表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/46

25 マーガレット

 

「また、近いうちに」


 そう言ってウォルター様は馬車へ乗り込んだ。アデレイド様は少しだけ名残惜しそうだったけれども、にこやかに屋敷の前でお別れを告げていた。 “近いうちに” という言葉が文字通りのものだと断言できるから。

 そして私も馬車の中……今日は診療所保母さんの日。通り道な上に、マークも今日ウォルター様と一緒に王都へ行くということなので診療所まで乗せて行ってもらうことになった。


 マークは医師免許の書類が、とか、他にも何かの手続きがどうとか言っていた。帰ってきたら教えると言われたけれど、言いにくいことなら別にいいのに。今回の王都行きはいわく付きの彼の実家も関係しているらしいから余計ね、触れられたく無い部分もあるでしょう。


 アデレイド様や先生から教わったり本も読んだりするけれども、私は本当の意味では貴族社会のことを理解できていない。多分これからも出来ない。

 私の祖父母や曾祖父母の時代までは、それこそ結婚だって就職だって「家」が決めるものでそれが珍しくなかった。でも、私はそんな時代に生きていないし、制限はあるものの基本的に自分で取捨選択をする権利を与えられていた。そんな私がどんなに想像したところで、当の本人たちから見れば物足りないだろう。

 だから、マークが、アデレイド様が、どんな辛い思いをしてきたのかをわかるなんて言ってはいけないと思う。


 ただ、そばにいさせてもらえるなら。寄り添うことを許してもらえるなら。



「マーガレットを驚かせたいんじゃないかな。待っていてあげてね」


 事情を知っているらしい先生は、詳細を告げない愛弟子を庇うように少し申し訳なさそうにしながらも、明るい顔でそう言った。先生がそう言うなら、きっと悪いことではないのだろう。何事もなく普段通りの顔で帰ってきてくれればそれでいいなと思いそう告げれば、また先生に頭を撫でられた。


 今日の私の荷物は軽い。バスケットのお昼ご飯も先生と私の二人分だけだし、魔導具も既に手元に無い。


 お借りしていた魔導具は図々しくも改良依頼をつけて返却した。持ち歩くにはもう少し小さいほうがいい、とか、長く書くと手が痛くなるから書き心地が軽いと嬉しい、とかそんなことをお願いして。

 でもこれ、とっても便利だった。手のひらに書くより早いし、買い物の時なんかは間違いなく伝わるし、他のお客さんを待たせたりしないでいろいろ質問も出来る。

 何より、実用一辺倒でなくて縁に綺麗なツタ模様が入っているところとか、ペンが羽ペンだったりするところが持っていて満足感がある。文房具や実用品も、綺麗なのに越したことはないよね。それにしても魔術でこんなの作っちゃうなんてすごいと思う。

 お礼状も書いたけれど、とても感謝していたことをどうか伝えてほしいとお願いをした。


「こういった魔導具はなかなか製品になりにくい。だが確実に必要な人がいるから、試してもらって感想が聞けるのは制作側にとっても望ましいことなんだ」


 どうしても、より多くの人が求めるものの方に開発も制作も偏るから、切実に必要だったとしてもマイノリティにはなかなか行き渡らないのだそう……こんなところもどこの世界も一緒だなあ。


「『招き人』のおかげで、堂々と掲げて研究できると喜んでいたよ」


 それなら私が声を失くしたことも無駄ではなかったのね。何かの役に少しでも立てたのならよかったわ。


 そんな話を聞いているうちに馬車は診療所へと到着した。降りる私にマークが手を貸してくれて、馬車の反対側では小窓を開けたウォルター様が先生と別れの挨拶をしている。

 馭者さんが荷物を積み込む間、馬車の乗り口の近くで行ってらっしゃいとしていたら、マークがお土産は何がいいかと聞いてきた。少し考えて “楽しい土産話” と答えたら一瞬キョトンとした後、嬉しそうな顔になって盛大に頭を撫でられた。ちょっと、めっちゃ乱れたんですけど!


