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18 ヒュー

「ヒュー! ヒュー・タウンゼント、いいところで会ったわ!」

「……これはこれは。麗しの侯爵御令嬢、本日もお美しくていらっしゃいますね。まるで朝露の輝く薔薇のよ「はいはい、もういいわ」


 被された。せっかく褒めたのに。

 魔術院筆頭じょうしに朝イチで呼び出された後、王宮に報告書を提出して自分の研究室に戻ろうとしたところだった。

 豪奢な金の巻き髪を完璧に結い上げて、一流のお針子の手による隙の無いドレスに身を包んだ、まごうことなきご令嬢が侍女とともに王宮の回廊を行くところに行き会ってしまった。


「社交辞令は分かったから。いつもみたいにレイチェルでいいわ。ねえ、話を聞かせてちょうだい。会ってきたんでしょう『精霊の招き人』に」


 屈託の無い表情で薄紫の瞳を輝かせるご令嬢。旧知の仲とはいえ一応まだここ王宮内なんだけれども。


「……レイチェル様、御前にご用ではなかったのですか?」

「お父様にちょっとね。でもいいの、そんなことよりミーセリーでの話の方が重要よ」

「今、王宮に報告書を出したばかりのところなんです。『招き人』は重要人物ですからね、レイチェル様だけに抜け駆けてお話しするわけにはいきません」

「そんなあ……」


 両手までもだらりと下げてあからさまにがっかりするご令嬢……これで社交の場に出れば “金薔薇のレディ” と異名をとる完璧な立ち居振る舞いが出来るところが、さすが高位貴族の一の姫だ。詐欺だなんてちっとも思ってナイヨー。


「じゃ、じゃあ……ウォルター様はいかがお過ごしかしら、向こうで……?」


 気を取り直して上げた顔は傍目にも上気している。胸の前でもちゃもちゃと組む指先も、何もかもがとても分かりやすい。ウォルター本人にだけは何故か伝わらないってのがまた、鉄板だねえ。


「久しぶりの親子の再会と聞きましたが、まあ概ねよかったんじゃ無いでしょうか。『招き人』のマーガレットとも仲良くしているみたいですし」

「ま、マーガレットさんと仰るのね、どどどどんな方?」


 どもりすぎじゃないか。侍女が諦めた顔で見てるよ。


「どんなって……そうですねぇ、可愛い子でし「ヒュー・タウンゼント。貴方の研究室でお茶にしましょう、そうしましょう。さ、行くわよ」


 おう、俺に拒否権はないわけね。まあ、平民の魔術院職員は貴族さまの命に従うしかないのだが。たとえレイチェル嬢の父君が僕の後ろ盾をしているのだとしても、そこは諦めるしかない。いや、だからこそか。

 お嬢様に先導されて侍女にがっちり腕を取られた状態で、引きずられるように魔術院へ向かうのだった。





 たいした茶葉があるわけでもないが、さすが高位貴族の専属侍女の手にかかれば一味も二味も違うものだ。淹れ方の方が大事ってアデレイド様も言っていたなあ……飯、美味かったなあ。なんでただのサラダでさえあんなに美味かったんだろう、普段は生野菜なんて好きでもないのに。


「ちょっと、ヒュー。随分だらしのない顔して、何考えているの」

「いやあ、ミーセリーの食事はどれも美味しかったなぁと」

「なるほど、胃袋を掴まれてきたわけね。どうしましょうマリールイズ、私もやっぱり料理を習うべきよね!」

「お嬢様、お静まりなさいまし。キッチンに混乱をもたらすような真似はくれぐれもお控えくださいませ」


 これってやっぱり話を聞くまでは帰らないよねー。まあ、魔力関係の内容でなければ特に守秘義務はないけれど。それにしても、この狭くて物が積み上がった研究室にご令嬢って、実に似合わない取り合わせだなあ。

