最終話
【 我が国にまた一つ僥倖がもたらされた。
つい先日、王宮より『精霊の招き人』が王都からほど近い田舎町に姿を現したことが公表された。『招き人』は声を失っており、またその身に負った怪我のため領主の館にて静養中だという。
穏やかな性質を持ち静寂を好むことから対外的な交流は控え、しばらくの間は心身を癒すことのみにしたいとの希望があり、王宮からも配慮を望むとの声明が同時に出されている。
精霊が顕現して初めての秋を迎えた本年の収穫は近年稀に見る豊作になったことは記憶に新しい。『精霊の招き人』の出現によって、なお一層の繁栄と安定が約束されることだろう。
『招き人』への面会・訪問を含む直接の接触は許されていない。
国内外の貴族諸侯たちが王宮を通し面会を申し出、また各国よりの公式の招聘も後をたたないようだが静養を理由に全てを断り村内でのみ暮らしているということだ。
精霊から加護を贈られた証しとして色違いの瞳をもつ、黒髪の美しい女性だという。
手仕事を好み、料理に秀で、赤子や動物とも心通わせる聖母のような人となりは噂に高い。
現在、大陸で存在が確認されている唯一の精霊とその招き人。諸国はこの世界の安定と繁栄の為にも、彼女たちが安らかに過ごせるよう統一の見解を出している。
彼女たちの願う静かな生活を守るように、と。
また『精霊の招き人』の出現を受けて、神殿では本年末の神事の際に…… 】
……誰のこと。なにこの聖母って。
先生が王都から持ってきてくれた新聞みたいなものを読んで、思わず額をおさえた私の手から落ちそうになったそれを取ると、マークは面白そうに眺めた。
「……まあ、そんなにおかしなことは書いていないと思うけど?」
「そうだねぇ、こんなものだろうねえ」
ある程度の神聖性は必要だから、って事前に聞いてはいたけれどこれ、かなり恥ずかしいわっ! 字で見るとますます実際との乖離がね、いやあ……堪らんですわ。こんなの、村の人たちが読んだら『え、これ誰?』ってなるってば、もう。
そして森の精霊とはまだ会ったことがありません。なんとなく、会えるのはもう少し先かなって思う。
『……本当、精霊様とマーガレットはなんか似ている。雰囲気がね、姉妹のようで最初会った時に驚いたし、妙に納得もしたよ』
確かにヒューさんが前に言っていたけれど。雰囲気が似てる、って言ったのであって、顔って言ってないでしょう。絶対に、この書き方は勘違いを招くわ。詐欺だってば。
森の精霊と会ったことがあるのはヒューさんと、魔術院の筆頭さんとあとほんの二、三人だそうだからなんとでも言えるんでしょうけど。
だってヒューさん、精霊ってものすっごい美人だって言ってたものっ。聞くところによると、月の光を編んだような淡い金髪に、夜の星空を写した藍色の瞳、真珠のような珠の肌……どこの女神さま、さすが精霊さま。絶対に似てないって。レイチェル様の方が近いって。
「実際に他国から呼ばれて?」
「まあねぇ、他所からしたら一度は招かないと逆に不審がられるだろうしね。マーガレットは行ってみたい?」
聞かれて首を大きく横に振る。日帰り距離の王都にも行けてない私がどうやって外国に。それに、一つの国に行ったら他の全部の国にも行かなきゃ駄目でしょう。旅行は嫌いじゃないけれど、今はまだ無理。
そして行ったところで、歓迎式典がとか、陛下に拝謁とか、警備がどうとかで、どうせ普通の観光など出来ないに決まっている。だからもし行くなら、城下町のご飯を食べにこっそり行くのだ。
私の返事は分かっていたようで、笑って頷きながら書いてあった紙をたたむ先生。代わりに鞄から大事そうに取り出したのは、布に包まれたハードカバーの本くらいの大きさのもの。
「あ、出来上がったんですね。見せてくださいよ」
照れくさそうに、嬉しそうにマークに渡す先生。丁寧に受け取ったマークの元にいそいそと近づいて一緒に手元を覗き込む。
臙脂色のベルベットの布をそっと外すと現れたのはフレームに入った一枚の写真。ちょっとおめかしをした先生とアデレイド様が並んで写っている。ああ、とってもいい表情。アデレイド様は椅子に腰掛けて、先生は寄り添って立って……でも先生、レンズの方を見なきゃ。アデレイド様見てるでしょう、これ。
指差してマークに教えると早速先生をからかっていた。
「写真技師の人に何回も言われたのに、結局なおらないのだもの」
「仕方ないじゃないか、目が離せなかったのだから」
いっそ潔い先生に、お茶のお代わりを淹れていたアデレイド様がいよいよ頬を赤くした。
マークと顔を見合わせると暖炉の上に仲良し写真を飾り、新しくはいったお茶とストールを手にそっとベランダに出る。
小春日和の今日、風はなく空気は澄んで日差しは暖かい。
「……仲良いな」
本当ね。一緒にベランダについてきたバディの頭を撫でながら、居間の方を目を細めて眺めるマークに深く同意する。
王太后様がいらしてしばらくの後、先生とアデレイド様は王都へ行った。二人の婚姻の話にウォルター様は喜んで同意したという。宰相補佐という立場を最大限に活用して迅速に手続きを進め、王太后様の後押しも取り付け異例のスピードで届け出は済まされた。