 だって必要なものはありがたくも揃っているから欲しいものなんて急に浮かばないし、王都に何があるかもよく分からないし、まあ、なんでもあるんだろうけど。だから、強いて言うなら情報かなって。それに、マークから王都の話を聞くのはきっと楽しいんじゃないか……なんだこの乙女思考。レイチェル様から伝染うつったか?


「分かった、じゃあ行ってくる」


 内心で慌てる私を見下ろすマークは、私の髪を直してくれながら目を細めてそう言うと、不意打ちのようにふわりと軽く肩を抱き込んだ。頭のてっぺんに落とされたキスは扉の影になって先生やウォルター様からは見えなかった……はず。お願い、そうだと言って。


 ハッと気付けば、軽快な音を立てて馬車は行ってしまったところだった。ダニエル先生は冷め切らない顔の熱を見ないふりをしてくれた……大人な対応、ありがとうございます。さすがロマンスグレー、気遣いがスマートで格好いいです。

 先生の後を追って診療所に入り、だいぶ慣れてきた保母さんの支度を始めるのだった。





 いつもと同じくらいの混み具合、いつも通りの待合室。

 マークや先生が往診に出たり王都に行ったりして、どちらかが留守をすることは珍しく無いので患者さんたちも慣れたもの。より体調の悪そうな人や熱でぐずる赤ちゃんに自発的に順番を譲ったり、薬だけだから後にするよと一旦帰ったり。


 ミーセリーの人たちは本当に、のどかというか人が良いというか、人情にあふれる下町のよう。まあ、深く付き合えばそれなりに干渉されたりとかもあるけれども、それだって多分コミュ障でなければ許容範囲の程度でそこまで強引な感じはしない。

 実際のところ、アデレイド様は貴族で領主様の血縁だし、屋敷も村はずれであまり中心部には出てこないので村人たちとの付き合いはそう深くは無い。でも、避けられてるのではなく単純に遠慮というか、上品で美人なアデレイド様は高嶺の花の扱いな感じ。もっとも、治外法権的な婦人会ではこの限りではないけれど。


 どちらかというと、来て日も浅い新参者の私の方がいろいろ首を突っ込まれていると思う。

 どうしてか、私に内緒の打明け話をする人が多いのだ。私は村に血縁者もいないし、声が出ないから自分から言いふらしたりはしないだろうと思われているのが原因だ。


 言いたくて、でも言えないことを吐き出すには丁度いいのだと思う。なんだろう、王様の耳はロバの耳的な何かかな。

 みなさん、勝手に吐き出して勝手にスッキリしては、後日何か贈ってくれたり便宜を図ってくれたり、『信用できるいい子だよ』とか言って私の株を上げていってくれる。


 過大評価は困るのだけど、重たい人生相談はされていないから、まあいいか。結婚のお祝いで貰ったお皿を割っちゃったんだとか、強面で腕っ節の強い硬派な旦那さまが実は犬が苦手で子犬すら怖がるから犬が飼えないのが不満だ、とか。可愛らしいってば。


 そんな中で私が役に立ったかな、と思えたのが日本での仕事に関係する事で。お肌や髪の手入れのちょっとしたコツなんかを教えたらあっという間に広まったのだ。


 この世界……かどうかはまだよく分からないが、ミーセリーの女性たち、肌用のお手入れに香油しかなかった。あの、オイルに花の香りとかついているアレ。質はいいし使うのは少量ずつだから長くもつのだが、いかんせんお高価たかい。実際はそこまでじゃないのだろうけど、食料品なんかの物価が安いからどうにも高く思える。気分で言ったら三万円の美容液並み。

 そんなものを普通の主婦や娘さんがホイホイ日常に使えるわけもなく、私ももちろん無理。アデレイド様はさすがにお持ちで、実は私も一本いただいてそれは大事に使っているのだけれども。村の女性たちは数人で購入して分けている。そうするとやっぱり使う量や頻度が下がるのよね。


 そんなわけでこちらに来て少し落ち着いた頃、私は自分のために化粧品を作った。

 日本にいた時のようなフルメイクはしないし、規則正しい生活で肌状態は良かったが、やはりちょっとした乾燥とかは気になったし何より長年の習慣だったから。


 カモミールはじめハーブはたくさんある。オリーブオイルもいいものが手に入る。なのでそれらを合わせて化粧水的なものを作ったのだ。手作り化粧品の知識はおばあちゃんのヘチマ水で止まっていて、グリセリンなどの薬品も手に入らないから自信なかったが、ハーブの質が良かったようだ。

