氷結#1
昼下がり。
芝山商事の社員、鹿島陽子が本社ビルの屋上にやって来た。
顔には生気がない。眼にも光がない。まるで、何かに操られているかのようだ。
すっとフェンスに歩み寄り、ゆっくりと鍵を外そうとする。しかしなかなか開かず、今度はフェンスをよじ登ろうとし始めた。屋上には他に誰もおらず、彼女を止める者は誰もいない。
と、そこへ、何者かが音も立てずにやって来た。
女性だ。髪は長くボサボサで、着ている白いワンピースも汚れている。裸足で、所々傷がある。
女性はキッと陽子を睨み、ゆっくりと歩み寄る。すると、開かなかった鍵が独りでに開き、気づいた陽子はそこからフェンスの外に出ようとした。
全て予定通り。女性は笑みを浮かべて両手を広げ、陽子に突進しようと迫る。このまま行けば、彼女は屋上から落ちてしまう。
後少しで、女性の手が陽子に触れる。
しかしその直前、横か棒のようなものが飛んで来た。それが頭に直撃し、女性は派手に転んだ。それとほぼ同時に陽子の意識が戻った。屋上に来た記憶は飛んでいたらしく、首を傾げて作業場に戻っていった。
陽子が屋上から出て行ったのを確認し、物陰から青年が出て来た。赤いマフラーをし、黒いコートを着ている。それらが、彼の白い肌をより際立たせる。
「間に合ったな」
転がっている棒を取り上げ、青年は女性を見た。女性はよろよろと立ち上がり、獣のような雄叫びをあげた。
「あと、あと少しだったのにぃっ!」
女性は目を真っ赤にして青年に襲いかかった。
対して青年は、棒を拾い上げるとそこから刀を引き抜き、相手を斬りつけた。更に、今度は全身が炎に包まれ、瞬く間に白い戦士の姿に変貌した。
「あんたみたいに暴れまわってる霊を止める。それが俺達の仕事だ」
「ううう……ぅぅうふふふ、あはははは!」
今度は女性の身体が青白い炎に包まれた。
青年は人間サイズの戦士に変身したが、女性はそれより遥かに大きい、おぞましいムカデの姿に変わった。顔は禿げた人間のもので、下顎は虫のようになっている。普通のムカデとは違い大きな手が5対生えており、更に無数の、毛のような足が全身に生えている。
「まずい」
予想外の大きさに、青年は戦法を変えることにした。青く輝くボードを呼び出すと、それに乗って空を舞い、建物の下へ垂直に降りて逃げた。墜落させてムカデの体力を削るつもりなのだ。
ところがムカデは墜落することなく、壁を這って青年を追いかけてきた。無数の毛がそれを可能にしているのだ。建物の壁は全面ガラス張りなのだが、中で働いている社員は全く気づいていないようだ。
これも駄目。
青年は再び屋上へ向かった。次の作戦を思いついたのだ。上昇する際に鎌でムカデの背中を斬りつけたが、かなり頑丈で傷1つつけられなかった。ムカデもその跡を追う。Uターンして一気に駆け上がる。10本の手は獲物を捕らえようとウネウネ動いている。
屋上へ戻り、そこにいるはずの青年に襲いかかるムカデ。確かにそこに青年はいた。が、姿がまた変わっている。今度は紫色の姿に変わっていたのだ。両手の拳には黒い霧のようなものが宿っている。
「かかったな!」
両手の霧をムカデに浴びせる。霧は生き物の如く相手の肉体を、そして力を食ってゆく。腹部は背中よりも柔らかいようで、傷口から青白い炎が吹き出した。
「終わりだ」
戦士の拳にエネルギーが溜まってゆく。充分に溜まるとその拳を前に突き出す。宿った霧が気となってムカデに向かっていった。巨大な怪物は瞬く間に霧に飲まれ、霧とともに消滅してしまった。
戦いを終え、青年は元の姿に戻った。
「はぁ、まさかデカブツだったとはな」
「よくやったな青年」
そこへ1人の中年男性が拍手をしながらやって来た。
