第十七話 結衣の復讐
〈目次〉
・第一節 史緒里の計算
・第二節 茜の懇願
・第三節 質の差
〜登場人物〜
・山崎結衣(19歳)
山崎弘・美佐子夫妻の長女。意義人の姉。白鳥大学文学部。美白な肌と綺麗な茶色のロングヘア、美脚、丸い小顔が特徴。普段は青いワンピースを着ている。少しだけ女優として活動している。弟とよく喧嘩をしてしまうが、大切に思っている。
・山崎意義人(17歳)
山崎弘・美佐子夫妻の長男で、結衣の弟。高校2年生。結衣と比較すると地味な顔立ちだが、似ている部分もある。姉とは仲良しだが、よく喧嘩もする。
・山崎弘(45歳)
山崎義郎・文枝夫妻の長男で、結衣と意義人の父。容姿は、眼鏡をかけた地味な丸顔で、髪は少し薄く、小太りである。愛娘の結衣を溺愛している。
・山崎美佐子(42歳)
田辺寛夫・優美子夫妻の長女で、結衣と意義人の母。顔は結衣と似ているが、結衣よりもほんの少し面長。髪型は、若干ウェーブがかかった茶髪。優しい性格。
・山田茜
白鳥大学文学部。結衣の高校時代からの親友。髪型は黒髪ショート。生意気な顔をしている。悪戯好きな性格。
・中島明日香
白鳥大学文学部。結衣の高校時代からの親友。髪型は金髪ポニーテール。純粋で優しい性格。
・小川史緒里
白鳥大学文学部。結衣の高校時代からの親友。髪型はくるくるした紫髪。眼鏡をかけたインテリ風な顔。計算高い人物。
第一節 史緒里の計算
放課後、結衣は足早に帰路についた。カフェテリアでの出来事が頭から離れず、早く一人になりたかった。家に着くと、すぐに自分の部屋へ直行し、マイルームで課題に取り組み始めた。
課題は、たしかに難解なものだったが、結衣の相手ではなかった。集中して課題をこなすうち、少しずつカフェテリアでの恥ずかしさも薄れていった。
課題が一段落した頃、スマホが震えた。明日香からのLINEだった。
明日香:『結衣ちゃん、今日はごめんね…。茜ちゃんも史緒里ちゃんも、ちょっとやりすぎだよ。結衣ちゃん、大丈夫?元気出してね!』
明日香の優しいメッセージに、結衣の心は少し和んだ。やっぱり明日香はいい子だな、と結衣は思った。
〜五日後〜
リビングのソファで、結衣はぼんやりとテレビを見ていた。あの日のことは、まだ少し心に残っているものの、普段通りの日常が戻ってきていた。
その時、スマホが鳴った。画面を見ると、「史緒里」の文字。結衣は少し身構えながらも、通話ボタンを押した。
結衣「もしもし。」
史緒里「もしもし、結衣さん。あの時は本当にごめんなさいね。結衣さんの気持ちを全然考えられなくて。茜さんが悪いのよ。急にそんなこと話すから。ところで、結衣さん、英語の課題、教えて下さらない?明日提出期限なのよ。」
史緒里の声は、まるで心から反省しているかのような、しおらしいトーンだった。しかし、その言葉の後半で、いつもの史緒里に戻っていることに、結衣はため息をついた。やはり、そうきたか。
結衣「…史緒里、あんたねぇ。」
結衣は、呆れてものも言えないといった表情でスマホを耳に当てていた。反省しているフリをして、ちゃっかりと課題を頼んでくるあたり、さすが史緒里だ。
結衣「茜のせいにするなんて、あんたも大概でしょ。それに、明日提出期限って、今頃になって言うこと?」
結衣はそう言いながらも、どこか諦めの表情を浮かべていた。どうせ、断ったところで、史緒里はしつこく食い下がってくるだろう。そして、最終的には、結衣が根負けして教えてしまう、というのがいつものパターンだ。
結衣「…で、どこの部分が分からないのよ。」
結局、結衣はそう言ってしまった。史緒里の計算高さに、まんまと乗せられている自分に、結衣は苦笑いを浮かべるしかなかった。
結衣の諦めを含んだ言葉に、史緒里はパッと明るい声を上げた。
史緒里「結衣さんには本当に助けられますわ。教えて貰っておいて何もお返しできないのは少し気が引けますね。今週の土曜日、結衣さんの好きな焼肉を奢ってあげますわ。そういえば茜さん、まだ課題終わってないそうですよ。私はもちろん終わってない振りしますわ。」
史緒里は、得意げにそう言った。焼肉という言葉に、結衣は少し心が揺れる。食いしん坊の結衣にとって、焼肉は魅力的な響きだ。しかし、史緒里の「茜さんもまだ課題終わってないそうですよ。私はもちろん終わってない振りしますわ」という言葉に、結衣は呆れを通り越して、もはや感心すら覚えた。この計算高さは、ある意味才能だ。
結衣「…あんたねぇ、本当にしたたかだわね。」
結衣は、ため息交じりにそう言った。しかし、焼肉の誘いはやはり魅力的だ。それに、史緒里に恩を売っておけば、また何かあった時に利用できるかもしれない、という結衣自身の計算も働いた。
