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王都のお土産事情(後)


 宰相補佐というお忙しい立場にいらっしゃる方ですから、お断りされることも予想しておりました。それに反して、お父様を通じてウォルター様から丁寧なお返事をいただいたのは、決死の覚悟を決めてお手紙を書いた二日後のこと。

 そうして、そのまた三日後の今日、わたくしは大きな猫を被って、ウォルター様の向かいで馬車に揺られています。


「本当に、無理を申し上げてしまいまして……」

「いえ。かえってお気遣いいただき、こちらの方が申し訳ないです」


 どう書いたらいいか、さんざん迷って悩んだお手紙は結局、正直に現状を打ち明けて助言を乞うものになりました。それを受け取ったウォルター様は伯爵家の過去の記録を確認してくださって、こうしてお店に同行までしてくださっているのです。


「私も前回は仕事だったこともあって、何も持たずに行きましたので。女性の喜ぶものなど不得手ですから、ご相談はありがたかったです」


 そう言ってほんのわずか頬を緩ませるウォルター様に、ドキリと胸が大きな音をたてます。

 ミーセリーのあの時から、なんとか挨拶以上の会話を続けることができるようになりました。とはいえ、今まで見ることのなかったこういう表情には、まったく免疫がございません……頑張って、わたくしの心臓と表情筋。


「そ、そうおっしゃっていただけると、わたくしも心が軽くなります」


 アデレイド様が王都にいらっしゃるとき、公式の場に着ていくものを誂えていたのは伯爵家が指定した店でしたが、個人的に利用していたところが何カ所かおありだったようです。

 懇意にしていたのは小さな店ばかりで、十年も経った今も連絡がついた店は二つだけ。そのうちの一つは代替わりをして扱う品も変わっているとのことで、残りの店へと馬車を向けています。

 マリールイズも同乗してはいますが、馬車の中ウォルター様と差し向かい……揺れに酔うことも忘れた夢のような時間は飛ぶように過ぎて、王都のはずれ近くの一軒の店に着いたのでした。


 ウォルター様のエスコートになんとかポーカーフェイスを装って馬車を降ります。騒がしく鳴る胸を持て余しながら、支えてくださるこの手が離れなければいいのに、なんて思ってしまうところ、我ながら重症ですわ。

 店のドア脇のウィンドウにはドレスや小物が飾られていました。近寄ってみると、王都中心での流行りも程よく取り入れつつ落ち着いたデザイン。センスは悪くありませんが、アデレイド様がお好みになりそうなものとはまた少し違う気がいたします。

 この店も変わってしまっているのかしら……戸惑うわたくしがウォルター様を見上げますと、看板を確認していらっしゃいました。


「――ここで間違いないですね」


 そう言って流れるように導かれた扉の内側では、来店を告げられていた店主夫妻が今や遅しと待ち構えておりました。

 直ぐにと案内された奥の間には、アデレイド様よりご年配の女性。


「ようこそおいでくださいました。すっかり足が悪くなりまして、大変ご無礼とは存じますが座ったままで失礼いたします」

「そのままで構わないわ。ダスティン伯爵夫人が王都にいらした頃、こちらと懇意だったと聞きましたの」

「ええ、ありがたいことに……とてもお優しい奥様でいらっしゃいました。お退きなさる時もわざわざお声をかけてくださって」

「それで、その頃に好まれたものと同じような品はまだ、あるかしら?」


 老婦人はにこりと微笑むと、控えていた店主に目で合図しました。息子であろうその人は扉付きの棚から布を取り出し、目の前のテーブルにとさりとさりと並べます。

 落ち着いた色の小花柄、凝った模様織の無地、いかにも手触りが柔らかそうなもの……最近のものに比べれば確かに模様も控えめですし、発色だって鮮やかさに欠けます。でも、落ち着いた佇まいにはやはり、品がある――探していたのはまさしくこういう布地。わたくしは嬉しくなりました。


