剃刀研(かみそりとぎ)
泉鏡花「註文帳」を現代語(勝手)訳してみました。
本来は原文で読むべきですが、現代語訳を試みましたので、興味のある方は、ご一読いただければ幸いです。
「勝手訳」とありますように、必ずしも原文の逐語訳とはなっておらず、自分の訳しやすいように言葉を付け加えたり、削ったり、また、ずいぶん勝手な解釈で訳している部分もありますので、その点ご了承ください。
浅学、まるきりの素人の私が、言葉の錬金術師と言われる鏡花の文章を、どこまで理解し、現代の言葉で表現できるか、非常に心許ないのですが、誤りがあれば、皆様のご指摘、ご教示を参考にしながら、訂正しつつ、少しでも正しい訳となるようにしていければと考えています。
(大きな誤訳、誤解釈があれば、ご指摘いただければ幸甚です)
この作品の勝手訳を行うにあたり、「日本近代文学大系7泉鏡花集」の「註文帳」を底本とし、すべてではありませんが、多くの部分で朝田祥次郎氏の注釈(頭注、補注)を参考にさせていただきました。感謝いたします。これに関しては、各章の後書き及び最後に書く予定にしています。
全10章 25節。
章立ては次の通り。
剃刀研 十九日 紅梅屋敷 作平物語 夕空
点灯頃 雪の門 二人使者 左の衣兜 化粧の名残
剃刀研
一
「おう寒いや、寒いや、こりゃべらぼうだ」
と、頭をきちんと分けた風采は、遊郭あたりではどこにでもいそうな若い者。双子織の着物に白っぽい唐桟の半纏を引っかけ、博多の帯、黒八丈の前垂、白綸子に菊唐草浮織の手巾を首に巻きつけている。向かい風に鼻の下を少々赤くしながら、土手からたらたらと坂を下り、お鉄漿溝というのに沿って、揚屋町の裏の田町の方へやって来た。(*後書き参照)紺の足袋に後ろが摩り減った日和下駄を履いているこの男、普段なら履物も豪勢にして、見栄を張りたいところだが、足踏み状態の一進が一十(*1)と来て、二八の二月(*2)と来れば、金の工面がままならず、冬場の不景気になってからというもの、ずっと我慢をしているけれど、とかく足許が気になるという風である。
金鍔屋、荒物屋、煙草屋、貸道具屋など、場末の勧工場(*3)を思わせる狭い店がごたごたと立ち並ぶ所を通り越すと、一間間口に看板が掛けられた店がある。その看板には剪刀と剃刀とを打っ違えにしたのが丁寧に絵にしてあって、下に『五すけ』と書かれてあり、親仁が大きな眼鏡を掛け、磨ぎ桶を横に、剃刀の刃を合わせている図が描かれてある。眼鏡の玉と桶の水、そして、よく切れそうな刃は真蒼に塗られ、あとは薄墨でぼかした彩色が施されているので、これなら高尾(*4)の二代目、三代目あたりの禿(*5)が使いに来ても、一目で研屋の五助の店であるのが分かる。
敷居の内は一坪ほどの凸凹の三和土土間。隣のおでん屋の屋台が、軒下から三分の一ほどこちらの店前を掠めた蔭に、親仁が一人、着古した木綿の綿入れを着て胡座をかき、つぎはぎだらけの膝掛けをゆったりと掛けて、『何が起ころうとも、身じろぎ一つしねぇぞ』とでも言う風に構えている。しかし、そうやって砥石を前にしているのは可いが、怠惰者がよくやるように、真鍮の煙管をやに下がって啣え、ぼんやりと往来を眺めているのであった。
と、つい目と鼻の先にある敷居際につかつかと入ってきたのは、先程の若い者、捨どん(*6)である。
手を懐にしたまま胸を突き出して、半纏の両袖口に手を突っ込み、入山型(*7)の形にして、格好をつけ、
「寒いじゃぁねえか」と見得を切った。
「いやあ、お寒うございますな」
「ぼーっとしていても、やっぱりそれだけは感じますかい」
親仁は大口を開けて、啣えた煙管を吐き出すくらいに、
「ハハハハハ」
「暢気じゃ困るぜ、些とは精を出しねぇな」
「一言もございませんな、ハハハハハ」
「そら見ろ、それだから困るってんじゃぁねぇか。ぼんやり往来を見ていたって、何も落として行く奴ァありゃしねぇよ。しかも今時分、仮に落としていったところにしろ、お前、何だ、拾って店へ並べて置きゃ、目印の札をつけて軒下へぶら下げておくと置くのと同一で、巡回中の警察にたちまち没収だい」
「こう言っちゃ何だが、そんな曰く付きの代物は一ツも置いちゃぁいねぇ。出所の確かなものばッかりだ」と、先刻の喫みさしを行火の火入れへぽんと払いた。
真鍮のこの煙管さえ、その中に置いたら目立ちそうなガラクタばかりで、店には根付、緒〆の類い、古包丁、塵劫記などを取り交ぜ、石炭箱を台に、雨戸を横たえ、その上に赤い毛布を敷いて並べてある。
「どれもそうだろうよ。出所は確かなものだ。川尻権守、溝中長左衛門ね、掃溜衛門之助などからお下がり遊ばしたものだろう」
「馬鹿なことを、これ、黙らっせぇ、平の捨吉、お前さん、今頃こんな所に来て、憎まれ口を利くようじゃぁ、いかにも女がいないものと見えるな」と、言い負かせて、五助はぐッとまた横啣え。
