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5 マーガレット

 昼食の片付けも済み玄関前の草取りをざっとして、イチゴのボウルを覗き込んだらいい感じに砂糖がしっとりしてた。やはり完熟イチゴ、水分の出が良い。

 いよいよ煮ましょう! とはいえ、大して手間はない。ポイントは出来るだけ大きく深い鍋で、はみ出さない程度の高火力で一気に煮ること。


 屋敷の台所はさすがに多少の魔導具がある。例えばこの『火つけ棒』 魔法使いが持つような……と言いたいが、アレだ。菜箸。長さと雰囲気が菜箸によく似ている。

 コンロ部分の五徳の下にはドーナッツ状の平たい黒い石がある。その石の内側のフチの部分に沿って、先端に小さな赤い石がはまったこの、高級菜箸(一本)を何回転かぐるぐるっとすると火がつくのだ。火力調節と消火はコンロ手元のスイッチバーで操作する。

 ……心の中で、チャッカ棒と呼んでいる。アクセントはチャ、のところで。これくらいなら魔導具とはいえ、気負いなく使える。やっぱり不思議だけど。燃料どうなってるんだろう。


 強めの火にかけてしばらく混ぜ続けていると煮立ってきて、白い泡のようなアクがブワ〜って湧いてくるから頑張ってすくう。この時に本当にブワ〜って上の方まで上がるから、深さのある鍋の方がいいのだ。

すくう方にばっかり必死になってると、鍋底で焦げついたりするので、必ず全体をかき混ぜながら、吹きこぼれない様に火加減を弱めたり強めたり。まあ、基本強めで。でないといつまでたっても煮詰まらないし、短時間で仕上げたほうが色がキレイな気がする。あ、レモン汁は入れない派です。そこはお好みで。


 イチゴの粒を残したかったら適度に、そうでなかったら徹底的に穴あきお玉でイチゴを潰しながら、常にかき混ぜて焦がさないように。


 細かった泡が、ボコンボコンと大きなものになって全体的にツヤが出てきたらそろそろ仕上がり。

 火を止めて煮詰まり具合のチェック。小皿にとって冷ましてとろみ具合を見てもいいし、冷水のコップの中に少しだけ垂らして固まるかどうかで見てもいい。冷めると硬くなるから、熱いままでチェックしないのがコツかなあ。まあ、でもとろみ具合は好みもあるから。


 ジャムが熱いうちに煮沸消毒した瓶に九分目くらいまで入れて、ギュッと蓋をしてひっくり返したまま冷ます。はい! 出来上がり〜。早いね、もう出来ちゃったよ。

 これで三ヶ月くらいは常温で余裕だけど、もっと長期間保存したかったら、蓋を上にして鍋に並べて、瓶が全部隠れるまで水を入れて火にかける。沸騰して十分ほどしたら火を止めてそのまま自然冷却させれば、あら不思議。瓶の中は真空状態よ。長持ちするね!


 楽しく煮ていたら、ダニエル先生が往診にいらしてくださった。帰りにお土産に差し上げるとしよう。



 



 見られてた。見ーらーれーてーたーっ!


 いやぁー、恥ずかしいったら!

 ええ、あんなとこに道あるの? うわ、知らなかった……イチゴに浮かれてくるくる回って、さらにしゃがみこんで足首さすったところまでしっかりと見られてた。


 ええい、マーク、声くらいかけてくれてもいいじゃないか。ダニエル先生に言うなんてっ。ただでさえこのロマンスグレーなお方は私を子ども扱いするのだ。二十八歳だって言ってるのに。

 いや、決して見くびられているわけでも呆れられているわけでもないし、好意は感じるんだけど、むず痒いのよ! 慣れてないの、甘やかされることに!


 十一歳の時おばあちゃんが老衰で、十三歳で両親が揃って事故で亡くなってから、誰かに甘えたことなんてなかったから、どうやったらいいのかなんて忘れちゃったわよ。

 え、兄? 超マイペースな彼のモットーは独立独歩。うん、そういうヤツ。お義姉ちゃんと出会えなかったら確実におひとり様だろう。お義姉ちゃん、恋の病にかかってくれてありがとう。

 本当、正気になって破棄されたらどうしようって結婚式当日まで気を揉んだのは懐かしい思い出だ。まあ、結婚して六年になるがいまだに病は治っていないようだし。仲良きことは美しきかな。


 両親が亡くなったあの頃は大変だった。亡くなったおばあちゃんの他に付き合いのある親戚もいなかったし、ご近所の皆さんや学校の先生の好意でその日その日を送っていた。兄が成人してたのが救いだったかな。翌年、兄が大学を卒業してUターン就職してからようやく落ち着いた。


