十九日
十九日
三
「昨夜、引け過ぎ(*1)に、お前、威勢よく三人で飛び込んできたのが、本郷辺りの職人の手合いさ。今朝になって直す(*2)というから、床屋の休業は十七日(*3)なのに、おかしいぞって思えば、案の定訳ありってことさ。
さぁ金を払え、いや払えねぇと、すったもんだで、ひと悶着、ふた悶着したが、その言い種が気に入ったい。なんでも、昨日、総勢二十一人で竹の皮包みの腰弁当を提げて、巣鴨の養育院(*4)へ出掛けて、奉仕っていう奴でチョキチョキをやってさ、総掛かりで日の暮れるまでに、頭の数、五百と六十を片づけたという奇特な話だ。
そいつ等がばらばらになって牛鍋屋の豊国へ入った後、今度は大きく場所を変えて、上野の展望台で勢揃いしたというのだ。それから二人、三人ずつと別れ別れになって大門(*5)へと討ち入った。で、格子先で兜首を見つけると、よしと名乗りを上げたのだが……。
もともと俺等が金を持っていないのは知っていたろう。ただで遁げようたぁ言わないから、出来るだけ仕事をさせろ。つべこべ吐すと、あちこちに潜ませている奴らに、煙管を叩いて合図をしたが最後、仕掛けている朝鮮伝来の地雷火で吉原はぶっ飛ぶぜ、と威勢の好い掛け合い。よしよし、面白いことを言う。ここは一番景気づけにと、帳場でもその意気込みを買ったのさね。
そこで切れ味の可いのが必要ってんで、丁度お前んとこに頼めば間に合うだろうと、大急ぎで取りに来たんだが、何かね、十九日がどうかしたかね」
「どうのこうのって、真面目な話なんだ。いい歳を食らって、何も嘘っぱちを極め込むなんてことはしませんさ」
「だからさ、何だっていうのさ」
「大概ご存じだろうと思ったが、じゃぁ知らねぇのかね。この十九日というのは厄日でさ。別に船頭衆が大晦日には船出をしねぇというような極まったもんじゃァねぇけれど。他の同業者にはそんなことはねぇようだが、廓中のを、こうやって引き受けているのは私許だけだから忌じゃぁねぇか」
「はて? ――ふふん」
「ご覧の通り、こうやって二百、三百と預かっておりましょう。特にこれなんざぁ、お一人お一人使い込んで、馴染みがあろうというもんだから、そうでなくッたって粗末にゃぁ扱えません。またその癖、誰もこれを一つどうかしようというものでもねぇえッてことだけど、数のあるこッたから、念にゃぁ念を入れて、毎日一度ずつは調べるがね、紛失するなんてぇ馬鹿げたことはないはずだが、聞きなせえ、今日だ、十九日というと不思議に一挺ずつ失くなります」
「何が?」と変な目をして、捨吉は解ったようで飲み込めない。
「何がッて、預かってる中のさ。」
「おお」
「ね、ご覧なせぇ、不思議じゃァありませんかい。私もどうやらこうやら皆さんに贔屓にしてもらい、五助のでなくッちゃぁ刃切れが好くねぇと持ち込んでくんなさるもんだから、長年居付いて、婆どんもここで葬ったというもんだ。前にもちょいちょい紛失したことはあるにゃぁあります。けれども、何も気がつかねぇから、その度に申し訳をして、事済みにしていたんだが。
毎度々々のことでしょう。気をつけてみると毎月さ。はて、変だわぇ。と、それから何時でも寝る前にゃぁちゃんと、ちゅう、ちゅう、たこ、かいなのちゅ(*6)、と数えます。
何時の間にか失くなるなんて、怪しからねぇこッたと、大いに考え込んだ日がおよそ四、五年前になるが、忘れもしねぇ、その日は極まって十九日。
聞きなせぇ。
するとその前の月にも、一昨日持ってきたとッて、東屋の都という人のを新造衆(*7)が取りに来て」
と、五助は振り向いて、背後の、例の屋台の蔭になっている、狭苦しい、日の当たらない、剃刀ばかりの陰気な棚を、眼鏡越しに見て厭な顔。
*1 引け過ぎ……午後十時過ぎ
*2 直す……宿泊を延長すること。
*3 床屋の休業は十七日……昭和のはじめ頃まで全国の理美容業者は、日本の理美容業の祖といわれる藤原采女亮政之の命日である十七日を毎月の休みとしていた。
