3 マーガレット
いーちーご、イチゴ! やっほい苺!……コホン、失礼。
いや、あのね、すごいのアデレイド様の畑。野菜だけでなくて苺畑もあるのよ。向こうにはブルーベリーの木もあって、毎年イチゴ狩りとブルーベリー狩りに欠かさず行っていた私としては、もう、テンション上がっちゃって。裏庭から続く森に行くと他のベリーも手に入るって聞いたら、その季節が待ち遠しいわけですよ。
で、今はイチゴ。昨日も収穫しました。今日もします。その日に赤くなったものだけを採って、そのまま食べたりお菓子に使ったり。いやあ、何て贅沢、美味美味!
今日はかなり沢山赤くなっているのがあるから、ジャムが作れそう。我ながらどれだけ苺ジャムに執着してるんだって話だけど。
いそいそと、ものすごい速さで、しかも傷一つ付けずに収穫して館に戻りますよ。もうこの手際、職人と呼んでください。ああ、片手に持つのが赤いギンガムチェックの布を敷いた籠だっていうのも、私のテンションマックスに磨きをかけている。もう、なにこのアンの世界。若草でもいいわ。
畑の先で待っていてくれたバディを一撫でして一緒に帰る。かーえろ、帰ろーなんて声なき歌を歌いながらきれいな空気を楽しむ……森の木々に差す午前中の日差しは柔らかく煌めいて、吹く風はどこまでも爽やか。楽しげに囀る鳥の声。
屋敷の裏手の森のこっち側はアデレイド様の私有地で村の人たちはまず来ないから、多少の奇行も見咎められることはない……最高ね。気分よくて、くるくる回っちゃうわ。
うっ、いかん、まだ足首痛かった。
ここに来て約二ヶ月。四季はあるらしいが、夏はそんなに暑くないと聞いてほっとした。あの東京の蒸し暑さといったら! 何年住んでも北国生まれの身体では慣れなくて、毎年夏には五キロくらい体重が減ってた。冬には戻るんだけど。ああ、思い出すだけで脂汗が出そうな東京の夏……。
そして野菜や果物など、同じようなものが沢山あるが厳密には違うかもしれない。ほら、元の世界では品種改良とかあったけど、こちらは割と原種に近いみたいで果物なんかも一回りくらい小さい。色や形、旬の季節も微妙に違う。ハウス栽培で提供される野菜に慣れてしまって旬が分からないだけかもしれないけど。
まあ、けど、味は似てる……というより、はっきり言ってこっちの方が美味しい。素材の味が濃いし、素直なのだ。
新鮮野菜はさっと洗ってちぎって、塩やオイルでも振れば十分オッケー。スープにしても、ブイヨンやフォンドボーなんて必要ない。ニンニク(みたいなの)やエシャロット(みたいなの)とベーコンでも入れて作れば、まあ、プロヴァンス風スープの出来上がり! いや、正直プロヴァンス風が何だかよく知らないけどそこは雰囲気で。美味しいの。
アデレイド様の種類豊富な畑と近所で手に入る良質な肉や乳製品。私、人生で一番健康的で美味な食生活を送っている自信がある。だって、肌ツヤもいいし贅肉が少し減った気がする……これは家事や掃除なんかで動いてるのもあるだろうけど。
もともとマヨラーでもないし、米は好きだがパンも好きだ。日本食にそこまでこだわりは無い。要は美味いと思えるものが食べられれば満足の、ただの食いしん坊ですわ。
それにしてもこの肌のコンディションの良さったら、売ってた自分としては何だけどやっぱり化粧品は補助なんだなあってしみじみしちゃった。
いや、必要だと思うし、お手入れ如何で大分違うよ? でも食事とか睡眠とか「生活」の方が根底から変えられるんだなあって……うん。坂下ちゃん、胃腸炎治ったかな。目指せストレスフリーな生活だよ! 無理だけど! 泣きたいね!
早寝早起き、バランスのとれた食事を八分目に適度な運動、清浄な空気と水。分かっちゃいるけど忙しさにかまけて出来なかったことが、ここでは日常。
ふと以前を思い出して胸がきゅうってすることもたまにはあるけど、せっかくなので今を楽しもうと思う。
「ああ、戻ったのねマーガレット。あら、こんなに沢山」
「 」
籠のイチゴを覗き込んで楽しそうにするアデレイド様。ようやくジャムが作れるわねって可愛らしくウインクなんてなさるから、バディの尻尾もびっくりの勢いで首を縦に振った。イチゴの収穫を始めた頃からずっと、ジャム作るジャム作るって言ってたのだ。
台所の前庭に引き入れている井戸水のシンクでイチゴをざっと洗い、土やなんかを落とす。
スーパーのパック苺でジャムを作る時は洗わなかった。パティシエをしてる知り合いの子にそう教えてもらったから。
露地物なら土とか藁とか付いてるから洗うけど、衛生管理されて作られ流通しているイチゴはそのままでいいって。かえって水分がイチゴに残りよろしくないというのを、ほうほうと聞いたものだ。確かに、土汚れ以外の気になるものは加熱で殺菌されそうだし、アクをこまめに取ればいい。
綺麗になったら布巾でそっと包んで水気を取る。さらにザルに並べて風に当てる。乾いたらしきところから、ペティナイフでヘタと痛んでるところを落とし、大きいものは半分か四分の一にしてボウルにどんどん入れていく。で、ボウルの重さを除いたイチゴの重さを測る。
お砂糖は前だったらグラニュー糖か上白糖。グラニュー糖は味も色味もすっきりに、上白糖はコクのある甘味に仕上がる。いつものスーパーではグラニュー糖が値が張ったので大概上白糖を使ってた。白砂糖はちょこちょこ特売になるしね!