「もっとご入用でしたら。職人が少しだけ残っていますので、お時間は少し頂戴いたしますが新しくご用意もできるかと」

「まあ、そうなのね、よかったわ。あの、ウォルター様はどちらがよ……?」


 さてこの中のどれにしましょうか、それともいっそ全部いただこうかしら、とウォルター様の方を見ますと、珍しく困惑を貼り付けたようなお顔で目の前の布の山を凝視されています。いえ――その中の一枚を。


「……この布」

「覚えがございますか?」


 店の老婦人がそれは嬉しそうに目を細めて発した問いかけに、ウォルター様は困ったように小さく頷くと、エクリュのふわりと柔らかそうな布にゆっくりと手を伸ばされました。


「子どものころの私の寝衣がずっとこれだった気がする。形は何度か変わったが、いつもこれと同じような布で――」

「そちらは奥様のご依頼で、私共の店でご用意させていただいたものです。腕のある職人が時間をかけて、薄く柔らかく織り上げまして……染料で痛みますから他の色は作れないのですが、肌の弱い方や、小さいお子様に向いております」

「これを母が?」

「ええ、何度かお求めいただきました。手ずからお作りになっていらっしゃいましたよ。着心地が良いように、と縫い目の位置まで気になさって」

「……そうか。私は、今頃になって知ることばかりだな」


 苦いものを含んだかのようなウォルター様に、老婦人は、ずっとあった気がかりが消えたような、満足そうな表情を浮かべていました。


 ――わたくしたち「貴族」といわれる階級の者たちは、両親を始め肉親とは疎遠で育つことも少なくありません。

 リンドグレン侯爵家はそのあたり鷹揚というか、他家と違って、わたくしもお兄様も両親と直接触れ合って大きくなりましたが、知り合いの令嬢など物心ついたときから家族とは親しみのある会話などした記憶がない、という方もおります。きっとダスティン伯爵家もそうなのでしょう。

 それはその家それぞれの方針ですから、文句を言う筋合いのものではありません。でも、戸惑うようにその布を手にされるウォルター様が一瞬、ちいさな男の子に見えてしまって――。


「……レイチェル様。いかがいたしましょう?」

「そ、そうね、マリールイズ。ここにあるのは全部いただきましょうか。ウォルター様、よろしいかしら」

「ええ、それがいいでしょうね」


 わたくしの声にこちらを向いたウォルター様はいつもと同じ落ち着いた表情で、でも、少し吹っ切れたような瞳をされていました。



 布に合う糸やレース、ボタンなども合わせて見繕い、帰途につきました。

 願ったものが手に入り、すっかり安心したわたくしたちの会話は来る道よりも軽やかです。マリールイズが半分呆れたようにしていますから、きっと戻ったらウォルター様を馬車酔いの特効薬のように言うことでしょう、わたくしには分かっていましてよ! そして否定できないわ!


 リンドグレン侯爵邸に着くと、両親が揃ってわざわざ馬車寄せのところまで迎えにでておりました。

 いつからそうして待っていたのかしら。それ以前にお父様は普段なら、まだ王宮でお仕事をされている時間では? お髭に隠れた唇の端がほんのりぴくぴくしているのは微妙にご機嫌斜めな証拠です。

 その隣のお母さまはあきらかに楽し気で――ああ、あのウインクは「後でね」の合図……今日は長い夜になりそうですわ。


 わたくしも知らされていなかった両親の出迎えに、ウォルター様はさぞ驚かれたことでしょう。ですがそれを表には出さず、如才なくお父様に挨拶をするとそのまま仕事のお話を二、三されて帰って行かれました。

 別れ際、手の甲に受けた挨拶に、前よりも……その、温度、を感じた気がして、自分でも分かるくらい頬といわず耳といわず熱くなりました。

 でも、それはきっと、昔に戻った一時に居合わせたわたくしに対する、ある種の気安さからくるものでしょう。


 だからわたくしも、あの時見えた男の子を抱きしめたいと思ってしまったことは、この胸の高鳴りと一緒に今はまだそっとしまっておくことにしました。

 ――いつかそうできたなら、と思いますけれど。





お読みいただきありがとうございます!

書籍化記念のSSはシリーズの小話集( N4620DI )にも投稿しています。


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