17話 対決 ★
「本当にキールさんを一人残してきていいのでしょうか」
私はマーサさんとこっそりと裏口から屋敷を抜け出して、街中に逃げていた。
それでもキールさんが心配で何度か振り返る。
「大丈夫ですよ。それよりも、あの方は屋敷の中にまで乗り込んでくることがありますから。私たちは外に避難しましょう。貴族相手では平民は従う他ありません」
「申しわけありません」
「奥様のせいではありませんよ。女性を口説いている旦那様が悪いのです」
そう言って腕を組むマーサさん。
「だ、だれでも口説いているのですか?」
「あ、いえ、そういわけではないのですけれどね。まぁ無自覚にタラシなところがありますから」
アハハと笑ってマーサさんが誤魔化したけれど。
つまりは無自覚に女性が誤解を生むセリフを言ってしまうということで……
――好いてる相手の嬉しそうな姿を見られるのは純粋に嬉しいでしょう?――
……それじゃああの時のセリフもそうだったのかな。
チクリ。胸が痛む。
……あれ、何をがっかりしているのだろう。
旦那様のような優秀な人が私を好きになるわけないんてない。
わかりきっていた事なのに。
「それにしても面倒ですよね。はやく出国禁止期間がすぎてくれたらいいのに。本国ならあのような狼藉はできません。警備も厳重ですから」
「私のせいですね。申し訳ありません」
「奥様のせいじゃありませ……」
「久しぶりね」
急にマーサさんの声を誰かが遮った。
聞き覚えのある声に振り返るとそこにいたのはリックスの母。義母だったマリア様だ。
なんで?長期旅行にいって1年はもどってこないはずだった。
まだ一年たっていないのに。
「聞いたわ。リックスが貴方に失礼な事をしてしまって、機嫌を損ねてしまったと。
ごめんなさいシルヴィア。あの子にはよく言っておくわ。だから戻ってきなさい」
その言葉に怖くて動けなくなる。
なんで? なんで怖いの?
がくがくぶるぶると足が震えてしまって動けない。
「お帰りください。シルヴィア様はヴァイス様の婚約者です。
これ以上近づくなら警察を呼びますよ?」
マーサさんが私を守るように前に立っていう。
「彼には素敵な婚約者がいるじゃない」
にっこりと笑みを浮かべて言う義母。
――でももなぜ、彼女がヴァイス様の場所がわかったのでしょう?
買ったばかりでそれほど日数もたっていないし、ヴァイス様は数えるくらいしか来ていないのに――
キールさんがぼやいていた言葉が思い浮かぶ。
「まさか、カトリーヌ様に居場所を教えたのは……」
「あら、何の事かしら? でもわかったでしょう? 貴方は私の手のうちにあるの。さぁ戻ってきなさいシルヴィア。貴方にあの人はもったいないと思わない?あなたのお父様の残した家を一緒に守りましょう?」
「何を勝手な事を!」
マーサさんが叫ぶ。けれどやめて。やっぱり駄目なんだ。私は帰らなきゃいけない。
逆らったらいけなかったんだ。
帰らなきゃ。
思わず、義母が差し出した手の方に視線を移し、歩きだそうとすると。
ぱちんっ!!!
指をはじく音が聞こえ、私ははっと我にかえり、思わず音の方を見た。
そこにいたのは指を鳴らすポーズをしたままにっこり笑って立っているヴァイス様。
「まったく思いませんね」
「旦那様!」
マーサさんが嬉しそうに名前を呼んだ。
「遅くなって申し訳ありませんでした。いやはや、カトリーヌ様が出国できないように彼女の両親に手形をださぬようお願いしていたのですが……。わざわざご丁寧に紹介状を発行して、カトリーヌ様を内から招きいれるとは恐れ入ります」
「あら、何のことかしら」
義母の言葉にヴァイス様は目を細めて、薄ら笑いを浮かべた。
「なるほど知らぬ存ぜぬを通す気ですか。
しかし今頃捨てたはずの彼女に執着しだすとは、恥ずかしくありませんか?
よく今更戻ってくれなどと恥ずかしい事を言えますね」
「あら、私はそんなひどい事はしていないわ。リックスが勝手にやったこと」
「では、魅惑の術はどうですか。貴方彼女を操れるコントロールの術をかけていましたね。
まぁ催眠術程度なので、あとで彼女にかかっている暗示はこちらで完璧にとらせていただきます。これ以上の手出しは私が許しません」
「知りませんね。妙ないいがかりはやめていただけるかしら。
私たちが話しているのはこの子です。あなたには関係ないわ」
「なんの権限でです?
