化粧の名残
化粧の名残
二十四
「とうとうお前、旗本の遊女が惚れた男の血筋を、一人紅梅屋敷へ引き込んだ。同一理屈でお若さんが、さ、さ、先刻取り上げられた剃刀でやっぱり、お前、とても身分違いで思いが叶わぬとッて、そ、その男を殺すというのだい。今、行水を遣ってら」
「何を言わっしゃる、ははははは、風邪を引くぞ、うむ、夢じゃわ夢じゃわ」
「はて? しかし夢か」とぼんやりして腕を組んだが、
「待てよ、こんな次第だからといって、誰か先刻この店の前に来て、二上屋の寮を尋ねたものはいねぇか」
「おお」
作平も膝を叩いた。
「そういやぁある。お前は酔っ払ってぐうぐうじゃ。何かまじまじとして私ぁ寝られん。一時半ほど前に、恐ろしく風が吹いた中で、確かに聞いた。しかも若い男の声よ」
「それだそれだ、正しくそれだ。や、とんだこッた。
お前、何でも遊女に剃刀を授かって、お若さんが、その男を殺してしまおうと、身を清めるためか、行水を、お前、行水ッて湯殿でお前、小桶に沸き冷ましの薬罐の湯を打ちまけて、お前、惜しげもなく肌を脱ぐと、懐にあった剃刀を啣えたと思いねぇ。硝子戸の外から覗いていた私の方を仰向いての、仰向くとその拍子に、がッくり抜けた島田の根元を、邪険に引っ掴んだ。その顔色ッたら、先刻見た幽霊にそッくりだぁ。きゃあッとも言いたくもなるじゃねぇか。だからお前、早く行って止めねぇと」
「それで男を殺すとでも言うたかい」
「いや、私の夢はお前の夢、ええ、小じれッてぇ。何でもお前が紅梅屋敷を教えたからだ。今思えば現実だったか、晩方に、しかも今日研ぎ立ての、お若さんの剃刀を取られたから、気になって、気になって堪らねぇ。
そんなところへ、夜が更けて、尋ねて行くものがあるから、おかしいぜ、こいつは贔屓にしている田之助(*1)に怪我でもあっちゃぁならねぇと、直ぐに後をつけて行くつもりだったが、知っての通りの臆病者だから叶わねぇ、無精なお前を引っ張り出して、夢でも二人連れよ」
「やれやれ、ご苦労千万」
「それから戸外へ出ると、もう雪は止んでいた。寮の前に行くと寂寞閑よ。人騒がせかなと、思ったけれど、何もなければ謝れば可いのだと、声を掛けて、戸を叩いたけれど返事がねぇ。
いよいよ変だと思うから、大声で喚いてドンドンやったが、なるほど夢か。叩いても音がしねぇし、思うように声も出ねぇ。我ながら向う河岸の渡し船を呼んでいるみたいだから、もう構わず開けて入ろうとしたが、がっちりと掛け金がしてある。
どこか開く所がねぇものかと、ぐるぐる寮の周囲を廻る内に、湯殿の窓に明かりが差しているのを見つけた。
はて変だぞ、今時分と、そこへ行って覗いた時、お若さんが寝乱れた姿で薬罐を提げて出て来たぁ。で、一先ず安心をしたけれども、凄味のあるほどに美しい顔を見ると、目を泣き腫らしてします、ね。どうしたのかと思う内に、鹿の子の見覚えのある扱帯一ツ、縮緬の羽織を背後へ引き振るように脱いでな、褄を取って流しへ出て、その薬罐の湯を打ちまけると、むっと、こう霧のように湯気が立ったい。小棚から石鹸を出して手拭いを突っ込んで、うつむけになって顔を洗うんだ。ぐらぐらとお前、その時から島田の根が抜けていたじゃぁねぇか。
それですっぱりと顔を拭いてよ、そこでまた一安心をさせながら、何と、それから丸々ッちい両肌を脱いだんだ。それだけでも慄とするのに、考えてみりゃ些と変だけれど、胸の所に剃刀が、それがお前、
『五助さん、これでしょう』と晩方遊女が俺に見せた図にそっくりだ。はっと思う途端に背向きになって仰向けに、そうよ、上がり口の方に掛かっている姿見を見た。すると、髪がざらざらと崩れたというもんだ。姿見に映った顔だぜ、その顔がまたその遊女そのままだから、キャッと言ったい」
*1 田之助……お若のこと。
二十五
とすれば、五助が夢に見たのは、欽之助が不思議な因縁で、雪の夜に、お若のいる紅梅の寮に泊まったことについての正しい経緯ではなく、また遊女の霊が、見棄てられたその恋人の血筋の者を、二上屋の女に殺させると、五助が叫んだのも、覚め際にフト刺戟された想像に留まったのであるが、しかしそれは不幸にも事実であった。この話、宵に遊女の死に様のことで慄然とした名残みたいなものだと、それほどまでには思わなかった作平も、正しく若い声の男に寮への道を教えたのは事実であったので、捨てても置けず、ともかくもと大急ぎで出掛けようとした。が、そこは笑われそうな臆病者、出掛ける時、棒を小脇に引抱えた。
戸外に出ると、もう先刻から雪の降る空に雲が行き交う中、薄く隠れていた月が鮮やかに現れ、すっかり月夜に変わった。最後の火の番が突き降ろして廻っていく鉄棒が遠く響けば、廓の春の夜明けである。
