64話 願いの叶う泉
「今日はお暇ですか、マイレディ」
私用に用意された部屋でカルテを見てぼーっとしていたらヴァイス様に話しかけられて、はっとする。
「ヴァイス様」
思わず私はヴァイス様に振り返った。
「おや、お取込み中でしたか?」
「い、いえ、大丈夫です」
私は慌ててカルテを隠す。
カルテはあの公爵家の少女のカルテ。
……彼女はかなり病状がよくない。抑制剤もだんだん効かなくなってきていて心配である。けれど治す方法がない。……そうエデリー家の禁じられた秘術を使わないと治せない。
けれど、大事な夫と子どもを殺してしまったエデリーの始祖の記憶が、私に秘術を使うなと警告している。使ったら…‥ヴァイス様を失ってしまうのではないかという恐怖で、使えないでいる。
「それならよかった、今日はデートにお付き合いいただけませんか?最近、貴方も私も忙しくて朝食くらいしかご一緒できませんでしたから」
ヴァイス様が手を差し出してくれて、私はその手をとった。
嬉しそうに笑う笑顔はまるで子供のように無邪気で。その笑顔が可愛くてそのたび胸が苦しくなる。この笑顔を失いたくない。
普段は、彫刻のように美しい顔立ちに表情をまるでださないのに。
私にだけは本当に子どものような無邪気な表情を見せてくれて、強くて冷静なのに、私の時だけとても無邪気で情けないところも見せてくれる。
「ヴァイス様」
「はい。なんでしょう?」
「ヴァイス様の事が大好きです」
私が言うと、ヴァイス様が本当に嬉しそうに笑ってくれて、「嬉しいです。私もですよ。愛しています」と手の甲にキスをしてくれた。
その笑顔が本当に愛しくて、私は心が締め付けられた。
そう――私は間違ってない。力を使っちゃ駄目だ。
あの力を使ったら――きっと私の力を欲しがる人がでてきてしまう。
ヴァイス様の敵わないような人たちが私の力を欲した時、ヴァイス様が殺されてしまうかもしれない。
だから封じよう。あの力はヴァイス様や本当に親しい人のときだけに使うもの。
他の人に使うべきじゃない。
私が決意を固めていると、ヴァイス様が急に私を抱き上げた。
「ヴァ、ヴァイス様?」
「駄目だったでしょうか?せっかくご一緒できる時間ですから、私は一分一秒でも長く貴方と触れ合っていたいのですが」
耳元で甘くささやく。その声が甘すぎて、もう困る。
「で、でも重いですっ!」
「ははっ。全然重くありませんよ。むしろもう少し食べたほうがいいくらいです。少しやせてしまったように感じます」
言いながらウィンクしてくれて、どうしていいものか私は迷う。ヴァイス様だって相変わらず病み上がりで無理をしれないか心配になってしまうから。
「でも、病み上がりですよ?またキースさんに怒られてしまいます」
「おや、それは残念。では馬車に乗るまでということで我慢しておきましょう」
茶化しながらヴァイス様嬉しそうに笑った。
「はい。どうぞお嬢様」
街中の賑わっている通りでヴァイス様が今流行しているという棒状のお菓子をかってくれた。長いスティック状の果物を油で揚げて、砂糖をまぶしている。
「ありがとうございます」
外で食べ歩きなんていつぶりかな?友達と外で楽しく遊んでいた学生時代以来かも。
息抜きにいろいろな景色を見て回ることになって、いまヴァイス様と二人でにぎわう街中を歩いている。
こうやって街中を自分の足でちゃんと歩いてぶらぶらするのも楽しい。
今日のヴァイス様は控えめな黒を基調とした服装だけど、それでもやっぱり目立ってしまっていて、時々チラチラと女性が視線を送っているのがわかる。恥ずかしいけれど、これも慣れないと。これからヴァイス様の妻の立場として社交界にでることも多くなる。
そのたびに照れていてはダメ。ちゃんと妻としての責務を果たさないと。