 アルコールに漬け込んでエキスを抽出したものや、漢方薬のように煮出したものを綺麗な水で薄めて、肌状態に合わせてオイルを足してドレッシングのように毎度撹拌して使うという単純なもの。腐敗しないよう少しずつ作り、二、三日で使いきれるくらいの量で作り置きはしない。


 大したものではないからきっと誰かが既に作っていると思っていた。そうしたら意外にも化粧水というものはなかったよう。香油の完成度が高いので他には意識が向かなかったのかな、と思う。これをつけた後に香油を伸ばせば、量は少なくて済むし効果も高い。


 興味深そうに見ていたアデレイド様に試したらこれがまた効果覿面。もとから綺麗だったけれど、さすがに畑仕事やなんかで外にいるのが多いからそれなりに痛んでいた肌がまあ、キメが整ってつるつるのツヤツヤに。婦人会でもすぐ気付かれて話題になって、私が初めて参加した時は化粧の講習会になった。

 聞かれるままに化粧水の作り方や、肌や髪の毛のお手入れ方法なんかを伝えたわけだが、それが良かったらしい。

 おかげであっという間に村の女性に受け入れられて、さらに相談される立場になってしまったのだった。


 実際、私が来た頃よりもこの村の女性たちの肌は綺麗になった。時々、旦那さまの方からお礼を言われたりもする。スベスベで触り心地が良いのですって。……ふっ、仲良くていいわね。


「マーガレット、いるー?」


 診察待ちの間、髪の毛のお手入れについて相談に乗っていたら診療所の玄関からターニャさんが顔を出した。


「ああ、いたいた。この前はありがとうね、おかげでジョンも元気になったよ」

「あらターニャ、具合はどう?」

「つわりだと分かったら気が楽になったよ。今日は少し動きたい気分でね」


 そう言いながらジョン君を抱いて待合室に入ってきた。二人とも元気になったのなら良かった。

 ターニャさんに小さい紙袋を渡される。というか、紙袋を持ったジョン君を渡された。


「これ、この間のお礼ね。よかったら食べて」


 わあ、何かな。大したことはしていないけれども、ありがたくいただいちゃうよ。ジョン君から紙袋を受け取って膝の上に座り直させたら、またも両手を伸ばしておでこをくっつけたがった。


「ああ、マーガレット、この前そうして遊んでくれてた? すごく気に入ったみたいでずっとするんだよ。それにね、少しだけど喋るようになったんだ!」

「ゅんおー」


 おおっ、かわいい声。話したての子どもの声って舌ったらずでいいわあ。歳の割に言葉の遅かったジョン君、そうか、お喋りするようになったのね。言葉の出が遅い子は、ずっと言葉を内に溜めているから急に二語文や三語文で話し出すこともあるって聞く。ふふ、これからどんどんお喋りになるね。ママたち待ってたよ。

 お顔を覗くと小さい手で私の頬ををぶにゅっと挟まれて、おでこをこっつんこ……ん?


「まー、おっちゅんおー」

「『ママ、こっつんこ』って言ってる?」

「たぶんね。そう言っておでこくっつけるのがお気に入りみたいなんだ」


 ターニャさんも、さっきまで髪の毛の話をしていたレイさんもにこにこ。ジョン君もにこにこ。私は一人で大パニック中……だって、だって、ジョン君それって。


 ……この前ずっと回ってたあの歌の、蟻さんが、おつかいで、「おっ、ゆんおー」


「なんか歌ってるみたいじゃない?」

「ダンが実は歌上手いからね。似たのかも」


 ラーシシラー、の音階は紛れもなく、あの童謡。


 えええええ!?





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
マシュマロ

↑ご感想はマシュマロでどうぞ!↑
(お返事はX (Twitter)上になります)

全3巻発売中です。
書籍は書き下ろしエピソードも!
イラスト:村上ゆいち先生
森ジャム書影 森ジャムコミカライズ③書影
コミックス全3巻(漫画:拓平先生)
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