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第一話

 やや薄暗い北校舎の廊下を、脇目もふらずひた走る少女がいた。


 長い黒髪を高い位置で一つに結わえ、ほぼ校則通りの制服に身を包んでいる。

 随分と走ってきたようで、少女の頬は紅潮していたが、汗ばむ様子もなく息も上がっていなかった。

 その様子と、すらりとした引き締まった手足が、少女が普段から鍛えているらしいことをうかがわせる。


「! いた!」

 進路指導室がある角を曲がったところで、少女が急停止した。上履きがキュッと音をたてる。


「里見先輩! こんにちは!」

「え? ああ、こんにちは。ええと…坂梨さん?」


 里見先輩と呼ばれたのは、人の良さそうな顔の少年だった。

 整髪料を使っていなさそうなさらさらの髪に日に焼けていない色白の肌。容姿としては整っている方に入るとは思われるが、目立つ要素があまりない、ごく普通の少年。


 少年は少女の姿を認め少し困ったように首を傾げながら呼びかけた。


「あーっ! 惜しい! た・か・な・しです! 高梨めい!」

 名前を間違えられたというのに、少女はどこか嬉しそうに頭を抱えた。

 少年は恥ずかしそうに、申し訳なさそうに眉を下げた。


「ごめんね、なかなか覚えられなくって」

「いいえ! そんなところも好きですから! じゃあまた明日!」


 スカートを翻して、少女は駆けてきた廊下を再び駆け出した。


 振り返らない少女が、残された少年の瞳に浮かぶ色に気づくわけもなかった。





「ふっふー。あと一歩かなぁ」

「高梨と坂梨じゃあ一文字違いとはいえ、覚えてるうちに入らないでしょ」


 にまにまとパックジュースを啜るめいに、向かい側に座った詩織が冷たく言い放つ。


「そんなこともないよぉ、昨日までは惜しい名前すら出なかったし」


 ベコッ、と音を立ててパックジュースがへこんだ。中身がないのを確かめるように、めいは容器を耳元で振った。ちゃぷ、と音がしたので、傾きをつけ口へストローを運ぶ。


「でも、明日から夏休みだけど。ちょっと会わないうちにまた振り出しでしょ。一度覚えきるまではクラスメイトさえ忘れられるって最早特技よね」

「心配ご無用でーす! 里見先輩のおうちも調べはついてるし、里見先輩が通う予備校の目の前は私のバイト先ですー」


 得意気に胸を張るめいに、詩織はうんざりした顔をした。


「あんた、一般的にそういうのストーカーっていうって知ってる?」

「違うもん…多分。運のなせる業だもん」


 めいは、今まで十七年間、平凡な道を歩んできた。成績も中の上、容姿は中の中といったところか。

 ただ、唯一人に自慢できることがあった。


 めいは、とにかく運が良いのだ。


 宝くじを当てるとか、テストのヤマをあてる、など特定の物事を思い通りに運ぶことはもちろんできないが、結果ラッキーだったということが多くある。


 例えば、里見の家を知ったきっかけも、たまたまバイト帰りに道に迷ってしまい、たまたま犬の散歩をしている里見に遭遇。

 そもそもバイト先が里見の予備校の目の前だったことも、たくさんのバイトの面接に落ち続けた結果だ。しかもバイト先の店長は世話好きのおじさんで、ちょくちょくめいに賄いと称した食事やらお菓子やらをくれる。バイト仲間もいい人ばかりだ。


 めいの人生はそういう風に過ぎてきた。

 今がつらくても、過ぎ去れば意味が見えてくる。すべての結果は『良かったじゃん!』と思えるものになる、と信じている。


 もちろん、そういう結果を招くためにはめいは努力を惜しまない。

 何をしても結果はラッキーなんだし、と努力を怠ると散々な目に遭うのだ。


 要は、頑張った分はちゃんと報いてもらえる、というところだ。

 そんな自分の人生を、めいは好きだった。



 ―――あんなことを体験したあとでも、それだけは確実に、胸を張って言える。




「めいちゃん、そろそろ上がっていいよ」


 商品の補充をしていたところ、店長に声をかけられた。腕時計を確認すれば、夜七時をまわったところだった。日が長くなったとはいえ、あたりは薄暗くなり街灯が灯り始めていた。


「はあい、お先に失礼します」

「はいはい、お疲れ様。これ食べてね」

 エプロンを外してバックヤードを出ようとすると、店長が菓子パンをくれた。

 いわゆる賞味期限ギリギリの、もう売り物にはできないやつだ。


「わあい! ありがとうございます」

 手の中におさまったクリームパンは、甘さ控えめのカスタードクリームと、濃厚なホイップクリームをたっぷり包んだ絶品だ。

 めいが好んでこのパンを食べていたのを店長は知っていたらしい。


 ほくほく気分でコンビニを出れば、薄闇の遥か遠くに強烈な引力を持った背中を見つけた。


 ―――里見先輩だ!!


