脱出劇
「さて、まずはあの高さにどうやって近づくかだ」
部屋にあるものを見渡す。埃を被った木箱が五個、布団代わりに与えられた薄い毛布が一枚、箒や雑巾、バケツなどの一通りの掃除道具が一式。
「魔法さえ使えればいいんだけどなあ」
ラジックたちミラセアの民が魔法を使うには、魔法技師により作成された魔法具を媒介する必要がある。ラジックにとってそれは杖であり、亡き兄、ハルバードにとってそれは剣であった。
「まあその魔法を使うために杖を取り戻しに行くんだ。杖を取り返したら、飛行結晶を取り返して、さっさと国を脱出。あの壁ではぐれたヨハネや騎士団たちも合流して、もう一度体制を整えてから、ほかの国へ奪われた秘宝を取り返そう」
そうと決まれば、まずはこの部屋から脱出だ。
ラジックは何年も開けられていないであろう木箱の中身を確認した。
「何だこれ……人形?」
冷たい感触のする、人の形を模した銀色の塊。ほかの木箱にも同じものが収納されており、計五体の人形がラジックの前に並べられた。
「うーん、子供が遊ぶものにしては硬すぎるし、人の形をしているだけで顔もないし、不気味だな……しまっておこう」
箱に戻そうとしたその瞬間。冷たい人形のうち、一体が光りだした。
「!?何が起こってる!?」
光に包まれながら、銀色の人形は徐々に人の肌の色に近づいていき、目も鼻も口もない顔には、大きな瞳と長い睫毛、筋の通った鼻に小さな唇が現れた。平坦だった胴体部分も凹凸ができはじめ、包んでいた光が消えたころには、ただの人形が人の女性の姿となっていた。さらに驚いたころに、一糸まとわぬ姿だったはずが、ファララと同じようなメイド姿となっていた。
人形はラジックを見て、音声を発した。
「座標、確認。時刻、確認。前回起動時より六年一か月十日と五時間二十二分十秒、十一秒……アップデート内容、インストール開始。インストール完了。再起動します」
目の前で起こっていることができず、ラジックは黙るほかなかった。
「再起動、完了。任務遂行済み。次の指示、無し。」
女性の人形はそう告げるとその場に直立し、ラジックをじっと見る。
「……えっと、ただの、人形……ではないよな?」
目の前の人形はラジックの上から下を見て、音声を発する。
「過去人物データに一致するものなし。新たに記憶領域に保存しますか?」
「一体何だって言うんだ……?」
「自己判断。新たな人物として記憶領域に保存。識別番号xxx-xxxx」
後半はよく聞き取れなかったが、ラジックに分かる言語ではなかった。
「新たな人物データとして、詳細な情報を必要とします。個体名称を教えてください」
「個体名称?名前のことか?名前はラジック・リスティークだが……」
「ラジック・リスティーク。検索。一致。ミラセア魔法王国の国王の弟。討伐リストに一時記名ののち、除外。情報を統合します」
「な、なんで俺のことを人形が知っている!?一体何者なんだ!?」
ラジックは一歩後ずさる。ただでさえ人形が動くこと自体おかしいのに、それが自分を知っているとなったら、恐怖以外の何物でもない。
「私は対魔法自動人形『ガーディアン』シリーズ個体番号ゼロロクサン」
「対魔法自動人形?ガーディアン?一体何のことだ……?」
「これ以上の情報は回答権限がありません」
個体番号ゼロロクサンは黙り込む。
「分からないことだらけだけど……なあ、ゼロロクサンさん、あんたあの窓から出ることはできるか?」
「可能か不可能かで言えば可能」
「ほ、本当か!?じゃ、じゃあ早速――」
「ただし、実行には管理者ガブリエラ・スチュワート様の許可が必要です。許可を申請しますか」
そんなことされたら、これから脱走しますと予告するものだ。
「いや、申請しなくていい」
「了承」
そしてまた黙る。
「……これは置物として無視した方がいいんじゃないか……?」
個体番号ゼロロクサンを横目に、ラジックは脱出について思考を巡らせる。
「よし、まずは窓を開けることを第一に考えてみよう」
掃除道具の中から箒を選び取り、ラジックは箒の柄の部分を窓に当てた。窓は横にスライドする方式で、鍵は掛かっていない。柄の部分が窓枠にうまく引っ掛かり、そのまま横方向へ力を加えれば窓は開く――はずだった。
「思ったよりも固い……」
ずっと使われていなかったこの部屋同様、窓もずっと開けていなかったようで、錆びや固まった埃などでうまく開かなかった。
「……もう少し!」
箒に力を入れ、どうにかして窓を開けようとする。僅かではあるが、窓が軋み始めた。
「行ける!」
さらに力を加えた瞬間。箒が折れてしまった。
「っ……!」
力の加えすぎ。窓は未だに開いていない。
「脱出はやっぱ無理なのか……?」
ラジックはその場であおむけに寝転んだ。窓の外には星々が輝いていた。
「外に出たいのですか?」
置物と化していたゼロロクサンがラジックに問いかける。
「ああ、そうだよ。俺は不当に監禁されているんだ」
昼間はそこそこ自由に動けているが。
「お手伝いいたしましょうか?」
その言葉に、ラジックは目を丸くする。
「え?……いやいやいや、さっきアンタ、ここを出られないって言ったばっかじゃん」
「はい。私自身がここから出るためには管理者の許可が必要ですが、あなたをここから出すことは自己判断の領域です」
「んな屁理屈な……」
しかし、脱出の手助けをしてもらえるならこの上ない。
「なんか腑に落ちないけど……よろしく頼むよ」
「了承。では、こちらに」
