2.学校にて
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朝起きて、鏡を覗き込んだら酷い顔だった。
昨日の夜更かしがたたったらしい、むくんだ顔とまぶたが重い。
机の上に目を移して、茜は困ったようにぽりぽりと頬をかいた。
綺麗に並べられているのは友チョコと、それからあまりものの青い小箱。
今日のこの日にすべてをかけている女の子がいることを考えれば、自分の鏡の中の顔と緊張感の無さは女失格とも言えるものだったが、とりあえず今は好きな人がいなくて良かった、と胸中で呟く。
壁にかけられた、子猫の姿が愛くるしいカレンダーを見れば、今日の日付のところにハートが入っている。
2月14日。
バレンタイン・デー。
どうせ今年も関係ないわね、そんなことを思いながら茜はもう一度机の上に置かれたチョコに目を移して、ぽいぽい、と通学用のバックの中に放り込んでいく。
最後に青い小箱が残って、茜は一瞬迷うように手を止めたが、やがてそれもぽい、とバックの中に放り込んだ。
どうしてだろう。
―――これも、例年のことなのだ。
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学校に着くと、それはもうすでに下駄箱から始まっていた。
「うわぁ…入ってる」
自分の靴を入れようとして思わず目に付いてしまった男子生徒の靴箱の中に、ひっそりと隠れるように置かれたチョコレート。
それを感心げに見つめて、茜はついつい他の靴箱にも目をやってしまう。
皆早速バレンタインを満喫しているらしい。
こうなってくると、関係ないとはいえ自分もなんだかうきうきしてくる。
今日告白する人はどれだけいるんだろう。そんなことを考えながら、靴箱の前でぼさっと突っ立っていた茜の目はある靴箱の前で止まった。
「あーかっ!」
「ひゃぁっ!」
いきなり背後でかけられた声と勢いよく叩かれた肩に、必要以上にびくりと体を震わせた茜は、涙目になりながら恐る恐る振り返る。
「けーちゃん・・・」
そこには友達の田口桂子が、にやりとした意地の悪い笑みを浮かべて立っていた。
「男子の下駄箱前で突っ立って、何してたのかなっ?
もしや関係ないとか言いつつ、誰かにチョコあげる気満々?」
「ちっ、違うよ!
別にあげたい人なんていないし」
慌てて首を振ると、桂子はつまらなそうになぁんだ、と呟く。
「私はてっきりこの人にでもあげるのかと思った。ここら辺見てたみたいだったから」
そう言って桂子の指差した先には、いまだ上履きのままの靴箱がひとつ。
“諏訪 誠”
同じクラスの男子で、茜は一年の頃から知っている。話したことは数えるほどにしかないけれど。
茜は苦笑しつつ手を振った。
「あげないって。今はもう好きじゃないし」
好きだったのは一年の頃の話。
それこそ一年目のバレンタインには諏訪君にチョコをあげようかどうしようか死ぬほど悩んだけど。
思えばあの時が一番バレンタインの本髄を味わっていたのかもしれない。
茜の言葉に桂子はますますつまらなそうに唇を尖らせたが、すぐに興味を失ったらしく新しい話題へと切り替えて茜を引っ張るように教室へと向かう。
引っ張られながら、茜はもう一度だけ諏訪君の靴箱に目をやった。
なんとなく見た靴箱の中は上履き以外入っていなかった。
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「あ、茜のやつ私とかぶってる」
昼休みでざわめく教室の中、教壇前の段差に腰掛けてお弁当の包みと一緒に友チョコを取り出していた茜は思わず自分の手の中のものと横に座る瑞帆の手の中のものを見比べた。
見覚えのある包み、見覚えのあるサイズ、見覚えのあるロゴ。
「茜も丸州のデパート行ったんでしょ?」
瑞帆がにやりと笑って言った。
「まぁね。・・・てか、自分があげたものが返ってくるのって微妙だぁー」
「確かに。傍から見れば自分で買ったものを自分で食べてるみたい」
そう言って笑う絵里の手には可愛らしい袋でラッピングされた、茶色い塊。よく見ればマフィンらしく、スライスアーモンドなんかも乗っていておいしそうだった。
「うわ、絵里それ作ったの?」
けーちゃんが感心したように言って、早速もらったマフィンを頬張り始め、自分はラッピングしただけのチロルチョコを皆に配る。
「・・・けーちゃん・・・毎年これじゃん」
「今年はブラウニー作るって言ってなかったっけ?」
瑞帆の呆れたような声と絵里の素朴な問いかけに、桂子はちろりと舌を出して照れたように笑う。
「あは、また失敗しちゃった」
これも、毎年恒例だなぁ。
そんなことを考えつつ、茜はお弁当の包みを広げて冷えて硬くなったご飯を箸でつついた。
茜達がお昼を取っている教壇のそばからは教室内がよく見渡せて、いくつものグループで分かれている女子達の間では似たようなやり取りが行われていた。
たまに黄色い歓声が上がるところは、今日という日に一大事を成し遂げた子がいるらしい。
「あーかっ、これ何?」
お弁当を食べ終えた桂子が、茜のバックを覗き込みながら言う。
もらったチョコを入れたときに開けっ放しにしていたバックの口からは、底の方に青い包装紙とリボンが見える。
ヤバい、と思ったときには遅かった。
「チョコじゃん、しかもまともなやつ」
桂子の言葉に、瑞帆と絵里も興味津々の顔で覗き込み、わぁ、と歓声を上げた。
「やだ、茜ってば誰にあげるの?」
「これは・・・、友チョコじゃないしね?」
瑞帆が意地悪く笑いながら、チョコの外観をまじまじと観察した。
そう、友チョコにするにはちょっと豪勢過ぎて、本命にするには少し物足りない。そんなチョコなのだ。
「こ、これは・・・っ」
言いかけて、茜は困った。
誰に渡すともなく、ただなんとなく持ってきてしまったものなのだ。まさか後で自分で食べる、とも言えないし。
「ああっ、これってマリアンのチョコじゃん。あそこのおいしいんだよねぇ・・・」
そう言うと桂子は目をきらきらさせて茜を見上げる。
「うっ・・・、なに、けーちゃん」
「食べよう、あーかっ。どうせこれいつものやつでしょ?」
毎年茜が一つ余分にチョコを持ってくることを知っている桂子は、悪びれも遠慮も無く言う。
それもそのはず、毎年バレンタイン学校帰り、一緒にあまりもののチョコをお腹の中に処分してくれるのはけーちゃんなのだから。
「なに?このチョコなんなの?」
瑞帆と絵里が不思議そうに茜と桂子のやり取りを見て首を傾げる。
今にも青い包みに手をかけようとしていた桂子を見て、茜は思わずチョコをバックごと抱きしめて叫んだ。
「だっ、だめだめ。
これは―――そう、これは松井先生にもってきたの!ほら、もう三年目だし、色々お世話になったし」
茜のしどろもどろの説明に、桂子がえ~、と不満そうな声を出す。
「まっちゃんなんかいいよーあげなくても。
マリアンのチョコ・・・食べちゃおうよー」
桂子の訴えるような目に、思わずうっと言葉を詰まらせた茜だが、それを振り切るように頭を振るとがばりと立ち上がった。
「あ、あたしっ・・・松井先生に渡してくる」
そう言うと逃げるようにその場から立ち去った。




