レイチェルとウォルター 3
翌朝にはすっかり馬車酔いも治り、体調もよくなりました。
ダニエル先生とアデレイド様はお出かけになって、ヒューも夕方まではこちらに来ません。普段より少人数で昼食のテーブルを囲みました。
相変わらず美味しい食事に、弾む会話。
それなのに、何をしていてもウォルター様のことが頭から離れなくて……もう、こんな自分になんといったらいいか。
食事が済むと、マリールイズが思い出したように伺いを立ててきました。
「あの、お嬢様。少しロイと一緒に外出してもよろしいでしょうか?」
「構わないけれど、どうかしたの?」
「ジュリアス様がミーセリーの様子を知りたいと仰っていらして。私もまだ不案内ですので、少し村の中を歩いて色々と見てこようかと」
お兄様ってば、マリールイズに何を頼んでいるのかしら。
……でも、このタイミングで言いだすなんて。長年一緒にいる侍女には、わたくしがいつもと違う様子なことを隠せなかったみたい。
「分かったわ。せっかくだもの、ゆっくりしてきて」
「ありがとうございます。では」
二人がいなくなると、屋敷に残るのはわたくしとマーガレットさんとバディだけ。
どうやら、マーガレットさんも何か気付いていらっしゃるご様子。
感情を分かりやすく表に出すなど、侯爵令嬢としてあるまじき失態。ですが、そういったことすらこのミーセリーでは、というよりマーガレットさんのそばでは許されると感じてしまうのが困ったこと。いえ、本当に困っているわけじゃありませんけれど。
わたくしが話しやすいように、のんびりとバディの背を撫でながら待つともなく待ってくださるのが嬉しくて――でも、どこから話したら。
そもそもこんなことをお話ししても、お困りになるだけじゃないかしら。
今更のように、胸にもやもやしたものが広がります。
でも、誰かに……マーガレットさんに、聞いてもらいたい。行き場を失くしたこの気持ちを。
話の糸口を探しつつ、ティーカップを置きました。
「あの……実はわたくしに、え、縁談、のお話がありまして」
わたくしの言葉に目を丸くして驚くマーガレットさんの顔を見たら、不思議なことに少し心が落ち着きました。
「そういったお話自体は以前からもあったのです。ですが、わたくしの耳に入る前に、父や兄が『まだ早い』と毎回お断りをしていまして……ええ、そうです。早いどころか、いっそ遅いほうなのですけれど」
年齢の話になって、顔を見合わせて苦笑いをしてしまいました。
マーガレットさんが年上なのは存じておりますし、実際にお話をさせていただきますと、やはり大人の女性だと感じます。
そうは言っても、畑で採り頃の野菜を見つけたときのはしゃぎぶりなどはまるで少女のようですし、バディと遊びながら楽しそうにくるくる回ったりと、無邪気な面もお持ちです。
皆が心配性で困る、とマーガレットさんは言いますけれど、怪我のことを忘れて無茶をなさるのですから、まあ、仕方のない面もあるかと。
とはいえ、過保護と言われるのは、マークさんが彼女をすっかり年下のように扱いなさるのも一因だと思うのです。差し出がましいでしょうが、と、前回の訪問の時にマークさんにそう申し上げましたわ。
少しご不満そうでしたが、多少はご自分の行動を改めたみたいで、昨晩のお食事の時も――と、それは置いておいて。仲がよくて羨ましいと、思わず口に出そうになっただけです。
年齢だけに左右されないところもマーガレットさんの魅力なのでしょう。少なくともわたくしは惹かれてやみません。
しかしながら、『招き人』であるマーガレットさんと、ただの一貴族のわたくしでは、世間からの見方が違うのは事実。
わたくしのこの年齢で未婚でも醜聞が立たないのは、ひとえに侯爵家の名によるところだということは、十分に理解しています。
「相手の方と直接お会いしたことはありませんが、ご立派で文句のつけどころがない、と伺っています。そもそも、お断りできるような立場でもないのです。でも、わたくしは、」
そこでまた言いよどんでしまいました――ああ、もう、しっかりしなさい、レイチェル・リンドグレン。ご本人の前でもないのに、今からこんな体たらくでどうしますの。
深呼吸を繰り返し、心を決めます。
「あっ、あの、わたくし……ウォルター様のことが、っす、好きで……っ」
顔は下を向いてしまいましたけれど、決死の覚悟で口にしました。
束の間の沈黙に耐えられなくて、恐る恐る顔を上げたわたくしの目に飛び込んできたのは、ぽかんとした表情のマーガレットさん。
目が合ってはっとされて、ぎこちなく動いた筆先からは……『前から気付いていた』――!?
「ご、ご存じ……っ!?」
どうしましょう!
隠していたつもりでいましたが、ミーセリーでの自分にはあまり確かなことは言えません。
「……も、もしかしてウォルター様も?」
知っていて、その上で気付かないふりを?
それは……ご迷惑に、感じていらっしゃって――
自分の想像で泣きそうになったわたくしは、マーガレットさんが慌てた様子で板に文字を綴っていくのを、すがるように見つめました。
……ウォルター様は恋愛関係には非常に鈍、いえ、疎いようだから、わたくしの気持ちは知らないだろう、と。
「え、あ、そう……ですわよ、ね……」
それを読んで安心したのが半分と、なぜかがっかりしてしまったのが半分。それでもやっぱり、頬の熱は冷めそうにありません。
マーガレットさんの優しい微笑みに促されて、なんとか話を続けます。
「あの、ずっと、子どもの頃からお慕いしておりました。一度は諦めたのですが……」
騎士団勤務のウォルター様が、城下で迷子になったわたくしを見つけてくださったことがきっかけの恋。
我ながら随分年季の入った片思いです。
「結婚には、気持ちよりも優先するべきことがあるという、自分の立場も分かっております。想いを遂げようとかそういうことではなくて、ようやく、本当にようやくなのですけれど……ただ、気持ちをお伝えしたくて」
伝えて、返ってくる言葉がどんなものでも。
――……本当は、怖い。
進もうと決めてもまだ、怖いのです。
ウォルター様に恋したことに悔いはありません。たとえ今までの時間が実らなくても、それは仕方がないのです。
でも……駄目ですわね。
不安も期待も全部混ぜこぜになって、今のままの関係にしがみつきたいと、この先の現実から逃げ出したくなってしまいます。
だって、きっと。
「きっと、ウォルター様にとってわたくしは今も、あの時の『迷子の女の子』のままなのだと思います。ご迷惑に思われるに、違いないのです。けれど、」
また下を向いてしまうと、膝の上で握った手をぽんぽんと軽く叩かれました。
その仕草や触れる体温が、マリールイズとは別の「もう一人の姉」のようで、目元が熱くなりました。
本当は、この訪問でご一緒したときに告白しようと心を決めていました。そうして王都に戻ったら、ちゃんと縁談にも向き合おうと。
でもウォルター様は来られなくて、わたくしの決心は宙に浮いてしまって――こうして聞いてもらって、心のつかえは少しだけ軽くなりましたが。
「そ、そうですね。はい……頑張ります」
マーガレットさんの励ましになけなしの勇気をもう一度振り絞り、王都に戻ったらまずはウォルター様にご連絡を、そう思っていましたのに。
ミーセリーを発つ前日に届いた予想外の手紙に、皆が驚かされたのでした。