 思い入れのある郊外の一軒家を処分し、市の中心部にある兄の職場近くにこぢんまりとしたマンションを買った理由は「雪かき」……北国の一軒家の維持管理は手間暇がかかる。特に冬。家事をしながら学校に通う中学生の私と、仕事で忙しい新入社員の兄の二人ではとてもじゃないが手が追いつかない。


 家の前の道路は少し狭めなので、市の除雪車も頻繁には通ってくれない。さんざ降り積もる雪を恨めしく思いながら、ご近所さんと励まし合ってひたすらに大きいシャベルを動かす。夜九時過ぎまでやってようやく形になった道が、朝起きたら新たに降った雪で埋もれてるなんて日常茶飯事だった。


 庭だって屋根だって手入れをしなくちゃいけない。二年ほど頑張ったが、父母が大事にしてきた家が私たちの元で痛んでいくのを見るよりはと、私の中学卒業を機に引っ越すことにしたのだった。


 ファミリー用には少し狭めの造りのそのマンションは、同じ理由で住み替えたリタイヤしたご夫婦が多かった。あとは共働きの新婚さん。やはり雪はね、大変なのよ。重いし。

 雪かきは管理会社がするから住民は必要ないうえ、北国仕様であってもやはり一軒家よりマンションの方が暖かい。家の中に階段がないし、バリアフリー。管理人がいて不在でも荷物を預かってくれる。なんなら見守りもしてくれる。という、ご老人に優しい仕様のマンションだったこともあるだろう。


 平均年齢高めのマンションで、両親を亡くした兄妹は随分可愛がられた。みんな、優しいというか、暇だったんだろうと思う。朝に夕に、会えば引き止められ漬物だの煮物だの野菜だのを持たされる。実際、食事は助かった。何十個もたまった、ちりめんストラップは正直どうしようかと思ったが……。一個一個は可愛らしいのに、数が集まると何だかすごい迫力だった。


 そして、仲良くなっても皆高齢だから、どんどんいなくなってしまう。

 避けられないことだがやっぱり毎回悲しかった。


「そんなの仕方ないじゃないか。いちいち気にするなら付き合わなきゃ良かったのに」


 ……思い出しちゃったよ。長く付き合ったアイツが、そのことを思い出してふと口に出した私に告げた言葉がこれだった。

 この発言の真意が、私を慰めるためだったのか、どうしようもないことに気落ちする私に腹を立てたのか、ただ単に人間関係の淡泊さの表れだったのか、今ではどうでもいいことだ。

 そうだね、と返しながら心臓の柔らかいところを潰された気分になったことを覚えている。


 自然のことでも仕方がなくても、悲しいものは悲しいし、寂しいものは寂しい。何も意見が欲しかったわけじゃない、ただ「そうなんだ」って聞いてくれればそれでよかった。

 そういうちょっとした掛け違いをお互いに補正できないまま、よく六年も付き合ったものだと思う。


 洗濯物を片付けながらぼんやりと物思いにふけっていたら、家事室の扉がノックされてアデレイド様が顔を出した。


「マーガレット、これなんかどうかしら? 布も丈夫だし、色も濃い目で汚されてもあまり目立たないわ」


 手にしているのは紺色のワンピースドレス。よく見ると細かな地模様の織布で、襟と裾部分に控えめに同色のレースがつけてある。空きの控えめなVネックで袖も動きやすそう。言われるままに試着すればサイズもぴったりだった。我ながらなかなか似合ってると思う。


「あら、いいわね。じゃあ、これもどうぞ。でも、本当にいいの?こんな古い型のドレスで」


 これがいいんです! と何度も気張って伝える私に、アデレイド様はようやく納得してくださった。

 服……アデレイド様の服装は、可愛い。確かに、村の女性の服装とは少し違う。多分、本人が言うように型が古いのだろうけれど、私にはこちらの方が良く見える。同じワンピースドレスでも、ウエストや胸をあまり強調しないからきついコルセットも必要ないし、ゆとりがある裁断で動きやすい。かといって無駄にスカートが膨らんでいるわけでもない。

 こう、シンプルでポイントを押さえた可愛さがあるのだ。


 こちらの人にしてみれば洋服と着物くらいの違いがあるようなのだけれど、私にとってはもとよりどちらも縁遠い服装だ。新しい古いは意味をなさない。それならば気に入った方をと思うのは自然の流れだと思う。ビスチェやコルセットで村人たちを悩殺したいわけでもないしね。それ以前にモンゴリアン体型の薄べったい体にコルセットは厳しいのですよ、骨に当たるし!


