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あくまの踊り方  作者: HAL
22/33

背信者Ⅳ

「演技がお上手で」

「はっ」


 とジャックが言うと、彼は鼻をならした。


「そりゃこっちのセリフだ。なにが金融だ、妙な子芝居しやがって」


 変装を解いた情報屋はさっきまでの老人の姿とはまるで別人だった。ラフなジャケットにゆるんだネクタイ。くすんだ茶色の革靴。年季の入ったものではあるが、どれも手入れに余念がない。


「それで、あんたら誰」


 無造作にコートのポケットに手を突っ込むジャックに情報屋は身構えるが、彼が取り出したのは身分証(パス)だった。


「監査局」

 

 すると情報屋は意外そうな顔をした。


「へえ、てっきり公安(イヌ)かと思ったよ」


 まるで飼い主に隷属し、迷える羊を追い立てる牧羊犬のように。

 そんなお役所勤めを皮肉るように、彼らは公安の人間をイヌと呼んでいた。


「アンタこそとんだ食わせ者だ、情報屋。いや、バーナビーって呼ぶべきか」

「おれの名はどこで」

「それは言えない約束でね」

「おおよそジョルジュかオロゾフ、それともサンドラか……」


 シートにもたれかかって考え込む彼にぼくは尋ねた。


「さっきぼくらが公安の人間だと思った、と言ってたな」

「ああ、言ったな」

「それはなぜだ」


 彼はカップを覆いかぶせるように持ち上げてすすった。


「においさ。うまく隠しちゃいるがな」

 

 そう言って彼は顎でジャックを示す。


「はたから見りゃ、趣味の悪りいゴロツキかと思われるだろ。だが下を見ると、靴も汚れが目立つが、つま先だけは見事な鏡面磨き。モノを分かっている証拠だ。コートと、それから中に着てるシャツは伸縮性に富んだ素材。ただのファッシ自慢じゃねえ」

 

 見下すような口調ではあるものの、その観察眼はどうやらまがい物ではないらしい。


「しかもビルから飛び降りるような大道芸をやってのけてもびくともしない特注品ときた。そんな見事なやつはどこからか支給されてるもの。いくつか候補はあるが、俺を嗅ぎまわってるってこたぁ、イヌどもの可能性が高い。簡単な話だ」


 彼は淡々と述べてから無精ひげに手をやり、


「答えた代わりにこっちからも質問させてもらおうか。どうしてあの店にいた客の中で情報屋がおれだと分かった」

 

 ぼくはカップを置いた。


「あのとき店にいた5人。その中で真っ先に候補から遠ざけたのはあのカップル2人だ」

「その理由は」

「彼らが座っていたあの席では入り口が見えないどころか、逃げ場はなかった」

「そういう演技かもしれん。疑われないための」


 情報屋は意地の悪い笑みを張り付けたまま口を挟む。


「それならそれでよかったさ」

「というと」

「逃げ道を自らつぶすような情報屋が手に入れる情報は、たぶん役に立たない」

「ふん」

 

 情報屋は口角を上げる。


「残りはあと2人か」

「あの店の主人が情報屋かどうかは、こいつとのやり取りで分かった」

 

 とぼくは隣のジャックを指さした。


「店に入ったとき俺が落としたのは、さっきあんたに見せた身分証だ。中身に気づくようにわざとな。もしあの主人が情報屋と無関係なら、俺が金融関係の人間だと嘘をついた時点で、口には出さずとも疑問に思うだろうに、やつは話を合わせて探りを入れてきた」

  

 ジャックはそこでひと呼吸おいて続ける。


「俺の身分証を拾ったあとに青、それから俺が金融関係だと嘘をついてから赤と、店主は順番にマグを手に取った。俺の注文のあとにオーダーはなく、俺に出したコーヒーは小さなティーカップだった。なら何のために持ってきたのか……。あれは必要だったからじゃなく、棚から消えたことに意味があったんだろ」


 彼の眼は鋭く情報屋を捉えている。


「ようは情報屋への危険信号ってわけだ。青いマグが棚からなくなれば要注意、赤がなくなれば退避。アタリか」


 情報屋は煩わしそうに、彼を睨む。


 心理の穴をついた絶妙なやり口だ。誰かを観察するとき、その人物の行動に注意を払うことはできても、逆にその人物の周辺への目配りがおろそかになりがちだ。

 特に喫茶店の主人がマグを取り出す光景などいたって自然で、そこに違和感を覚える人間は、まずいないだろう。


「そんなことすんのは客の中に情報屋がいる証拠だ。ああ、念のために言っておくが、情報源からはここに〝物知りがいる〟としか聞いてない」

「お利巧なのはよくわかったよ」


 興味なさげに情報屋はもたれかかっているシートに両肘を載せると、大仰に足を組んだ。

 