「わお! 今日は随分ラッキーだね。釣り合わないんじゃないか?」


 小さく一人ごちるめいの瞳は歓びに煌めいた。

 姿を見失わないうちに追いつこうと、歩調を早めて雑踏をすり抜ける。高い位置で結んだ黒髪が、その名の通りぴょこぴょこと跳ねた。


 あと五メートル、声を出したら気づくだろうという距離で、めいは里見の隣に誰かいることに気づいた。


 里見よりも頭半分背の高い男性だった。年の頃は三十代前半といったところだろうか。中性的な顔立ちに、優しげな笑みを浮かべて何やら里見と話している。


 猪突猛禽…もとい猪突猛進を自負するめいでも、さすがにツレがいる里見に突撃するような真似はできない。


 残念なり…と肩を落としつつ、愛しい背中を見送った。


 ―――明日、また学校で突撃すればいいよね。


 そう踵を返したことを、遠からずとても後悔することなど、知るよしもなかった。





「え? お休みですか?」

 里見が出没するスポットを当たっていく途中、里見のクラスメイトの一人が教えてくれた。


「そう。…俺たちも詳しく知らないんだけど、いなくなったらしいよ、あいつ。今朝、親が警察に届けたらしい」

「いなく、なった?」


 名も知らぬ先輩の口調は、どこかゴシップを楽しむような響きがあった。深刻さは微塵もなかったためもあり、めいは瞬きした。


「まあ、どうせ女のところにでも泊まったんだろ。…ってごめん」


 女のところ、ということばに眉を顰めためいに、先輩が早口に詫びた。

 めいが里見に好意を寄せていることは多くの人が知っているので、不快にさせたと思ったのだろう。


「……いえ、大丈夫です」

 答えながらも、めいの眉間のしわは深くなるばかりだ。


(…里見先輩に彼女なんていない)


 まさにストーカーぎりぎりのラインで里見を追ってきていためいなのだ。

 里見の周囲に女の影などなかったことくらい、誰より知っている。

 もし、万が一、昨日運命の出会いをして恋に落ちたとしても、家族にさえ連絡せず行方をくらますなんて非常識なことをするような人ではない。


 ―――だとしたら、事件か事故。


 思考を過った真っ黒な旗にいてもたってもいられず、めいは脱兎のごとく駆け出した。




 全力で廊下を走ってきて頭痛と腹痛を訴えるめいに、担任は苦い顔をしながら早退届をくれた。


「……警察が動いてるからな。心配なのはわかるが任せるしかないぞ」


 どうやらすべてお見通しな担任に深々と礼をして、めいは街へと駆け出した。




 校内を駆け回りながら何人かの先輩や先生に訊いたところ、里見の足取りは予備校を七時に出たところで途絶えているらしい。

 つまり、めいがコンビニを出たときに見かけた姿が最後ということだ。


 では、あのとき里見と一緒にいた男が何か知っているのではないか?

 めいのリサーチには一度も引っ掛かったことがない男だった。

 面影を思い出そうとしても、ぼんやりとしていて掴めない。里見に見とれていたのだから、仕方がないことだとはいえ、めいは地団駄を踏んだ。


 ―――事件や事故に巻き込まれているなら、私が助けなきゃ。

 私が助けようと頑張れば頑張るだけ、先輩にいい方向へ事態が向くはず。


 ぎゅっと強く瞳を閉じて、再び雑踏に目を凝らしためいは探し続けていたものを見つけ、声の限りに叫んだ。


「見つけたーーーー!!! 人さらい!!!」


 背の高い男が弾かれたように振り返る。

 振り返るということは、自覚があるということか、とめいはさらに声を張り上げた。


「里見先輩をどこにやったの!!! 返してよ!!!」

「なっ、わっ、声が大きいよ!」


 あっという間に駆け寄って男の胸ぐらをつかみ、返せ返せとめいは揺さぶった。

 周囲からたくさんの好奇の視線が向いたが、めいの勘が、これがチャンスだとしきりに訴えた。


 絶対に逃がすな! 足をねじ込んででもドアを閉めさせるな!


