【S】悪魔の囁きⅢ
事件からまだ日が浅いためか、硝煙のにおいが鼻をつく。工場の床に黒い焦げ跡がみごとに弧を描いていた。天井付近の窓も爆破の衝撃ですっかり抜け落ちている。
ベルトコンベアは根こそぎ吹き飛ばされ、プレス機は骨組みだけになっていった。大半の設備が粉々になり床に散乱していて、歩く度にザリザリと破片を踏む音が立つ。この惨状では工場長が憤慨するのも無理はなかった。
ぼくはコンタクトを捜査機能に切り替え工場内をゆっくりと見渡しながら、気になる箇所を調べていった。
粉々になって入り混じった破片からそれじれ、枝葉のように線が延び、その先で分類や質量、主成分などの解析結果が展開される。わずかな血痕や指紋、毛髪などを捕捉し機関のデータベースで照合され、一瞬で犯人を割り出すことも可能で、殺人事件や窃盗の捜査の際に重宝する一品だ。
<D:Fingerprints>
<D:Footmarks>
幾何学模様の線が現れ、指紋と足跡が検出される。
すぐに機関のデータと照会するも、犯人のものではなかった。
「どうだ、調査のほう」
そんなことを考えていると、背後から呼びかけられた。振り返るが姿はない。
「そっちは」
と言うと、なにもない空間が波紋のように揺らぎ、迷彩を解いたハンスが現れた。
「お前が時間を稼いでくれたおかげでな。社長室に置いてあった仮想PCを覗いたんだが、どうもここの工場長、昼間は警備センサーを切っていたみたいだぜ」
「どうして」
「さてな。おおかた費用削減ってところか。作業員もいるし堂々と忍び込む輩はいねえ、とでも思ってたんだろうぜ。それがこのざま」
荒れた工場内を見渡しながら彼は言った。
「事件当日の昼間も同様にセンサーは作動していなかった、か」
「さすがに夜間は機能していたみてえだがな」
ぼくはあごに手をやって、言い聞かせるように呟く。
「犯人は昼間の間に忍び込んで、爆薬を仕込み、警備システムに手を加えた」
「ありえる。ここの警備はあってねえようなもんだ」
彼は嘲笑気味に言った。
「ちょっと気になることがある」
ぼくは足下に気をつけながら工場奥の倉庫へと向かう。
ドアに焼け跡が残る程度で中は無傷だった。
「アンドロイドの材料がいくつかなくなっていたらしい」
「材料……。まさか犯人が持って行ったってのか。なんのために」
「まだ確証はないけどな」
工場内部の見取り図をデータから引っ張りだし、コンタクトに写す。
窓から差し込む陽光に宙を舞う埃が照らし出されている倉庫内は、余った部品の置き場に利用しているために散乱した床はほとんど足場がない。
ぼくは大量に置かれていた箱から適当に人工血液のパックを1つ取り出して手に取る。貼られていたバーコードシールを拡張現実で解析すると2秒後にデータが表示された。工場長の言に違わず最も普及率の高い物だった。
犯人はどうしてこんなものを盗み出す必要があったのだろうか。
在庫が減っていたことに気がついたのは事件が起きた後、当然その前から既に消えていた可能性も十二分に考えられる。犯人が持ち去ったと決めつけるのは早計だ。
思考にふけって手元を見ずにパックを戻そうとした拍子、なにかにぶつかりガラガラと音を立てて棚から材料が崩れ落ちた。
「気をつけろよ、弁償だぞ」
「ごめん」
ぼくが元に戻そうと腰をかがめたとき、棚の下に光沢を帯びた小さな装飾品が落ちているのが目に入った。手を伸ばしてそれを拾おうとしたそのとき、
「お前は事務室の方に行け」
「分かりました」
工場に声が反響した。入り口からだ。
ぼくはハンスに右手の人差し指で耳を示し、回線通話に切り替えるように合図する。
『公安か』
『おそらく』
『鉢合わせると面倒なことになんぞ』
公安局と身分を詐称して捜査に乗り出している以上、ここで彼らと顔をつきあわせるのは都合が悪い。
『すぐに脱出しよう。仮想マップによれば、一番近い出口は左右の2カ所。ぼくは左、ハンスは右に。合図で同時に出て、車まで走る。オーケー』
ハンスは肯いて倉庫の扉の、すぐ横の壁に背を預け、工場内の様子を探る。ぼくは扉の影に隠れるように姿勢をかがめ、取っ手に手をかけた。
空けた扉のわずかな隙間から中の様子をうかがう。
〝蜘蛛〟と〝鳥〟があればより鮮明に状況把握ができるのに。こういうときに、偵察機のありがたみに気づかされる。
「こりゃ、酷えな」
踏み場のない床に気を取られながらも、いかにもベテランといった風体の捜査官はザリザリと音を立ててこちらに近づいてくる。ぼくらはただじっと機会をうかがった。
ぼくらのいる倉庫まであと数メートルとなったときだ。
小さなバイブ音に、捜査官は手袋を外してコートのポケットから端末を取り出し、ぼくらに背を向けて話始めた。
「はい――」
『今だ』
ぼくらは迷彩を起動して倉庫から飛び出すと、足音が立たないぎりぎりの速度で走り、外へと飛び出す。勢いを殺さずに駐車場に停めてあるぼくらの車に向かい、たどり着くと同時に乗り込んですぐに発進させた。
出入り口に向かう最中、先ほど事務室へと走った若手の捜査官は慌てた様子で工場内に入っていく。
ベテランの捜査官が息せき切って工場から出てきたときには、すでにぼくらの車両は門を抜け、公道へと角を曲がっていた。
「あぶねえ、あぶねえ。偽物がいるってバレたら、えらい騒ぎだった」
「少しは退屈しのぎになった」
とぼくが言うと、彼は苦笑し、
「そうだな。だが今のところ収獲なしか」
「いや、そうでもないよ」
ぼくはポケットから先ほど拾った物を取り出した。
「なんだそれ、イヤリングか」
「みたいだね。でも事務所にイヤリングを身に付けてる職員はいなかった」
「お宝になってくれりゃいいが」
コンタクトの通信メニューから機関に残ってぼくらの支援しているチャーリーを呼び出す。
『何事です、アランどの』
『これ、ちょっと調べて欲しいんだ』
『なんだこりゃ』
『イヤリング』
にべもなく答えると、チャーリーは憤慨したように、
『そんなの見りゃわかるけどさ。どちらさんのもので』
『それを調べてほしいんだ。解析が済んだらジャックとウィリアムに回してくれ』
『はいはい』
回線を切る。
「で、これからどうする」
「教科書通り」
とぼくは言った。