7 マーガレット
朝、私を起こしてくれるのは目覚まし時計の電子音ではなく森から響く鳥の声。
話に聞くなら、あらステキ! なんだけど、あのヒトたち結構うるさい。「まあ、いい朝ね」って爽やかに言うんじゃなくて、「おおう、今日も元気だなぁ……」ってちょっと引き気味になりながら毎朝起きている。
ボリューム調節機能、求む。スヌーズもオフにしたい。
軽くベッドを整えて身支度をすると階下へ降りる。行く先は台所。まずは何より台所。すでにアデレイド様は起きていて、お湯を沸かしたりして朝食の支度を始めている。私がするべきじゃないかと頑張ったのだけど、アデレイド様の早起きに勝てたためしが無い……寝坊してるわけじゃないんだけど。さすがだ。
そんなわけで、朝食の支度はアデレイド様。後片付けと昼食は私。夕食は二人で準備して、私が片付ける。というローテーションに自然と落ち着いた。
私が来たのが分かるように開いてるドアを三回ノックして、おはようの挨拶でアデレイド様にぎゅっと抱きつく。
「おはよう、マーガレット。今日からダニエルのところね、昼食は持っていくのでしょう?」
ランチを入れる用の蓋つきバスケットを持ち上げながら頷く私に、せっかくだからダニエルとマークにも何か持って行ってあげて、と自分でも思っていたことを言われた。こういうところが以心伝心っぽくてにっこり嬉しくなる。
そうそう、卵を取ってきてちょうだい、と頼まれてザルをもって外に出た。いるのよ、ニワトリ! このニワトリたちも私の目覚ましの一員だ。主要メンバーとも言える。
ボリューム調節機能、特に求む。背中にネジついてないかな。
屋敷と裏庭の間にある鶏小屋に行く途中、歩きながらその辺に生えてる小さい小松菜みたいな青菜を二株ほど抜いて行く。これ好きなのよね。
ニワトリは五羽、日本でよく見る白いのじゃなくて焦げ茶色ベース。大きさも一回り小さくてチャボに近い感じ。でも、徹底的に違いを感じるのはトサカの部分……すっごいフサフサしてる。ウコッケイともちょっと違う。何だろう、タワシ? 石川五右衛門? それに孔雀の冠みたいな毛がぴょこんと数本立っている。動くと揺れて可愛い。あと尾も長い。
正直、鳥って少し苦手だった。予想外な動きをするところとか、羽毛の首部分の輝き具合とか。でもさすがに毎日世話をしていたら慣れたわー、未だに進路を遮られては、お、お、お? と廊下のお見合いみたいなことを繰り返すけど。
小屋の奥に青菜のおやつでおびき寄せて、つくつくと食べている隙に卵を拾ってザルに入れていく。この子たちはいつも決まった場所に産んでくれるので助かる。体が小さい分、卵も小さめ。日本で言うSサイズくらいかな。殻が薄茶色の可愛らしい卵が今日は四つあった……誰、お休みしたの?
後で掃除とご飯にまた来るねと手を振って鶏小屋を出ると、わっさわっさと尻尾を振るバディが待っていた……背中に小さい子を乗せて。おはよう、バディと妖精さん。卵のザルを傍に置いてひとしきり両方を撫で回す。
妖精たちは私が動けるようになると部屋に来ることはなくなり、こうして庭や森近くにいるときにふらりと現れるようになった。大抵はバディにくっついて来る。かわいいなあ、この仲良しさんめ。
何をするわけでもなく、しばし構うと満足して去っていく。この子たちも声は無いが、キャーって言いながら笑って飛んでいくような感じがするから、遊びに来てるんだなあって思う。だって「だるまさんがころんだ」で逃げ出す時の子どもと同じ顔してるんだもの。
そんなわけで、バディを連れて戻るととっくに朝食は出来ており、ちょうどお茶が入ったところだった。
今朝のメニューは焼きたてパンに、ベーコンとジャガイモのスープ、色が綺麗なしゃっきりグリーンサラダにはゆで卵のスライスがそれぞれ半個分乗っている。昨日作ったマドレーヌみたいな焼き菓子の小さいのが紅茶に添えられていた。あ、もちろん苺ジャムもあるよ。
卵を蠅帳みたいな棚にしまって手を洗い席に着く。バディも自分のご飯ポジションについたらみんなで「いただきます」
現在の時刻、朝六時。ほら、私寝坊してないよね?
