11話 契約書 ★
「遅くなって申し訳ありませんでした。
貴方に怖い思いをさせてしまいました。
本国の仕事の処理に手間取ってしまいました」
屋敷にもどり、応接室でヴァイスが切り出す。
あのあとシルヴィアを連れ屋敷に戻り、彼女が落ち着くのを待ったあと応接室に呼び出したのである。応接室のソファにはヴァイスとシルヴィアが座り、ヴァイスの後ろにはマーサとキールが控えていた。
「助けていただいて本当にありがとうございます。
来てくださって本当にうれしかったです」
シルヴィアは頬を染めて微笑んだ。そしてぎゅっと拳を握りしめると
「本当に契約結婚相手は私でよろしいのでしょうか?」
真剣なまなざしで切り出す。
「はい。貴方さえよろしければですが」
にっこり微笑むヴァイス。
『逃げられないように囲い込んでおいてよくい……』
がっ!!!
何かぼそっと言おうとしたキールの足をマーサが思いっきり踏みんでキールを黙らせた。
「あ、あの……?」
「ああ、気にしないでください」
「あ、は、はい。わかりました。ではその前に契約書の作成をお願いいたします」
シルヴィアが真面目な顔で告げた
「契約書……ですか?」
「どのような妻を演じてほしいのか、事細かく書いたものをいただけるととても嬉しいです」
その言葉に再びキールが腹を抑え声を出さないようにくくくと笑い、マーサに足を踏まれ悶えた。
「何か楽しそうですね。言いたいことがあるなら言ったらどうです」
後ろで笑っているキールをヴァイスが睨み、ふぅっとため息をついたあと。
「わかりました。確かに仕事である以上、契約書は必要ですね。
今日中に用意させていただきます」
「……契約書ですか、まぁ契約結婚なのだから当然ではありますが」
シルヴィアが自分の部屋に戻るのを見送ったあと、ヴァイスは明らかにうなだれた。
「……ところで旦那様。前からお伺いしたかったのですが、何故彼女と契約結婚などしようと思ったのですか? これといってメリットが浮かばないのですが」
と、キール。
そう、商人であるヴァイスが結婚するのは決して悪い事ではない。
結婚適齢期をすぎても結婚していないのでは、商売相手によっては信用が下がることもある。何より社交界で女性を同伴させる行事が多いのだから、伴侶はいるにこしたことはない。
だが、相手は別にシルヴィアでなくてもいい。
いままでのヴァイスの行動からすると結婚相手は利害が一致する商家の令嬢を適当に迎え入れるのかとキールは予想していたのだ。
あのように家を追い出され、負債にしかならない女性を伴侶に望む理由がわからない。
「アンタ本当にわからないのかい?」
マーサに言われて、キールがヴァイスを見ると、ヴァイスは明らかに顔をそらしている。
が、後ろから見ても耳まで赤くなっているのがわかり、キールはぎょっとした。
「いままで女性どころか人間そのものを、お金になるかお金にならないかで判断していた旦那様が!? その旦那様が恋ですか!? しかも一番ないと思っていた一目惚れ!?」
わなわなとヴァイスを指さしながらキールが言う。
「……恋とは突然やってくるものだと、言っていたじゃないですか」
ぽつりとヴァイスが言うと、キールが顔を真っ青にした。
「これは人類滅亡の前触れかもしれません!? もしかして空から槍が降ってくるかも!?」
真顔で空を見上げるキールの耳をマーサが引っ張る。
「す、すみません。全人類を敵に回しても笑顔でモーニングスターを振り回していそうな旦那様に愛しい人ができるとは、夢にも思いませんでした」
「……キール、貴方とは一度じっくり話会う必要がありますね」
にっこり笑顔で威圧のオーラを放ちながら、いうヴァイスにキールは思いっきり背筋を伸ばす。
「も、ももも申し訳ありません!?にしても素直に契約ではなく正式に結婚してほしいと言えばよろしいのでは?」
「男のくせに契約でごまかすのは卑怯ですよ」
腕を組んでマーサもうなずいた、
「ふむ。返す言葉もありませんね。ですが卑怯は誉め言葉ですからこのままでいきましょう」
「何故この流れでそういう結論になるのですか」
「断られたらどうするのですか。まだ会って一か月ですよ。会話した時間など数えられるほどです。断れるに決まっています。私は勝算の低い賭けは挑まないタイプです。常に最善の策を選びます」
「カッコいい風に言ってますけど、言ってる内容は普通にヘタレですよね」
突っ込むキール。
「家同士の結婚など所詮そのようなものではありませんか。この歳で恋だの愛だの言うつもりはありません。情さえ芽生えさせてしまえば私の勝です」
決め顔でいうヴァイス。が、大体ヴァイスがこの顔を二人にするときは、自信のなさの表れだということは、小さいころからのつきあいの二人は熟知していた。
「まったく変なところでヘタレなんだから」
マーサが大きくため息をつくのだった。