5.チョコの着地点
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「さぶっ」
コートにマフラーの完全防備でも、日が落ちかけてひんやりとした空気と時折吹き付ける冷たい風の駆け抜ける外は寒かった。
茜はコートのポケットに手を突っ込み、ポケットの中ですっかりぬるくなったカイロをぎゅっと掴む。
先程まで図書室の窓から眺めていた正面玄関から、校門へと向かう。
「あっ」
校門まで来たところで、思わず声を上げてしまった。
まだいる。
石柱に寄りかかるようにして座り込んだ、女の子が一人。
白いファーつきのコートを着ていたが、だいぶ寒いのだろう、少し青ざめた顔で体を抱きかかえるようにじっとしている。
背中にランドセルがあるということは、もしかして授業が終わってからずっとここで待っていたのだろうか。
茜の声に、女の子が顔を上げた。
きょとんとした顔で見上げてくる。
茜は目が合ってしまったことにちょっとだけたじろいだが、すぐにポケットから手を出して持っていたものを女の子の手の中に渡す。女の子はピンク色の可愛らしい手袋の中に突然現れたすすけた使い捨てカイロに当然のように首を傾げた。
「あっ、ちょ、ちょっと待ってね!
今新しいの出すから」
そう言って茜はバックの中をあさると、未使用の使い捨てカイロを取り出した。
袋から取り出し、早く温まるように思いっきり振る。
予備を持っててよかった・・・と思いながら女の子を見ると、女の子は茜の渡したぬるいカイロを頬に当てながら「あったかい・・・」と呟いた。
思わずほっとしてしまうような、そんな笑顔を浮かべて。
「ここ風がもろに当たるし、寒かったでしょ」
茜の苦笑気味の言葉に、女の子は鼻を赤くしてこくん、と頷く。
それから茜を見上げて深々と頭を下げた。
「あ、あのっ。ありがとうございます」
思いがけない礼儀正しさに、それから頭を上げたときに見せたにこっとこぼれるような笑顔に、茜は素直に可愛い、と思った。
と同時に、こんなに可愛い子をこんな寒い中待たせているのは誰だろうという素朴な疑問も湧く。
茜は思いっきり振っていた手を止めて、今度はカイロを両手で揉むようにこする。しばらくすると摩擦により手のひらの中でぽかぽかと熱を持ち始めたカイロを、茜はまたころん、と女の子の手のひらに落とした。
「すぐ温かくなるから。
・・・ねぇ、もう学校に残ってる人ってそんなにいないよ?暗くなってきたし、そろそろ帰らないと親が心配するんじゃない?」
茜の問いかけに女の子は驚いたように目を瞠ったが、すぐに寒さのためにぎこちない笑顔を浮かべた。
「・・・多分大丈夫。お父さん、待ってるから」
「・・・へ?お父さん?」
思いがけない言葉に思わず間抜けな声が出た。
そんな茜を見上げ、女の子はうん、と頷く。
「松井、健二っていうの」
「・・・えぇっ、松井先生!?」
さらに予想外の言葉が女の子の口から飛び出して、茜は女の子をまじまじと見つめたまま絶句した。
全体的に小柄で小作りなあどけない少女が、ちょっと中年太り入ってて顔もお腹も丸々している松井先生とはどうしても重ならなかった。
「松井先生って私の担任だけど・・・じゃああなたが先生自慢の芽衣ちゃん?」
言われて、芽衣はちょっとはにかむように笑った。
「松井先生は芽衣ちゃんが来てること知ってるの?」
茜は芽衣と視線の高さをあわせるようにしゃがみこんで尋ねた。
はぁ、芽衣ちゃんてば絶対母親似ね、なんてぼんやり考えながら。
「驚かそうと思ってきたから、お父さんには何も言ってないの」
