していることを確かめてからジャックの方を向く。彼はもう使った、と言わんばかりにひらひらと手を振った。
ようやくクラッキングの作業が終わったのか、立ち上がって装備を確認していたチャーリーに声をかけて拡張視を投げると「サンキュー」と片手でロッカーの装備を取り出しながらあいている手で器用に受け取った。
出発前の準備運動をしながら、道具の点検をする。拡張視は確認済み。身を包んでいる機動服、フェイスシールドはともに正常。
『通信の確認。問題がなければ合図してくれ』
ハンスは親指を立て、ジャックはへらへら笑いながら問題なし、と両手を広げる。
『聞こえすぎて頭が痛いね』
とチャーリー。
『クリアです』
回線を通してウィリアムが返答する。
回線、というが実際にケーブルを剥き出しで体に巻き付けているわけではない。体内でうごめく微小な装置が、ぼくらの思考の波長を音声データに変換し、通信相手に送ってくれる。送られたデータを受信した装置は相手の耳小骨を振動させ、情報として認識させる事ができる。ことばを発しなくてもコミュニケーションがとれるために、任務では重宝する。
人類が口を必要としなくなる日もそう遠くはないのかもしれない。
『機内減圧完了。降下ハッチ開放』
荒れた空がその片鱗を見せる。フェイスシールドで顔を覆い酸素供給もされているにも関わらず、息苦しさのような感覚を覚える。
『高度4500フィート、外気温度摂氏マイナス9、降水量78㎜、風速48・59ノット。視界不良。暴風雨に気をつけながら優雅なフライトをお楽しみください』
『……飛ばない奴は気楽でいいよな』
ウィリアムの冗談に悪態をつくハンスは足がすくんでいた。
『おどろいた。まだ治ってないの、高所恐怖症』
『これじゃ一生治らんだろうさ。ま、安心しろ。失敗しても死ぬだけだ。骨ぐらいはしっかり回収しといてやるさ』
『はあ……』
チャーリーとジャックのからかいに、ハンスは腹の底からため息をついた。
飛び降りるときは毎回こうして二人が彼をからかう。一応ハンスの緊張をほぐすための彼らなりの気遣いではあるのだろうが、すっかり及び腰のハンスを見る限り、そんなことには全く気がついてはいないだろう。
彼ほどじゃないにしろ、今日のような天候で飛び降りるのはぼくだって勘弁願いたいが、ある意味潜入するには好都合とも言える。
『ウィリアム、目標地点までの誘導は』
ぼくが訪ねると、すぐに返答する。
『プログラムは問題ありません。ただ、この風です。〝蝋の翼〟はもろに影響を受けかねません。展開させるのはしばらく後の方がいいかと』
『了解』
境界線に立ち、下界を睥睨するも、はるか下の街の明かりがかすかに見えるだけだった。ぼくは振り返り合図する。
『ご武運を』
ウィリアムの督励でぼくらは宙へと身を放り投げた。