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猫と女神の異界骨董市  作者: 猫ノ あずき
第11話 時代遅れの骨董市
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4.魂とAI

「これは……!」


 思わず声が漏れた。

 それは、かつて自分がコーヒーショップを開いたとき、店の片隅に置いていた食器棚だった。

 中には、当時のままのコーヒーカップや皿が、几帳面に並んでいる。


「借金のかたに、差し押さえられたものだ」

 運び出されていくときの、あの胸を締めつけられるような感覚は、今でも忘れられない。

 安くて良いものを求めて、知人を頼り、店を何軒も回り、ようやく揃えたカップや皿、抽出器具。

 希望だけを抱えて店を開いた、あの頃。


 カップ一つひとつに心を込めてコーヒーを注ぎ、客に差し出した日の情景が、鮮やかに蘇る。

 喉の奥が熱くなり、涙がこみ上げそうになった。


 社長は棚から目を離せないまま、猫娘に尋ねた。

「……これは、どうやって手に入れたのですか」

「わかりませんニャ。私は、ただ売るだけなのです」

 あっさりした答えだった。


「……そうですか。ちなみに、おいくらですか」

 猫娘は腰に下げた大福帳を取り出し、慣れた手つきで頁をめくる。

 品物の番号と照合すると、

「八百万円ですニャ」


「……八百万円!?」


 あまりに平然と言われ、社長は思わず声を裏返した。

「それは、さすがに高すぎるでしょう。中身を全部合わせても、五十万円にもならない。

 しかも、棚は傷だらけだし、カップも悪くはないが、有名な銘柄というわけでもない」


「そうなのですニャ。でも、そう書いてありますニャ」

 どれだけ問いただしても、埒があきそうにない。


 いずれにせよ、今すぐ買える額ではないし、買う必然もない。

 社長はひとまず引き下がることにした。


 だが、懐かしい思い出とともに、あの頃抱いていた——心を込めた物で、誰かに喜んでもらいたい

 そんな、今となっては青臭くも感じる純真な気持ちが、胸の奥から蘇ってくる。


 これから立ち上げようとしているプロジェクトが、ふと頭をよぎった。


「……これで、本当にいいのだろうか」


 しばらく棚を眺めていると、どこからともなく「蛍の光」が流れ始めた。

 どうやら閉店の合図らしい。


 仕方なく帰ろうとしたとき、先ほど少女が手に取っていた一冊の本が目に入った。

 何気なく棚から抜き取り、猫娘に尋ねる。

「この本は……?」


 猫娘は再び大福帳を確認しながら答えた。

「ええと……脊髄小脳変性症の少女が、その生涯をかけて書き上げた、一冊の本。とのことですニャ」

「脊髄小脳変性症……?」

「小脳、脳幹、脊髄が障害を受け、運動機能や言語能力が徐々に低下していく難病ですニャ」


 その説明を聞いて、社長は息を呑んだ。


「……先ほどの少女も、似たような症状だった」

 猫娘は、どこか意味ありげな笑みを浮かべ、黙ってうなずいた。


「……いくらですか」

「五百円ですニャ」

 先ほどの棚とは、桁が違うほど安い。

 まさに、ただの古本だ。


 理由を尋ねても、やはり猫娘は「わかりませんニャ」と首を振るだけだった。

 しかも、財布の中の小銭と、ぴたり同じ金額だった。


 社長は、運命めいたものを感じながら、その本を買って帰った。


◇魂とAI


 家に戻り、静かな部屋で本を開く。


 それは、一人の少女の闘病記。

 この本の作者は、生涯で一冊の本しか書けなかった……いや、一冊の本を書き上げた。


 生涯をかけて一冊の本を残している例は、他にも多々ある。この少女の本も同じで、それらの物語は、作者の生きる全て、魂なのだろう。


 読み進めるうちに、社長は少女の人生を追体験していた。

 悲しみ、喜び、涙し、笑い、淡い恋に胸を焦がす。

 少女は、自分の心の中で確かに生きている。


「……小説とは、いったい何なのだ」

 社長は、分からなくなっていた。


 芸術は飽和状態だと言われている。

 それは小説に限らない。音楽も、美術も、演劇も——どれも既視感を拭えない。

 人間の脳が感動する仕組みは、すでに出し尽くされているのかもしれない。


 この世界には、そういった書物が一生かけても読みきれないほど溢れている。

 このうえ、小説を作る必要があるのか………


 時代は変わる。

 だが、人の感性は、DNAを書き換えない限り、根本は変わらないだろう。


 翌日、病院に骨董市のことを尋ねたが、そのような市は開かれていない、との返事だった。

 ついでに少女の病室を聞くと、先月まで入院していた、脊髄小脳変性症の少女が、若くして亡くなったという。

 その名前を聞き、社長は耳を疑った。


 それは、今手にしている本の作者だ。

「あの、骨董市は何だったんだ……そして、この本は」


 社長は、手にした本をかざして見る。

 生涯で一冊の本を書き上げ、その小説の中で少女は、生きている。

 自分が立ち上げた「次世代小説研究社」のプロジェクトは、

 こうした小説を、いったいどう扱うのか——ディープ・ラーニングの餌にするだけなのか。


「……AIに人格はないが、AI小説でも人を感動させ、人を勇気づけ、生きる希望や道筋を導くことなどはできるだろう。それは、すばらしいことではないか。心がこもった……なんて時代遅れで、内容がよければ読者にとって意味はない……」

 しかし、心の中にあるモヤモヤが拭いきれない。


 社長は最後のページに、そっと栞を挟み、本を閉じた。


〈時代遅れの骨董市 ー了ー〉

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