21 マーガレット・マリールイズ
昼食後間も無く、予定通りウォルター様は帰宅された……御令嬢とご一緒に。
アデレイド様の屋敷の場所を確認しに村長さんの家に寄ったお嬢様達を、ちょうど居合わせたウォルター様が案内をする形になったそうだ。
相変わらず台所にいた私は慌ててエプロンを外して玄関ホールへ急ぐと、そこには侍女さんを伴ったお嬢様がいらっしゃった。
うわあ……なにこのビスクドール。青みの強い白い肌、美人としか言いようのない左右対称の顔には控えめにして上品なメイク、ドレスは旅行着なのだろう形は簡易ではあるけれども生地の良さは隠しようもなく。ゴージャスな金髪は服に合わせてシンプルに軽くまとめて、何よりその長い睫毛に囲まれた薄紫の瞳が! これはハリウッドにも居ない。宮廷で隠されるタイプの本物だわ。
あ、目があった。わあ、にっこりって……ひゃあ、動いたあっ。
「はじめまして『精霊の招き人』マーガレット様、アデレイド・ダスティン様。お会いできてとても嬉しゅうございます。わたくし、レイチェル・リンドグレンと申します。突然押しかけるような形になってしまいまして申し訳ございません。どうぞ、少しだけお時間をいただけたらと思いますわ」
鈴を転がすよう、ってこういう声なんだなあ。それに綺麗なお辞儀。侍女さんも後方で息を合わせて礼をする……パーフェクト、素晴らしい連携プレイ。いやあ、その細い腰でやんわり礼を取られるとなにやら同性なのにグッときますわ。ううん眼福以外の何物でもない。ああ、アンの世界のレイチェル・リンド夫人とは全く違ったわ。どうしようこのギャップ感。
付け焼き刃で申し訳なく思いながらも、アデレイド様に教えてもらった礼をとる。微笑んだままの瞳でそのままじっと見つめられるから同じようににっこり笑顔で返したら、白い頬がちょっと赤くなって目線が泳いだ。えええ、可愛い。
「まあ、そう固くならずに。母上、居間でよろしいでしょうか。マーガレットもあの魔導具を持っておいで」
ウォルター様に言われて、一度台所に戻る。私のお客様だから早く行っておあげなさいとアデレイド様がお茶の支度と馭者さんの案内を買って出てくださったので、甘えて魔導具片手に居間へ向かった。
本当は対面に座るのがいいのだろうけれども、私と会話するには手のひらか魔導具が必要になるので失礼してソファーの隣に腰掛ける。それは知っていたようで最初から場所が空けられていたし、気を悪くする様子もなくて少し安心した。まあ、アデレイド様やウォルター様が平気って言ってくれてたからあまりその辺は心配していなかったけど、一応ね。
こんなに綺麗な人だと自分と比べるのも馬鹿らしくなる。美術品の女神像の隣にコケシでも座ってると思えばいいでしょう。それにしても、近くで見てもいい肌。ついファンデーションの色番号が浮かぶのは、染み付いた職業病よね。
すぐ隣の私に体を斜めにして向かい合うと、お嬢様は綺羅きらしい笑顔を見せた。
「改めまして。わたくしのことはどうぞレイチェルとお呼びください。それと、向こうにいるのは侍女のマリールイズです。合わせて仲良くしていただけると嬉しいですわ」
やだこのお嬢様、すごくかわいい。上品で洗練された所作は間違いなく上流階級のそれがにじみ出ているのだけれども、嫌味が全く無い。侍女さんは私と同じ歳くらいかな、濃い茶色の髪をきっちりまとめて、真面目で面倒見の良い委員長タイプっていう感じ。頼りになりそう。
「本来であれば『招き人』様には最上級の礼を持ってお仕えするのですが、マーガレット様は儀礼的なものがお好きではないと伺いました。ご無礼でなければウォルター様やヒューと同じようにさせていただくことをお許しいただけないでしょうか?」
ん、なんでヒューさんが出てくるの? 疑問に思って魔導具に書けば、ああ、と横の一人掛けに座るウォルター様が教えてくれる。
「レイチェル様のお父上はヒューの後ろ盾をしているんだ。学園に入学した時からだからもう、随分になるな」