「いいからっ!! 早く里見先輩を返しなさいよ! 今日会わなきゃいけないんだから!!」


 めいが里見に認識してもらえたのは、二ヶ月前。それから毎日のように里見の視界に入るよう努力し、名乗りを上げたのは一ヶ月前のこと。

 はじめは記憶にさえとめてもらえなかったが、ようやく昨日『坂梨』にまで昇進できたのだ。


 里見は成績優秀で全国の模試でも大体一桁の成績をおさめている。ふわふわして人が好く、俗世のことにはあまり興味がない人。賢いのにどこかぼんやりしていて、人に興味があまりないから名前と顔をなかなか覚えられない。抜群の記憶力なのだから、覚える気がない、というのが正しいところなのだろう。

 めいは里見が引くそのラインを、何とか超えたいのだ。フラれるとしても、脳裏にしっかりと焼きつけてほしい。


 警察が動いてくれても、いつ見つかるかなんてわからない。

 見つかって、警察の事情聴取を受けて、再びめいが会えるようになったときには、めいのことなどきれいさっぱり忘れているかもしれない。


 そして、何より。

 もう二度と会えなくなったりしたら。


 めいの必死の形相に、男は嫌そうに顔をしかめて彼女の手を払った。


「……いいよ、わかった。これ以上騒がれるのは困るし、ついてきて」


 深々とため息をついた男に逃げられまいと、めいは袖口をガッチリ握って頷いた。





里見悠希(さとみはるき)は、君たちの言う異世界にいるよ」

「……は?」


 相手が年上ということも忘れ、めいは何言ってんだこいつ、と言わんばかりの視線を向けた。

 雑居ビルの陰という場所柄もあるのかもしれないが、嘘くさい、胡散臭い。


「僕たちの世界はね、数十年に一度バランスを崩すんだ。世界を守る聖獣が眠りにつくのが原因だ」


 男が手のひらを上に向けると、いくつかの映像が浮かび上がった。

 3Dでもなく、ホログラムなどでもなく、立体的な映像だ。

 テーマパークで見るような城、真っ白な大きなライオンのような獣、舗装されていない道を走る馬車。嵩張ったドレスを着る女性たち。


 映像に見たものよりも、何もないところから映像を出したことがめいに大きな衝撃を与えた。


「……それと、里見先輩が何の関係があるの」

「ふうん。意外と頭が軟らかいね? 里見悠希は聖獣の守り人に選ばれたんだ」


 聖獣が眠りについたあと、世界のバランスは急速に崩れる。それを緩やかなものにして、聖獣が目覚めるまで見守るのが守り人の役目。

 それはたくさんある世界のどこかから、聖獣によって選ばれるそうだ。


 今回はたまたまそれが里見先輩だった。


「なるほど~…ってそんなわけあるかぁ!!」

 めいは再び男の胸ぐらをつかみ、揺さぶった。

 めいの勢いに、避け損なった男がたたらを踏む。


「よその世界の都合なんて知ったこっちゃない! 私には私の都合があるんだから、里見先輩を返してよ!! しかも里見先輩は受験生なんだから!」

「ひどい子だな! 助けてあげたい、とか思わないの?」


 思わない、わけではない。ただ、行ったことも見たこともない場所やそこに住まう人に対する気持ちよりも、先輩に対する気持ちの方が大きいだけだった。


 大体、聖獣が眠りについたから他の世界の人に頼ろうなんて、なんだか虫がよすぎないか。自分のお尻は自分で拭くものだとめいは思うのだ。


 先輩を返してほしい。

 先輩に会いたい。

 先輩、先輩。


「……そんなに返してほしいなら、自分で取りに行きなよ。できるかは、知らないけど」


 えっ、と聞き返したときには、地面がなかった。

 ジェットコースターで感じる、ひゅっと内臓が浮く感じが襲ってきて、ヒッと息をのんだ次の瞬間には、めいは暗い暗い闇の中に飲み込まれてしまった。


「君のことは、連中に伝えておくから」


 遠くの方で微かに、男の声がした気がした。




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