*4 巣鴨の養育院……小石川区大塚辻町に造られた浮浪少年の収容施設。
*5 大門……遊里の入り口。
*6 ちゅう、ちゅう、たこ、かいなのちゅ……おどけて物を数える時の言い方。
*7 新造衆……遊女見習い。
四
「と、ここから出そうとすると、これがない。探しに、探したけれども、さあ見つからねぇ。とうとう平謝りのこっち凹み、先方様むくれとなったんだが、しかし、それは、その前の晩、気をつけてちゃんとあるのを確かめておいたはずなんじゃ。
持ってきたのが十八日、取りに来たのが二十日の朝、ちゃんとあるのを確認したのが前の晩なら、どうやっても十九日の夜中だね、不思議なことが起こったのは」
「へい」と言って、若い者は巻煙草を口から取る。
五助は前屈みになって、眼鏡を寄せて、
「ほら、日が合ってましょう。それから気をつけると、何日かも江戸町のお喜乃さんが、やっぱり例の紛失で、ブツブツ言って帰ったッけだが、翌日の晩方、わざわざやって来て、
『どうした訳だか、鏡台の上に……』とこうだ。私許で預かって、取りに来た時失くなっていたものが、鏡台の上にあるとは、これいかに。
鏡台の上はまだ可い方で、悪くすると、十九日には障子の桟なんぞに乗っかってることがあるッてさ。
浮舟さんが燗部屋(*1)に下がっていて、七日ほど腰が立たねぇでさ、夏のこッた、湯へ入っちゃぁ不可ねぇと固く止められていたのを、悪汗が酷いと言って、中引(*2)過ぎに密ッと這い出して行って、湯殿口でざッくりと膝を切って、それが原因で亡くなったのも、お前、剃刀がそこに落ッこちていたんだそうさ。これが十九日、去年の八月だ、知ってるだろう。
その日もこちらじゃ一挺紛失さ。しかしそりゃ浮舟さんの楼のじゃねぇ、確か喜怒川の緑さんのだ。どこへどう間違って行くのだが知らねぇけれども、厭じゃぁねぇか、恐ろしい。
引っくるめて言やぁ、こっちも一挺失くなって、廓内じゃきっとどこかで一挺だけ多くなる勘定だね。ご入用のお客様は何誰だか、まったくもって知らねぇけれど、何でも私が研ぎ澄ましたのをお持ちなさるみてぇで、ご念の入ったこった。
噂になると、お客にまで気を悪くさせるから、伏せてはあろうが、それでお前さんだ。今日は剃刀を扱わねぇことを知っていそうなもんだと思うが、楼でも気がつかねぇでいるのかしらね」
「ええ! 本当かい、お前とは妙に気心が合う仲だが、実際にはそんなに昔からの交際ではなかったからな、……そうなのかい?」と、顔の筋を動かして、眉をしかめ、目を睜ると、この単純な若い者は、思わず手に持った箱を、ばったり下に置いた。
「ええ、もし」
「はい」と五助が眼鏡を向ける。ハッと驚いた捨吉も同時に振り向くと、しゃがれた声で、
「お前さん、ご免なさいまし」
見れば、敷居際にしゃがんでいる捨吉の肩あたりに、千草色の古股引、垢じみた尻切半纏、よれよれの三尺帯、胞衣(*3)かと怪しまれる帽子を冠って、手拭いを首に巻き、引き出し付きのがたがた箱と、海鼠の形をした小盥と、もう一つ小さい小盥を重ねたのを両方振り分けにして、天秤で担いだ、六十ばかりの親仁が立っていた。痩せ細り、枯れ木に目と鼻が付いたような姿で、いかにも寒そうにしている。
捨吉は袖を合わせて、冷たく、つっけんどんな物言いで、
「何だ?」
「はい、お寒いこッてでございます」
「寒いのは北風のせいだな、こちとらの知ったこッちゃぁねぇよ」
親仁は、
「へへへへへ」と、鼻の尖で寂しげな笑みを洩らして、
「もし、ただ今のお話は、確か何日のことだとかおっしゃいましたね」
*1 燗部屋……酒の燗をする部屋。
*2 中引……夜中十二時。
*3 胞衣……胎児を包んでいる膜や胎盤など。
五
五助は眼鏡越しに、親仁の顔を凝と見詰めていたが、
「やあ、作平さんか」と言って、掛けていた太枠の眼鏡を耳から捻り取るようにもぎ離して膝の上に置き、口をこすって、目をパチパチさせながら、