出会い頭に人が一人通ったので、作平は突然棒を突き立てたけれども、何、それは怪しい者ではない。遊郭から早帰りをする客であろう。
「お早うがすな」と澄まして土手の方へ行った。
積んだ薪の断面にも、雪が被って見える角の炭屋の路地を入ると、幽かにそれかと思われる足跡が、ほんの少し飛び飛びに凹んでいるので、二人は顔を見合わせながら、とにかく歩みを進めた。玄関へ行くと、内は寂としている。
これさえも夢の中のことのよう。胸を轟かせながら、試しに叩いてみたが、小塚原あたりでは狐の声かと怪しまれるのではないかと思えるほどにまで、如月の雪の残月に、カンカンと響いたけれども、返事がない。
最早一刻の猶予もならないと、庭の袖垣を左に見て、勝手口を過ぎて大廻りに植え込みの中を潜れば、その向うに湯殿があり、きらきらと水銀が流れるように水滴が伝う窓が雪の中に見え、前の溝と思われる所に、むらむらと薄くおよそ人の背丈くらいの湯気が立っていた。
これにぎょッとした五助と作平、湯殿の下へ駆けつけた時は二人とも、もう荒い息を吐いていた。尻込みをする五助に入れ替わって作平が手を掛けると、誰が忘れたのか、戸締まりはされておらず、硝子窓を開けて跨いで入ると、雪明かりの上、月がさすので、はっきりと見えた真鍮の大薬罐。蓋と別々になって、うつむけに引っくり返って、濡れ手拭いが桶の中にあった。湯は沢山なかったと思われ、乾き切って霜のようになっている流しに、網を投げた形にびっしょりしていた。
上がり口から躍り込むと、足の裏が板の間の濡れた所を踏んで、肝を冷やしながらも、明かりを目的に駆けつけると、洋燈は少し暗くしてあったが、お杉は端然と座ったまま、その髷、その櫛、その姿で、小鍋を掛けたまま、凍りついたようになっていた。
ただ、いつの間にか、先刻寝に行った欽之助が脱いだままにしていた、結城の半纏がお杉に着せ掛けてあった。と、お杉はこれを言って、今もさめざめと泣くのである。
五助と作平は左右から、焦立って二ツ三ツ背中に活を入れると、杉はアッと言って、我に返ると同時に、
「おいらんが、遊女が……」と、切なそうに言った。
半纏はお若が心優しく、いまわの際にも労って、その時掛けていったのであろう。
その後、お杉はぼんやりしてはいたが、お若が目の前に湯を取りに来たことも、しかもまくり手をして重そうに持って湯殿の方へ行ったことも知ってはいたが、それから先は朦朧として、雪散らしの部屋着を着た、品の可い、背の高い、見馴れない遊女が、寮の中を、あっちこっち、何度となくお若の身の前後に付いて回り、お杉が自分で立とうとすると、屹と睨まれ、そうされると身動きが出来ないのだったという。
と、そんなことを言っている暇はなく、我に返るとお杉もいたくお若の身を心配していたので、飛び立つようにして三人は奥の室へ飛び込んだが、……ああ。
既に遅かった。室は欽之助も、お若も、その姿はとりとめもなく、真紅に染まっていた。
気が触れたようにお杉が抱き上げた時、お若は未だ呼吸があったが、血の滴る剃刀を握ったまま、
「済みませんね、済みませんね」と、二声言っただけ。見れば、ただ皮を切ったくらいで、傷はそれほど深くなかったと思われたけれど、暁を待たずに息を引き取った。
男は深手を負っていたが、気は確かで、今駆けつけた者たちを見ると、
「皆さん、助けて下さい、大事な身体なんだ」
と言ったので、五助と作平は腰を抜かすほどに驚いた。
この事実は、翌朝、金杉の方から寮の裏木戸へ廻って、同一枕に死骸を引き取って行った馬車と共に厳重に秘密が守られた。
馬車で乗りつけたのは、昨夜伊豫紋へ少将夫人の使いをした橘という女教師と一人の医学士であった。
医学士の診察で、もう若者の生命は救えないと決まった時、次の室に畏まっていた二上屋藤三郎、すなわちお若の養父からお若の遺書が供された。
橘は取って、読んでみた後、枕頭に躙り寄り、声を曇らせながらも、判然と男に読んで聞かせた。
その内容は、皆の想像通りであった。(*後書き参照)
その時まで残念だ、と呼吸も絶え絶えに言い続けて、時々歯噛みをしていた若者は、耳を澄まして聞き終わると、しばらく恍惚としていたが、早くも死の色の宿った蒼白な面を和らげながら、手真似を三度ほどした。
医学士が頷いたので、橘が筆を持たせると、僅かに枕を擡げ、天地に紅色の染めのある半切れに、薄墨の弱々しい水茎のような筆の蹟を認めた後、そのにじり書きの端の『わかより』とあるその上へ、若者は少し大きく、筆蹟も見事に
『脇屋欽之助つま』
と記して安らかに目を瞑った。
その場は粛然とした。
作平は啜り泣きをしながら、
