14 マーガレット・アデレイド
診療所へ戻るマークにバスケットを手渡す。中身は一晩寝かせたラタトゥイユとプレーンなプチパン、それにジューシーお肉のサンドイッチ。昨日のステーキと同じお肉で作っておいたローストビーフ風なのを薄切りにして挟んだのだ。大きさも中身もボリュームばっちり。
マークとヒューさんはここで朝ごはんしてもらっちゃったけど、ダニエル先生はまだだろうし何ならお昼にでも食べてと、持って帰ってもらうことにした。
私とアデレイド様が台所で籠に詰めている間に、何やら男三人は話し込んでいた……仲良いな。年齢もタイプも違うけど、みんな優秀だそうだから話が合うんだろうな。
そういや元彼経由で知り合った子で、出来が良すぎて小中高の頃は同級生と話が合わず辛かったって言ってた人がいた。大学に入って教授や先輩と出会ってようやく自分の好きなように話ができるって、すごく嬉しそうにしていた。ここ「先輩」ポイントね、大学生になっても同級生じゃまだ無理だったのよ。先輩っていったって学部生ではなく院生より上って所が泣けるわ。
「好きなことの話が出来るって、会話が続くって楽しいんだね」
僕初めて知ったよと言って、キラキラした目で熱力学の専門書を読む人だった……今は確かアメリカかどこかの大学で研究職に就いていたはず。元気だろうか。レベルが違いすぎるというのも大変なんだな、としみじみ思ったものだ。
私の場合は頭の出来の問題ではないが、親友と呼べる友達はいなかった。
小学校の友達は中学で学区が別れてからは当然のように疎遠になり。中学生で慣れない家事を一手に引き受ける立場になった私には他に気を回す余裕がなく、部活も入らずまっすぐ帰宅部だったので当然ながら学校の友達とは学校以外での交流がほとんど持てなかった。
学校では仲良くしてたし、休み時間や給食を一緒にとる子たちはもちろんいた。田舎のせいかのんびりした子が多くて、虐められたりとかはなかったけれども、放課後や休日に強引に誘ってくるような子もいなかったから、中学も高校も卒業後にも会うような関係の子は一人もいないままだった。
そこまで遠く離れていたわけでもなかったのに成人式に出なかったのは、会いたい人も思い浮かばなかったから。短大は授業も課題も忙しく、合間にファミレスでアルバイトをするので精一杯。仲良くなった子は一般会社勤めで販売の私とは時間が合わずにいるうちに、越境で転勤させられた。
先輩後輩の間柄は人に恵まれて人間関係に悩むことは大してなかったし、休みが合えばお茶したり買い物したりする気の合う職場仲間もいたけれど、気づけば普通の友達、特に親友と呼べる人がいなかった……もしや私けっこう寂しい人? 接客の仕事で人と関わってなかったら、ぼっち決定だわ。
ヒューさんにからかわれてむすっとするウォルター様や、合いの手を挟むマークは昨日の今日のはずなのに気が置けない風で、何だかすごくうらやましい。
村の女性たちとも交流はあるし、仲良くしてもらってはいるけれど『招き人』っていう私の特殊な立場を知らない人はいないから、どうしてもそれを踏まえたお付き合いになる。
アデレイド様やダニエル先生は私のことを『招き人』じゃなく、『マーガレット個人』として見てくれているような気がする。だから余計に大好きって思うんだろうなあ。
昨日来た二人はまだよくわからないけど、マークも……多分あんまり『招き人』を意識していないように思う。最初の頃にあった薄い壁のようなものも最近は感じないし。というか、頭撫でてくるようになってから、やたら距離が近いのですが。そっち系の人でなかったのでしょうか。
明日は保母さんの日なのでまた診療所で会うことを約束して見送る。また撫でられて少し乱れた髪を直しながら台所に戻ると、アデレイド様が香草茶を淹れてくれた。
「今日は婦人会の集まりがあるから昼前から出かけてくるわ。マーガレットの欠席は伝えてあるから家の方を頼むわね」