「これはまぁ、何と珍しい」と、二人は旧知の間柄の様子。捨吉はばつが悪かったものと見え、
「作平さん、かね」と口の中で呟くようにぶつぶつ……。
その時、からからと下駄を突っ掛ける音がして、裏口ではたと止んだ。
「おや、また寝そべってるよ、図々しい」
叱言を言う対手は犬か、盗人猫か、勝手口の戸を開け、ぴッしゃりと音を立てて行儀悪く閉めたが、狭い家なので、直にもう鉄瓶をかちりと置く音がして、障子の内に女の気配がある。
「ただいま」
「帰んなすったかい」と五助。
「お勝さん?」と、捨吉は中腰になって伸び上がりながら、
「もうそんな時間かな」
「否、いつもより小一時間遅いんですよ」
五助がそう言う時、二枚立てのその障子の引き手の破れ目から艶っぽい目が二ツと、頬のあたりが仄見えた。昼の間、多分寝るだけのために一間の半ばを借り受けて、情事で金の工面に困っている、荷物もない新造(*1)が、京町あたりから路地づたいにいつも今頃戻って来るのである。
女の声で、「少し立て込んだもんですからね」
「いや、ご苦労様、これからごゆっくりなさるんですか?」と捨吉。
「ところがそうは不可なくて、手が足りないから、二度のお勤めをしなくちゃならないの」
「お出かけか?」と今度は五助。
「ええ、でも困るんですよ。昨夜もまるッ切り寝付けないんですもの。身体中、ぞくぞくして、どうも寒いじゃァありませんか。私みたいなお婆さんには堪らないから、もう一枚下へ着込んでから行きましょうと思って。おお、寒い」
そう言って、また鉄瓶をがたりと動かす。
ただでさえ震えそうな作平、
「何てぇ寒いこッてございましょう。滅多にない寒さじゃ」
「はッくしょい、ほう」と呼吸を吹いて、堪りかねたらしい捨吉は続けざまに、
「はッくしょい! ああ」とやって眉を顰め、
「噂をされているのかな。恐ろしく手間が掛かったけれど、いや、取りあえず三挺頂いて帰りましょう。薄気味は悪いけれど、ちっとぁ名の知れたこの捨どんがお使者でさ、しかもその間、身替わりを仕事場に置いといて、奥の一間で座り込んでいたなんて言われちゃぁ、手ぶらでは帰られまい。五助さん、とにかくもらって行くよ。途中で勝手にこの蓋が取れて、手が切れるなんざ……おっとこれは廓じゃ禁句だ」と、この洒落を、障子内のお勝へも聞かせたくて、捨吉、三味線なしの独り台詞である。
五助は真面目な口ぶりで、
「帰ったら、剃刀の件は、よく言って置きなせぇよ」
「十九日のことかね」と内から女が言う。
「ええ、知っていなすったかい」と言いながら、捨吉は腰を伸ばしてずいと立った。
「不思議だわねぇ」
「やっぱり何でございますかい」と、作平はこれからそのことを話す気で、担いでいた荷物を振り替えて、荷を下ろし、隣のおでん屋の屋台へ天秤を立て掛ける。
捨吉はぐいと三挺、懐へ突っ込もうとしたが、まじまじと見て、
「おッと十九日の剃刀だぁ」と、今度は小さく独り言。
そんなところへ、荷車が二台、浴衣の洗濯物を堆く積んで、小僧が三人寒そうな顔をしながら日向をのッしりと曳いて通る。向こうの露地の角にある小さな薪屋の店前では、炭団を乾かしている背後から、子守がひょいと出て、ばたばたと駆けていく。大音寺前あたりから飴屋の囃子が聞こえる。
*1 荷物もない新造……番頭新造のことか。遊郭の新造には振袖新造,留袖新造,番頭新造の三種類あって、番頭新造は,年季が明けても、行くところがない元遊女がなることが多い。
四で「浮舟さんが燗部屋に下がっていて」という箇所がある。最初読んだ時、この意味がぼんやりとしか理解できなかったが、朝田祥次郎氏の注釈を見れば、「病気で勤めのできぬ遊女は台所で酒のかん番に使われた」とあり、なるほどと、漸く腑に落ちたものである。また、「直す」とか、時刻を示す「引け過ぎ」とか「中引過ぎ」とかも遊郭では独特の言葉で、これらも知識がなければ意味が取りにくい。遊郭には他にも色々な用語、言い回しがあるので、そのあたりの勉強は必須だとつくづく感じた次第である。