「おめでてぇな」と声を震わせると、
五助は、
「お若さん、喜びねぇ」と膝に置いた拳を堅く結んだ。
(了)
「註文帳」は今回で終了しました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
最初の方にも書きましたが、今回の勝手訳では、「日本近代文学大系7 泉鏡花集」(角川書店)における朝田祥次郎氏の注釈に大変お世話になりました。
この本、実際手に取ってご覧いただければ分かりますが、文中の一語一語に対して、詳しい注釈(頭注及び巻末の補注)が付けられています。
単に言葉の意味だけではなく、その言葉の背景にも微に入り細を穿ち、痒いところに、いや痒いと自覚していないところまで、数多くの言及があり、さすが一流の国文学者ともなるとその知識たるやもの凄いものがあると、感服した次第です。
おおよそ、私が勝手訳を行う手順を書くと、
当然、先ずは作品を一読します。
そして、粗訳として、ざっと自分なりの現代語を書き連ねます。
(ざっとやると書きましたが、この作業が一番手間取ります)
それをプリントアウトなどして、読み返し、チェック入れ、不明な部分は赤線や赤文字にしておきます。
この段階で、作品の参考資料を探し、もう既に探し終えていれば、その資料に目を通します。
今回は、この段階で、朝田氏の注釈と自分の訳を比較してみました。
結果、恥ずかしながら、何カ所も自分の訳の間違いに気づくことができ、納得できた時は、その都度、文章を改めました。
投稿するまでには、その後2,3回推敲するのですが、なかなか文章が思った通りに構成できないこともしばしばです。
原文なら二言三言の言葉も、だらだらとした文章でしか表現できない。
自分の才能の無さを自覚するのがこの時です。
投稿後も、折につけ、読み直し、新たに手を加えることもあります。
いずれにしても、今回の「註文帳」という作品は、この本があれば、私の拙い勝手訳を読むよりも、注釈を参考にしながら、原文を読み通した方がずっと有意義なのではないかと、何度も思いながら作業を続けていました。
ただ100%朝田氏の注釈に添った訳ではありません。僭越ですが、何カ所かは自分の思いで訳した箇所もあります。また、注釈を参考にしながらも、できるだけ自分の言葉で語ろうと言葉を探すことも多くありました。
泉鏡花の文章を多少なりとも自分の言葉で綴る。
まだまだ納得の行くようにはできていませんが、少しでもましになればなと考えているところです。
現代語勝手訳についてはもっと書きたいこともあるのですが、また別の機会にします。
最後にもう一つだけ、朝田氏の注釈を書いておくことにします。
お若の遺書のことです。
勝手訳において、「その内容は、皆の想像通りであった」とした部分。
原文は「此の意味は、人の想像と些も違はぬ」です。
朝田氏は、
「作者がこのように断定するほどには、読者のだれもが遺書の内容を判断できるかどうか疑問である」としながら、この鏡花小説についての感想を述べられておられますが、また、次のように続けられているので、参考までに紹介しておきます。
「しかし久保田万太郎は、新派上演用の脚色戯曲『註文帳』の、終幕にこの遺書の文言をあらわにしている。小説理解の一例として掲げる。
『とりいそぎ一筆残し参らせ候。如月十九日の夜を定めて、夢うつゝなる枕辺に、年若き殿の出で立ち給へるは、過ぐる年月より見奉りしわが夫とこそ覚え参らせ候。人を恋ふる時人を失ふとは、廓に育ちし身の宿世には候へど、この世にては添はれずとも来世にてはかならずと心にかたく思ひ定め候。うたてや業深き女の執念、浅ましくも恥ぢ入るばかりに御座候。
母なき後の父上の御恩を思へば、先立つ不孝の罪は永劫までも消ぬべくもなしと存じ候。何卒わが罪ふかきむくろ無縁の塚におとり捨て下されたく候。かしこ。わかより』」(P.576 補注486)
うーむ、なるほど、こちらもさすが一流プロの仕事だなと、ほとほと感心した次第でした。
こういうのを見ると、自分のしていることが本当に小さく、幼く思えてしようがありません。
※「日本近代文学大系7 泉鏡花集」には次の作品が収められており、いずれも詳しい注釈が付いています。
「義血侠血」「夜行巡査」「外科室」「海城発電」「照葉狂言」(三田英彬氏担当)
「湯島詣」「高野聖」「註文帳」(朝田祥次郎氏担当)
※ また、「註文帳」に関しては、ネットに次の論文がありますので、参考までに記しておきます。興味ある方はご覧になってください。
林 正子 「泉鏡花『註文帳』の美的法則とその効果」 国文学研究ノート 神戸大学「研究ノート」の会(1983.08)