そう言うと芽衣は、手作り感の溢れる手提げ袋から小さな包みを取り出して茜に見せた。
「これ、昨日芽衣が作ったの。お父さんに早くあげたくて」
可愛いクマの絵がプリントされているセロハンの袋の中には、ころころと茶色い塊。
トリュフほど丸くはないけれど、四角いわけでもない、いびつな形のチョコが詰められていた。
「・・・」
にこにこと松井先生によく似た人好きのする笑みを浮かべる芽衣を見て、松井先生の親ばかぶりにも思わず納得してしまう。これは確かに可愛い。
「でもあれ・・・、松井先生って車通勤じゃなかったっけ?あれ、自転車?」
芽衣が隣の小学校に通っていることからもわかるとおり、先生の家はそう離れてはいないはずだが、そう近くもなかったはずだ。
歩いて学校に来る松井先生なんか見たことなかった茜は首を傾げた。
そして、同時に嫌な予感もする。
「お父さん、車で学校に来てるよ。黒い小さいやつ」
「・・・」
嬉々とした芽衣の言葉に、茜の予感は的中した。
「芽衣ちゃん・・・駐車場は裏門のほう・・・」
「えっ!?」
そもそも先生達はあまり校門から出入りをしない。駐車場や駐輪場がある裏門を使っているはずだった。
茜の言葉に目を大きく瞬かせて驚いた芽衣は、見る間にその瞳にジワリと涙を浮かべて、それを堪えるように口を引き絞った。
「・・・お父さん、帰っちゃったの?」
・・・そうかもしれない。
なんて、そんなこと口が裂けても言えるはずは無く、茜はあわてて芽衣を宥めた。
「だ、大丈夫じゃないかなっ。先生達は結構遅くまで残ってるし・・・とりあえず、裏の方行ってみようか?」
「・・・うん」
茜が手を引くと、芽衣はとぼとぼと引かれるままについてきた。
人気の無い閑散とした裏口は、日の落ちかかっていることもあって物寂しい気配が漂っていた。自転車がまばらに点在する駐輪場を抜け、半分ほど柵の閉まった裏門に着くと、とりあえず駐車場に松井先生の車が無いか探す。
「あ、あった!」
芽衣が叫んで、嬉しそうに黒い軽自動車に駆け寄った。
車のフロントガラスの前には可愛らしい人形達が並んでいて、松井先生の車というにはあまりに似合っていない。けれどそこに芽衣が加われば、人形好きの娘のために車を飾る、いいお父さんが浮かんだ。
「ありがとう、おねえちゃん」
茜のところへ戻ってきて、もう一度芽衣がお礼を言った。それと同時に、どこからかくぅ、と可愛らしい音が聞こえて、芽衣が慌ててお腹を押さえた。
「お腹すいた?」
微笑ましくって思わず笑いながら尋ねると、芽衣は顔を赤くしてこくん、と小さく頷く。
そんな様子に茜はますますおかしくなって、笑いながら芽衣の手を引いて風を避けるように裏口の段差へと座りこんだ。
「芽衣ちゃん、チョコ好き?」
「うん!」
元気の良い芽衣の返事を聞いて、茜は手にしていたバックを開けて中をあさる。そこから出てきたのは、青い小箱だった。
昼間はあんなに躊躇っていた小箱。茜はそのおしゃれに巻きつけられていたリボンと青い包装紙に自分で手をかけ、びりり、と破った。
包装紙の下からは白い箱が現れて、そっとふたを開ければ小さいチョコが六つ、綺麗に並ぶ。
デパートで見たままのその姿に、茜はなんだか急に切なくなった。
「おねえちゃん、これ誰かにあげるやつじゃないの?」
芽衣がためらいがちに聞いて、茜を心配そうに見上げてくる。そんな芽衣に茜はにっこりと笑った。
「大丈夫だよ。これはあまりもののチョコだから」
そう言って一粒小さなチョコをつまむと、芽衣の手のひらに落とした。
芽衣が躊躇うそぶりを見せたので茜も一つ、チョコをつまんで口に運ぶ。
