9 マーガレット
診療所の保母さんや、屋敷の草むしりなんかをしているうちに恙無く月は変わり、日も長くなってきた。裏庭の脇に植えてあるブルーベリーは日当たりがいいのか土がいいのか、村のどの樹よりも早く実をつけ始めている。
早生のトマトやズッキーニなどのいわゆる夏野菜の良さそうなのを籠に採り、今夜のメニューに思いを馳せる……カポナータ、ラタトゥイユ、いっそパスタ……アデレイド様は何にしようって言うかな。
いよいよ今日、王都からお客さんがやって来るのだ。というより、村にはもうそろそろ到着している頃のはず。
実はこのミーセリーという村は、アデレイド様のお家、ダスティン伯爵家の領地なのだそうだ。よく考えればそれはそう、貴族って要は領主様だものね。日本で言ったら藩主よね。お殿様の知り合いはいなかったからうっかりしていたわ。
それで、アデレイド様の旦那様が亡くなった後は息子のウォルター様が爵位を継いで、彼が領主だという……一応「様」つけるわよ、いくら “悪い子” だって言っても。私だって社会人ですもの。礼儀と社交辞令はね、大事よね、ぷぷ。
ダスティン家は他にも領地があり、ここは規模も人口も小さい方なので普段は全面的に村長さんに任せているそう。で、久ぁしぶりに領主サマが来るってんで、先に村長さんと村のあれやこれやをやってから、アデレイド様の屋敷にいらっしゃる予定。お二人の到着は夕方前頃と聞いている。
『招き人』がメインじゃないんかい! ってツッコミは華麗にスルーさせていただく。だって、私には別に話すことなど……いや、なくはないけど。主にお金の件で。私は今、アデレイド様にご厄介になっているが生活費は国から出ているのだ。
どういうことかというと。村の主はダスティン伯爵だが、この屋敷と周辺の土地はアデレイド様個人の物。ついでに言うと、アデレイド様は伯爵家の予算ではなく、個人の信託財産で生活をしている。私はそこに転がり込んでしまったのだが『招き人』の生活支援も国の義務だそうで、私は国に面倒をみてもらっている。
つまり現在の私はこの国の税金と、アデレイド様によって養われている。
確かに、職も住処もなく飛ばされてきたからありがたいのだけど、ずっと社会人として働いていた身としては何かこう申し訳ない気持ちになる。年取ってからならともかく、まだ若いのに。早いとこ体治して、自立したいと思うわけです。
すっかり高くまで上がったお日様を麦藁帽子越しに見上げる……日に日に青さが増していく空。私が知っているのと同じ空の色。知っているのと同じ風。でも知らない場所。知らない空気。
日差しに夏が近いのを感じるけれど、吹く風は爽やかで心地よい。動かなければ薄手の長袖が丁度良いくらい。
空を仰いでいたら、知らぬ間に近くに来ていたバディにスカートを引っ張られた。さっきまで森の方に行っていたからか、背中と尻尾に妖精を乗せてきている……今日は多いな。ひぃ、ふう…七人。ああ、なに、頭をこてんってして、撫でて撫でてってしてる。ええい、可愛いぞっ。
いそいそと畑の畝から出て野菜の籠を下に置き、ワッシャワッシャと撫でまくる。今日の子たちはノリがいい、肩に乗ったり帽子のふちにぶら下がったり。あ、こらこら、服の中はダメ、ひゃ、くすぐったいってば、そこっ首、ちょ、バディ助けてっ帽子落ちた、ひゃあもう無理〜
「へえ、初めて見た。これが『妖精の卵』だね? って、ああ、行っちゃったぁ……ウォルターも見た?」
「……ああ」
誰。
誰って、この村で顔を知らない男二人って、今日のお客人以外にいないでしょう! ってか、早くない? 来るの夕方でしょ、今まだ昼過ぎだってば。で、なんでいきなり裏庭に現れるかなあ!? しかも背後に立つな! 私、今めっちゃ服が乱れてんですけど!?