「改めて自己紹介をするとしよう。バーナビー、情報屋だ」


 独特の威圧感だった。

 挑発するような態度ではあるが、顎を引き目はしっかりとこちらを見据えている。


「何が聞きたい」

 

 ぼくは画像を展開させた端末をテーブルに置いた。


「ライラ・ニューストレム、生命管理局の職員。3日前の夜16区のウェルテクスで失踪した」

「人探しはイヌのお仕事だろ。どんな大義名分があって監査局なんかがでしゃばるはめになる」

 

 一言目がそれだった。

 明らかにぼくらを品定めするかのような視線に、ジャックはこう切り返す。


「アンタがイヌから逃げ回ってんのと同じ理由だ」


 わけが分からんと訴えるようにぼくを見たので、ぼくは皮肉を込めて言った。


「訳ありってことさ」


 情報屋は意地の悪い笑みを見せたあと、端末に視線を落とした。


「で、どこまで知ってる」


 彼女の画像を見てどのような表情をするのか、ぼくらはわずかに期待したが、彼は顔を上げ再び言葉を発するまで、一切の感情を表に出さなかった。

 ぼくは慎重に言葉を選ぶ。


「失踪直前にいた場所、それから彼女が大手の製薬会社を訪ねていたこと」

「おいおい。もうすでに3日経つってのに、そんだけか。都市を統べる機関(おうさま)がずいぶんとまあ弱ったもんだ」


 するとジャックが嘲笑し、


「あいにく俺らの王は、善良な一般市民をむりやり裁判にかけるような悪魔じゃないもんでね。おかげでどうにも、ごろつきどもにつけこまれやすい。人を煽っては、見るに堪えない笑みを浮かべる悪趣味な情報屋とかな」

「そりゃあいい。早いとこ王さまに退位してもらうとするか」

臣下(ぼくら)の前で下克上とはね。どうやらあんたは噂以上の腕利きらしい」


 ぼくが揶揄すると、彼は天井を見上げ声を殺してクックと体を揺らした。


「ま、話せるわけねえか。身内から敵を出したかもしれんとなれば、機関のメンツも丸つぶれだ」


 ぼくはただ無表情に、情報屋から目を離さない。


 いったいこの男はどこまでを知っているのか。

 いくら腕利きといえど機関の内情を、それも極秘扱いの情報を保有することなどありえない。それがありえるとしたら、機関職員の失踪に関わった奴らから聞き出したとしか考えられない。

 あるいはニューストレム本人から。


「それで新都製薬だったか。そりゃまた……」 


 失笑とも諦念ともとれる情報屋の様子に、ぼくは踏み込み、


「あそこに、いったい何があるんだ」

「いくら払える」


 肘をついて身を乗りだした彼の眼差しは情報屋のそれだった。この手のタイプには生半可な脅しは時間の無駄だ。ぼくはすぐに、


「即金で100万。情報の質によってはその数十倍のボーナス」

「俺らで口座を用意しとく。そっから引っ張り出せばいい。口座番号を教えるから控えてくれ。引き出してプリペイドの端末に飛ばせば、足は付かんだろ」


 情報屋は数舜あっけにとられたような顔をすると、やがて豪快に笑いだした。


「ははっ。機関の臣下たあ、とんだほら吹きだ。まるでマフィアじゃねえか。わるくねえ。気に入ったよ」


 彼が腹を抱えて笑っていると、若い女性店員がパスタを持ってきた。


「おお、来た来た」


 彼女がお辞儀をして去ったあと、彼は目だけを素早く動かし、辺りをさりげなく確認してから声を低めた。


「ここのパスタはやたらとうまい。都市の人間がこぞって食いにくるんだと」

「おい、何の話を」


 苛立ったジャックをぼくは制する。


「その味たるや、一部のゴシップ好きからは何か怪しいって噂が立つほどさ。まるでばかげてるが、その真相はだれにも分からん」


 情報屋はフォークをパスタの山に突き刺した。

 これは単なるパスタの話じゃない。新都製薬の裏事情だ。


「帳簿の改ざん、役員の不当な報酬。挙げたらきりがねえ」

「そんなうわさ話の類は大手には付きもんだろ。騒ぐほどでもない」

「そうさな。問題は、その与太話をティータイムの菓子代わりにするには、ちと度が過ぎてるかもしれねえってことだ。3年前に10区であった溺死事件、覚えてるか」

 

 10区用水路水死体事件。

 午前6時34分、ジョギングで付近を通りかかった女性が用水路に男性が浮かんでいるのを発見し、通報。

引き上げられた遺体にはもみ合った形跡もなく、解剖の結果からは溺死と判定された。


 事件当初は殺人の線で捜査されていたものの、現場は絶妙なまでに監視の目の死角で、しかも無人パトロール機が巡回するだけの人気のない場所だったために、有力な情報を得られずじまいだった。

