序章ⅳ
心理描写が長いです。
夢のようだった。
何がと尋ねられると、答え辛い。
なんだか、考えれば考えるほどに、痛みと、その他の良く分からない感情で、夢の範囲がどんどんと広がっていくような気がするからだった。
魔城へ入る前からだろうか。それとも、槍夜と出逢う前だろうか。いいや、サニーと出逢う前か。それとも――百合花に、プレゼントを貰ったときから?
そう、ただ、目の前の光景が全て自分の作り出した幻想のようで。
ああ、きっと、これは全て夢だったんだと、笑いさえ抜けてしまった。
「――お前が、魔王か」
***
巨大な扉を開けるのは、重労働だった。痛めつけられていた身体が、今度は錆でも生えて劣化していくようで心身ともに消耗していった。
しかし、苦労した甲斐があった。眼前に広がる光景は、以前アヴァロンで感じた何倍もの感動を与えられる光景だった。
何百坪もあるだろう面積の部屋に、豪華絢爛に広げられた装飾物。剣から壷までさまざまだが、その美しさは今まで見てきた中でも引けをとらない。
しかしその装飾たちが置かれているのは扉の前ほどだけで、それ以降は丹精な彫刻が施された兇悪な悪魔たちの像が置かれている。黒々しいそれは今すぐにでも動き出してきそうな躍動感を持って進入者を睨み付けている。
床は大理石のような光を反射する高価な石が敷き詰められており、真っ直ぐに紅を引いたようなカーペットがひいてある。そのカーペットにも色彩の違う赤糸で丁寧に模様が描かれており、思わず見惚れるような光景だった。
高い天井から下げられたシャンデリアは、薄紫色の光を部屋に下ろしており、美しい部屋を不気味に照らしている。シャンデリアを飾る人骨たちが、その不気味さをいっそう際立たせていた。
全てがこの闖入者を抑圧しているようで、圧巻の光景だった。
だが、そんなものよりも。
もっと目を引き、私を感情の渦へ引き入れる者が、鼻先にいた。
いいや、実際は手も届きそうにない距離だ。それでもそれほどに存在感を放ち、並々ならぬ威厳を漂わせる人物は眩暈がするほどにこちらにその姿を主張していた。
数十メートル先の、幾多の宝石が嵌め込まれ、頭蓋骨で形作る忌々しい王座に坐する、一人の人物。
人間の姿とは違い、視認範囲が広範囲な身体能力の高いこの身体だからこそ確認できる遠方の男の姿。
男は、濃い紫の蠢くような長い髪を後ろに撫でつけ、整ったその顔立ちに魔族特有の紅に輝く、今まで見てきた中でも第一の強力な眼光を灯していた。
私の両眼には、その奥の黒い瞳孔が十字に割れているのさえはっきりと確認することが出来た。鋭利な目付きと相まって、目視されるだけで身を切られる感覚に陥る。
西洋系の高い鼻と血色の悪い唇に、青白く血が通っていないような肌。纏うマントは漆黒で、身に纏う服は暗色を基調とした、王族の正装。
そこからは、邪道の王だとは思えないほどのカリスマと高貴さが漂っている。
紛れもない、問うまでもなく、彼が魔王と呼ばれる存在だった。
「愚問だ」
そう言って彼は――魔王は王座から立ち上がる。マントに隠れていた腰あてから、こちらと同程度の大きさの長剣を抜き払った。一閃、振り切るその姿は、歴戦の戦士にも劣らぬ猛々しさと洗礼された剣筋が感じられた。
剣は最終ボスの武器とは思えないほど簡素であった。しかしそれでも彼の風貌に引けをとらない美しさのそれは紫の光を反射させ、高潔ささえ漂わせる。
自ら所持する剣と似ていると思った。彼の剣に造型やその高潔さ、尊さを見たからだろうか。ただ、こちらと違うのは、その剣が禍々しくこちらの長剣の銀色と真逆の漆黒であったということか。
身を圧縮するかのようなその光景に、その全てが現実だと直接脳内に訴えかけられているようだった。
見たこともなかった魔王の姿も、絶望的な声色も、細められる双眸も。なんの感情も込められず、ただこちらを見据える視線も、総じて今ここに、電子ではなく存在している。
彼は私を眺めながら、その長剣を標的を定めるためにこちらへ突きつける。
「止めを刺すまでもない」
「……」
「だが、天界からの刺客を一時でも生き長らえさせることもあるまい」
その瞳が、無機質な殺意に染まる。
それは意思を持つ相手を殺すための殺意ではなかった。例えば、人間が豚を屠殺するように、業務を行う執行官のような、そんな当然の殺意。
「待ってくれ」
下手をしたら己の存在意義さえ見失いそうなほど人を見る目ではない殺意の形だった。人間へ向けるあの思念の塊である憎悪などの感情を浴びせかけられたのなら、身構えることも出来るだろう。しかし、魔王のあれは本当にヒト以下を視界に写す眼だった。そんな双眸を彼のような絶対的に上位の者に向けられて、正気を保とうとするのもなかなか難しいものだ。それが、相手のペース、場所、雰囲気なら尚更だろう。
