30 マーガレット
そして。滅多に使わない応接室で皆が集まっております。私はアデレイド様とダニエル先生に挟まれて座り、向かいのソファーには王太后様がお一人で。マークとヒューさんはそれぞれ脇に立ち。挨拶の時まで室内にいたお付きの方たちは、王太后様が人払いをされたので誰もいません。あ、バディは私の足元にいますよ。
そしてさらに、ヒューさんが防音やなんかの結界を張ったところ。すっかり夏めいて窓は換気のためにも全開ですが、そのままで効力を発揮するんだって。ヒューさん、実は何気に凄い人?
あの後、潤滑に話を進めるためにも頼むから普段通りにと何度も言われて、どうにか平常心を保っている。アデレイド様やダニエル先生はさすがに場慣れしているというか、多少の緊張感はあるものの大人な対応をしていらっしゃる……ヒューさんは言わずもがな。
「本来なら王都にお越しになるのを待つべきなのだけれど。取り急ぎお伝えしたいこともあって、こうしてお邪魔させていただきましたわ」
いえあの、王太后様、フレンドリーすぎてどうしようかと。安全面を配慮しての非公式訪問なので先ぶれも出せなかったと詫びられました。うん、公式訪問されても困るからドッキリは仕方ないわね。
いやあ、さすがに緊張して魔導具の羽ペンが小さく震えちゃう。あ、これ、すべて希望通りになって戻ってきました……感激。素晴らしい。お礼は何をすればって聞いたら、お菓子焼いてだって。そんなのでいいの? 焼くよ、いくらでも!
「国の機密にも関わる事情もあって本来ならば国王が来るべきですが、それだと恐縮されるだろうと、タウンゼントやダスティン伯爵に止められましてね。女性相手だということで妾が参りましたの」
「左様で御座いましたか。御心遣い有り難く」
もう、本当十分です……国王陛下自らとか、勘弁して。ただの一平民ですってば。
「じゃあ、僕の方から説明するね。まずね、僕、ついこの前までうちの筆頭と一緒に王都の森の精霊のところにいたんだ。ほんの半日程度だったんだけど、森から出てきたら十日も経っていてね」
やだ何その浦島太郎。へえ、時間の流れが違うの……異世界を強く感じるわ。
「それで来るのが遅くなっちゃったんだ。まあ、でも、おかげで色々教えてもらえたよ。本当は精霊様もマーガレットに会いたいって言ってたけど、あっちはあっちで森から離れられないんだ。だから伝言をね、もらってきた」
伝言? なんだろう。
「それでね、マーガレット。精霊がまず謝罪を伝えてほしいって。その足は多分それ以上治らない」
あら……。ゆっくり歩くには支障のない足だけど、確かに最近は現状維持で、良くなってる感じは無かった。自分のせいではないのに申し訳なさそうに話すヒューさんに、私より先に反応したのはアデレイド様だった。
「それは、どういう……」
「本来なら『招き人』はもう少し後で呼ばれるはずだった、精霊がきちんと力を使えるようになってからね。君は早まって呼ばれたんだ。この国のバランスが急に乱れたから……その穴を埋めようと、生まれたばかりの精霊が自身の存在を安定させる前に、招き人を落としてしまったんだ」
「……ちょっと待て。彼女にわかるように、もう一度」
うん? あ、ありがとうマーク。なんか気になることが聞こえたわね。ヒューさんからも、ごめん、先走ったって謝られた。
「ええと、森の精霊がようやく色々話ができる状態になって、僕もこの前聞いたばかりなんだけど。『招き人』はね、精霊が生まれてしばらく経って、自分の存在と力がある程度しっかりしてから、自身をより磐石なものにする為に招かれるものなんだそうだ。だけど、今居る精霊はまだこの世界に生まれて間もない。本来なら君を招く力がまだない」
……うん?
