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2 彼女の因果

「やあ、シェリアローズ嬢」

「ご機嫌よう、ルドリアック殿下」

 王城の回廊で出会ったのは、エヴァン殿下の弟である第二王子のルドリアック殿下。彼は優秀だとして国民からの人気を博している。わたくしはエヴァン殿下一択だが。

 エヴァン殿下の元に早く行きたいのだが……とソワソワするがルドリアック殿下はわたくしに話しかけてきた。

「そう言えば、シェリアローズ嬢は兄上に婚約解消されたんだっけ?」

「未遂です」

「ふふっ、残念だな。そうしたら俺がシェリアローズ嬢を貰おうと思っていたのに」


 その言葉にわたくしは目をパチクリとすると、悠然と微笑んでみせた。

「それはありえませんわ。だって、わたくしが愛しているのはエヴァン殿下ただ一人ですもの」

 そのまま、ルドリアック殿下に背を向けわたくしは歩き出した。わたくしをじっとりと見つめる視線に気が付かぬまま。


 エヴァン殿下の執務室に来ると、わたくしは必死に書類を捌いているエヴァン殿下の横に座った。彼が『支えあえる夫婦』という話をしてからわたくしが発注した机は、椅子が2個入る大きさであり、エヴァン殿下の横に座りながら執務が出来る神仕様となっている。

 わたくしもエヴァン殿下の隣で書類を捌き始める。暫くお互い静かな時間が流れていたが、エヴァン殿下にわたくしの手をツンツンとされて我に返った。なんだツンツンとは。あざとかわいい過ぎて失神するかと思ったでしょうがっ!


「何でしょう、殿下」

「……いや、この国の最南端に位置する村で今干ばつが起こっているのだが、君ならどうするかと思ってだな」

「そうですね、この村で干ばつが起こったのは森林伐採が多く行われたせいなので、水が少なくても育つ木を植える所から始めたらどうでしょう。それから、鉄製品の輸入をもっと活発にして、木から鉄などの金属製品にシフトチェンジさせるのです」

 なるほど、と呟いたエヴァン殿下はその旨を書き出し始めた。こういう素直な所も愛らしくて好きだ。

 書類にまとめ終わったであろうエヴァン殿下は、紅茶を飲みだした。わたくしの前にもその紅茶は置かれていて、シャインマスカットの様なフルーティーな香りが鼻腔をくすぐる。口に含むと砂糖を入れていないのに甘いまろやかな味が広がった。


 二人で紅茶を飲んでいると、紅茶のおかわりと一緒に焼き菓子が添えられた。そこにはエヴァン殿下の好きな柚子ピールの入ったクッキーと、わたくしの好きなチョコチップマフィンがある。それを見た瞬間わたくしの脳裏にはなんとも良いアイディアが浮かんで、クッキーに手を伸ばす殿下の肩を叩いた。

「どうしたのだ、シェリアローズ」

 きょとん、と不思議そうな顔をするエヴァン殿下の口元に、わたくしは自分のクッキーを寄せた。顔を赤くするエヴァン殿下に「あーん」と言う。


 殿下は顔を真っ赤にしぷるぷると震えた後、消えそうな声で「あ、あーん」と言った。


 咀嚼するエヴァン殿下が可愛すぎてニコニコと見つめてしまう。そのまま自分の皿のクッキーにもう一度手を伸ばした所で、まだもぐもぐと食べているエヴァン殿下がクッキーを飲み込んでから話しかけてきた。

「なんで、シェリアローズはこんなに僕に尽くしてくれるんだ? 自分で言うのもあれだが、僕よりルドリアックとかの方が優秀だ」

 その言葉にわたくしは思案する。明確な理由などない。前世の()()()()の頃から、わたくしはそういう『愛らしい物』が好きだった。財閥令嬢の時、大きなうさぎのお人形を抱いてよく寝ていたくらいだ。

