序章ⅱ
王都オディオン――その都を中心に栄えるこの世界は、太古から『真界』と呼ばれ続けていた。
世界そのものに名を付けるとは、可笑しなものだ――それも、その世界一つだけではないように。
しかしそれには伝承に記されたもう一つの世界があることに由来するのだろう。それは『天界』。
まさしく天に聳えるもう一つの世界。そこは、真界に住む者たち「ヒト」とは異なる「天使」のおわす場所。
何百年も前には交流もあったといわれるそこは、今はただ伝承に名の残る、幻想の世界となっていた。
しかし、世界が創世し、千年が経ったといわれる歴史的なこの年に世界に変化は起きる。
世界の樹海――そう呼ばれ、奥深くに潜れば戻ることは出来ないといわれる森林から、一つの亀裂が生まれた。
それは、世界の亀裂。木々をなぎ倒し、草木を枯れさせ、瘴気と共に現れたそれは町一つを飲み込むほどに大きく、そして禍々しい。
そうしてそこから現れたのは、「魔物」と呼ばれる異形のもの。
そう――地の深淵から現れたそのものどもは、その亀裂の“向こう側の世界”の化け物。その世界を『魔界』と言った。
かくして断絶した世界は繋がり、時は動き出す。
人々を救う力を持つと伝えられる「聖」の力を授ける天の国。
人々を恐怖へと引きずりこむ「魔」の力を振るう地の国。
三つの国が入り混じり、仮初の平穏を保ってきた真界は、どう変化を遂げてゆくのか――それを紡ぎ出すのは、アナタ。
アヴァロンは、そんなオープニングと共に始まる。
メットで仮想空間に沈み、ゲーム開始に流れ込むその世界観――映像と共に手を伸ばせば届く距離にありながら、仮想空間で唯一身体を動かせないその時間でプレイヤーは皆VRMMOの素晴らしさ、そうして畏怖さえ起こすリアリティを痛感する。
オープニング通り、アヴァロンには三つの世界が存在する。
そして二つの種族、さまざまな職業。
主にプレイヤーたちが行動する範囲は真界であり、二つの種族『デミヒューマン』『人間』から選べ、種族ごとに能力に違いが演出される。二つの種族は『ヒト』として統括され、真界において共存している。その中で例外としてエルフの種族『幻獣』が存在している
職業はギルドという冒険者専用商業協会で提示されている中から選択でき、それ以外にも自分で名乗ることも出来る。しかしギルドに存在する職業を会得するということはギルドに所属していることとなり、依頼内容や野獣の部分売買などにおいての価格設定に影響する。つまり、その業者の中に入会している得点により、通常より売買価格が自分に有利になったりするのだ。
そんな世界設定の中で、アヴァロンというゲームのコンプリート条件というものがある。
ゲームというのには特殊なものでなければ終わりが存在する。RPGなどは最もなものだろう。
さまざまなシナリオが一つの大本から幾千、幾万と枝分かれしているこのゲームの中でも、その大筋――アヴァロンという世界観を構成しているシナリオがある。それをクリアすることがアヴァロンのコンプリート条件だった。
クエストを成功させてゆき、一つの目標を達成する。そのコンプリート条件というものが、『天界へ行き、聖の力を授かる』ことだった。そのためにプレイヤーは真界で野獣や魔物と戦いながら天界への渡れる権利や道を探し会得してゆく。
私たち――最先端組みは年月で言えば1年半後、それに辿り付いた。
紆余苦節あり、天界へたどり着いた私たちの最後のクエストは、天界の最高者。真界で信じられるルドラ教のたった1柱の『シヴァ』。その彼に認めてもらうために彼自身を倒すというクエストだった。
シヴァは背に羽を生やした威厳ある老人の姿をしていた。しかし、戦闘に入ると空を飛び、更衣をはためかせ、神々しい無慈悲な攻撃と圧倒的な力、回復力で散々私たちを苦しめた。
しかし、私たちは死力を尽くし、最後のクエストをクリアすることに成功した。
そして、第二部が幕を開けた――というと混乱するので説明を入れると。
元々、初めのうちからクエストを正常に勧めてゆけば提示される大本のクエスト、本筋である『聖の力を授かる』このシナリオ。
だが、さすがにそれだけではないだろう。とゲームプレイヤーたちに騒がれていたのだ。槍夜が言うには掲示板でも、ゲームのことが乗っている一般誌でも“そんなシナリオだけが全てであろうはずがない”と憶測がなされていたらしい。
確かにアヴァロンは作りこまれた世界の姿と細々したものまで入れると何万通りもあるクエストの超長編RPGだ。
それだというのにそれだけで終わるのならば、それはきっと制作費の関係で断念せざるを得なかったのだと考えられてさえいた。