砂糖の分量はイチゴの重さのきっかり半量。
これは人によっては多いと感じると思う。誰? 手作りなら甘さ控えめに、なんて言ってる人は。ジャムは保存食です。砂糖減らしたら保存できないでしょう。
実際、私も砂糖をイチゴの三割まで下げて作ったこともある。果物の味をダイレクトに味わえて良かったけれど開封前から冷蔵庫保存なのと、結局一回にたっぷり使ってしまうから次シーズンから元に戻した。
カロリー気にするなら量で調節したらいいと思ったわ。甘さが足りないと結局たくさん使ったりしちゃうから、それなら「しっかり甘いのを少し」の方が満足する、私はね。砂糖代わりに紅茶に入れてもいいし、ヨーグルトにも合う。うん、いいね。
だから絶対、砂糖はイチゴの半量。これ鉄則。
で、ボウルにイチゴと砂糖を入れてホコリよけに蓋をしてしばらく放置。暑い日じゃなくて腐敗の心配がなければ、いっそ一晩おいても大丈夫。イチゴから出た水分で砂糖がしっとりしてから煮始めるといい。鍋が琺瑯かステンレスなら、砂糖とイチゴを最初っから鍋に入れて溶かして、そのまま火にかけられる。
アデレイド様がジャムにはこれ、と出してきたのは落ち着いた金色で、銅鍋のようだった……憧れの銅製。この世界の金属ってよくわからないけど、私の中でこれは銅鍋。もう、ニヤニヤしちゃう。なんなの、銅鍋で家の裏の畑で採れたイチゴをジャムにするとか、どんな素敵ライフ。でも銅は錆びやすいので煮る時だけ使う。
おしゃれスローライフには全く興味がなかったけれど……だってなんだか現実的じゃないでしょう、アレ。いろんな意味でかなり余裕のある人でないと無理だと思うのよね。あの人たちの畑も台所も飾り物みたいに綺麗で、言っちゃなんだけど嘘くさい。
本当の田舎暮らしはもっと、土臭くて人間関係も面倒くさい。裏玄関にあるのはスニーカーではなくて泥汚れがこびりついた長靴。本物の農家さんは本当に忙しくて手間のかかることはキライだから、家の中は便利グッズとプラスチック製品がたくさん。洗剤はエコより汚れ落ち優先。私の知ってるリアルはそんなものなんだけど……まあ、世間は狭いようで広いから、おしゃれスローライフを実践してる人も多分いるんだろう。
こちらの世界でも、農家・手作りはあまり流行らないようで。アデレイド様がしきりに「うちは遅れているから」「便利な魔導具もなくて」と同居を恐縮したのはそういうことだった。
ええと、アデレイド様とこの家は日本で言ったら昭和初期というか戦前というか、そんな感じらしい。炊飯器が無くって、電子レンジや電気ポットも無い。水は手押しポンプで電気照明はあるしトイレは浄化槽、でも掃除は箒、みたいな。この村のお嬢さんたちも、ちょっと私には無理……と遠慮するようだ。いいじゃないか。私的に無問題だ。
もともと炊飯器は持っていなかった。だって、兄のお下がりの一人暮らし用の小さな炊飯器では、どうしてもご飯が美味しく炊けなくて。美味しく炊けそうな炊飯器は家族用だしお値段もびっくりするくらい高いし。どうせ毎日自炊なんて出来ないから、鍋で炊いていた。美味しいよ、鍋炊きご飯。浸水時間除けば約二十分で食べられるし。
小さい頃はおばあちゃんにくっついていたから掃除も古式ゆかしいハタキに雑巾で慣れている。オッケー、これもクリア。
というか、魔導具なんて魔力の無い私が使える自信なんてない。誰でも使えるように出来ているっていうけど、何かあったときに対処できない、絶対無理。
というわけで、馴染むのは早かった。アデレイド様の教え方がいいのもあるけど、多分、この世界の若い娘さんよりずっと早かったと思う。泥も虫も平気だし……ああ、我ながらつくづく可愛げの無いこと。だからおひとり様なのよねー、いいんだけど。ぷう。
ジャムのボウルを台所の隅に置かせてもらい、そのまま昼食の支度を始める。アデレイド様は朝と夜はしっかりめに食べるけど、昼はごく軽い。ドイツのコールドプレートといったところ。パンにチーズかフルーツ、飲み物。パンすら無い時もある。
最初の頃私に気をつかってしっかりランチだったけど、もともとそうでないと知ってからは戻してもらった。無理をすると同居って破綻するわ、特に生活習慣は。私も昼食はそこまで重要視していないし、それより日中はやりたいことや、やらなきゃないことがたくさんあるの。
そんなわけで、調理も必要のない昼食を並べてお茶を淹れる。チリリン、と鈴を鳴らしてアデレイド様を呼び、にっこり笑いあって「いただきます」と手を合わせた。