第十一章 妖揚羽
本部へ着いた時、千影と玄斗はなんだかピリついたような空気を感じた。何か異変があったのだろうか、そう危惧しながら2人が一番隊エリアへと行くと、頬や拳に擦り傷を負った裕貴の姿を見つけた。
「裕貴…その怪我は?」
「ついさっき愚裏厨離の奴らと戦ってきたんだ。怪我人はいるけど死人や重症な奴はいないから大丈夫。」
そう言い終えて、裕貴は苦い顔をした。
「これで一番隊と二番隊には因縁ができちゃったね…これから愚裏厨離関連はできるだけこっちが対応するよ。」
玄斗は「わかった」と小さく言った。「必要であれば四番隊も出すから、相談して」
「…頼りになるね、総長」
裕貴は困ったように笑った。
会議場所である3階へと行くと、ルイがこちらへ手を振っていた。重症だった怪我もかなり回復してきたようで、千影はほっと胸を撫で下ろした。
「ルイ、調子はどう?」
「動物系のダークパワーは治癒能力がヒトより高いんだよ、心配すんな」
「それ言うなら俺だってトカゲだし」
ルイは満面の笑みで「そりゃ良かった」と言い、千影の頭をわしゃわしゃと撫で回した。
「ありがとよ、千影」
撫でくりまわされてむすっとしている千影に背後から近寄って、裕貴は千影の肩に腕を回した。
「じゃ、別れの挨拶ってことで。千影は一番隊のだからね、返してもらうよ!」
子供っぽく笑って裕貴は千影を無理やり引っ張った。「何すんだよ」とさらにぶすくれる千影の背中を、貴臣がにっこり笑って押した。
…裕貴の回した腕にあった無数の擦り傷が、千影はまだ忘れられない。
会議は裕貴による警告と愚裏厨離への対策の話で終わった。千影の所属する一番隊と、先日の抗争があった二番隊はこれから愚裏厨離との抗争が激化していくと言われ、会議の後に早速パトロールへと出向くことになった。
「この地区には誰を出そうかな。裕貴には、正直今回は休んでいて欲しいんだが…。」貴臣は渋い顔をしてエリアマップを見つめた。「仕方ないですね。人手が足りませんし、何より彼等は止めたって聞きません」と文清が困った顔で言うと、「俺たちは何が何でも行きますからね」と口の端を上げて裕貴は腕をぶんぶんと振り回した。
「…この調子なので、千影君は裕貴君に着いていってもらえますか」
「わかったよ、隊長さん」
「ずるいぞ、文清!千影は一番隊なんだから、隊長は俺だろう!」貴臣が恨めしそうな顔で文清を見ると、文清はさらに困った顔をした。流石の文清も歳の離れた相手にはたじろぐのか、千影がにまにまとしていると、「からかってやるなよ」とルイが囁いた。「そう言えば、玄斗は文清さんのこと隊長内最年少って言ってたけど、あの人いくつなんだ?」
「24。俺と裕貴の先輩で、華乱の元生徒会長なんだ。次に年下な隊長は26だけど、別に最年少って感じもしないな。隊長だけでの関わりも少ないし、基本的には幹部で一緒にいるから、年齢としては下寄りの真ん中くらいじゃね?」
ルイ曰く副隊長はルイと裕貴が最年少だが、23歳が殆どなのでそこまで年齢差はないと言う。貴臣は40代後半になるがそれ以外の幹部メンバーは全員20代なので、貴臣が皆の父親みたいになっているようだ。
「パトロール、くれぐれもお気をつけて」
文清は淡々と言い放つが、皆のことを心配しているのだろうか、せつない顔をしていた。
「文清さんはこの後どうするんですか?」
裕貴が尋ねると、「四番隊の方へ行ってきます。何かあった時の協力を要請しておきたいですし、あそこの方々を急に動かすのは難しいので」と言って真剣な顔をした。それに反して、顔を見合わせて吹き出したルイと裕貴を、文清は少し顔を赤くして睨みつけた。
「千影、ここら辺のエリアは来たことある?」
携帯にエリアマップを表示して、裕貴は通った場所にぽちぽちと印をつけていく。
「いや、那珂は初めて。…小さい頃は、ダム地帯に悪い奴らが棲みついてるから近寄るなって言われてたな。」
「昔は治安も悪かったけど、今は英雄たちの監視下でダムをもう一度動かそうと再開発が進んでいるから、そこまで治安は悪くないんだよ。…ただ」裕貴の表情がすっと真剣なものになる。「これからいく最後のスポットは要注意。良くも悪くもパワーが充満していて、敵は強化されている筈だから」
「着いたよ」と言って裕貴は前に佇む古びた廃寺を指差した。
寺院の奥へと入り進んでいくと、何やら奇妙な気配が漂ってきた。
「げほっげほっ、…何だこれ」千影が思わず咽せる。裕貴は床に散らばっていた大量の小瓶を見つけて拾った。「香の匂いかな。…うっ、それにしてもひどく強い匂いだ。頭がくらくらする」
「誰か、いらっしゃるのですか?」
女性のか細い声が床の方から聞こえて振り向くと、痩せて青白い肌の女性が布団から顔を出していた。
「わたくしは愚裏厨離の第3郡所属、香幽卯。訳あってここに閉じこもっているのです」
香の話を聞くに、彼女は自分のパワーが強大すぎる故に命を狙われ、この寺で引きこもってひっそりと暮らしていたらしい。そしてその寺を管理するのが愚裏厨離の関係者であったため、彼女は愚裏厨離の群員として保護下に置かれているという訳だ。
「わたくしの為に皆様が戦ってくださるのは嬉しいのですが、近頃は私を守る為と言いたくさんの方が死んでいく。これもきっとわたくしのパワーの影響。もう嫌なのでございます、誰の血も見たくはない、わたくしは」
千影と裕貴は顔を見合わせた。香は気持ちが昂っているのかどんどん青白い肌に赤みが帯びていく。
その瞬間まだ明るかった茜色の空が濃い紫色に染まっていった。
「な、何だ…?」
「幽卯よ、そこに誰かいるのだな」
障子が切り裂かれる。爆風が巻き起こって木造の寺が一瞬で半壊し、裕貴と千影は境内へと吹き飛ばされた。釣り上がった目を眼鏡の奥に潜ませた着物の男性が、日本刀の切先を向ける。
「来ることは分かっていた、鳳蝶よ。貴様らも、封印を解き力を手に入れようという寸法だな。
…虫が集ったところで、熊に勝てるとは思わないが」
男は淡々と喋る。口振りと周りの気配のなさから察するに、香幽の他に人はいない様だ。
裕貴は男の発言が引っかかった。力?封印?ここには何か重要な秘密が存在しているのだろうか。
「僕は愚裏厨離第3郡長、不知火月歩。
貴様らを骨の髄まで切り刻む!」
「所作が綺麗だな…多分相当な手練れだ。」裕貴は冷や汗をかいて焦る。千影は負けじと斧を取り出して、いつもの構えを作ってみせた。
「サポート頼む!!」「…任せて!」
裕貴は指笛を吹き鳴らした。人間に聞き取れないくらいの高音が鳴った次の瞬間、大きな虎の様なものが上空から飛び降りた。
「鵺」
トラツグミの甲高い鳴き声があたりに響きわたる。「行くよ」と裕貴が合図すると、鵺は即座に頭を低くして臨戦態勢に入った。
「鵺、か…。妖の蝶というわけだな。
かかってこい、僕が全てを切り伏せて見せよう!!!」
千影と不知火は、一斉にお互いへと斬りかかった。