「精霊とその招き人の役割は、その存在でもってこの世界の安定と調和を維持すること。
数年前に起こったある事件によって、この世界は一度土台から乱された。それを正す為に精霊が生まれた。そこまでは問題ない。……精霊の存在が安定するのには十年単位の時間が必要だ。でもその前に、また、バランスが崩れそうになった。そこで力の無い精霊がなんとかこの世界を守る為に、まだ時期が早いにもかかわらず『招き人』が召喚された」
「召喚自体はこの世界の意思で行われるのだそうだから、精霊が仕組んだとかでは無いんだ。ただ、精霊が万全の状態でなかった為に、招き人が界を渡る時の保護結界に穴があった。向こうで負った怪我やなんかは本来ならばその時に癒されるはずだったが、それができなかった。さらに君は界渡りの負担を強く受けて声もなくしている。それをものすごく悔やんでいたよ……自分の力が足りなかったせいだって」
「彼女は…ああ、精霊も女性なんだけれど、自分のことよりも君を優先して何とか力を送り続けたけれど、界渡りの時のダメージを治すにはタイムリミットがあって、そこまでが精一杯だったって。実際、ダニエル先生が最初にかけてくれた治癒魔術、あれがなければここまでの回復も望めなかっただろうって」
……なんでしょう。あんまり急に情報が入ってきて、ちょっと混乱。
ええと、要するに、本来ならば私は呼ばれるはずではなかったということ? 魔導具の字が乱れてる。
「そう。精霊の言うことが正しいのならば『招き人』の召喚はどんなに早くともあと五年は先だ。その時点での適合者が来るから、マーガレットが招かれる可能性も低いだろうね」
本当なら私はあの事故でそのまま、多分死んでいたということね。ここに来ることも、アデレイド様やマークに会うこともなく……それは、なんというか、
「……それは困るわ。私はマーガレットだから、この子だからよかったのよ……マーガレットが来なかったかもしれないなんて、そんなの嫌だわ」
アデレイド様の私の手首をぎゅって握る指が震えている。
「俺もその話は受け入れられないな。ここにいるのはマーガレットだけでいい」
……マーク。
「どうあれ、今ここに『招き人』としているのは、このマーガレットだ。それは変えようの無い事実だろう。変えたくもないしね」
先生。こんな時にも優しく撫でてくれる変わらない手にほっとする。
「うん。僕もね、『招き人』が君でよかったと思っているよ、マーガレット。でもねえ、この世界の為に、君が余計な負担を強いられて不自由な体になってしまったことも、違えようの無い事実なんだ」
「……世界のバランスを崩すような愚かなこととは、隣国の王族とこの国の貴族が関わった事件に端を発するのです。
双方の国の存亡にも関わることでしたので厳重に緘口令が敷かれ、機密扱いにて事件は処理されました。しかし残した傷跡は大きかった。数年を経たずして再度傷口が開くほどに。それを塞ぐ為に貴女が呼ばれてしまったのです」
王太后様が申し訳なさそうに目を伏せながら、静かに語った。
「マーガレット、貴女が来てくれたおかげで精霊の力も増し、こじ開けられた穴も塞がりこの世界は守られたわ。でもそれは貴女の犠牲の上に成り立っているの……元の世界に戻る術はない以上、ここで、その状態の体で、これからの一生を過ごさねばならない。この世界を代表して、また原因を作った国としての責を果たす為にも、貴女に償いをさせて欲しいの」
待って。ちょっと待って。私は必死にペンを動かした。
今聞いた話が事実なら、私は事故で死ぬところをここに招かれたからこそ、こうして生きていられるのでしょう。こうして、ミーセリーのみんなにも出会えて。それを感謝こそすれ、犠牲だなんて。
「私も足を悪くしていますからね、不便は分かります」
王太后様、私の足は走ったり踊ったりが出来ないだけでそこまで深刻じゃないです。草取りだって出来るし、階段だって大丈夫。第一、もしあの事故で向こうの世界で命を取り留めていたとしても、元の生活が出来るほど回復したかどうか。きっと無理だろうと思う。
「うん、まあ、マーガレットはそう言うんじゃないかと思ったけど。じゃあ、ざっくばらんに大人の事情を一つ。国の体裁を整える為にも、補償を受けてくれないかな」
「……それで幕引きを?」
「レイノルズ、貴方が報告書に何度も書いたのですよ『招き人は静かな生活を望んでいる』と。国としての対応が整えば、これ以上煩わせることはないと誓いましょう。
政にも神殿にも、マーガレットが望まない交流を強いることはさせません。国の保護を確かに受けているとなれば、他国からの牽制もないでしょう」
……なるほど。私の安全の為でもあるのね。ちらりと先生を見ると、優しく頷かれた。
「君はずっと一人で頑張ってきた子だからね、戸惑うだろうが……どうだろう、僕たちの為にも受け入れてくれないかな」
みんなの顔を見れば同じ気持ちらしいのはわかった。……私が何かしたかったのは、自立したかったのは、この世界にいる理由が欲しかったから。『精霊の招き人』という異物である私が、ここにいていいと、そう思える確かなものが欲しかったから。