結衣「…分かったわよ。焼肉、奢ってくれるって言うなら、考えてあげてもいいわ。でも、茜の課題まで私が教える義理はないからね。」
結衣は、そう言って釘を刺した。史緒里が茜の課題まで結衣に押し付けようとしているのは、分かりきっていたからだ。
史緒里「あら、まあ、茜さんのことは、またその時に考えますわ。結衣さん、ありがとうございます!じゃあ、今からLINEで詳細送りますね!」
史緒里は、嬉しそうにそう言い、電話を切った。結衣は、スマホを耳から離し、小さくため息をついた。結局、史緒里の手のひらの上で転がされているような気分だ。
しかし、焼肉。美味しい焼肉。結衣は、少しだけ、土曜日が楽しみになっていた。もちろん、史緒里の計算高さには呆れるけれど、たまにはこんな風に流されるのも悪くないのかもしれない。
第二節 茜の懇願
午後11時。結衣は、マイルームのベッドに寝転がって、好きな男性アイドルグループの写真集を眺めていた。キラキラとしたアイドルたちの笑顔に、日中の史緒里とのやり取りで疲れた心が癒される。
その時、結衣のスマホが鳴った。画面を見ると、「茜」からの着信。こんな時間に、一体何だろう。結衣は、不思議に思いながらも通話ボタンを押した。
結衣「もしもし?」
茜「もしもし…」
電話口から聞こえてきたのは、いつもの生意気で活発な茜とは似ても似つかない、か細く、今にも消え入りそうな声だった。結衣は、思わず身を起こした。
結衣「茜?どうしたの?そんな声出して…。」
結衣の問いかけに、茜はしばらく沈黙した後、絞り出すような声で話し始めた。
茜「結衣…ごめん。本当にごめんなさい。うち…まだ課題、全然終わってなくて…。」
茜の声は、震えていた。普段、どれだけ結衣に頼っていたかが、痛いほど伝わってくる。結衣は、呆れるよりも先に、茜のあまりにも情けない声に、少し同情のような気持ちを抱いた。
茜「明日香と史緒里が、結衣に教えてもらうって言うから、うちも…って思ってたんだけど、二人とも、もう教えてもらってるみたいで…うちも、結衣に頼るつもりだったのに、この前、あんなこと言っちゃって…。本当に、最低なことした。ごめんなさい。」
茜は、嗚咽交じりに謝罪の言葉を繰り返した。いつもの茜からは想像もできないほど、弱々しい。結衣は、ため息をつきながらも、どこか放っておけない気持ちになっていた。
結衣「…で?私にどうして欲しいの?」
結衣は、わざと冷たい声でそう言った。しかし、その声には、少しだけ優しさが滲んでいた。
茜「結衣…お願い。どうにか、課題教えてくれないかな。明日、提出なのに、本当に全然分からなくて…このままだと、単位落としちゃう…。」
茜は、必死に懇願した。その声は、泣き出しそうだった。結衣は、しばらく沈黙した後、フッと小さく息を吐いた。
結衣「…分かったわよ。しょうがないわね、あんたは本当に。今から、ビデオ通話つなぎなさい。いい?私が教えてあげるのは、今回だけだからね。次からは、ちゃんと自分でやりなさい。」
結衣は、そう言って、スマホを耳から離した。茜の声は、驚きと安堵で、一瞬途切れた後、「本当に!?ありがとう、結衣!大好きー!」と、いつもの明るさを取り戻した声が聞こえてきた。結衣は、その声に苦笑いを浮かべながらも、少しだけ満足感を覚えていた。
第三節 質の差
翌日、午前の授業が始まる前の教室。明日香、史緒里、そして茜の三人は、英語の課題を見比べていた。
明日香「結衣ちゃんが教えてくれたおかげで、なんとか間に合ったね!」
史緒里「ええ、結衣さんの解説はいつも分かりやすいですわ。おかげで完璧です。」
二人は、満足げに自分の課題を見つめている。しかし、茜の課題に目をやった途端、二人の表情は曇った。
茜「うーん…なんか、うちのだけちょっと変じゃない?」
茜の課題は、どう見ても、二人と比べて完成度が低い。ところどころ、結衣が教えてくれたはずのポイントが抜けていたり、解釈がずれていたりする。明らかに、付け焼刃感が漂っていた。
明日香「茜ちゃん…これ、本当に結衣ちゃんに教えてもらったの?」
史緒里「ええ、確かに我々の解答と比べると、少し…ね。」
二人の言葉に、茜はシュンとうなだれた。昨晩、結衣が根気強く教えてくれたのは事実だ。しかし、結衣は、茜に全部を教えなかった。というよりも、茜が完全に理解する前に、結衣が匙を投げた、というのが正しい。結衣は、茜の課題を完璧に仕上げさせるのではなく、あくまで「ヒントを与える」程度に留めていたのだ。普段、結衣に頼り切っていた茜には、その「ヒント」だけでは、完璧な課題を完成させることはできなかった。今から直そうにも、もう時間がない。
