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9 わたくしの恋心、貴方の恋心

途中からエヴァン殿下視点です。

 父はわたくしの頭を撫でると、優しく話し始めた。

「今、エヴァン殿下がいらしている」

「えっ」

「風邪を引いて休んでいるというのを疑ってはなさそうだから大丈夫だよ。ただ、君に会いたいと言っている」

 父は大仰に笑いながら「ミーシャが宥めているが子供のように駄々をこねるから困ってしまうよ」と付け足した。ミーシャとはわたくしの母だ。

 わたくしは悩む。そもそもがこのボロボロの姿なのだ。それに加えて、今わたくしの心中は穏やかではない。出来ることなら会いたくない。

 でも、会わなければいけないのだろう……と思って「会います」と返事しようとしていたわたくしに、父は言った。

「君が会いたくないなら、お引き取りしてもらうけどね」

「ですが……」

「そもそも君は風邪設定なんだ。なんら可笑しい話ではないだろう」

 もう一度笑ってから、父は分厚い書類をわたくしに手渡した。

「それとこれは、リーシェ嬢の身元調査結果だ」

「わたくし、何も相談していませんのに」

 父は柔らかく顔を綻ばせた。少しだけ、後悔を乗せたとびきり優しい眼差しだった。

「君はとても気位が高いから言わなかったんだろうけど、流石にね。自分で解決したい性分だろうから口は出さずにいたけど、ちゃんと知っていたよ。君は大事な僕達の娘だから。

 この身元調査結果を元に、その子の処罰はシェリアローズに一任するね」

 パラパラとページをめくると、そこには乙女ゲームをやっていたわたくしでも知らない情報が乗っていた。あぁ、そうか。そういう事だったのか、あの少女の動機は。


 なんとなくやるせない気持ちになる。リーシェさんの動機がわかったのは良かったが、エヴァンの気持ちはもう――。

 それなら、最後にもう少しだけ側に居たい。そしてそのまま死んでしまいたい。エヴァンに拒絶される前に。

「やっぱりわたくし、殿下に会います」

「……分かった」


◇◇◇


 メイドを呼んで、わたくしは出来るだけ体を綺麗にしてもらう。髪には香油が塗られ、化粧は血色を良くする為ふんわりと赤いチークがのせられる。ドレスもコルセットの無い柔らかいシルエットの物で、いつものわたくしとは違う服の系統に少し不安になった。だが、いつものままでは途中で倒れてしまいそうだ。フルーツを口にしたわたくしは、メイドに礼を言い、エヴァンが待っている応接室に向かう。


「あ、ローズ。……って、え!?」 

 現れたわたくしに驚いたかのように声を上げるエヴァンにわたくしは不安な気持ちに襲われた。だが、

「そういう服もすごく可愛い」

 そう言うエヴァンの姿に不安が解けて心に充足感が広がった。その柔らかいほっぺを噛んでみたいっ。可愛いって言う貴方の方が可愛い!

 「では私はここで」と母が居なくなった事で、わたくしはエヴァンと二人きりになる。エヴァンは二人がけのソファーに座っていたから、わたくしは隣にすわる。

「風邪は大丈夫か?」

 そう問いかけるエヴァンにわたくしは「もう大分良くなりました」とだけ返した。

 暫く静かな間が開いて、隣に目をやると、エヴァンはレモンティーを飲んでいた。ティーカップに触れる唇は自然な桜色で、陶器に当たって柔らかくその形を変えている。

 わたくしは気づいたら、ティーカップを皿に置いたエヴァンを、ソファーの上に押し倒していた。

「ローズっ、どうしたんだ」

 グイ、と顔を近づけたわたくしの唇に、エヴァンは手のひらを当てる。モガモガと抵抗するがその手の拘束が解けることはない。

 暫くすると、恐る恐るエヴァンはわたくしの口から手を離した。

「キス、しようと思いまして」

 もう一度、わたくしは顔を近づける。だがわたくしの口に触れたのは、またエヴァンの手だった。


 そこで、わたくしの中の何かがプツンと音を立てて切れた。それはあまりにも唐突で、だからわたくしは自分の瞳から涙が出ている事にすら、気づかなかった。泣いている事にようやく気づいたのは、わたくしの涙が頬を滑ってエヴァンの顔を濡らしてからだ。