でも、そんなことは必要ないのかもしれないと、思えた。招かれたことも、私だったことも、すべてが偶々だったのなら……そこに意味を探す必要はないのだろう。
そして、ここに来たのが『私でよかった』と言ってくれる人が居るのなら。
視線を感じて見上げれば、マークに真っ直ぐ見つめられていた。
「……言ったろう? 意味なんていくらでも見つけられる。居場所なら、ここだ」
あまりに力強く言い切られて。笑ったはずなのに、涙が出た。
アデレイド様がお茶を入れ替えてくださる頃には、どうにか落ち着いた……落ち着いたら、恥ずかしいのですが。人前でっ、しかも初対面の随分と雲の上の方の前でっ、ぼろぼろ泣いてしまうなんて。はあ……穴はどこ。
王太后様が微笑んでいらっしゃるのが、救われるというか、余計恥ずかしいというか。とりあえずバディに抱きついてごまかそう。
「話通り、可愛らしい娘さんですこと」
「最近はリンドグレン侯の姫君とも仲良くしてますよ」
「ああ、レイチェル。それはあの娘にもいいでしょうね」
できれば引き続き懇意にと言われ、こちらこそと勢いよく返してまた微笑まれた。はうぅ。
「今までの招き人が記憶をなくしていたというのは、どうも後付けらしいんだ」
ヒューさんがまた、初耳なこと言う。
「全員の記録があるわけでもないし、伝聞も多い。ただ言えるのは、今回のマーガレットみたいに時期尚早で招かれた人もいるということ。そしてそういう人たちはやはり、怪我だとか、何らかの不便を持っていただろうからその中に記憶をなくした人も、確かにいたのだとは思う。
でも、そうでなくとも。他の世界の知識は毒にも薬にもなる。下手に拡散されたり利用されたりして国が危うくなる事態を避ける為に、為政者側が予防措置として『記憶がない』と公布した例の方が多いようだよ」
ああ、確かにね。それは国の上に立つものとして当然と言える措置だろう。そういえばヒューさんも随分と広範囲に突っ込んだ質問をしてきた……その辺を確認したかったの? やっぱり実は凄い人?
「『招き人』の召喚は世界の意思だから、招き人の知識が国を滅ぼすのならそれも世界の意思。我らはそれを受け入れるべきと思い、マーガレットに関してはそういった情報操作は考えていません。ただ、聞かれることに煩わしさを感じるのであれば対応しましょう。
今までは、報告書で知る貴女の性質や生活の具合、それに声を失くしている事などから、緊急には必要ないだろうとも思っていたのですけど」
声、そう声。ねえ、これは相談のしどころ? 先生と、アデレイド様とマークを順番に見やる。
「ああ、その顔は思い当たることがあるね、マーガレット。そう、精霊も言っていた『せめて声を取り戻してあげたい』って」
「それに関しては、少し心当たりが」
「あ、先生あります? よかった、伝わるようにはできたと聞いたけれど、声が出るようになったとは言われなかったから、どうやれば伝わるのか僕は知らないんだ。どこから試せばいいのか困っていたから、分かってるのならよかった。それにねえ、とっても範囲限定らしいよ」
え、限定?
「ここでも力不足を嘆いてらしたけど。君の声が直接伝わるのは基本的にごく近い家族だけ。あとは、動物と言葉を話す前の幼児。それ以外に伝えるようにするには精霊の負担が大きすぎたらしい」
「家族、って。マーガレットの家族は向こうの…」
「もちろん『この世界の』って但し書きがつくよ。つまり、マーガレットと相手側のお互いが『家族』と認めてそう接している人、ということ。
動物と赤ん坊は精霊に近いからいいんだけど、大人はね、魔力のないマーガレットが、本人も相手も負担なく伝えるためには双方を結ぶ強い繋がりが必要になるんだって」
「ほう」
「あら」
家族……それは。先生とアデレイド様は、もうとっくに私のこちらのお父さんとお母さんですもの。そしてお二人もそう思っていてくれたことに嬉しいと、素直に思う……あれ、マーク? マーク、家族?
「もっと時間が経って、精霊の力が強くなればまた変わるかもだけど。まあ、だから強いて言うなら、両親、子ども、配偶者。それくらいの強い精神的繋がりがある人限定」
……え、マーク……っていうか、え? ヒューさん、なんて言った? 『両親、子ども、配偶者』……配偶者……ええ?
「だから僕がマーガレットの声を聞くには、夫になる必要があるんだけど、どう?」
「ああ、その必要はない。全く無い。間に合っている。問題ない」
わくわくしながら提案するヒューさんをすかさず却下するマーク。
「ええっ、マーガレット可愛くなったと思ったらやっぱりそういうことっ?」
ちょっとマーク、なにその鮮やかで不敵な笑みはっ。いやあっ、ヒューさんがニマニマしてるっ、どうし…、もうっ、また上げられなくなった顔を隠すようにアデレイド様に抱きついたらふんわりと撫でられた。
「オレンジの花は早くもなかったのねぇ、マーガレット」
髪留めを直してくれながら、しみじみと嬉しそうに言われて……穴はどこですか。バディ、お願いだから連れて行ってください。