「あの人とはわたくしが子どもの頃からのお付き合いになりますのよ」
なるほど、それでこの人選になったのか、納得。それにヒューさんに慣れているのなら多少態度が砕けても大丈夫そう。
まずは何より私に対する「様」付けを止めてもらって、魔導具に返事を書いたり少し話をしているうちにアデレイド様がお茶を運んでくださった。侍女のマリールイズさんと二人でさあっと用意されたお茶は今日も安定の美味しさ。可愛らしいサイズの焼き菓子も添えられて心も口も軽くなり、気づけば随分気楽に話が弾んでいた。
アデレイド様が振ってくれる話題に助けられたし、なんといってもウォルター様がこんなに社交的に話すとは思わなかった。意外だわ。来た当初の仏頂面からは脱却したものの、未だに口数は少なかったから。なんだ、当たり障りのない社交辞令が多いとはいえ普通に会話できるじゃないか。
そして、今朝は随分早くに王都を出てきたと聞いて、そしてまだ一時間も経ってないのに今日中に戻るためにはそろそろお暇しなくては、と言われて驚いた。離れているとはいえ日帰りで買い物に行って帰ってこられる距離のはずなのに、そんなに時間かかったかなあ。その理由はマリールイズさんがポロッと教えてくれた。
「レイチェル様は馬車酔いが酷くて。速度を上げられないので普通の方より格段に時間がかかるのです」
「ひどいわ、マリールイズ。ゆっくりなら平気なのよ、今日だって大丈夫だったでしょう」
「まあ……でも、それでは体もお疲れでしょう。よかったらすぐ帰らずに今日は泊まっていかれたら? それで明日、余裕を持って出られた方が」
アデレイド様の申し出はもっともだ。私も子どもの頃は車酔いがひどかったから辛さは分かる。玄関での色の白さは酔ったのもあったのか、納得。とんぼ返りじゃあお嬢様の体だけでなく、馭者さんや馬だって大変だろう。顔を赤くして侍女に向かっていたレイチェル様は途端に慌てだした。
「え、あの、でも、ご迷惑では。突然お邪魔してさらに泊めていただくなんて」
「夜着の支度がなければ私のでよければお貸しするわ。何のおもてなしもできませんけれども、せっかくこうしてお越しいただいたのだからぜひ。無理をされて体調を悪くされたら大変ですわ」
「そうだな、それにマーガレットももう少し話したいだろう? 侯爵には今手紙を出せば夜には着くだろう」
そうね、それにウォルター様の言う通り、このお嬢様ともう少し話してみたいとも思った。ご令嬢なのに高飛車なところがなくて人懐っこくて話しやすくて楽しい。マリールイズさんとの関係も上下の礼儀はあるものの、心情的には侍女というより友達か姉妹っていう感じが伝わってくるし。なんか……いい子だなあって思う。
お嬢様は少し遠慮したものの、マリールイズさんにもその方がいいと勧められて結局一晩泊まることになったのだった。
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侯爵家の馬車は立派で乗り心地は快適だ。たとえ十時間続けて乗っても何の問題もないと、十人に聞けば十人がそう答えるであろう……例外は当家のお嬢様だ。
「ま、マリールイズ、もう少しゆっくりにしてちょうだい……」
「かしこまりましたわ、レイチェル様。もうすぐで最後の休憩になりますよ」
「ええ、お願いね……」
しっかりと中身が詰まってちょっとしたソファーよりもよほど座り心地がいいはずの座席にぐったりと突っ伏しているのはリンドグレン侯爵家一の姫、レイチェル様。
殊更に快適を求めたこの馬車は、元をただせば馬車酔いの酷いレイチェル様のためにあれこれと工夫と改良を施されたものだ。残念ながらあまり役立ってはいないが、父君でいらっしゃる侯爵様と無理難題を押し付けられた工房の涙ぐましい努力は賞賛に値する。