「おや、お出かけですか」
「ええ。通常通りの生活を、とのことでしたので予定は変えませんでしたのよ。マーガレットはおいて行きますけどね」
そう。ウォルター様とヒューさんがミーセリーに来られたのは私へのインタビューだけでなく、住む村の様子や生活環境その他を確認するためなのだ。だから、なるべく普段通りに生活していてほしいと事前に言われていたのだった。
婦人会の集まりでは、村の成人女性が月に二、三回集会所に集まって縫い物や編み物をしたり保存食を皆で作ったりしている。
昼食を持ち寄り、この日ばかりは家業から解放されて生き生きと、そう、それは生き生きとお喋りに花を咲かせてスッキリして帰宅をするという、いわゆるママさんランチ会。
違うのはお喋りをしながらも決して休まない手元からは、ハンカチの縁取りや刺繍だったら二、三枚、セーターだったら模様編みを入れても前身頃くらいは余裕で出来上がってしまうことかな。村の女性の手仕事スキル、半端ない。村で使う大物を共同で作ることもあるそう。
持ち寄った昼食から新しいレシピが広まったり、いち早く王都の流行を教えてくれる情報通な人もいたりするので、娯楽の少ないこの地では心待ちにされる日なのだ。
私も歩けるようになって最初に顔を出したのは村長さんのお宅ではなく、婦人会の集まりだった……こう言えば、このコミュニティでどれだけ重要視されているかわかるでしょうかね。女性の集団は決して敵に回してはいけないのですよ。そのかわり、ものすっっっごく頼りになることも確か。
ミーセリーの女性たちはさっぱりとして穏やかな人が多いので、大したトラブルもなく大人な交流が可能なのは非常にありがたい。
いつもなら私も一緒に行くのだけど、そうするとこの数日は基本的に同行の義務がある調査員のウォルター様とヒューさんもついてきてしまうことになってしまう。
婦人会の集まりは男子禁制が鉄則。奥様方は王都のイケメン二人を間近で愛でる機会が一つ失われてあら残念ね〜と言いつつも、掟破りの例外を認めませんでした。さすがです。
そんなわけでしょんぼりお留守番……今日は鍛冶屋のターニャさんが新作パイを披露するっていうから楽しみにしてたのに。アデレイド様が一切れ貰ってきてあげるわ、と言ってくださらなかったら、男二人を鶏小屋に閉じ込めてこっそり抜け出していたろうと思われます。
ターニャさんのパイ、美味しいのですもの。あの、サックサクのクラスト! なのにフィリングはどこまでもジューシイで! ああ、よだれが。
掃除や洗濯をして、昼食のバスケットと裁縫道具を持って出るアデレイド様を見送るとこちらもそろそろお昼の支度。とは言ってもメニューはマークに持たせたのと同じだから、ラタトゥイユを温めて、プチパンは半分に切ってガーリックバターをぬって軽くトーストしただけ。ううん、食欲をそそるいい匂い。
世界は違えど皆が気になる食後のニンニクの匂いは、サラダにたっぷり入れたパセリが消してくれる。チーズやリンゴを食べるといいとか、緑茶が効くとか聞いたけど、ここではパセリがメジャー。
元の世界のと少し違い苦味が少なくて香りが高く、とても食べやすいこちらのパセリは私の好物の一つ。裏の畑の一角にちんまり数本だけ植わっているけれど繁殖力が強くて、ちぎっては食べちぎっては食べとしてても、気づけばいつもふさふさと色濃い緑が茂っている。こんなの日本にあったらアパートのベランダにプランター置いて育ててたわ。
「ああ、なんかたまんない匂いがする〜。もう、こんなに動いたの久しぶりでお腹空いたよぅ」
「……美味そうだな」
ほら、美味しそうな匂いにつられてフラフラと腹ペコさんがやってきましたよ。本来ならば彼らは見てるだけでいいのに、午前中いっぱい私の掃除やなんかに付き合ってたくさん手伝ってくれました、ありがとうございます。おかげさまで階段の手すりや、普段届かない飾り棚の上までピカピカツヤツヤに輝いております。