しかしそうだとしても、私には関係がない。
その瞳を身に受けつつ、屠殺される家畜の心持ちにはなってはいたが。
震える手を握り締め。剣を離さないように握りなおし、ただ真っ直ぐに魔王を見つめ、口を開いた。
「私は、戦いにきたんじゃない」
「……何?」
細まった紅の瞳の美しさが下手な宝石よりも質がよく、思わず惚れ惚れとした。と、直ぐに理性を取り戻す。
一切について押されているこの状況で、これ以上魔王の雰囲気に絡め取られるのはいただけない。このままでは、恐らく私は宣言することも出来ずに押し黙ってしまうかもしれない。
「なら、何をしにきた」
問われた言葉の後に続く痛いほどの沈黙の中で、私はただ、肉としても処理されぬ廃畜の想いを抱いたまま、高々と叫んだ。
どんな心境でも、結局のところ私が伝えることは変わらない。ただ、それを述懐するかどうかの違いなのだ。
「私はお前を――」
手から滑り落ちないように握りこんだ剣を斜めに振り上げる。
鋭く光る剣。それは、幾多の魔物を斬ってきたと言うのに純粋な輝きを失わない。その光沢は、部屋を染め上げる紫さえも跳ね返している。
私の、自慢の愛剣である。
――それを、そのまま振り下ろし、柄から手を離した。
「お前を、婿に貰いに来たっ!!」
****
“彼”を知ったのは、当然といえば当然の結果だった。
――アヴァロンの一番最初の紹介映像(PV)。ただ体感するだけの空間に魔王はほんの数瞬だけ顔も黒塗りでほとんど分からない、ぐらい少ないシーンだけ現れていた。それが私が魔王を知るたった一つの、しかし確実な機会だった。
それを見た瞬間、身体に電撃が走ったようだった。まだアヴァロンのシナリオの概要を知らなかった私は、彼がラスボスとして出現するものだとばかり思っていた。そうして、友達の誘いで仕方なく参加したゲームを、始めて自分から進んでやりたいと感じるようになった。
しかし、直ぐに知ることになる。一部完結という形をとっているアヴァロンでは黒幕である魔王とは対決しないシナリオだったということを。
だが、私はその最初の映像を見て、この人を倒そう、このキャラクターをいち早く倒してどんな外見をしているのか、どんな人柄なのか知ってやろう――そう固執してしまっていた。
無理だと分かれば、更に燃えた。きっと何か辿り付く方法があるはずだ。私には分からないけれど、他のプレイヤーがその方法を見つけ出すかもしれない。もしかしたら、アヴァロン本体がバージョンアップと称して魔王をラスボスとして付け足すかもしれない。
飽きれられてもいい。頭を抱えられてもいい。でも、諦められない。
きっとアイドルを見てファンになることと同様の心境だった気がする。そうして、私は百合花が退会してもゲームをやり続けた。
他人の歩は遅い、なら私が何よりも強く成り、誰よりも早くゲームを進めよう。誰かの歩みを縮こまって待てるほど想いは軽くはなかった。
そうして必死に強く、そして早く仲間と共にどうにか上り詰めた先には、私の願いを叶える魔法の扉があった。一部完結だったシナリオは二部構成となり、希望と共に魔王は現れた。槍夜からの話や、アヴァロンのファンの間で語られてきた幻の魔王討伐の二部は私の前に現れたのだ。
それからは、魔王はどんな戦いが待っているのだろう。どんな攻撃をしてくるのだろう。戦闘でこちらが勝利したのなら、どんな結末が魔王を待っているのだろう。早く知りたい。そんな憧れを持って、ここまできた。
サニーと槍夜の助けを借りて、ここまで来ることが出来た。
長い道のりだった。勉強や友人付き合いと両立出来ず、なんども挫けそうになった。でも結局私はここまでくることができた。きてしまった。
来てしまったからには、魔城を一番に攻略したかった。
ここまで来たら、誰にだって先を越されたくなかった。
――しかし、現実はそこまで順調に進まなかった。
突如現実になったかのようなVRMMOの世界、それを目の当たりにして、脳を、身体を恐怖が埋め尽くした。
それは私の頭を可笑しくするには十分すぎるものだった。
そして、私は全速力で通り過ぎている電車に身を投げるように、死を手を伸ばせば届くほど近くで見てしまった。
そうして死というものが間近に迫ったとき。
私は、死ぬなら、魔王を倒してから死にたいと思った。
今まで、頑張ってきた。色々な人の協力でここまでこれた。VRMMOの世界でも、現実世界でも、色んな人に迷惑をかけつつここまでこれた。
それで、私の目的はなんだと思い返したとき、答えは一つだったのだ。魔王を倒したい。誰よりも早く魔城を攻略したい。そう思っていたはずだ。
それを、ここまできて、色んなものを犠牲にしてたどり着いたこの場所を、ほっぽり出していいのか?