貴方達は赤の他人だ、彼女に偉そうに指図できる立場ではないはずですが?」
「これはエデリー家の問題です。エデリー家の血を引いているシルヴィアには無関係とはいわせないわ」
義母がふっと笑うと、ヴァイス様も笑みを深くした。
「いいえ、無関係ですよ、貴方のおかげで。
お忘れですか、あなた自身が、エデリー家の血による世襲をやめると神殿に宣言したではありませんか」
「なぜそれを!?」
「敵の情報を網羅するのは商人としては当然でしょう?
意地汚い欲が裏目にでましたね。少しでも彼女の名義や血のつながりをエデリー家に残しておけば彼女の足かせにできたものを。シルヴィアに取り戻せないように、目の前につるされたニンジンを何も考えず、奪われまいと全部食べつくしてしまった。
その為彼女の足かせすらなく、彼女を完璧に解放してしまったのですよ。
浅はかで頭の悪い行動としか言えません。こちらは大変ありがたい事ですが」
そう言いながらヴァイス様が私の手を握る。
「何とでもいいなさい!
その子は私がいないと何も出来ない子なの」
「おや、逆ではありませんか?商売のいろはもわかっていないくせに、彼女に全部押し付けて、軌道にのっていたのを自分の手柄だと思い込んでいる」
「何を言っているの、主人亡きあとエデリー家を支えたのは私よ!」
「これはこれは。自分のどこが無能なのかわからないところがすでに無能なのですよ。わかりませんか? この国の第二王子派と懇意にしているからいままで問題をもみ消せていたようですが、経済は一国で回っているわけではないのですよ?」
「そんなことわかっています」
「わかっているなら私に喧嘩を売るなどという愚行をするわけがありませんがね。
さて、彼女に何か言う事があるのなら、未来の夫である私を通していただきましょうか?」
「……わかりました。今日のところは引き上げさせていただきましょう。
ああ、それと忠告させていただきますが、この国は貴方の力は及びませんわ。あまり好き勝手しないことですね。その口がふさがれる事になるかもしれませんわよ?」
「ほう?私に勝てると」
「ふふ、まさか。けれどこの国は錬金術の国。これだけはちゃんと心得ておくべきじゃないかしら。薬を取り扱えなくなったらこまるのはそちらではなくて?」
「ふむ。それは脅しですか?」
「一般論として申し上げたまでですわ」
「なるほど。では私からも一般論を。両親の同意なく未成年をよその国に呼び寄せる。
これ立派な誘拐です」
「……え?」
「他国に手をだすなら、きちんと調べるべきですね。
私の国では成人するのはこちらの国より3歳遅い。あなたのやったことは我が国では未成年を両親の同意なく他国に呼び出す――未成年誘拐に該当します」
「……は?」
「カトリーヌの両親には被害届をださせましたので♡ 近いうちに国へ抗議するための使者がくるでしょう。弁護士にでも相談しておいたほうがよろしいのでは?
うまくやったつもりかもしれませんが、どう見てもあなた方の方がダメージが大きいようですね。頭の悪いものが無理をして策謀など巡らせないほうが身のためかと」
「……!?」
「それと、この国に私の力が及ばないといいましたが、逆に考えれば、私は失うものがない分ダメージにならないという事をお忘れなきよう」
ヴァイス様の言葉に義母は顔を屈辱にゆがめたあと背を向けて去っていった。
「ヴァイス様」
義母が去ったのを見送って私は慌ててヴァイス様の顔を見上げた。
「すみませんでした。私の力不足で貴方に怖い思いをさせてしまいました」
「そんなことありません、こうやって助けていただきました」
「いえ、カトリーヌの件は問題が発生する前に事前に防いでおかねばいけない案件でした。予測のついたことに対処せず、あなたの手を煩わせてしまった時点で私の落ち度。申し訳ありません」
「そんなことを言わないでください。私はただ守ってもらうばかりなのに、私の家の事で迷惑をかけてしまっています」
「愛しいフィアンセを守る事が迷惑ではありませんよ」
そう言って顔を赤らめて笑ってくれる。
「私だって同じです。これほどよくしていただいているのに迷惑なんてことありません」
私もにっこりと笑い返そうとしたその時、ヴァイス様の身体がぐらりと揺れた。
そして力なく私にもたれかかる。
「……ヴァイス様っ!??」
「旦那様っ!??」
私とマーサさんの悲鳴に近い声があたりに響くのだった。