 ぼんやり思っていると、この部屋で唯一のソファーに腰掛けたお嬢様がまじまじとこちらを見つめていた。


「ヒュー、貴方。なんだか感じが変わったわね」

「……そうですか?」

「ええ、憑き物が落ちた感じ。前よりいいわ」


 ……随分と穿ってくる。さすがあの侯爵の姫君だ。レイチェル様はそれだけ言うと気が済んだように上品に茶器を口元へ運んだ。


 同じことを両親にも言われた。ミーセリーに行くのを一番心配し、戻ってきた僕を見て一番喜んだのも両親だった。

 僕の魔力で随分と迷惑をかけたろうに、一言も愚痴を言わない……それがまた後ろめたさを引き起こすのだが、今ならそれも贅沢な悩みだったと言えるだろう。


 本当に。今この時に『招き人』が現れたのがミーセリーでよかった。『招き人』がマーガレットでよかった。精霊はこの世界を整える存在、招き人はその補助だという。世界とはいかなくとも、少なくとも彼女の出現は確かに僕を救う鍵となった。


 意識を戻せば、目の前のご令嬢は膝の上に置いたソーサーにカップを音もなく戻すところだった。


「話せる範囲でいいわ。教えてちょうだい、どんな方なの?」

「そうですねえ……黒髪が綺麗ですね。こちらの世界に直すと年齢は二十六歳で料理が上手。時々レイノルズ医師の診療所で乳母をやってますが、子どもにも好かれてましたよ」

「二十六…… 私の四つ上……ウォルター様とも釣り合うわ……料理に乳母…家庭的で女性らしいのね」

「落ち着きはありますが、可愛らしいところのある女性だと」


 おっと、そんなに悲壮な顔をしないでくれるかなあ。僕が悪いわけじゃないのに、マリールイズがめっちゃ睨んできて怖いんだけどっ。


「……ねえ。単刀直入に聞くわ。ウォルター様との関係はいかがでしたの?」

「マーガレットは人見知りをするタイプではないですね。ウォルターも随分と気を許していたように感じました」

「ウォルター様が!?」

「ええ、庭仕事を手伝ったりもしてましたね」

「ダスティン伯爵が女性の手伝いを…!?」


 そこ、侍女もそんなに驚かない、気持ちは分かるけれど。


「ね、ねえ、マーガレットさんはウォルター様を怖がったりはしなかったの? ほら、あの方、体が大きいし、お顔も少し厳しいでしょう……そこも素敵なんだけれど」


 きゃっとか言っちゃってるけど、すっごい色眼鏡だね! あの強面を『少し厳しい』で済ますなんて恋する乙女フィルター、すごいわ。彼に睨まれると新人なんか一発だよ、ほんと。あれ、そう考えるとマーガレットの対人スキル高いな。異世界の売り子ってそうなの、どんだけ鍛えられてるの? もしや鈍……いやいや。


「そういえば特に気にしていなかったようですねえ。初対面から普通に挨拶していましたし」

「……初対面から、普通に?」

「ええ、ごく普通に。そうそう、随分と綺麗な礼をしましたね」


 “がーん” って背景に書いていい? レイチェル様……侍女に口閉じられるお嬢様ってあんま居ないよ。あ、カップはテーブルに戻したほうがいいね、落とすと危ないよ。


「……マーガレットさんには、元いた世界に夫や恋人とかは……」

「しばらく前に別れて今はフリーだと」

「……ミーセリーに恋人は……?」


 若先生どうしたかなー。ふられてたら次会った時に慰めてやろう……お似合いだと思うけど、あの二人。でも決めるのはマーガレットだしな。


「さあ。一番近い位置にいるのはバディじゃないかと」

「バディ?」

「アデレイド様の飼い犬ですよ」


 涙目で睨まれた。本当だってば、すっごい仲良いよ。


「……わかったわ。行くわ」

「えっ?」

「行って一目お会いすることができれば分かると思うの。ミーセリーに行くわっ。さあ、マリールイズ、戻るわよ。すぐにお父様に連絡を」

「え、お、お嬢様!?」


 うわ、目が怖い。え、本気? いや駄目でしょう。マリールイズ、もっと引き止めて! いや立ち上がっちゃったよ、ああそこに積んでるの倒さないでね一応順番になってるんだし、っていうか、


