重さを量る令嬢
「粉屋の秤」と笑われてきた手のひらの令嬢が、収穫祭の夜会で、たったひとつの銀の杯を持ち上げたとき。
婚約破棄、ざまぁ、そしてハッピーエンド。一話完結です。
「エルゼ。その手で、私の杯に触るな」
収穫祭の夜会の広間で、ローデリヒ・グラッセは、わざと周りに聞こえる声で言った。
エルゼ・ハーヴィルは、のばしかけた手を、そっと引っこめた。
給仕が落としかけた杯を、受け止めようとしただけだった。けれど、婚約者の目には、そうは見えなかったらしい。
「まったく。どこでも、何でも持ち上げて、重さを当てたがる。子爵家の娘というより、粉屋の秤だな」
近くにいた令嬢たちが、扇で口もとを隠して笑い合った。
エルゼは、何も言わずに目を伏せた。
言い返すことは、できなかった。ローデリヒの言うことは、半分は本当だったからだ。
*
エルゼの手のひらは、重さが分かる。
持ち上げた瞬間に、それがどれだけの重さか、手のひらが勝手に教えてくれる。麦ひと粒の違いまで、ちゃんと分かる。
ハーヴィル家は、小さな子爵家だった。領地には大きな水車小屋があって、領民たちが麦を挽きにくる。幼いエルゼは、小屋の隅で、袋の重さを言い当てる遊びをしていた。
「お嬢さまの言うとおりだ。秤より正確だ」
粉屋の親方が、目を丸くしてそう言ってくれたのが、うれしかった。
けれど、伯爵家のローデリヒと婚約してからは、それは恥ずかしいことになった。
「令嬢が、麦袋を量ってどうする」
「人前で、物の重さを口にするな。品がない」
だからエルゼは、人前では何も持たないようにして暮らしてきた。杯も、扇も、侍女に持ってもらった。持ち上げなければ、分からない。分からなければ、何も言わずに済む。
*
夜会の中ほどで、広間の扉が開いた。
入ってきたのは、王弟のアーベル殿下だった。王宮の財務を預かる方で、めったに夜会には顔を出さない。その後ろに、衛兵が二人。衛兵のあいだに、うなだれた若い男がはさまれていた。
広間が、しんと静まった。
「楽しんでいるところを、すまない」
アーベル殿下は、低い声で言った。
「今朝、王宮の銀庫で、収穫祭の税として納められた銀貨を数えた。数は合っていた。だが、量ってみると、袋ごとに少しずつ軽い。……足りない銀は、合わせて、銀貨三百枚ぶんになる」
ざわめきが広がった。
「出納係のトビアスが、預かっているあいだに削り取ったのではないか、という者がいる。本人は、知らないと言っている」
若い男が、顔を上げた。青ざめた顔で、何度も首を横に振っている。
「わ、私は、袋に触ってもいません。数えて、記して、それだけで……!」
「見苦しいぞ」
声を上げたのは、ローデリヒだった。
「その銀貨を集めて王宮へ運んだのは、我がグラッセ家だ。運んだ時には、一枚も欠けていなかった。欠けたのなら、王宮に入ってからだろう」
ローデリヒは、広間の奥の卓を、得意げに指さした。
卓の上に、大きな銀の杯が置かれていた。今夜、グラッセ家が国王陛下に献上したものだ。燭台の光を受けて、まぶしいほどに輝いている。
「我が家は、税とは別に、あの杯まで献上している。うちの職人が、ひとつの銀の塊から打ち出した、つぎ目のない杯だ。……銀を盗むような家が、こんなものを差し出すと思うか」
周りの貴族たちが、感心したようにうなずいた。
エルゼは、その杯を見ていた。
見ているうちに、胸の奥が、ざわざわした。
(……つぎ目のない杯)
持ってみなければ分からない。でも、持ったら、分かってしまう。
「エルゼ」
ローデリヒが、こちらを振り返った。にやりと笑っていた。
「ちょうどいい。この場で言っておこう。お前のような、何でも量りたがる女は、伯爵家にはふさわしくない。今夜かぎりで、婚約は終わりだ」
広間の視線が、いっせいにエルゼに集まった。
エルゼは、何も持っていない自分の両手を見下ろした。
それから、顔を上げた。
「……承知いたしました」
ローデリヒが、少し拍子抜けした顔をした。泣くか、すがるかすると思っていたのだろう。
エルゼは、彼の横を通りすぎて、アーベル殿下の前に進み出た。
「殿下。おそれながら、銀貨を一枚と、あの杯を、持たせていただけますか」
「……なに?」
「わたくしの手は、重さが分かります。麦ひと粒の違いまで。……出納係の方が削ったのかどうか、手で量ればお答えできます」
くすくす笑う声がした。粉屋の秤だ、と誰かがささやいた。
アーベル殿下は、しばらくエルゼの顔を見ていた。それから、衛兵に目で合図をした。
「持ってこい」
*
人前で、何かの重さを口にするのは、婚約してから初めてだった。
衛兵が、税の袋から銀貨を一枚出して、エルゼの手のひらにのせた。
すぐに分かった。
「軽いです。本来の重さより、麦ひと粒と半分ほど」
「削られている、ということか」
「はい。でも」