最終クエストを終えた私たち――神と畏れられるシヴァを倒し、実力を証明し終わった私たちには、ある意味で予想通り次のクエストが授けられた。
それは、『聖の力を使い、魔界の制圧を行うこと』。簡単に言えば、ファンタジーの王道、魔王を倒すクエストだ。
私たちは新たなシナリオを目の前に、歓喜し、お互いを讃えあった。一年以上、一日のほぼ4分の1を共にした仲間である私たちは、リアルにも負けないほどの強い絆で既に結ばれていた。ならばここまで来たお互いを賞賛しあうのは当たり前で、新たに追加された物語――一緒に冒険できる時間が与えられることが嬉しくないはずがなかった。
そして、第一部を終えた私たちに与えられた恩恵は多大なものだった。
その中で特異なもの一つだけあった。それは『転生』と呼ばれるもの。槍夜に聞けばMMOによく取り入れられているシステムで、転生をすることによってレベルとは別に、基礎値から上限を底上げできる仕組みだった。
第二部――魔王討伐のためには今までよりも更に強力になる必要がある。転生という仕組みはそれを表しているように私は思えた。
その恩恵として提示されたシステムに乗る気だった私とは別に、他の二人はそうではなかった。
この転生という仕組みは一見便利そうな“最強がもっと最強になる”という想像を持たせるが、実際そうではない。今まで溜めた経験値及びレベルを一旦全て投げ捨てなければならないのだ。それだけ聞くと自分の育ててきたキャラクターをドブに捨てるようなものだが、その代わりに上限が跳ね上がる。
元々レベルが500まで設定されているアヴァロンだが、その転生をするとそれが二倍――つまりレベル500までゆくとレベル1000のステータスになることが出来るのだ。
そうはいいつつも、その説明と証明がされたのは私が転生を選択し、レベルが300を超えた辺りからなので、転生が提示された時には効果が今一不確定なものだった。
それに自身のキャラクターに強い愛情を持っていた二人は転生を断りそのままの種族、職業のままにゲームを進めることを決定した。
私は一人、いままで作り上げてきたキャラクターを捨て、転生なるものを受け入れることになった。
種族は今まで選択肢の中に無かった『竜神族』いわゆるエルフしか該当しなかった『幻獣』のもう一つの種族を選び、性別も変えられたため女性から男性に変更した。
それからは――とても大変だった。
なにしろ500まで上げたレベルが一瞬にしてレベル1からの再スタートとなったのだ。二人は500レベルのまま、そして第一部クリアのためにレベルを1000まで上げられる仕様になったこともあり、一人足手まといになっている感覚だった。
「なんだかー私が新米だったときのこと思い出しますー。私もこうやって経験値溜めの為に色々やってもらったんですー」
「そうだな。俺も体力(HP)がギリギリのところで助けてもらったっけなぁ」
「そうですそうですー。あの時はかっこよかったなー『私がサニーちゃんを強くしてあげるから』! もう惚れちゃいますー」
「おお! 俺がパーティーに加入する前にそんなことがあったのか。俺も覚えてるぜ『槍夜さんは後ろに隠れてて下さい。守りきります』! いやぁ、あのときは女ながら痺れたな! さすがアヴァロン最強の――」
「もういいから。もう分かったから! 生意気なこと言っててすいませんでした! もう本当に勘弁してください!!」
それでも彼らは私を見捨てたり、パーティーを解散させようとはしなかった。
時折私が彼らのからかいに耐え切れずに解散を仄めかしても、一笑されることで全て流された。
……あれが本当に友情だったのかと考えると――どうにもそういい切れないところが虚しいが、二人は私が成長するまでその足を緩め私を待っていてくれた。
幸いなことに、私たち以降のプレイヤーたちは第一部のところで四苦八苦しているらしく先を越されることはなかった。
第二部である魔界攻略は、順調に進んでいた私たちでもかなり苦しい難易度の高い設定になっていた。
基本は魔界に住まう魔物たちを屠り前進してゆくが、途中に休憩ポイントがあるわけでもなく、集落を見つけたとしても下手な行動を取れば即敵対する住民たちだ。しかも一般のNPC(プレイヤーのいない自動で動くキャラクター)だというのに、強さが桁違いである。
魔界に住む人々――魔人と呼ばれるが、彼らが第一部の中ボスでも驚きはしないだろう。しかも下手な行動をしてしまうと、その中ボスクラスが集落全体で襲い掛かってくるのだ。難しいどころの話ではない。
様々な苦難があり――しかし私たちは第二部の終わりにこぎ付けた。