その時、教室のドアが開き、結衣がさっそうと入ってきた。いつものように、自信に満ちた表情で。
結衣「おはよう。」
結衣は、三人の様子に気づいているのかいないのか、特に気にする風もなく、自分の席へと向かっていく。茜は、バツが悪そうに結衣から目をそらした。明日香は心配そうに茜を見つめ、史緒里は「ほら見たことか」と言わんばかりの表情で、茜の課題と結衣の背中を交互に見やった。
結衣は、自分の席に着くと、ふと三人の机の方に目を向けた。そして、茜の課題をちらりと見て、フッと小さく笑みをこぼした。その笑みには、何か意味深なものが込められているようだ。
授業が始まる直前まで、茜は明日香と史緒里の課題を必死に書き写していた。しかし、内容をほとんど理解できていないため、ただ文字をなぞっているだけの状態だ。当然、それが正しいのかどうか、合格点に達するのかどうかすら、茜には全く分からなかった。焦りと不安が入り混じったまま、茜は課題を提出した。
授業が終わり、ホッと一息ついた茜は、結衣に駆け寄った。
茜「結衣!あのね、うちの課題なんだけど…」
茜は、今朝の出来事を掻い摘んで結衣に説明した。明日香と史緒里の課題を参考にさせてもらったこと、しかし、自分では内容が理解しきれなかったこと、そして、その結果、どれくらいの出来になったのか分からないこと、全く自信がないこと。全てを話し終え、茜は不安げな表情で結衣を見上げた。
茜「…ねぇ、結衣。うちの課題、これでも、合格できると思う…?」
茜の瞳は、まるで迷子の子犬のように、結衣に助けを求めていた。普段の生意気さは鳴りを潜め、ただただ不安げな表情を浮かべる茜に、結衣はフッと口元を緩めた。
結衣「どうでしょうねぇ。」
結衣は、一瞬意地悪そうに微笑んだ後、ふわりと茜の頭に手を置いた。
結衣「…あんたがどれだけ焦って書き写したか、私にはお見通しよ。でも、やるだけやったんだから、あとは結果を待つしかないでしょ?とりあえず、今回は提出できただけ良しとしましょうか。」
結衣の言葉は、決して褒めるものではなかったけれど、突き放すような冷たさもなかった。茜は、結衣の言葉に少しだけ安堵の表情を見せた。
茜「そっか…そうだよね。やるだけやったんだもんね…。」
茜は、結衣の言葉を反芻するように小さく呟いた。結衣は、そんな茜の頭を軽くポンポンと叩いた。
結衣「それに、今回は良い教訓になったんじゃない?これからは、ちゃんと自分で計画的に課題に取り組むことね。私だって、いつでも助けてあげられるわけじゃないんだから。」
結衣は、そう言って、優しくも釘を刺した。茜は、素直に頷いた。
茜「うん…!もう、結衣に迷惑かけないように、頑張る…!」
茜は、結衣の言葉に、心から反省しているようだった。結衣は、そんな茜の様子に、少しだけ満足そうな笑みを浮かべる。
茜は、結衣の言葉に少し元気を出し、再びいつもの調子に戻りつつあった。
茜「結衣はいつも優しいんだから!もし、次、結衣のお腹が鳴っちゃったら、うちが誤魔化してあげる!」
そう言って、茜は胸を張った。結衣は、そんな茜の言葉にフッと笑みをこぼした。
結衣「やめてくれる?そんなことしたら、余計に目立つに決まってるでしょ。」
結衣はそう言いながらも、茜の気持ちが少し嬉しかった。こんな風に、自分のことを気遣ってくれる友達がいるというのは、ありがたいことだ。
結衣「まぁ、でも、今回で懲りたでしょ?これからは、ちゃんと自分で計画的にやりなさいよ。じゃないと、本当に次はないからね。」
結衣は、念押しするように言った。茜は、大きく頷いた。
茜「うん!分かった!もう結衣には迷惑かけない!…多分。」
最後の「多分」に、結衣は呆れ顔を見せたが、それでも茜の顔には、もう不安の色はなかった。結衣は、そんな茜の様子を見て、心の中でフッと息をついた。
結衣「はいはい。じゃあ、そろそろ私も行くわ。あんたも、次の授業あるんでしょ。」
結衣は、そう言って立ち上がった。茜も、慌てて立ち上がる。
茜「あ、うん!じゃあね、結衣!本当にありがとう!」
茜は、満面の笑顔で結衣に手を振った。結衣は、そんな茜に軽く手を振り返し、教室を後にした。
茜の課題の一件は、結衣にとって、少しだけ疲れる出来事だったけれど、それでも、友達とのやり取りは、結衣の日常に彩りを加えてくれるものだった。そして、そんな日常の中で、拓海との出来事が、少しずつ結衣の心の中で、大きな存在になりつつあるのを感じていた。
『山崎結衣の憂鬱』第十八話につづく