エルゼは、銀貨を指先で裏返した。
「削り口が、古いです。ふちが、もう手ずれで丸くなっています。今朝や昨日、王宮で削ったものではありません。……削られてから、何日も、いろいろな手を渡っています」
出納係のトビアスが、はっと顔を上げた。
ローデリヒの顔から、笑みが消えた。
「ばかばかしい! そんなもの、手で分かるはずが――」
「それから、こちらも」
衛兵が、卓の上の銀の杯を運んできた。
エルゼは、両手で、それを受け取った。
ずしり、と手のひらに沈んだ。
ほんの少しだけ、目を閉じた。
「……殿下。銀貨一枚から、麦ひと粒と半分。それが三百枚ぶんで、どのくらいになるか、ご存じですか」
「計算すれば、出る」
「計算しなくても、分かります」
エルゼは、目を開けた。
「この杯と、同じ重さです。ぴったり」
広間が、凍りついたように静まり返った。
「つぎ目のない杯、とおっしゃいましたね、ローデリヒ様。ひとつの銀の塊から打ち出した、と」
エルゼは、杯の底を、指先でそっとなぞった。
「この杯は、ひとつの塊ではありません。細かい銀を、何度も溶かして、寄せ集めて作っています。重さのかかり方が、ところどころ、ほんの少しずつ違うんです。……削りくずを集めると、こうなります」
「でたらめだ!」
ローデリヒが叫んだ。
「そんなもの、その女の思いこみだ! 殿下、こんな粉屋の秤の言うことを――」
「秤なら、ある」
アーベル殿下が、静かに言った。
「銀庫に、王宮でいちばん正確な秤がな。……杯を運べ。それから、グラッセ伯爵家の銀細工の職人を、今夜のうちに呼んでこい」
ローデリヒの顔が、真っ白になった。
*
王宮の秤は、エルゼの手のひらと、同じ答えを出した。
グラッセ家の職人は、問いつめられると、すぐに白状した。伯爵家に運びこまれた税の銀貨のふちを、ひと晩かけて削らされたこと。削りくずを溶かして、あの杯を打たされたこと。
「税の銀を削って、その銀で王に贈り物をするとはな」
アーベル殿下は、心の底からあきれた声で言った。
「盗んだ銀で、忠義の顔をするつもりだったのか」
グラッセ伯爵は、その夜のうちに、爵位を預かりとされた。ローデリヒも、父親と同じ馬車で、王宮の牢へ運ばれていった。最後まで、「粉屋の秤のくせに」と、誰にともなくつぶやいていた。
出納係のトビアスは、縄を解かれた。エルゼの前で、何度も何度も頭を下げた。
「ありがとうございました。……本当に、ありがとうございました。母に、なんと言おうかと、そればかり考えていて」
「お母さまに、早く会いに行ってさしあげてください」
エルゼが言うと、トビアスは、泣き笑いのような顔で、もう一度頭を下げた。
*
夜会がお開きになったあと、エルゼは、王宮の回廊に呼ばれた。
アーベル殿下が、窓辺に立っていた。
「ハーヴィル嬢。今夜は、助けられた」
「わたくしは、持ち上げただけです」
「その『持ち上げただけ』が、ほかの誰にもできなかった」
殿下は、エルゼの手を見た。銀の杯を持った手のひらが、まだ少し赤かった。
「銀庫には、毎月、国じゅうから銀と金が運ばれてくる。秤は正確だが、秤は、削り口の古さまでは教えてくれない。……王宮で、量り役として働いてもらえないだろうか」
エルゼは、目をまばたかせた。
「……粉屋の秤、と、笑われませんか」
「笑う者がいたら、私のところへ連れてこい。その者の持ち物を、全部量らせてやる」
エルゼは、思わず小さく笑ってしまった。
殿下は、それから、上着の内側から、小さな箱を取り出した。手のひらにのるくらいの、紺色の箱だった。
「もうひとつ。……これを、持ってみてくれ」
エルゼは、その箱を受け取った。
軽かった。けれど、箱だけの重さではなかった。
「……指輪が、ひとつ、入っていますね。金の台に、小さな石がひとつ」
殿下が、困ったように眉を下げた。
「開ける前に当てるのは、反則だ」
「申し訳ございません。手が、勝手に」
「今すぐ、とは言わない。量り役の仕事が、嫌にならなかったら。……その時に、もう一度渡させてくれ」
エルゼは、紺色の箱を、両手でそっと殿下に返した。
それから、そのまま、殿下の手に、自分の手を重ねた。
「重さは、もう覚えました」
殿下の手は、あたたかかった。
エルゼの手のひらは、その重さを、ちゃんと覚えていた。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
今回の令嬢の力は「重さ」です。目にも鼻にも舌にも頼らず、手のひらだけで、銀三百枚ぶんの嘘を持ち上げてもらいました。
殿下の紺色の箱は、エルゼが当ててしまうと分かっていて書きました。分かっていても、渡したい。そういう二人の始まりにしたかったのです。
シリーズ「ふしぎな力を持つ令嬢たち」の一作です。ほかの令嬢たちのお話も、よろしければどうぞ。