第一部に引けをとらないクエスト数、難易度の破格の上昇、境地の多さ。深いシナリオや美しい情景を走りぬけ、たどり着いたのである。
そう、魔王がいる魔城に。
「魔城って……思ったんだけど、安直過ぎると思わない?」
「やめろ。それメタだから、ただのメタ発言だから」
「でも一応マップにはゾル=グルファ城って書いてあるよー」
そんな会話が出来るぐらいには緊張を解しながら魔城までの道を進む。
魔城までの道のりはぐねぐねとした気味の悪い奇妙な木々の森に覆い隠され、確かな道さえない。あるとしたら侵入者を阻む魔物たちだけで、しかしそれらも私たちが進行する道のりには存在しなかった。
なぜなら既に駆逐し終えているからだ。さすがに魔城――最終クエストの前に無駄に体力を削ることは出来ないと魔城を発見した後に全ての魔物たちを屠っていたのだ。
ポリゴン状の弾ける魔物たちを見ながら確かにそのとき高揚していた。
ようやくたどり着けた。と。
しかし、準備を整え進攻しようと足を進めれば途端に身体に緊張が走るものだ。それを私たちは互いに仲間たちとの会話でどうにか紛らわしていた。
そうして、森を抜ける。鬱蒼と茂り、太陽の出ない魔界の薄暗い月の光りの中で暗中を目印なしに彷徨うような迷路を抜け、目的地へ到着する。
真界や天界で目を奪われた王宮や神殿に引けをとらない、見事といえる様式美にそれを目にしてさえも拭いきれない重厚と威圧、そして全体を覆う身も毛もよだつ恐怖感。
それは確かにそれが魔城であるという証明であり、同時にそこが最終地点であるという確証でもあった。
きっと、魔城の奥の奥――幾多の苦難を終えた先に、いるのだろう。このシナリオを完結させるための魔王――ソルヴァと呼ばれる災厄の根源が。
****
このゲームを始めたのは、いつの頃だっただろうか。
そう。確か冬、高校一年生の誕生日の時期からだったから、現在で丁度3年ほど経っただろうか。
……楽しい記憶を思い出していた。百合花が退会し、サニーと出会い、槍夜に襲撃され――そうしてたくさんの経験をした。
VRMMOを始めるまで、ゲームに興味のなかった自分が嘆かわしい。遊んでいればもっと早く攻略が進んでいたかもしれないのに。そう思うほどにアヴァロンにはまって、その良さを存分に知った。
もっと他のゲームも手をつけていればと思っても既に過去の話だ。しかし、だからこそ王道中の王道であるアヴァロンの中で新鮮味を持って駆け回ることが出来たのだろう。
鬱蒼としていて陰鬱な森林と地下にでも放り込まれたかのような雰囲気だけが同じで、他はまったく類似点の無い先ほどまで視界に入れていた目の前の城を見上げる。
この最終地点には未だどのプレイヤーも進入することは出来ていなかった。私たちのパーティーだけが、この全てのシナリオが終わる場所に足を踏み入れることに成功していたのだ。他の人々より、誰よりも早く。
その事実のなんと心奮わせることだろうか。
私は、私たちはこのために3年間を費やしてきた。私とサニーは学業を、槍夜は大学を卒業し、就職活動を投げ打ってでもこのゲームに打ち込んできたのだ。
誰よりも早く、ゲームをクリアするために。
それは、私がこのゲームを進める中で決意したことでもあった。
そのために強さを求め、第一部終了時に二人が拒否した転生も承諾し、愛着の篭ったキャラクターを放棄してまで新たな力を手に入れた。
レベルは既にカンスト――上限いっぱいにまでに達している。
それはサニーと槍夜も同じだった。きっと二人も、私ほどではないが一番というものに凝っていたことだろう。一緒に遊んでいれば、それぐらい理解できた。
これまで共に冒険を進めてきた、大事な仲間であるサニーと槍夜。実は魔城を攻略し終わったらリアルで逢おうと計画していた。今まではお互いに距離を開けていたし、ゲームに時間をとられ忙しいということもあり、リアルで会おうなどとは考えてこなかった。しかし多忙さもゲーム自体をクリアしてしまえば解消されるし、心の距離も互いに信頼しあう程に縮んでいった。
視線を後ろへ向ける。
パーティーの構成は私が前衛、中衛が槍夜で後衛がサニーだった。いつ襲撃されてもいいように、その構成は崩さない。それが私たちの取り決めだった。
それは魔城であっても変わらないはずだった。今までの構成が一番私たちに会っていて、そうして試行錯誤した結果に出来上がった完璧な陣営だったからだ。
しかし“そこ”に、いや“今ここに”その構成はなかった。
乱れているわけではない。気に入らない点があるというわけではない。
ただの一人もそこには存在していなかったのだ。