 粘り強く捜査が続行されたが最終的には自殺として処理され、不明瞭なまま事件は幕引きとなった。

 

「たしか亡くなったのは新都製薬の社員だった・・・・・・。あの事件となにか関係が」

「実はな。あの日、お巡りさんも知らん、ある物語があったのさ」


 と彼は言った。


「通報があった時刻よりも前、現場付近をあるこそ泥が通りかかった。そのときは何も不思議に思わなかったらしい。バッグが道に落ちていたことにな。金目当てでパクったわけだが、どうだ。次の日にすぐそばで死体が見つかった」


 事件のファイルにはそんな記載はなかったはずだ。

 彼は芝居がかった口調で続ける。


「そいつは心底ビビっちまったそうだ。自分が盗んだバッグは遺留品だったのかとな。機関に通報しようにも、死体と無関係とはいえ盗みを働いたことは言い訳できん。下手をすりゃ、容疑者に成りかねない。哀れな男はバッグをどっかに捨てて、身を縮めながらこそこそ隠れましたとさ」

「ちょっと待て」


 ジャックは口をはさむ。


「そんな情報は耳にしたことがない。そんなことがあったってんなら、現場に足跡ぐらい残ってるはずだ。公安がそれを見逃すとは」

「その臆病者がはいていた靴ってのは都市のどこにでも売ってるような安物のスニーカーだ。しかも事件当時は雨が降っていて公園の土俵ごと足跡はきれいさっぱり流されたあと。イヌの鼻が利かんのも無理はねえ」


 情報屋はジャックの言葉を遮るように続ける。


「ついでにおもしれえ話を聞かせてやるよ。これはおれ独自のルートで調べて分かったんだがな。あの男が用水路に浮かぶ1週間前、やつは16区の路地裏で誰かと口論していたことを知り合いが教えてくれた」


 ニューストレムの位置反応が途絶えたのはウェルテクスで、同じ16区。


「口論の内容は」

「さあて。なにせあそこは王に見放された街ときた。些細なけんかなんざ、珍しくもなんともない。知り合いも通りかかったときに偶然聞こえてきたつってた。そいついわく、溺れ死んだ社員はそのときにこう言ってたそうだ」


 まるで秘密めかすように、彼はずいと身を乗り出した。


「もう間に合わなくなる、ってな」


 間に合わなくなる。

 いったい、なにが。

 

「ところで」


 ぼくの問いかけに、塊のパスタを口に放り込もうとしていたバーナビーは、目線だけを上げた。


「バッグに金目のものは入っていなかった。そう言ったな」


 何度か咀嚼してから喉を鳴らし、ぶっきらぼうに返答する。


「ああ」

「ということは金目のもの以外は入っていた」

「ご明察」

 

 トマトベースのソースが付いたフォークをぼくに向ける。ぼくはわずかに顔をしかめ、質問を続けた。


「バッグの中には、なにが」

「ただの記録媒体が1つ。それだけだ」

「それをあんたが譲り受けた」


 ああ、と情報屋は頷き、


「捨てりゃいいもんを、大の大人がすっかり動転してちっぽけな装置に怯えてやがってな。ま、無理もねえ。1人の人間が用水路に浮かぶはめになった元凶かもしれん。だからおれが良心で買い取ってやったんだ」

「良心、ね。物は言いようだな」


 ジャックの嘲笑にバーナビーは悪党のように口角を上げ、彼は懐から取り出した電子煙管を作動させた。ふっと吐き出した煙が天井の換気口(ファン)へと吸い込まれていく。


「もしやセントラルに軒を連ねる大企業さまの悪口がびっしり詰まった、秘密の日記かと期待したよ。おまけに奴はそれを処分したくてたまらなかった。そこにおれさまが手を差し伸べた。それだけの話さ。だがどうだ、開いたときの落胆ぶりときたら。世の中そんな甘くねえ。手のひらサイズの精密機器は金塊に化けてはくれなかった」


 現場付近に落ちていたバッグ。そして記録媒体。

 新都製薬の不正を公にしようとしたために、誰かに殺された……。あるいは逆で、汚職に手を染めていて、利害関係者との間に軋轢が生じたのか。

 それを思い出したのは、現場付近にあったというバッグについて思考の手を伸ばそうとした、その時だった。



 ですから同僚の方も首を捻っていました。どうして彼女がそんなものを躍起になって集めていたのか不思議でしょうがないって―

 


「その、記録媒体の中身は」


 煙の天蓋の向こう側から鋭い視線をよこした情報屋は、まるで外れくじを引いたとでも言わんばかりに落胆を湛えた口調で言い放った。


「都市のクローラー普及率だかなんだか。下らん統計グラフだったよ。いったい何の役に立つんだか……」


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