「ああ、ごめんね『招き人』のお嬢さん、驚かせちゃったね。立てる?」
ええ、驚きましたとも何この赤毛ロン毛、もちろん遠慮せずに手を借りますよ、立たないと服も直せないしねっ。はい、ありがとう、笑ってないでちょっとあっち向いてて!
二人に指先で向こうを向いてもらうようお願いして服についた土を払って、妖精たちにくちゃくちゃにされた胸元を整える。髪は…もう仕方ない、バラけたハーフアップをささっと手櫛で整えてとりあえずひと息ついて、バディにもういいよって伝えてもらった。
「改めまして。魔術院のヒュー・タウンゼントです、お美しい『招き人』のお嬢さん。以後お見知り置きを」
わあ、チャラーい。優男風の赤毛の男性が腕を胸の前で曲げてわざとらしく綺麗な礼をした。魔術院ってことは魔法使いさんってことで、おきまりの黒いローブを肩からかけている。うん、分かりやすくていいわ。杖も持ってるのかな。
こちらはこちらで先ほどの痴態などなかったようにしれっとした笑顔で、アデレイド様に習ったお辞儀を返すとちょっとびっくりされた。お辞儀は上手いって褒められたのよ、スタイルは違えども伊達に百貨店で八年もペコペコしてないわ。
「君、色々と意外だなあ……ふふ、僕たち気が合いそうだね」
なんでだ。面白そうに笑う声に嫌味はなくて悪意は感じない、軽いけど。
「あ、ほら、ウォルターも挨拶しなよ」
「……ウォルター・ダスティンだ」
うわ、後ろにいたからよく顔が見えなかったけど、この人でっかいな! それでもって、やけに迫力あるな! え、この人がアデレイド様の息子さん……? えええ!?
おかしい、居間の暖炉の上にある昔の写真ではもう少しアデレイド様に似ていたんだけど。一歩近寄って見ても目の色の他に相似点が見当たらない。
少し癖のあるブルネットは柔らかそうなのに、薄い鳶色の眼のなんてキツイこと。そんなに睨まなくてもいいのに。そんなに私が不審か。とてもアデレイド様の優しい目と同じ色には思えない。
この威圧感にガタイの良さ。宰相補佐って聞いていなかったら絶対に軍人さんと間違えただろう。貴族服の上からでも筋肉しっかりついてそうなのが分かるってどういうことよ。マッチョというより……ゴツい。
ジロリと検分するように眺められてなんだかモヤっとしたので、念の入った営業スマイルで手を出すように頼んだ。訝しそうに出された手はやたら大きくて厚くて……これ剣ダコ? なんでペンだこじゃないの、ねえ、やっぱりこのヒト軍人でしょ。少なくとも文官の手ではないよ、宰相補佐って何やるの。戦うの?
つらつらと手のひらに書いたら返事の代わりにますます眉間に皺が刻まれたので、さらにイイ笑顔で返してあげた。ふふん、接客業舐めんなよ “困ったお客さま” 何年相手にしてきてると思ってるの。「いつでも何処でも誰にでも」鍛えた営業スマイルは健在です。
下に置いていた野菜と帽子を持って、さ、バディ。お家に帰ろう。
「え、何なに〜? お嬢さんなんだって?」
「……うるさい」
「また、もったいぶっちゃって。ねえ、お嬢さんなんて書いたの?」
ちょっとした確認よ。『クッキーはお好きですか?』ってね。
「お帰りなさい、マーガレット。いいのは出来ていたかしら?」
いつも通り台所の勝手口からノックを三回コココン、として入ると、こちらに背を向けてパン生地を捏ねていたアデレイド様は、顔を上げずに話しかけてくれる。
採った野菜を見せようと近づいて軽く頬にただいまのキスをすると、顔を上げてようやく来客に気付き目を丸くした。そうでしょうとも。
「……まあ…」
「こんなところから突然お邪魔する非礼をお許しください。魔術院のヒュー・タウンゼントです。しばらくお世話になります」
「アデレイド・ダスティンですわ。ようこそ……ウォルターも」
「ご無沙汰しております」