診療所までは普通に歩けば片道十五分くらい。腕の怪我は完治のお墨付きを頂いたけれど、足がまだちょっとな私はゆっくり歩くように言われているのでお散歩気分でのんびりと。ええ、もう回りませんよ。
片手に昼食の籠を持ち、バディをお伴にゆったり歩く。途中で会う村の人たちがかけてくれる挨拶に手を振って返したり、遊んでいる子どもが途中までついてきてくれたりしてわいわいやっているうちに診療所に到着した。
ありがとうね、とバディの首元をぽんぽん叩くと一声鳴いて来た道を戻っていった……やっぱり賢いな、あの子。これでもし帰りまで迎えに来たら惚れちゃいそうだわ。
診療所の外見は普通の家で看板もない。一階が診療所で二階が先生の自宅になっている。マークは近くに家を借りていると聞いたから、ここには先生が一人で住んでいる。
玄関のドアに付いてるベルをカランコロン鳴らしながら、おはようございます! と意気込みだけで挨拶して中に入った。
いつも先生たちに来てもらっていたから、ここに来るのは実は今日が二回目。まだ見慣れない室内をぐるりと見回す……玄関ドアを開けると正面に広がるのは長椅子が二つ置かれた待合室。受付などは無く、正面にある扉の向こう側が水場や調剤スペースを兼ねた診察室。確かそのまた奥側に入院用のベッドとか、先生のちょっとした休憩室がカーテンで区切られてあったはずだ。
診察室の扉と少し離れて置かれている衝立の向こうには、先生の自宅である二階へと行く階段がある。
長椅子の前に置かれた木箱に気付いて近づいたところで、診察室の扉が開いて声をかけられた。ダニエル先生だ。
「やあ、いらっしゃい。昨日マークが運んだのはそこに置いておいたよ。他に必要なものがあったら教えてね」
「 」
ざっと確認して大丈夫と笑顔で頷いてみせると、掃除は終わっているから準備をして大丈夫と促された。あれ、マークは? 疑問は顔に出ていたらしい。
「マークは手紙を出しに行ってもらってるよ。ついでに包帯とかね」
納得したところで保母さんの支度を始める。先生に許可をもらい、壁の近くの長椅子の傍に敷物を広げた。支度と言ってもこれでおしまいなんだけど。
昨日の夕方、マークに運んでもらったのはこの敷物と遊び道具少々。自分で今日運んで来るつもりで用意してたらマークが突然屋敷に来てさっさと持って行ってくれたのだ。
せめて診療所まで付いて行こうとしたら、もうすぐ日が暮れるから出て来なくていいって言われてしまった……なんだあのフェミニストのイケメン。王子さまか。
確かに街灯が殆どないこの村では、日が落ちるとあっという間に辺りは真っ暗になる。
特にアデレイド様の屋敷は近くに他の家もないし裏は森。日本の気分で夜に出かけようとしたら、あっという間に遭難する自信ある。
夜に出かけるときは、カンテラの魔導具版を持って歩くのだけど、やっぱりここは田舎だから基本的に夜に出歩く人はそういない。食堂やなんかも日没過ぎれば店仕舞い……不便は不便。でも、そんなお日様と仲良い暮らしは案外身体に心地よい。
昼食の籠を休憩室に置いているうちにマークが帰ってきた。患者さんが来る前にちょっと君に話があるのよ、お姉さんは。昨日は時間が無くて言えなかったからね。
本来ならば肩でも叩いて呼びたいが彼は背が高くてやりにくいので、子どものようにちょいちょいと袖を引き、とりあえず荷運びのお礼を言う。ああ、別に、とかぼんやりした返事の上にかぶせてダニエル先生に告げ口した件について訴えると、面白いものを見るような顔をされてしまった。
「先生は主治医として患者の行動を把握する必要がありますからね、助手として報告したほうがいいと判断したまでです」
それは分かるけど、恥ずかしいじゃないかっ。
「そんなことより無茶をして変な癖がついたり痛みが残るほうが良くないでしょう。分かったら少し言うことを聞いて大人しくなさい」
こらー! 頭ポンポンって、私、年上ー! にじゅうはっさーい!