 わたくしは、エヴァン殿下の目を見つめて、微笑む。

「貴方を好きな理由は、よく思い出せません」

「思い出せない……!」

 ガーン、とショックを受けたように固まるエヴァン殿下の口にわたくしはクッキーを放り込んだ。


「でも、わたくしがエヴァン殿下に尽くす、いえわたくしが完璧であろうとした理由なら、思い出せます」

 わたくしが大事にしていたうさぎのお人形は、「財閥令嬢に相応しくない」からと家庭教師に捨てられた。それで、わたくしは気づいた。力がなければ、大切な物は奪われていってしまうのだと。

「わたくしは、大切な人にはずっとわたくしの前で笑っていてほしいのです。その笑顔を壊そうとする輩を、わたくしは許さない。だからこそわたくしは完璧を求めました」

 わたくしをジッと見つめるエヴァン殿下の頬をつつく。

「だから、貴方には心ゆくまで好きなことをしていてほしいのです。エヴァン殿下が幸せな時、わたくしも幸せですから」

 生地は破かれ、中から綿が飛び出し、目のボタンが片方失くなったあのうさぎのお人形のようには、エヴァン殿下にはなってほしくない。

 親への反抗心で買った乙女ゲームをプレイしている時から、エヴァン殿下はわたくしにとってとても眩しい可愛い人なのだから。


 感傷に浸るわたくしの口に、何かが突っ込まれた。それは、わたくしの好きなチョコチップのマフィンだった。それを食べながらエヴァン殿下を見つめていると、ほんの少し怒った様な顔をしたエヴァン殿下がいた。わたくしは首を傾ける。



 エヴァン殿下は、マフィンをちぎってもう一口わたくしの口に入れながら言った。

「それじゃあ、君は誰に守って貰うんだ」

「わたくしは自分で自分は守れま、」

「違う、君は誰に大切にしてもらうのかと聞いているんだ!」

 ビクリ、とわたくしの肩が揺れた。そのわたくしの肩に、エヴァン殿下は顔を埋める。

「……僕は、君が僕の好きなクッキーをくれたら、君の好きなマフィンをあげたい。そんな関係に、なりたいんだ」

 彼の吐息がわたくしの首にかかる。その感触に頬が赤くなる。

 それに耐えきれなくなって、わたくしはエヴァン殿下を振り払って逃げ出した。


 執務室から逃げ出したわたくしは、中庭のベンチで息をつく。まだ頬が赤い。

 わたくしは、確かにエヴァン殿下に尽くすのが好きな筈だ。それなのにどうして、こんなにも胸が高鳴るのだろう。

「どうして……」

 その呟きに、返答があった。

「何か悩んでいるの、シェリアローズ嬢」

 顔を上げるとルドリアック殿下がこちらを覗き込んでいた。彼は苦手だ。前世、わたくしと結婚して家を乗っ取ろうとしたお見合い相手と同じ目をしている。

 わたくしを下だと思い、自分の思い通りにしてやろうという目だ。

「いいえ、何も」

 そう微笑んで返すが、彼はにじり寄ってきた。ベンチに座っていたせいで、逃げれない。

「シェリアローズ嬢、君は俺と結婚したほうが幸せになれるよ。あんな頼りない兄上じゃなく俺を選んでよ」

 ルドリアック殿下の目は、甘言を吐いているとは思えない程乾いている。

 それに体が震えても、わたくしは自身を叱咤し口を開く。

「わたくしが愛するのはただ一人、エヴァン殿下だけです」

 次の瞬間、わたくしにルドリアック殿下が覆い被さってきた。ベンチに押し付けられて、首を締められている。

「カハッ」

「なんで、俺の方が努力しているのにあいつの方が上手くいくんだ! あいつが王太子になるくらいなら、お前を殺してやる!」


 身を捩っても首の拘束は解けない。頭が熱くなって、意識が朦朧としてくる。

 あぁ、そうだった。前世のわたくしも、お見合いが破綻して怒った相手に、一人でいる所を狙われて殺されたんだった。あの時は包丁で刺されたんだったなぁ……とぼんやりと考える。