そして誰よりもこの馬車酔いを身をもって知っていらっしゃるのに、ミーセリーへの日帰り強行軍を押し切ったレイチェル様ご自身も、その心意気だけは褒めて差し上げたい。こうなることはわかっていたけれども、目の前で辛そうにするお嬢様を見れば「ほら御覧なさい」と言いたくなる嫌味も引っ込むところ、私も大概甘いのだろう。
十四の歳から侯爵家にメイドとして仕えて同じだけの年月が過ぎた。お嬢様の専属侍女となって十年になる。主として仰ぎ、また時には妹のようにも思えるお嬢様の幸せが第一だと言い切るくらいの忠誠心は持ち合わせている。
村に入る直前で最後の休憩を取る。馬車を降りて風に吹かれれば顔色の悪さも少しは戻られた。この後、ダスティン邸の場所を確認しようと寄った村長宅で、図らずもそのウォルター・ダスティン伯爵本人とお会いしてまた顔色が忙しく変わるのだが。
ダスティン伯爵と同乗になり、到着までの短い時間はさっきまでのぐったり加減は何処へやら。久しぶりにお嬢様の本気の猫を見せていただいた。
『精霊の招き人』の話し相手候補としてミーセリーに赴く……長年の片恋相手であるダスティン伯爵と『招き人』の女性の間を懸念したお嬢様が、父君と王宮に話をつけるのは速かった。
王都でも指折りの佳人として名高く身分もやんごとなきお嬢様が、適齢期ギリギリの今でも独身でいらっしゃるのは、ただひたすらに子どもの頃からの初恋を拗らせているからだ。そして、結婚などせず家にいればいいという親馬鹿…いや、溺愛されている御両親と兄君のおかげでもある。
お二人の年齢差とダスティン伯爵の結婚で一度は諦めた恋は、彼の人の離婚という形で再燃した。それからというもの、お近くでずっとお嬢様の恋の行方を見守らせていただいているが、まるで呪いにでもかかったかのように進展がない。
まあ、向こうにしたら仕事の関係先の上司の娘という認識しか持っていないのだからさもありなん。そして伯爵の前へ出ると、ただただおとなしい娘になってしまうお嬢様。
このまま永遠に続くかと思われた関係は、果たして動きを見せるのか。今頃侯爵邸のキッチンあたりでは行く先を占って盛り上がっていることだろう。
子どもっぽいところはあれど、普段は無茶なことは言わないお嬢様の滅多にない我儘に付き合わされた形だが、実際行動に出るとは思っていなかったので正直驚いている。そして王宮の方々でさえまだお会いしたことのない『招き人』にお会いできるのを内心楽しみにもしてしまっている。
村の中心部からしばし行った村はずれ。背後に森を抱き豊かな緑に囲まれた、質素堅牢の住みやすそうな古く広い邸宅が目的地だった。
玄関ホールで訪いを告げると、奥から現れた女性が二人。初老の品のある女性はダスティン伯爵のお母上のアデレイド様。噂通り昔風の服装だが、違和感もなくよく似合っていらっしゃる。無理に若作りをしてゴテゴテと飾り立てる王都の奥様連中に比べてかえって素敵だと思う。
その後ろから少しだけ片足をかばうようにしてゆっくりと現れたのが……『精霊の招き人』マーガレット様。ほっそりとした身体、肩を過ぎるくらいの艶やかな髪、神秘的なオッドアイ。黒髪の陰で揺れる柔らかな白色の真珠のピアスがとてもよく似合っていて印象的だった。
ダスティン伯爵と一緒に来るとは思わなかったのだろう、私たちを見ると軽く目を見張り驚いたようだった。ヒューが言った通り作法にのっとった美しいお辞儀をされ、にこりとされるその笑顔に惹きつけられた。
決して不細工ではないが素晴らしい美人というわけでもなく、どちらというと「それなりに綺麗だが地味」という感じのお顔立ちなのにその笑顔はとても魅力的で……裏がないというか、警戒心を抱かせないというか、もっと仲良くなりたいというか。
ヒューが可愛らしい人、と言った気持ちが分かった。何とも言えない不思議に心地よい雰囲気をお持ちだった。
この後、お嬢様の体調を心配してくださったダスティン家の皆さまに引き止められ一泊することになるのだが、それは驚きに満ちた一日になるのだった。