「とても四歳も上の女性には見えません。年上らしい行動をなさったらそのように扱いますよ、お嬢さん」
ええい、いい笑顔だなイケメンめ。ダニエル先生まで笑ってるじゃないか、もう。
悔しいので今日の昼食を人質に、裏庭で見かけたら必ず声をかけるって約束を取り付けた。前に先生が好きだって言ってたからパンケーキ焼いてきたのよ、チーズとポピーシード入れて。それにグリルチキン付きのサラダ。どう? これで不意打ちの告げ口はなくなる……はず。多分。
そんなことしてたら早速子連れの患者さんが訪れたのだった。
左手に乳児を抱え、右手を三歳くらいの女の子と繋いで診療所を訪れたのは、小間物屋の若奥さんのアンナさんだった。見るからに顔色が悪い。慌ててちびっ子達を引き受けてとりあえず待合の長椅子に座らせる。
「……す、みません。お願い、しますぅ…、オムツとか、ここに…」
肩にかけた布袋を受け取り一息つかせて、マークに手を引いてもらってゆっくり診察室に入る。赤ちゃんの方はスヤスヤお休み中だったけど、お姉ちゃんの方はどうかな、お母さんに置いていかれて大丈夫かな、と顔を覗き込んだらちょっと不安そうにしてたので、にっこり笑って手を引き敷物の上へ案内する。
キョロキョロしながらも大人しく座った金髪巻き毛の可愛いこの子はマリエラちゃん。いつもおしゃまさんなのに、やっぱりお母さんの具合が悪いのは心配なのね。
木箱の中から布でできた人形を取り出すと目を輝かせた。ようし、お人形遊びしよっか。
「診察は終わったけど、できれば薬を飲ませてこのまま少し休ませたい。まだ待っていられる?」
左腕に抱く温かい重みを楽しみながらしばらくお人形遊びをしていたらマークが聞きに来たけど、マリエラちゃんは元気よく、まだ帰らない、もっと遊ぶの! とマークの顔も見ずに答えてた。ははは、子どもって。マークは苦笑いしながら、次々来る患者さんの応対に戻っていった。
その後も八百屋のメイさんとか、農家のデイジーさんとかがちっちゃい子を連れて来院した。ほかの患者さんももちろん来るし、さすが村で唯一の診療所、なかなかに忙しい。
村の人たちは基本的に助け合って暮らしているから、子どもを近所に預けて診療所に来ることはできる。でも、やっぱりみんなそれぞれ忙しいのは知っているから、お母さんは自分の不調は我慢してしまうんだよね。どこの世界でも一緒だなあ。
私も毎日来られるわけではないけれど、少しでも役に立てるのならいいな。
敷物の上は子どもが入れ替わり大繁盛だった。みんないい子で遊んで待っていてくれたから、ちょっと気張りすぎていた私も気が抜けてしまった。
持ってきたオモチャはそんなに種類はない。お人形と着せ替えの洋服、あと余り布と古い豆でお手玉を作ってみた。それと子どもが持てるくらいの小さめの手提げかばんに大きめのハンカチ数枚。
ここで待つのは三歳くらいまでの小さい子や赤ちゃんなので、柔らかくて軽いもの。お人形を着せ替えたり、お手玉を積み上げてみたり、手提げに何かを入れては出してを繰り返したり。ちょっとぐずった子も、私がお手玉を三個でポンポンとやって見せたらあっという間に泣きやんだ。よっしゃ! おばあちゃんとやってて良かった。
本当は手遊び歌とかできたらよかったんだけど。これは仕方ないね、声が出ないから。いっぱい知ってるんだけれどな。
なんだマーガレット急にたくさんのお母ちゃんになったなあ、なんてお決まりのセリフで他の患者さん達にからかわれながら、待合室の保育園はあっという間に時間が過ぎていったのだった。
一人の昼食にさせてしまったアデレイド様を思ってちょっとしょんぼりしながらも和やかに三人でパンケーキを食べてから、また、午後の患者さんが途切れる三時頃までが私の保母時間。
ちょうど仕事のキリがいいからとマークが私を送ってくれようとして診療所のドアを開けたら、バディがお座りして待っていた。
バディ、なんていい子!やっぱ惚れるわ!