「レイチェル様、先ほども申し上げましたが『精霊の招き人』は大陸全体にとって重要人物です。たとえ侯爵令嬢といえども一貴族が勝手に面会に押しかけるなど、決して許される行為では無いのですよ」


 言い終わるや否や、どこからともなく出した素晴らしい細工の扇が胸の前にビシィッと突きつけられた。


「ヒッ!?」

「……ヒュー・タウンゼント。貴方は誰に向かって話をしているか理解しているの。私がその程度の認識も出来ぬ愚か者と?」


 艶然と構えるレイチェル様はそのままふわりと笑むとともに扇を広げ、お綺麗な顔を半分ほど優雅に隠す……怖えっ! 何この迫力っ、お嬢様が女王様にっ。その堂に入った扇捌きが怖っ!


「ふふ、決して押しかけたりなど。ウォルター様の滞在はあと数日でしたわよね……お迎えに上がります。ミーセリーの『招き人』の元へではなく、御母堂様にお会いになっていらっしゃるウォルター様の元へ、お帰りの馬車をお運びするだけですわ」

「レイチェル様、それすっごく貴族的な言い訳ですよ。ウォルターに通用すると思いますか?」


 その一言で先ほどまでの女王様は何処へやら。途端に普段の顔になるお嬢さま……大丈夫? 今日はテンションの上下が忙しいね。これも乙女心なんだろうか。


「……だ、だってぇっ、心配なんですものっ!! あんな素敵な方、誰だって好きにならずにいられませんわっ! そ、そんな、ウォルター様ぁ……」


 ああ、僕しばらく留守にしてたし床汚れてるよ。膝ついて蹲らないほうがいいと思うけど。あ、マリールイズ、そうだね早めに引き上げてやって、ドレスが大変だよ。


 このお嬢様はもう十年以上の付き合いになるけど、こういうところはちっとも変わらない。高度な令嬢教育を叩き込まれていてそれに見合う行動もできるのに、身内の前では子どもっぽさ全開で。まあ、そんなところが旦那様から溺愛される要因なんだろう、すっかり適齢期なのにぜーんぶふるい落としちゃって見合いの見の字もないんだよな。大粒の涙を零す薄紫の瞳はきらきらと光っている。


「相変わらず泣き虫ですねえ。金薔薇のレディの名が台無しですよ」

「そ、そんな名前いらないわよっ、それよりウォルター様に釣り合う女性にな、りたいのに、ふ、ぐすん、うぅ…」


 いや、お嬢様、貴女十分ハイスペックですよ? ウォルターが朴念仁なだけで。やっぱり別れた奥さんが後を引いてるんだろうなあ……あの二人が結婚するって知った時、凄く驚いた。多分、断るの面倒になったんだろうな、ウォルター。不憫っちゃあ不憫、どちらにとってもね。


「仕方ないですねえ……そんな泣き虫お嬢様に朗報です。僕は先ほど提出した報告書で、二、三提案をしてきました。そのうちの一つを特別にお教えしましょう」

「な、何よ」


 偶然だけど。まあ、レイチェル様ならきっとマーガレットもいいんじゃないかな。なんかこの二人は合いそうな気がする。外見や地位なんかで決めつけない人たちだから。


「村にはね、マーガレットと同年代の独身女性が殆どいないんだ。元々若い人はそう多くないし、みんな結婚してるか、独身の娘は十歳以上年下ばかりで。そのうち王都にも来るだろうし、こちらにも詳しい歳の近い話し相手がいたらいいんじゃないかと」

「ヒュー、それって……」

「今の時点で立候補して侯爵様にまわしてもらえば、高確率で会いに行けるんじゃないですか?」


 あっという間に立ち直ったレイチェル様の目は、別の意味で輝いていた。ああ、これ当確だわ。


「任せて。そのお役目、必ずや掴み取って明日にでも出発するわ! 行くわよマリールイズ!」


 いや、さすがに今日の明日は無理でしょう。調整もあるし、せいぜい早くて来週くらいじゃない? とか思った僕は、レイチェル様の行動力と交渉力を見くびっていた。


 颯爽と研究室を後にしたお嬢様はその言葉通り、翌日の朝日とともにミーセリーに向かって出発したのだった。







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