2.山桜
その婦人は、周りを見渡しながら。
「驚いたでしょう。自分が持っていた物ばかりで、しかもこの値段」
その飾り気のない素朴な婦人は、初めて会ったはずなのに、どこか見覚えのあるような、他人とは思えない不思議な感じがしました。
私はその婦人に尋ねました。
「そうなのです。何か事情をご存知なのですか」
「いいえ、私も二回目だから。正直、よくわからないの」
そう言うと、話題を変え
「それより、二階に行ってみない」
「二階にも、何かあるのですか」
「まあ……裏メニューみたいなもの」
そう言っていたずらな笑顔を見せ、猫耳の少女に声をかけます。
「店員さん。二階の品物も見せてもらえますか」
すると、奥の方から猫娘の元気な声が返ってきました。
「わかりました! 続いて、常連さんの特別招待ですニャ!」
「続いて……?」
私が小首をかしげていると、婦人は微笑んで言いました。
「先に、私の夫が行ってるの。さあ、行きましょう」
私は婦人に連れられて二階に向かいました。そのとき婦人が
「教室には、私の夫の他に青年が居ます。そこで、青年が手に持っている物について、お聞きなさい」
突然の話に、私はよくわかりませんでした。
けれども、婦人の穏やかな笑顔を見ていると、悪い話ではなさそうに思え、とりあえず頷きました。
ただ、この親しげに話しかけてくる女性に、先ほどから、どこかで会ったことがあるような――それも、すべてを見透かされているような、不思議な違和感が拭えませんでした。
◇
二階は、高校三年生の最後に勉強していた教室でした。
中に入ると、机と椅子は二つしか残っていません。
黒板には、在校生が書いた「卒業おめでとう」の文字が、今も消えずに残っています。彼と二人で勉強した、懐かしい教室です。まるで時間が、その頃に戻ったような感覚になりました。
教室の奥、窓際には、婦人の夫と思われる壮年の男性と、その隣に若い青年が立ち、外を眺めていました。私は婦人に連れられ、二人のそばへ行き、挨拶をしました。
夫と青年も挨拶を返してくれました。
一瞬、青年が一緒に卒業した同級生かと思いましたが、はっきりとした面影はなく、コミュニケーションが苦手な私は、それ以上聞くことができませんでした。
青年も、おとなしい性格のようで、どこか他人行儀です。
沈黙が続いたせいか、夫が口を開きました。
「どうです。あの一本桜に行ってみませんか」
私も青年も同意すると、夫婦はシナリオどおりだ、とった感じで顔を見合わせて微笑み合います。
私たちは夫婦と一緒に一本桜の元に向かいました。
◇
校舎の土手の上に立つ大きな一本桜。
風が葉をざわつかせ、枝葉は木漏れ日を落としながら、空を覆っています。
すると青年が、桜の木を見上げて言いました。
「驚きました。ここにあるものは、実際に自分が使っていた、そのものなんです。しかも、突拍子もない値段で……あなたも、驚かれたでしょう」
その一言で、やはり同級生なのでは、と思いましたが、学年違いの卒業生かもしれません。まだ半信半疑でした。
私も桜の木を見上げながら答えます。
「そうですね、何か買ったのですか」
「いえ、まだ」
「では、その手に持っているものは……」
婦人に言われた通り、青年に尋ねると、彼は少し言いよどみました。
「これですか……」
少し話すのを、ためらったようですが
「実は、初恋の人に、この一本桜の下でプレゼントした物なんです。でも、恥ずかしくて気持ちを伝えられないまま、卒業してしまいました」
照れたように笑いながら、青年は続けました。
「ここで買い戻して、もしもう一度会える機会があったら、自分だと気づいてもらえるかもしれないと思って……ダメもとで、付き合ってもらえないか言おうと考えていました。でも、その場になったら言えるかどうか……いつもそうなんです。肝心な時にダメダメで」
最後に、苦笑しながら言います。
「つまらない話をしてしまいましたね」
私は胸が熱くなり、深く息を吸ってから答えました。
「先ほどの婦人に、青年の持っている物について聞きなさい、と言われたのです。その品は……カランコエの絵柄のオルゴールではありませんか」
私の言葉に、青年は「えっ」と声を漏らし、少し震えながら私を見つめました。
そして、意を決したように言います。
「僕も、ご主人に、その品のことを聞かれたら、当時の思いを話しなさい、と言われました。もしかして、と思って……思い切って話したんです」
顔を真っ赤にして、続けます。
「やはり、あなたは……同級生の……」
私は静かに頷いてから言いました。
「それ、壊れていたのです。それでも、しばらく持っていましたが引っ越しのときに、両親が捨ててしまったのです」
青年は慌てて言いました。
「壊れていた……! あの、その……す、すみません。実は、渡す前に、緊張して落としてしまったのです……」
ろれつも回らない様子です。
やがて力ない声で言いました。
「捨てた……そうですか。なんてことだ……思い切って話ましたがおはずかしい。先程の話、忘れてください」
うなだれる青年が、子供の頃やんちゃをして怒られたあとの姿そのものに見えて、私はおかしくて、涙が出そうになります。
そのとき、猫娘が現れました。
「どうです、いい品でしょう。入荷には偏屈女神様に三日三晩説得し、涙と汗の渾身の一品です。よかったら、値段を確認しますニャ」
さっそく、笑顔で大福帳を取り出す猫娘に、青年は沈んだ声で言いました。
「いえ……値段は確認しなくていいです。僕には、もう買う理由がなくなりましたから」
「ええー! 」
猫娘が唖然として、大福帳を落としそうになっています。
さらに、私も言いました。
「そうですね。私たちには、もう必要ありませんから」
「ええええー! 」
さらに、追い打ちをかけられた猫娘は、とうとう大福帳を落としてしまいました。
それ以上に、青年の方が落胆した表情になっています。
猫娘はため息をつきながら、大福帳を拾い上げて言いました。
「わたし、《たち》、ですか……」
猫娘は私と青年を交互に見て、うなずくと、最後は笑顔で。
「そうですか、お安くしておこうと思ったのですが……確かに必要ないですニャ」
私も笑顔で同意すると、青年はようやく理解したようで、今度は泣きそうな笑顔になっています。
そのとき、校舎の前から、先ほどの夫婦の乗用車のエンジン音が聞こえてきました。
振り向くと、夫の運転で、婦人が笑顔で手を振りながら、車は走り去っていくところでした。
◇
私は村からの帰り、彼の車に乗せてもらいました。
それから、二十年後……
春の風に揺れる一本桜の下で、私はもう一度、この場所に立つことになります。
今度は、失われたものを探すためではなく、すでにここにある時間を、確かめるために。
※【カランコエ花言葉】 たくさんの小さな思い出
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