そう言うと、ゼロロクサンは両手の平を上にして、自分の元へ来るように目で語った。近づきながら、ラジックは訊ねる。
「どうやってあそこまで昇らせる気なんだ?」
「お姫様抱っこです」
ゼロロクサンはラジックを素早く横に倒すと、右手をラジックの方に、左手をひざ下に入れ、お姫様抱っこのポーズをとった。
「――――!?」
「じっとしていてください。落ちます」
ラジックを抱えたゼロロクサンは空中に浮きだした。
「え?え?浮いている!?何で!?」
どんどんと天井の窓に近づいていく。ついに、窓に手が触れるところまできた。ラジックは固く閉ざされた窓を開ける。
「おお、開いた……!」
そのまま窓の外へ出ると、そこは城の屋根の上だった。街が一望できる。
「さて、ここからどうするかだが……」
杖を取り返すのが先決だが、その杖がどこにあるのかが分からない。昼間はファララが持っていたが、もしかしたらガブリエラの元に戻ったかもしれない。または、魔法を解析しようとする研究者の元へ渡ったか。
いずれにせよ、取り戻すには戦闘は避けられないだろう。戦闘が避けられないということは、丸腰の自分は武器を入手しなければならない。
「……街へ下りて、武器を手に入れよう」
しかしそうなると、この城の屋根の上からどうやって街に下りるかが問題である。窓から部屋を覗くと、ゼロロクサンが興味深げにラジックを見つめていた。
「なあ、ゼロロクサンさん。アンタも一緒に街へ行かないか?」
その依頼は、ラジック自身がゼロロクサンを利用するためというのが目的の大半だが、もう一つ、理由があった。
「否。私がここを離れるには管理者の許可が必要です」
「あのなあ。六年間、ずっと放置されていたんだろ。六年間放置するのは管理者としての責任放棄だ。あの女王様は国民どころか、自分の私物すら管理できていないなんて、為政者としての自覚が足りてないんじゃないか。……それはさておき。きっとアンタに新たな命令が下ることはないよ。だったら、自己判断とやらで、動いてみてもいいんじゃないか?」
ラジックには、不自由そうな彼女を放っておくことができなかった。たとえ人形だとしても、自分で考えて動くことのできるものが、誰かの指示によってでしか動けないのが不憫でならなかった。
「もし俺がアンタの管理者だったら、こう言うよ。『任務が終わったら、自分の好きなように生きてくれ』ってね」
一方的にしゃべり続けたラジックは、ゼロロクサンの反応を見る。
「私は戦うために作られた自動人形。そんな私が、管理者の指示なしに動いてもいいのでしょうか」
「少なくとも、俺から見たアンタは俺を手伝うためにやってきた救世主だけどな」
「救世主……」
ゼロロクサンは考え込み、一つの結論を口にした。
「六年間の放置は管理者義務の放棄、および次の命令がないことは私の用途がなくなったことを意味すると自己判断いたします。ゆえに、私は管理者の許可なく、この場から行動することを自分自身に許可いたします」
そう言うと、ゼロロクサンも屋根へとやってきた。
「識別個体ラジック・リスティーク。あなたの助言に感謝いたします」
「いや。俺もゼロロクサンさんが一緒に来てくれると嬉しいから、お互い様だ。……いつまでもゼロロクサンさんというのは勝手が悪いよな……。なあ、何か個別の名前とかないの?」
「いいえ。私たち自動人形には識別番号はあっても固有の名前はありません」
「そうか……。じゃあ、俺が名前をつけてもいいか?」
「名前を付けることに意味を見出せませんが、了承いたします」
「ありがとう。じゃあ、そうだな。これからの俺たちの未来がうまくいくようにと願いを込めて、マグノリアって言うのはどうだ?」
「マグノリア……どういう意味ですか?」
「未来がうまくいくって花言葉を持つ、花の名前だよ」
ゼロロクサン、もといマグノリアは少し考え込んで、ラジックに笑いかけた。
「マグノリア……。承知いたしました。今度からは私のことはマグノリアとお呼びください」
「ああ、よろしくな。マグノリア。それじゃあ早速、街へ連れて行ってくれ!」
ラジックがそう言うと、マグノリアは再びラジックをお姫様抱っこし、城から飛び立つのであった。
●
「……ガブリエラ様、本当にこれで良かったのですか?」
城を飛び出していくラジックたちの様子を捉えた監視カメラの映像を見て、ファララが問うた。ガブリエラは特に焦る様子もなく、淡々と答える。
「問題ない。奴は魔法の国で育った世間知らず。どうあがいても我々の目からは逃れられまい。魔法の知見を得られないのは少々残念だが、また機会はあろう。それよりも、今は市民の統制が最優先だ。カラム、市民の中に武装勢力は現れたか?」
「いえ。まだかわいい暴動の範疇です。そもそも武器の製造も行っておりませんしね。ただ、別件で問題が」
「何だ?」
「デナルグ連邦の一国家、エイル王国が正式に連邦を抜けると通達がありました。野放しにしておくと、市民と手を組んで謀反を起こされかねません」
デナルグ連邦は五つの国がまとまってできた連邦国である。デナルグ王国の資源の豊かさと国力の強さを当てにして小さな王国が集まってできた連邦国だが、その連邦国をやめるとなると、資源や国力を切り捨ててでも、反発したい理由があるということである。
「戦争というものは、なくならんものだな。私としては血を見るのは避けたい。これまで同様、ファララの睡眠およびワープホールによる強制退去でことを打て。それでも敵わない場合は、私が出る」
啖呵を切る口調だったが、ガブリエラのその顔は、どこか悲壮感がただよっていた。