他愛もない会話をしながら、街の中をヴァイス様に案内しながら、歩くデートは楽しかった。学生時代にもどったみたい。
「この泉は願いが叶うといわれる泉なんですよ」
橋から見える泉を指さすと、ヴァイス様がふむと泉を覗き込む。
とても澄んだ泉で、泉の底には、綺麗に色の塗られた石がたくさんちりばめるかのように落ちていた。
近くには色の塗られた石を売っている人がいる。
「なるほど、あれを買って石を入れるわけですか」
「はい。豊穣祭のときとか人がいっぱい集まる日はとても賑わうんですよ」
「では、私も一つお願いをしてみましょうか。マイレディはどうします」
「はい。じゃあ私も。もうここに来ることもないかもしれませんし」
そう言って泉の底を見た。
たぶん石は毎年底をすくって入れ替えているのだろうけれど、自分が昔投げた石がないか探してしまって、苦笑が浮かぶ。
父が助かりますように――。
あの時は叶わなかった願い。
でも――。
父の死は無駄じゃなかった。だって今、こうやってたくさんの人を救っているもの。
「はい、どうぞ。気に入っていただけるといいのですが」
考え事をしていたらからかうように後ろから抱きしめられて、目の前に石を差し出してくれた。
「ありがとうございます。綺麗な赤い色ですね」
「はい。以前私の瞳が綺麗だと誉めてくださったので、赤にしてみました」
嬉しそうににっこりわらって、ヴァイス様が自分用の綺麗な緑色の石をとりだす。
私の瞳と同じ色。
「ヴァイス様はそういうところが、凄いです。とても女性の心を掴むのが上手ですね」
私の言葉にヴァイス様はふむと考えるポーズをとって
「商売柄女性に喜ばれるように行動はしているつもりですから。
でも、恋愛は貴方が初めてなのは嘘偽りありません」
と、真顔で返されてしまう。
「はい。わかっています。心から凄いと思ったのが口に出てしまったのですが、誤解を与えたらすみません。いままでは尽くすのが当たり前で、ここまでしていただける事がなかったから、本当にすごいなって」
私が言うと、ヴァイス様が顔を赤らめて目を泳がせた。
「あ、いえ、そう言う意味でしたか。私の方こそすみません。
よくマーサに無自覚タラシと言われてしまいましてね。勘違いしてしまいました。女性を口説いた事は一度もないはずなのですが」
「でもわかる気がします」
「……え?」
「女性ってそういうさりげない優しさで好意があると誤解してしまうものですから」
「……そういうものでしょうか?」
「全員が全員ではありませんけれど。でも私はとても嬉しいです」
ヴァイス様の買ってきたくれた石を包み込むようにもつと、ヴァイス様が笑ってくれて
「喜んでいただけるなら、いくらでも貴方に愛を捧げましょう」
そう言って唇スレスレの頬にキスをしてくれる。
「ヴァ、ヴァイス様!?」
思わずキスされるのかと思ってしまって私はものすごく狼狽して、頬を抑えた。
「この前のお返しです」
と、人差し指を唇に当ててウィンクしてみせた。
ううぅ……確かにこれは誤解する。やった方よりやられたほうが恥ずかしいのはわかった。けれど。
「もぅ、酷いです」
私が拗ねた風にうつむくと、ヴァイス様が慌てて、「すみません、怒らせてしまいましたか?」と顔を覗きこんできた。だから私も負けじとその頬にキスをする。
「……っ!?」
顔を真っ赤にして頬を抑えるヴァイス様に、私も人差し指を唇にあてて
「私もお返しです」
とウィンクしてみせた。すると、ヴァイス様が顔を真っ赤にして頬を抑えると
「これは参りました。私の完敗です」
と、敗北宣言をしてくれる。こうやってすぐ折れてくれるところもやっぱり紳士だし、大好きだと思いながら、私はにっこり笑ってみせた。
どうか、このまま大好きなヴァイス様と一緒にいられますように。