なんだそれ。抑揚のない一本調子の挨拶は私にした自己紹介の時よりもひどい。ヒューさんがやれやれ、ってして私のそばに立った。チャラいけど普通の感覚の人ね、こちらは…しかし近いな、肩がぶつかる距離で立たれると動きにくいのだが。
すこし離れて欲しくてヒューさんの顔を見上げれば、緑色の瞳が面白そうに笑んでこっちを見下ろしていた……あらやだ、本当にエメラルドみたいな瞳の色。へえ、初めて見たこんな綺麗なの。確か、かなり珍しいのよね、ブルーアイズより少ないって聞いた気がする。ここではどうか知らないけど。
「……お嬢さん、さすがにそんなに近くでまじまじと見つめられると照れるんだけど」
お、失礼しました。ついよく見たくって私の方がプライベートゾーン無視してたわ。何、人のことジロジロ見るのに、自分が見られるのは慣れてないのかしらこの人、顔赤いんだけど。
「ああ、視力があまり良くないんだっけか。どう、満足してもらえたかな?」
いや、綺麗だからもうちょっと見ていたかったわ……だから、どうして照れるの君は。慣れた風な軽口たたくくせにそんな簡単に耳まで赤くして、なんか言動がアンバランスな人だなあ。実は純なひと?
「ところで、こちらに来るのは夕方って伺ってたのだけど、何か問題でも…?」
「ああ、いえ、そうではなくて。やっぱり先にご挨拶だけでもと思ったんです。荷物を置かせていただいたら村長のところに行きますよ。なあ、ウォルター」
「……おまえが勝手に決めたんだろう。俺は知らん」
あ、今日一番の長さの返答いただきました。
とりあえず前庭に置いてきたという荷物を持ってきてもらい、二階にある客間に案内することにした。
「へえ、中はこうなってたんだ。古いけど綺麗にしてるね。手入れもしっかりされてるし住み心地が良さそうだ」
そういやこの村の出身でしたね、ヒューさんは。
「そう、それが俺が派遣された理由ね。十四の時に家族揃って王都に越したから、ええと、十五年ぶり? もっとかな。来る時にちらっと見たけど結構知ってる顔が残ってるもんだね」
まあ、田舎だしね、私の地元も同級生が結構残ってるわ。
「ウォルターは前回はいつ来たの、年末休暇くらい?」
「……いや。子どもの頃一、二度と、八年前に半日寄っただけだ」
あら、もったいない。裏の森とか子どもが遊ぶのに良さそうなのに。で、やっぱり来たことないんだ、アデレイド様一人ぼっちにさせてこの大っきな息子はまったくっ。
荷解きは自分で出来るから大丈夫と言われて、案内だけして台所に戻るとアデレイド様の横に立ち、一緒にパンを丸め始めた。
「あの子たち直接、裏庭に来たの?」
そう、湧いて出たかと思った。びっくりしましたよう。こくこくと頷いて答える。
「もう少し後だと思ったのだけど……でも、今か今かと構えて迎えるより、かえって良かったわ」
それはそうかも。一番緊張するであろう再会がいともあっさりで気が抜けたらしいアデレイド様からは、ここ数日感じていたナーバスな感じが消えていた。あとは、二人でしっかりお話しできるといいけど……。あの人のあの態度は私という異分子がいるからだと思いたい。
「あの子、無愛想でしょう。怖くはなかった?」
アデレイド様の問いかけを首を振って否定する。表情は強面で眉間のシワがデフォルトではあるけれど、悪意や害意は全く感じなかったから怖いとは思わなかった。っていうか、私、威嚇されてるのかと思ったらあれ通常モードなの? 訝しむ私にアデレイド様はにっこり笑った。
「…少し柔らかくなった感じがしたわ。貴女がいてくれたからかしらね、マーガレット?」
マジでか! あれで? ……ま、まあ、夜にはダニエル先生とマークも来てみんなで夕食にすることになってるから大丈夫でしょう。
丸め終わったパンに布をかけた時、それじゃ村まで行ってきますと二人は出て行った。