「――っ、なんで、なんでわたくしを拒むのですか!」

「ローズ?」

 わたくしはエヴァンに縋り付く。

「わたくしではなくリーシェさんとは、キスをしたくせにっ」

「何のことだ、ローズ。僕はそんな事していない」

 わたくしはもう堪らなくなってエヴァンをポコスカと叩く。

「……だって貴方は、わたくしの事好きじゃないでしょう?」

「そんな事っ」

「わたくしが貴方を好きだというから、そう信じ込んでいるだけですわ」

 エヴァンの顔に零れ落ちた雫を払う。だけど払っても払っても、涙はまたエヴァンの顔を濡らす。

「わたくしを愛して、キスして……それが出来ないなら、もう二度と愛しているだなんて言わないでください」


「――愛してる、ローズ」

「……っ、だから!」

「僕は君に恋に落ちた時のことを、忘れた事はない」

 そう言って体を起こしたエヴァンの目とわたくしの目が合わさった。その真っ直ぐな眼差しに思わず目を逸らしたくなる。

「僕は、君に好きだと言われる前に恋に落ちた」

 世界がひっくり返ってしまう程の、衝撃だった。


◇◇◇


 6歳の頃の僕は、根性が無かった。そんな僕の目下の問題は最近やって来た家庭教師がとても厳しい事だ。

 問題を間違えれば鞭で軽く小突かれ、他の剣術の稽古などで少しでも遅れると僕の腕を痛いほどに引っ張って、暗い部屋に連れてかれる。そして僕が赦しを乞うまで、出してもらえない。

 父と母には相談できなかった。父と母にはあの家庭教師はいい顔をしていたし、ルドリアックにはあの家庭教師は優しくする。だから僕がただの出来ない奴だと父と母に失望されるのが、怖かった。

 その日も、僕は家庭教師から逃げ回っていた。家庭教師がやって来いと言っていた課題を忘れたから、今度こそあの鞭で強く叩かれると確信してしまったからだ。

「エヴァン殿下、エヴァン殿下何処ですか? 逃げられませんよ、観念して出てきなさい」

 庭の生け垣に隠れていた僕は、その声に一層身を縮めた。声を上げて逆らう勇気なんて無かったよ。


 それで、家庭教師の足音が近づいてきてもう駄目だと思った時、シェリアローズ、君が現れたんだ。君のことは婚約を申し出てくれていたからその頃から知ってたよ。僕とは違って自信に溢れている背中が眩しすぎて、僕は正直その頃は君のことがその頃怖かった。

 僕が生け垣から覗いていると、家庭教師はローズに突っかかった。

「まぁ、誰ですか? 王族の許可なくこの場に入ってはいけませんよ?」

「貴女の方こそ、誰に物を言っているのです。わたくしはシェリアローズ•リーントル。たかが子爵夫人が物申していい相手ではないですよ? それに、わたくしは此処に王妃に呼ばれたから来ているのです」

 ローズの自信たっぷりな声音、台詞に僕はより一層自分が情けなくなった。

 ローズの言葉に、家庭教師は反論する。そこには6歳の少女に言い返された事への劣等感や焦りが滲み出ていた。

「私はっ、エヴァン殿下の家庭教師です!」

「あら、貴女は馬術を教える家庭教師なのかしら?」

 真っ直ぐ、ローズは家庭教師の手に持っていた鞭を指さした。

「それとも、子爵夫人風情(ふぜい)がエヴァン殿下に鞭を、振るったと言うのですか? いつから子爵夫人はそこまで偉くなったのですか」

 グッ、と家庭教師は言葉に詰まった。あんな風に狼狽えている家庭教師を見るのは初めてで、僕はとても驚いたよ。青い顔になる家庭教師に、ローズは尚も詰め寄る。

「しかも、貴女はルドリアック殿下の党派の貴族ですね。大方、エヴァン殿下を洗脳しルドリアック殿下を王太子にするつもりだったのでしょう」

「うぐ……」

「無事で済むとは思わない方が良いですよ?」

 最後のローズの言葉を皮切りに家庭教師は悔しそうに去っていった。今まで僕が恐れていた脅威がいとも簡単に退けられて、僕は本当に感動した。それと同時に、やっぱり君に僕は釣り合わないと思ったよ。

 だって君は、こんなにも素敵な女の子だから。


 だけど、僕は直ぐに気づいた。ローズの握りしめていた拳が微かに震えていた事を。小さな声で、「人は違いますけど、ようやく反論出来ました……」と安堵したように呟いているのを。僕は自分が愚かだった事を悟ったよ。君は、怖いものから怯えるのではなく、立ち向かう事を選んだだけなのに。僕は君が強いから立ち向かうんだと酷い勘違いをしていた。

 そして、恋に落ちた。君と一緒に、僕も強くなりたいと思った、ローズを守ってあげたいと思った。

 だからその後直ぐ、父と母に君との婚約を結びたいと言いに行ったんだ。


◇◇◇


「……だから、僕は君に好きだと言われる前に恋に落ちた」

 わたくしの口から漏れたのは、涙で湿った声だった。

「嘘……」

 そんな幸せな事が起こって良いのかと、喜びに打ち震える声だった。



 

 

一応シェリアローズ落ち込むターンは此処で終わりです。ここまでお付き合いくださり有難うございます。

 あと少しで完結する予定です。

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