 若い頃の服まで手入れしながら大事に着ていたアデレイド様。確かに、貴族女性としては褒められる行為ではないのかもしれないけれど、気持ちはよーーく分かる。

 三十近いこの歳になると、目新しいデザインの服に飛びつくことは減り、気に入った服をローテで回したくなる……たとえ、多少流行りから外れても。ああ、分かってます、オバサン化の一歩ですよね、ハイ。理解はしても納得はしないわ! 開き直りというのよ、これを。


 そんなアデレイド様の服コレクションを惜しみなく譲られている。ありがたいことです。

 怪我が完治したら一度王都に行かねばならないそうなので、その時には向こうで布屋でも見てこられたらいいなと思っている。ここには大きな布屋はないから。

 この村は王都に日帰りできるギリギリの距離にあって、ちょっとしたお買い物はみんな向こうまで行くから村にあるのは生活必需品を売る店に偏っている。八百屋とか、肉屋とか、鍛冶屋とか。小物や下着はあるが服は扱いが少ない。貴金属店もないなあ。あ、お菓子屋さんもなかった、パン屋の一角で多少の焼き菓子がある程度。お菓子は皆、自分で焼くしね。王都には贈答用のお菓子屋さんがあるらしい……少し気になる。


「でも、本当に大丈夫かしら。もし、体が辛くなったらすぐダニエルに言って休むのよ。くれぐれも無理はしないでね」


 ああ、本当に優しい心遣い。誰かに体の心配をされるなんてずっと無かったから、無理しないでと言われるたびに無理したくなる。気をつけよう。

ありがとうございます、とお礼をしていそいそと服をしまう。この紺色の服は何のためかというと……実は、先ほど帰られたダニエル先生に診療所の保母さんを頼まれたのだ。

 週に一度か二度、半日ずつでいいから、診療所に来る子どもの相手をしてくれないかと。


 この村には保育所のようなものがない。自分の病気や怪我で診療所に行きたいが行けない、小さい子やお年寄りを抱えたお母さんの手助けをして欲しいという。要は、診察の間のお守りだ。

 安心して診察を受けられるのならば、症状がひどくなる前に気軽に診せに来られるし、結果的に早く治る。確かにそう。


「今はマークに子守をしてもらっているんだが、あまり上手くなくてね。こちらとしても、助手として僕のそばにいてくれた方が助かるし」


 マークが相手じゃ、子どもも大変だ。何というか、あの人は当たりはいいんだが本心を見せないというか、他人と一線を置くというか。この頃はそうでもないけれど、私も最初の頃はだいぶ警戒されてた感がある。そもそも、自分から進んで子どもと遊ぶタイプでもないだろう。


 金髪に碧眼で背も高い。どこの王子サマだよって風に顔はめっぽういいので、村の若い娘さんたちには随分人気があるが、それも本人は喜ぶでもなく上手く使うでもなく、興味なさそうに飄々としている……大丈夫か、マーク。私より若かったはずなのにもう枯れてるのか。お姉さんは心配しちゃうよ。

 は! そっち系か!? いや、ごめんそれ、気付かなかった。今度こっそり聞いてみよう。お姉さん、自分はノーマルだけど許容範囲は広いよ、大丈夫、変な目で見たりしないから! ああ、こんなことなら優子ちゃんの話をちゃんと聞いておくんだったわ。私あんまり知識ないのよね……たいして相談には乗れないかも。でも本気なら応援するよ、まかせて!


「マーガレットのことは、もう村の皆もよく知ってるしね。声が出なくても買い物もできているだろう? 字が読めない子どもとは筆談はできないけど、君なら大丈夫じゃないかと思うんだ」


 ちゃんとお給料も出すよとお茶目に続けた先生。今日のように往診に来てくれるのが、私が行く形になって先生の手間も減るし一石二鳥だけど……先生。アデレイド様に会う口実が減りますけど、よろしいの? あ、心配しないでって顔してる。よかった。


 “君なら大丈夫” って……うん、そんなに私を買ってくれてありがとう、ダニエル先生。もしこれを他の人から言われたら、どうせ『招き人』の囲い込み目的のお世辞だろうと穿った見方をしたに違いない。でも、ダニエル先生なら信じられる。理由はいろいろあるけど、だって何より、アデレイド様が先生を信じているから。


 そんなわけで、屋敷での家事の合間を縫って、来週から診療所で保母さんをしてみることになったのだった。



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