すごいですね、魔法ってお掃除に大活躍なんですね。感謝を込めてサンドイッチのローストビーフを増量しておきました。
さて、そんなわけで、匂いを気にせず昼からがっつりいただきましょうか。
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『おはよう、ウォルター。もう少し休んでいていいのに』
八年も会わないでいた息子に、そんな風に普通に声をかけることができるなんて。思えば王都の屋敷にいても最後の方は必要最小限の挨拶くらいで、名前を呼ぶことも減っていた。
仕事が忙しく帰宅しないことも多い息子に、社交にだけは熱心な嫁。嫁いで何十年と経つのに、礼は尽くすが打ち解けられない執事や家政婦。
息子夫婦が結婚して同居を始めて一年目、自分の中で勝手に決めたその日を限りにミーセリーに退くことを告げた。
「……どうせもう、母上の中では決定事項なんでしょう。お好きになさってください。財産などの事務手続きはこちらで済ませますから」
夫と同じ顔で同じようなことを言う。
確かに自分が腹を痛めて産んだのに、息子の養育に関わることができたのは小さい頃のほんの僅かな間だけだった。私が息子を抱いたり、撫でたり、お茶を淹れて飲ませたりするのが「甘やかして駄目にする」と義母に断じられたのだった。
言葉を尽くしても心を尽くしても、決して伝わることはない。彼らの流儀に馴染もうとしてもあからさまに拒絶される。まるで言葉が通じない異国で一人で暮らしているようだった。
顔も行動もどんどん夫に似ていく息子の成長を、遠くから垣間見ることしか許されないただ空しい日々。夫との間も言わずもがなで、それでも離婚も別居もしなかったのは両家の契約と、私の意地だった。
そして隠居の場所を故郷でなくミーセリーにしたのも、私の意地だった……幸せだった時代を思い出すところには帰りたくなかった。故郷で平穏に暮らす大事な人たちを見て、羨み憎むようになるかもしれないのが怖かった。
あんなに偏った考えと人間関係の中で育ったのに、去ろうとする私に罵倒の一つもしなかった息子は本来優しい子だったのだろう。もっと違う育て方ができていたら、きっとこの子自身も温かい家庭を築けただろうに、と自分の力のなさがほとほと情けなく、申し訳なかった。
私が王都を去り、村の暮らしにも十分馴染んだ頃。ダニエルが惜しまれて王宮を離れ、ミーセリーに診療所を構えた。この人も、私と私の実家に振り回された被害者なのにいつも陰に日向に支えてくれた。私は何も返してあげられないのに、その彼がこれからも同じ地に住むという……もう、それで十分だった。
「アデレイドさん、息子さん大きいのねえ。旦那さん似なのね」
「どう、うまくやってる?」
「ヒューは痩せっぽちだったのに随分背が伸びたのね」
ねえねえ、息子さんにうちの姪っ子とかどうかしら? なんて、他愛もないお喋りを凪いだ心で受けとめられる。
会わなかった年月がそうさせたのか、それとも同行の彼やマーガレットに毒気を抜かれたのか。相変わらず強面で表情に乏しい息子だが、何となく雰囲気が和らいでいるようで驚いた。
あの頃はこんなに当たり前のように接することができるようになるなんて思いもしなかった。
『美味しいものたくさん食べさせて、いっぱい歓迎してあげましょう』
それで駄目なら特製クッキーをご馳走する、と明るく宣言したマーガレットにどれだけ救われたか。この子は本当に、私の人生の最期にこんなにもあたたかい光を連れて来てくれる。
『ケンカも仲直りも、生きているうちですよね』
早くに両親を亡くしたという彼女は、遠くを見るような目をしていた。
息子の滞在する一週間はきっとこの十年に匹敵するだろうと強く思いつつ、あの子の好物はあとは何だったかと遠い記憶を手繰り寄せながら刺繍針を動かし続けるのだった。