さっきまでは、ほんの一瞬まではそこに居たのだ。魔城を、ともに見上げていたはずなのに。
一癖も二癖もある二人は、どこにもいなかった。見慣れた派手な魔術師の服装をした少女も、隠れる気がないのかと思われるような白いアサシン防具を装備した男も、気配すら感じられない。
先ほどまで会話をしていた二人は、いつの間にか消えていた。
ついに最後のクエスト――魔王討伐の大舞台となり、緊張に声を掛け合っていた仲間は消え、そこにはただ森を抜けた先の草一本はえていない荒涼とした地面があるだけだった。
二人がログアウトをした形跡もない、一旦ログアウトすると声をかけられた覚えもない。忽然と消えて仲間に、突然リアルになった情景。
認めたくなくとも、ただ現実として受け止めるしかない事柄だった。
何もない――一瞬前には前線を援護してくれる力強い仲間がいた――空間から視線を転じ、再び前を見据える。今度は城を仰ぐのではなく、ただ一直線上を。
そこには城門があった。大量の人を地面に引きずるような音を、何十にも重苦しくしたような音を轟かせながら、喉元に伸びてくる死者の手のようにゆっくりと開口する魔の扉。
人間の横幅ほどある厚さの扉が開く光景は圧巻で、その奥には無数に確認できる紅い双眸の光りが灯っていた。それは“魔”という呼称がつく化け物たちが持つ、美しいとも言える両眼の赤い瞳だった。
走馬灯のように思い出す、3年も昔からただ一つの目標に向かってゲームを遊び続けて、仲間と一緒に戦って、ようやくここまでたどり着いて、ついさっきまでこの手にあった楽しかった日々。それが、なんとも懐かしく思えた。
もう、手を伸ばしても届かない。いつの間にか零れ落ち、再び掴む暇さえなかったらしい。
絶望の釜へ投げ込まれた私には、既に煮えられるしか選択肢はなかった。
ログアウトはプレイヤーの真実生命線だ。
ゲームは、基本的にログアウトつまりVRMMOで言えば沈んでから浮き上がることが出来るようになっている。それは、VRMMOは意識から仮想空間に移すものであるからだ。そんなメットが現実に意識を戻せなくなるならば、それは人を電子の世界に閉じ込めて、殺そうとしているのも同じことだ。だから、浮かび上がるための装置であるログアウトという回線は、確かにそのプレイヤーを現実へ呼び戻す生命線であった。
しかし、その生命線も脆いものだったらしい。私は今ログアウトが出来なくなっていた。私の生命線は綺麗に断ち切られたらしかった。
それどころか、VRMMOは、アヴァロンはどうしてかさらに高機能になっていた。
五感の中で使えるものは聴覚と視覚、触覚だけだったのに対し、今は生臭く息がつまるような悪臭を感じることが出来るし、極度の緊張の為に乾ききり、切れた唇から滲む血の味さえ感じ取れる。
全身からは冷や汗が吹き出て、息が浅くなる。
こんなことは、なかった。ありえなかった。安全面を考慮して製作されたはずのゲーム内で、ありえるはずがなかった。呆気なく断ち切られた生命線は、私に生の生々しい感覚を味あわせた。
眼前には城門から染み出すように黒色の巨体を蠢かせる魔物たちの姿。
時間制限付きだったのか、それとも初めから冒険者が来れば魔物たちが襲ってくる設定だったのか――以前この城を発見したときには現れなかった魔物たちが私を、一人のプレイヤーが使用するキャラクター“シオン”を見て、その鋭利な歯が生え揃う隙間から紫色の涎を垂らしていた。
「ああ、」
もう何がなんだか分からなかった。ただの一般人である私に今の状況を把握など出来なかった。
理解不能な状況を目の当たりに、体感し、ただ、あるのは不安や恐怖といった負の感情だけだ。
目の前の魔物が怖い。自分の感じている、リアルと変わらない感覚が怖い。近付く魔物が怖い、仲間がいなくなったのが怖い。
そうして、何もかもの手立てが失われ本当に一人だと確信したとき。
「ああ、ああああぁぁああああ!!」
何か、大切な線が事切れた。
張り詰めたピアノ線を引きちぎるように、もう後戻りは出来ないと無慈悲な宣告を明け渡され、その理不尽さに引いてはならない引き金を引いたように。
魔物たちは城門からあふれ出し、私を出迎えていた。その人とは掛け離れた姿形の魔物たちが爪を、牙を、確実に人を死に追いやる凶器を振りかぶり私に向けてくる。偽者なんかじゃない本物の化け物たちが襲い掛かってくる。
私はその場から駆け出した。
何もかもが分からない。一瞬にして全てを理解できる頭なんて無い。いきなり与えられた状況で冷静に判断できる思考能力もない。
ただ、やらなければ殺されるという恐怖を糧に、自らの凶器を振るった。