いいはずがないのだ。
なら、それでいいはずだと判断した。
判断したから、魔王を倒して死ぬのなら、それでいいとさえ思ってしまった。簡単にいうと、冥土の土産だ。死ぬのなら、ずっと目標にしていたことを成し遂げてから死にたいと感じたのだ。
しかし、こうして死を甘受する条件を出すところまできて、私はようやくここが本当に現実――つまり、全てのものに意思がある空間だということを理解することができた。
それまでは、痛みを幾ら感じても、肉を断ち切る感覚を幾ら味わっても、どこかゲーム世界だと思い込んでいたのだ。
そう考えれば、今まで殺してきた魔物たちにも意志があった。意志があり私に襲い掛かり、命がありそれを私に刈り取られたことに気付く。
そうして、私自身もじかに生き物の命を奪い、殺し、そうして、自分もそろそろ死にかけるそのとき。
次は、回らない頭を回転させることになった。
『本当に魔王を倒してしまっていいものだろうか』
そう、疑問が降って沸いてしまったのだ。
だが答え自体は、案外簡単に出た。
倒してしまうのは――もったいない。
殺してしまったら、終焉が来る。
終わりだ。死ねば終わる。何もかも終わる。全て消える。
死を間近にして、死を甘受して。それがとてつもなく恐ろしいものだと実感して。
殺すのは、間違っているんだと無理やり納得した。
だって死ぬのは怖い。殺すのも怖い。ずっと憧れだった。憧憬の先にいるキャラクターだった。それが、現実にいる。目の前にいる。生きている。
一度倒しても復活するような使い回しの聞く世界ではない。そうではなくなった。
なら、倒してしまったら――私は、どうすればいい。
冥途の土産を携えて、笑いながら死んでいける光景を、まったくもって浮かばせることができなかった。
ただ、全てが終わったそこには、全てを亡くし、たくさんの亡骸の中で、人形のように呆けている己しか視えなかった。
なら、どうすればいいのか。
いいや、魔王をどう捉えればいいのか。
ずっと目指していた最後のラスボスではないのなら、魔王は私にとってなんなのか。
幸いに、私はこの彼に対する全てを投げ捨てるほどの憧憬を型に嵌めることが出来、表せる他の言葉を知っていた。
――紛れもない事実として私は、魔王が好きなのだと想うことにした。
いいや、ここまでくれば愛していると言ってもいいはずだった。
(何せこの身体は死に際していても、彼を眼前にして針を突き出すように胸を高鳴らせているし、痛みに耐えかね痺れる脳内は彼と対峙する喜びで踊り狂っている。)
そうして、気持ちを整理して。
しかし向かうは彼しかいないこの状況。
ならばこの恋心を打ち明けてしまおうという考えに至った。
ここまで来たのはなんのだめだったろうか。ここまで頑張ったのは、誰のためだろうか。私がここまでアヴァロンに、VRMMOに、ゲームにはまったのは、誰のせいだろうか。
死ぬのなら、
死ぬしか道がないのならば。
全てを打ち明けてから、全力でぶち当たって、何も後悔せずに、笑って死にたい。
そう思ったのだ。
そうして今、確かに私は魔王と話している。会話をして、意思疎通が取れている。
こんな、夢見たいなことがあっていいのだろうか。仮想空間越しの、いうなればテレビ越しのただの無機物だったヒトが、私の言葉に反応して言葉を返している。
それの、なんと奇跡的なことだろうか。
それの、なんと幻想的なことだろうか。
まるで、夢のようだ。