「安藤さんも見てないで手伝ってくださいよ」
「いやいや、俺の役目は青年が独り立ち出来るよう育てることだからな。まぁいいや。今日は何かおごってやる」
「お願いしますよ」
そんな会話を交わしながら、2人は屋上を後にした。
青年の名は、西樹悠真。先程の女性のように、現世で暴れている幽体・暴霊を止め、逝くべき場所へ導く存在だ。
その職業を、人は墓守と呼ぶ。
墓守としての仕事が終了し、悠真とその上司・安藤はファミレスに足を運んでいた。
この間、悠真はずっと新聞を読んでいる。昼間のように暴霊が起こした事件を探すためである。本来この手の作業は安藤がする筈なのだが、いつの間にか殆どの作業を悠真がこなすようになっていた。
「いやぁ、成長したな、青年も」
「え? そうですか?」
「どうだ? 興味のある記事はあったか?」
「安藤さんも探してくださいよ。……あ、これ」
悠真は黙って新聞を安藤に渡した。
彼が見ていたページは、某小学校が閉校になったという記事だった。理由はあまり書かれていないが、悠真達には解っていた。暴霊が生徒の半数以上を殺害したからだ。しかもその暴霊は悠真の旧友だった。両者はこの小学校で苛めに遭っていた。旧友は一線を越え、とうとうこんな事件を起こしてしまった。
小学校が閉校になったのは嬉しかったが、友人を失ったことは辛かった。
「確かに、この事件のせいで職を失った先生もいたからな。ほら、秋山の知り合いの」
「そうでしたね。今どうしてるんですかね」
「さぁな。どっかで先生やってるんじゃないか? あの人みたいな先生はこの先必要だからよ」
その教師の名は氷川幸助。現在では珍しい、生徒の苛めをしっかり対処してくれる、まさに教師の鏡だった。
「そうですね。あの人なら、真面目に仕事してますよね」
2人は笑った。
このとき、2人は見ていなかったが、あるニュースが放送されていた。
『続いてのニュースです。数年前、連続殺人事件を起こした謎の犯人、ブリザードを名乗る者からの犯行声明がありました。各都道府県警は注意を呼びかけています』
ブリザード。
7年前、世間を騒がせた冷酷な殺人鬼だ。他人を誘拐し、数ヶ月後、その家族に不気味な写真を送りつけるのだ。
どこか暗い部屋に立てられたオブジェの写真。そのオブジェは、誘拐された人間に見え、しかも凍りついているようにも見えるという。実物は公表されていない。インパクトが強すぎるのだ。だとしても、そんなことをする人間が身近に居ると考えただけで震えが止まらない。ターゲットには共通点が見当たらない。つまり、誰もがブリザードの対象になりうるということだ。
ところが7年前の冬を境に、ブリザードの犯行はピタリと止んだ。警察にも「もうやらない」という声明が届いたそうだ。勿論指紋等手掛かりになるものは何ひとつ見つからなかった。
そのブリザードから、犯行を再開するという声明が届いた。何者かの狂言である可能性もあるが、犯人が捕まっていないのだから油断は出来ない。
「怖いわね」
「ん? ああ」
墓守のエリート、秋山荘司はある女性と一緒に別荘に来ていた。彼は昨日、暴力団に雇われていた暴霊を倒したばかりである。こうして休みを取れる日は少ない。
女性はバイオリニストの兵藤遥。2人はある事件で知り合った。
秋山は、彼女をほしいままにしようとした暴霊を倒し、彼女の命を救ったのである。それ以来2人は度々会うようになった。部下には言っていないが既に婚約もしている。どちらも忙しいため、いつになるかは解らないが。
「君も気をつけろよ。誰でも狙うみたいだから」
「そっちもね。普通の人を殺したら犯罪になっちゃうんだから」