 わたくしは、またこうして一人ぼっちで死んじゃうのかと思うと、頬に涙が伝った。


 もう何も考えられなくなって、頭がガンガンと痛む中、わたくしは目を閉じる。だけど、

「止めろ!」

 その声が鋭く響いたかと思うと、フッと呼吸が楽になった。体を誰かに支えられながら呼吸を必死に整える。段々乱れた視界がクリアになってくると、近衛騎士に捕まえられているルドリアック殿下がいた。そして、わたくしを支えているこの人は――

「エヴァン、殿下」

「来るのが遅くなってごめん、シェリアローズ」


 涙で滲む世界で、エヴァン殿下は申し訳無さそうに顔を歪ませている。

 彼の体に、身を預ける。さっきとは違う、安堵の涙が溢れた。


 そうだった。わたくしが強くあらねばと思ったのは、誰にも、助けてもらえなかったからだ。うさぎのお人形を壊した家庭教師を父と母に訴えても、「財閥を背負うお前には不必要な物だ。丁度良かっただろう」と言われるだけだった。友達にはお嬢様だからと媚びへつらわれ、わたくしが自分を守る為には、自分が強くなければいけなかった。


 けど、本当はこうして誰かに守ってもらいたかったのかもしれない。

「来てくれて、ありがとうございます」

「当たり前だ」

 そんな私達に、ルドリアック殿下が吠える。

「なんでだ! どうしてお前だけがいつも選ばれるんだ!」

 わたくしはキッと睨みつける。

「少なくとも、このような事はエヴァン殿下はしません」

 わたくしの言葉にルドリアック殿下が顔を歪めると、エヴァン殿下を罵る。

「なんなんだ、お前は従順な女がほしいんだろ? なら俺が貰ったって良いじゃないか! ゴミのくせに、調子に乗りやがって!」

「あぁ、確かに僕はそう言った。だけど、気付いたんだ。僕は、他の誰でもなくシェリアローズと支え合いたいんだって」

 強気なエヴァン殿下にキューンとする。


「わたくしも、エヴァン殿下が大好きです。情けない所も、ヘタレな所も」

「えっ複雑」

「優しい所も」

 わたくしが満面の笑みを浮かべると、エヴァン殿下もふにゃりと笑った。あぁっ、可愛い! 誰かカメラ下さいっ!


 そのまま、ルドリアック殿下は罵詈雑言を叫びながら騎士にズルズルと連れて行かれた。


◇◇◇


 その後、ルドリアック殿下は精神を叩き直すという名目でタール王国に送られる事となった。帰ってこれるのは早くて3年後らしい。

 見た目だけは麗しいルドリアック殿下は早速タール王国の王女に気に入られたのかズルズルと引きずられていく。ルドリアック殿下の悲痛な叫び声にエヴァン殿下は青い顔で腕を擦っていた。


 そして、わたくし達は今は一緒にお茶会をしている。最近執務が忙しかったから、それの休息の為だ。


「執務を頑張った後のクッキーは、殊更体に染みるねシェリアローズ」

「そうですねエヴァン殿下」

 わたくしはクッキーを食べて顔を緩めているエヴァン殿下に微笑む。


「それで、閨を共にするのは何時にしますか?」

「ブゲッゴフゥ」

 殿下が咽た。

「わたくしとしては、今夜にでも……」

 頬に手を当てチラチラと殿下を見る。エヴァン殿下は暫く紅茶を無言で飲んだ後、キリリと顔を引き締めて言った。

「もう少しだけ、待ってほしい」

「あら、ヘタレな殿下じゃあと10年経っても無理では?」


 やはりわたくしがリードしなければ。決意を新たにウンウンと頷いていると、わたくしの手をエヴァン殿下が掴んだ。

「お願いだ、シェリアローズ。君を愛しているんだ」

 ……ずるい御方。そんな事言われてしまっては、わたくしは待つという返事しか言えないではありませんか。


 まぁこれが惚れた弱みという奴なので、しょうがありませんわね。


 それから、殿下が決意を決めたのは半年後の事である。わたくしはエヴァン殿下のヘタレ度合いを舐めていた。

 だけど、勇気を出してわたくしを誘う時、顔を真っ赤にしてぷるぷる震えているエヴァン殿下が見れたから幸せっ!

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