そして先日、神殿でごく内輪に式を挙げ、写真を撮ってミーセリーに戻ってきたのだ。
ダニエル先生は今、この屋敷に一緒に住んで一日置きに診療所に通っている。診療所は正式に独立医師になったマークが継いで、彼が二階に住んでいる……そうは言っても、森に薬草を摘みに来たり、うちにご飯を食べに来たりでほぼ毎日こちらへ来るし、特に診療所に問題がなければ泊まっていくこともある。
「若先生、こちらでしたか。確認をお願いしたいところが……」
ベランダの柵の向こうから職人さんに呼ばれて、マークがちょっと行ってくると庭に降りた。屋敷の周りは鮮やかだった紅葉もほぼ終わり、常緑樹だけを残して森は冬支度を始めている。
私は揺り椅子に腰掛けてカップを両手で持ちながら周りの音に耳をすます。晩秋の澄んだ空気の中聞こえるのは鳥の声、バディが尻尾を揺らす音、そして大工さんたちの工事の音。
アデレイド様から王宮を通して譲られたのは、屋敷の敷地の続きになっている土地と隣接する部分の森の一部。そこにもともと建っていた使用人棟を改修している最中だ。あまり使われてはいなかったようだが躯体はしっかりしていて、大きさも広すぎずちょうどよかったので、手を入れてそこに住めるようにしている……屋敷は広いけれど、せっかくの新婚さんのお邪魔は気が引けて。食事は一緒にしますが。そこは譲れない。
そして、改修の費用と監督は何故かマークが……はい、そうです。新居にするそうです……なにこれ恥ずかしい。すっごい照れる。
マーク若いのにそんなお金あるの、と大変率直かつ失礼な疑問をぶつけたら心配するなって言われた。なんか、元の伯爵家から出るときに手切れ金的にだいぶ取ったらしい上、あの人、治癒魔術の新式とか薬草の配合や何かで特許的なものをいくつか持っているらしい。論文も書いてるそうだし、もうなにそれ。
それを聞いた時に、マークには私なんかより若くて可愛い貴族の女の子の方がいいんじゃないの、とポロッと言ってしまった。だって釣り合いっていうか、ねえ。
そうしたらマークに大変に鮮やかな笑顔で、ふうん、じゃあ分からせてあげようと恐ろしい宣言をされて、家でも外でもお構いなしにものすっっっっごく甘やかされた。患者さんにすら引かれるってどうよ。さすがのダニエル先生も困ってらしたわっ。みんなの目が温いを通り越して、いたたまれなかったわ……。
口は災いのもとだと身をもって知った二回目。学習しようよ、私。
ダニエル先生は馴染みの患者さんを診るのに王都に時々行っているが、それも少しずつマークに引き継いでいる。そのこともあって収入はあるんだって……もう、へえ〜、としか言いようがない。王都の医療院からも呼ばれて月に何度かは行っているし、あんまり忙しくして体壊さなきゃいいなあと思う。
そんなことを考えながら、さっき配達された手紙をポケットから取り出す。レイチェル様から、今度の訪問の予定を尋ねるお伺いの手紙。それと、ウォルター様からは本の打ち合わせについて……そういえばウォルター様とマークって、義兄弟になるのよね。見た目正反対だけど、あ、背が高いのは一緒だけど、なんか……濃い兄弟だな。
ウォルター様とレイチェル様は大概一緒にミーセリーを訪れる。ウォルター様は、レイチェル様のお父様から頼まれたこともあって保護者気分のようだけど。レイチェル様、頑張れ。あの人は歳の差とバツイチの負い目もあって、レイチェル様からぐいぐいいかないと絶ー対っに進まないよ。
まあ、そんなウォルター様の提案で私は今、家事と診療所のお手伝いの合間を縫って本を書いている。本と言っても、子ども向けのお伽話や昔話。向こうの世界でのそれを本にしないかと勧められたのだ。
この世界は子ども向けのものが少ない。本自体は高価だが、読み聞かせができればそれなりに需要はあるだろう。“異世界の物語” を本にして、売り上げは子どものために使う……孤児院とか病院とか、学校とか。そうすれば精霊によるえこひいき感もないだろうと。
『居てくれるだけでいいんだがな。やる事がある方が気負わずに恩給も受けられるだろう』
お兄ちゃんは本当によくわかっていらっしゃる。
外で働くことが難しい私に、これは素敵な提案だった。子どもにも関われるし。
登場人物や背景をこちらに合わせて少し変えて身近なものにしている以外、話の筋はそのまんま向こうのものだ。第一弾は春くらいに出版の予定。診療所の待合室に置いた見本誌はかなり好評だった。他でどのくらい受け入れられるかは分からないけれど、楽しんでくれたらいいなと思う。
ヒューさんは相変わらず忙しいらしく手紙はない。その代わり突然現れる。大概日帰りだけど、診療所のマークのところに泊まる時もある……パン屋の幼馴染のサラさんと会ったりもしているのは知っているけど内緒だ。気付かれていないと思っているらしいが、婦人会の情報網を舐めてもらっちゃ困るのよ、ヒューさん。それに私にはこっそり娘のエミリーちゃんが教えてくれるんだから。子どもに口止めは難しいね!