「普通じゃないだろう。被害者のオブジェを造って、写真を送りつけるなんて」
確かに暴霊も墓守も社会に受け入れられてはいない。それらの言葉を挙げて無実を訴えようものなら気の狂った人間だと見なされてしまうだろう。
ただこのブリザードに関しては、秋山は暴霊なのではないかと考えていた。多くの犯行に及んでいて、しかも写真を送りつけたりしているのにも関わらず、警察は未だに犯人を逮捕出来ていない。まして今の科学技術は以前よりも遥かに進化しており、僅かな手掛かりからでも犯人や写真の現場を特定出来る筈。それでも見つからないということは、何か公表出来ない理由があるのかもしれない。例えば、写真から指紋がとれて犯人を特定したのだが本人は死亡していた、とか。
「面倒な奴じゃなきゃ良いけどな」
ワインを飲みながら、秋山は静かに言った。
翌日の夜。
秋山は埠頭で奇妙な暴霊と戦っていた。両手が大きく、鎧のような姿をした暴霊だ。
すぐさま墓守の力を解放、アヌビスの姿になって攻撃を仕掛ける。まずは槍で相手を壁に押しつけるが、暴霊はその攻撃を簡単に受け止めてしまった。
ギシギシと音がする度に鋼鉄の武器に傷がつく。負けじとアヌビスが更に強く槍を押す。流石の暴霊も押さえることが出来ず、鎧のような身体を槍が貫通した。苦しそうな声が暴霊から漏れる。
「はい、終了」
槍を引き抜くと、相手は地面に崩れ、青白い炎に包まれてしまった。それを確認してから秋山は元の姿に戻った。しかし、すぐに帰らず、その場で暫く考え込んだ。
今の暴霊、普段戦っているそれとは違う感じがした。それが何かはわからない。
そのままの姿勢で考えていると、突然背後で笑い声が聞こえた。振り返ると、そこに褐色の昆虫の姿をした暴霊が立っていた。名はハーミット。降霊術師の1人だ。
「お前は?」
「あなたに会うのは初めてですね。私は隠者、ハーミットと申します」
「術師か」
再び青い炎を発動してアヌビスに変身する秋山。有無を言わさずハーミットに攻撃を仕掛けた。が、相手は両手の大きな角で簡単にそれを防いでしまった。槍を弾かれると、その隙に角による一撃を食らわされた。先程の戦いの疲れが溜まっていたのか、秋山の変身はすぐに解けてしまった。
「この程度ですか。話になりませんね」
そう言い捨てて、ハーミットは何処かへ消え去った。
秋山はよろよろと立ち上がった。
エリートの彼が簡単に倒されてしまうとは。疲れも原因の1つだが、相手の実力も確かなものだ。
「俺もまだまだ、修行が足りないか」
悔しいが、いつまでも悔やんでいても仕方がない。
次は必ず角を砕く。そう胸に誓い、秋山は愛車のフェラーリに乗り込んだ。その直後、彼の携帯に着信が入った。新しい仕事か。ため息をついて電話に出る。
「はい、もしもし?」
何処かの倉庫。
世間を騒がせている犯罪者・ブリザードは、オブジェを撫で回していた。
ここには100体以上のオブジェが保管されている。それらはどれも凍っているかのようだ。
幾つかのオブジェを手で触れていると、その内の1体、少年のオブジェに違和感を覚えた。見ると、微かに腹部が上下している。
「違うぅっ!」
いきなり頭を掴む殺人鬼。するとその手から冷気が放射された。どうやらここのオブジェは全て作り物ではなく、生きている人間を凍らせて作っているようだ。
人間を凍らせるこの能力。ブリザードが暴霊である可能性は高い。
子供を凍結させてみたが、それでも気に入らなかったのか、手に力を加えてそれを砕いてしまった。内部まで凍りついており、硝子のように粉々に砕けてしまった。
気が済んだのか、ブリザードはゆっくりと立ち上がって他のオブジェを手で触り始めた。