マリアンのトリュフは、甘いけどちょっとだけほろ苦くて、驚くほど簡単に口の中で溶けてゆく。濃厚なカカオと生クリームのマイルドさも絶妙で、文句なしにおいしかった。
茜の食べる様子を見て、芽衣も手の中に転がるチョコを頬張る。そしてすぐに相好を崩して、幸せそうな表情を浮かべた。
なんだか芽衣のこの笑顔だけで、茜は満たされた気がした。
「大沢?」
背後から唐突に声をかけられ、茜は一瞬反応が遅れた。
と言うより、あるはずのない呼びかけに、一瞬本気で空耳かと思った。
半信半疑、まさかと思いながら振り返ると、そこには裏口から出てきたらしい諏訪君が、茜と隣に座る芽衣の妙な組み合わせを不思議そうに見ていた。
とっくに帰っていると思っていた諏訪君の姿に、茜はなんだか思いっきり焦ってしまった。
「す、諏訪君・・・っ、あ、あれ、まだ帰ってなかったの?」
「ああ・・・、試験近いし、教室で勉強してたから。
大沢こそ、こんなところで何してるんだ?」
教室・・・そういえば本と一緒にノートと教科書もあったような・・・なんて事をぼんやり考えて、とりあえずこの場を説明しようと口を開く。いきなり現われた男の人に、芽衣はちょっと怖いのか、おどおどと諏訪君と茜を見比べていた。
「え、えっと、私達は松井先生を待ってるんだけど・・・、
ほら、この子、先生が良く自慢してる愛娘の芽衣ちゃん!先生にチョコ渡しに来たらしくて。でもなかなかこないし、お腹すいたしで、チョコつまんでたとこ・・・」
焦りのために最後のほうは自分でも何を言ってるのかわからなくなっていた。そのために恥ずかしくて余計に焦る。
「あっ、す、諏訪君もチョコ食べる?おいしいよっ」
茜はとりあえず誤魔化すための苦肉の策として、諏訪君に向かってずい、とチョコの小箱を差し出した。
「え・・・」
いきなりのことに驚いたのか、諏訪君が躊躇うそぶりを見せて、茜はそこでようやく我に返った。自分のやっていることに気付いた途端、心臓がすごい勢いで鳴り始める。
―――いや、だめ。断らないで。
祈るような気持ちで、それ以上諏訪君の顔を見れなくて思わず俯いてしまう。
「・・・ああ、ありがとう」
だから諏訪君がそう言って、手に持った箱からチョコを一粒取り出したときは信じられなくて、思わずまじまじとチョコを口にする諏訪君の顔を凝視してしまった。
―――食べてる。
そう実感した途端、一気に気が抜けるような安堵感が広がって、それとほぼ同時に胸の奥底からこみ上げてくる感情。嬉しい。
―――あ、あれ?
諏訪君が食べてくれたことを実感した途端、先程までとはまた違う意味で五月蝿くなり始めた心臓の音。
―――えっ、ええっ!?
それと同時に、カーッと顔が赤くなっていくのが自分でもわかる。茜は慌てて諏訪君から顔を背けると、真っ赤になった顔に気づかれないよう、両膝に顔をうずめた。
「おねえちゃん?」
「えっ、あ、・・・芽衣ちゃんもハイ、まだあるよっ」
不思議そうに覗き込んできていた芽衣が、差し出された小箱を見て嬉々として笑った。そして茜から小箱を受け取ると、自分で一粒、そして後ろに立つ諏訪君に向かって一粒。
「はい、おにいちゃんにも」
その言葉に、茜はまたまた激しく高鳴り始めた心臓を必死に押さえる。
とっくの昔にどこかへ行っていたと思っていた恋心、実はずっと茜の中で眠っていたらしい。
「はい、おねえちゃん」
最後の一粒をつまんで、芽衣がにっこり笑う。
日が落ちていて良かった、と思いながら、茜はゆっくり顔を上げると、最後のあまりもののチョコ、そして今年ようやく余ることなく渡せたチョコを口の中に放り込んだ。
終