さっきまでいいお天気だったのに、急に雲が増えてきて陽が陰った。お日様がないとやっぱり冷える。室内に入ろうかなと手紙をたたんだところにマークが籠を抱えて戻ってきた。
「寒くなってきたな、中に入ろう」
どうしたの、それ。私の視線に気づいたマークは楽しそうに教えてくれた。
「職人から貰った。実家から送られてきたって、お裾分け。美味い昼食のお礼だってさ」
どさりとベランダのテーブルに置かれた籠には山盛りのツヤツヤりんご。小ぶりの紅玉くらいの大きさの赤いのと、黄色いの。お裾分けには結構な量ですね。
ここは村はずれで食堂までも距離があるので、職人さんたちにはお昼ご飯を出している。そういうことならこれで何か作って出そうか。定番はアップルパイよね。
胡桃やレーズンを入れるのもいいけれど、最初はスタンダードにフィリングはりんご100パーセントでいきたい。シナモンをきかせて歯ごたえが残る程度にくったりと薄甘く煮たりんごをたっぷり入れて、ターニャさんに教わったパリッパリのパイ生地で。
焼きたてのパイにバニラアイスがあれば言うことなしだけど、さすがにアイスは難しいからクリームを添えよう。うん、いいね。
あとは、そうだなぁ…焼き林檎、タルトタタン、りんごのケーキ、りんごジャム。ああ、お菓子だけでなくお肉のソースにしても美味しかったなあ。真っ赤なのを一つ手に取ると、甘酸っぱい懐かしい香りがした。
ふわりと腕が回されて背後からすっぽりと包まれる……あったかい。腕の中で向きを変え、にこりと笑ってコツンと額を合わせると鼻先が触れた。
「ほら冷えてる……アップルパイ?」
『それと、りんごジャムかな』
引き寄せるように頬に添えられた指が、マークに贈られた新しい真珠のピアスを軽く揺らす。母の形見のあのピアスは、子どもに譲るようにそろそろしまっておけだって。
気が早いと思ったけれど、台所に立つ私を後ろから抱きしめてはお腹に手をまわすマークは案外本気みたい。どう扱ったらいいかわからないと言いながら「家族」に憧憬を抱くこのひとに、いつか小さい温もりを抱かせてあげたいと思う。
アデレイド様に、せっかくだからオレンジの花冠になさいなと言われ、春が来るのを待っている。
台所に戻ったら早速パイの準備をしよう。
今年の最後の収穫になる森で採ったベリーも、流しの脇でジャムになるのを待っている。
ふと見上げれば、私を見下ろす青い瞳と目があう……ねえ、マーク。私ここに来てから、一人で寂しいと感じたことがなかったわ。これってすごいことだと思わない?
花も鳥も果物も。大好きな人たちも、生きてきた世界さえも。ずっと同じに続くものなんてない。
だからこそ、今の暮らしのひとつひとつがこんなにも愛おしい。奇跡みたいな確率で、ここに来たこと、出会えたこと。
爪先立てて片手を首の後ろへ伸ばすと、分かってるというように軽く屈んでまた重なる額。
「……何考えてる?」
『マークに会えてよかったなぁって』
「アデレイド様やバディは?」
『意地悪言わないで。アップルパイあげないわよ』
それは困るな、と微笑んで私の額に唇を落とす。二人の間に潜り込むバディを連れて居間へと戻った。
春には苺、そしてまた杏やブルーベリー。オレンジ、桃に、葡萄も、林檎も。
巡る季節を抱きしめるように過ごす日々。
そうしてここミーセリーの空の下。
私は今日も、森のほとりでジャムを煮る。
了
「森のほとりでジャムを煮る」完結です。
このお話を通して時間を共有して下さった方々が
少しでも楽しんでいただけたならとても嬉しいです。
ここまでお読みいただいた皆さまに心からの感謝をこめて
ありがとうございました。
2016.7.14 小鳩子鈴