平の捨吉、これを聞くと、平家没落の壇ノ浦の段の、いかにも哀れを誘うような、それでいて強がりの表情で、
「ふむ、余り浮気が過ぎたから、ここん所精進よ」と、戸外の方へ目を反らせば、狭い町を一杯に、遊郭から昼帰りの客を乗せた俥ががらがらがら……。
*1 一進が一十……算盤で1÷1=1のことのようだが、「足踏み状態」と勝手訳した。
*2 二八の二月……二月と八月は不景気になる月と言われている。
*3 勧工場……一つの建物の中で何軒もの店が商品を並べて販売した所。
*4 高尾……有名な遊女の名。
*5 禿……遊女見習いの幼女。
*6 捨どん……若い者の名前、捨吉をくだけて言ったもの。
*7 入山型……『へ』の字を二つ横に重ね合わせたような形。
二
後は往来がばったり絶えて、静まり返り、魔が通る前後のような路となった。如月十九日の日がまともに射して、土には泥濘を踏んだ足跡もない。しかしながら、風は颯々と冷たく吹いて、遥か高いところで渦巻いている。
「これは冗談じゃねぇぞ」と、若い者は気を取り直して、
「紺屋じゃねぇんだから、明後日とは言わせねぇよ。(*1)楼の妓衆たちから三挺ほど来ている筈だ。もうとっくに出来ているだろう。大急ぎで出してくれ」
「へいへい、いやまた家業の方は真面目でございスよ、捨さん」
「うむ」
「出来ているにゃ、出来てます」と、膝掛けからずぼりと抜けて、行火を突き出しながらずいと立つ。
若い者は、目の前に出された行火に気づいて、そこに『ハアト』と銘の入った煙草を吸いつける。
五助は背後向きになって、押し廻して三段に吊った棚に向かい、右から左の方へ三度ばかり目を通すと、ざっと四、五百挺もある剃刀の中から、箱を二挺と紙にくるんだのを一挺、重さを量るように掌に乗せたが、捨吉に差し向けて、
「これだ」
「どれ」
箱を押すとすッと開いて、研ぎ澄ましたのが素直に出る。裏書きをちょいと見て、
「こりゃ青柳さんと、梅の香さんと、それから、や、こりゃ名がねぇが、間違いはねぇか」
「大丈夫」
「確かかね」
「千本ごッちゃになったって、私が受け取ったら安心だ。お持ちなせぇ。けど、捨さん」
「なぁに、間違ったって剃刀だぁ」
「これ、剃刀だじゃねぇよ。お前さん、今日は十九日だぜ」
「ええ、驚かしちゃぁ不可ぇ。張店(*2)の遊女に時刻を訊くのと、十五日過ぎの日を言うなぁ、大の禁物だ。(*後書き参照)年代記にも野暮の骨頂としてございますな。しかも今年は閏年じゃねぇ。(*3)」
「いえ、閏があろうとなかろうと、今日はまさに十九日だろうがね」と、眼鏡越しに覗き込むようにして言ったので、覗き込まれた捨吉は変な顔。
「どうしたい。それが」
「お前さん楼じゃぁ何も構わなかったのか」
「何を」
「剃刀をさ」
言うことは飲み込めないけれども、急に改まって五助が真面目な顔をして言うものだから、訊くのも気が引けて、
「剃刀を? おかしいな」
「おかしくはねぇよ。この頃じゃぁ、大抵何楼でも承知のはずだに、どうまた気が揃ったのか知らねぇが、三人が三人取りに寄越したのは些と変だ。こりゃお気をつけなさらねぇと危ねぇよ」
捨吉は、ますます怪訝な顔をしながら、
「何も変なこたァありゃしないんだがね。別に遊女たちが心を合わせてと言う訳でもなしさ。しかし、剃ってもらおうかというのは三人や四人じゃぁねぇ、やれるもんなら楼にいるだけ残らずというのよ」
「皆かい」
「ああ」
「だったら、もっと悪かろう」
「だってお前、床屋が居続けをしていると思や、不思議はあるめぇ」
五助は苦笑いをして、
「洒落じゃぁないというに」
「何、洒落じゃぁねぇ、ほんとの話だよ」と、若い者は話に気が入って、仕事場の前に腰を据えた。
*1 紺屋じゃねぇんだから、明後日とは言わせねぇよ……「紺屋の明後日」ということわざがある。紺屋の仕事は天候に左右されるので、仕上がりが遅れがちで、催促されるといつも「あさって」と、出来上がりの期日をいつも先に延ばすことから、当てにならないことを意味する。
*2 張店……遊郭で、遊女が往来に面した店先に居並び、格子の内側から自分の姿を見せて客を待つこと。
*3 今年は閏年じゃねぇ……閏年には異変が多いと信じられていた。
『土手から坂を下り、鉄漿溝に沿って揚屋町の裏の田町の方へ』と書かれているのを素直に読むと、田町は吉原の中にあるのが自然である。ところが、ネットで吉原付近を調べてみると、田町は吉原の外にある地域なので、この表現に方向音痴の私は「??」となってしまった。
朝田祥次郎氏の注釈に、
『「土手」は山谷堀の土手。日本堤とよばれ吉原へ通う道として名高い。「坂」は日本堤からくの字形に曲がって廓の正面、大門に入り、衣紋坂とよばれる。「鉄漿溝」は、廓を囲み遊女の逃亡を防ぐ下水溝。黒く汚れているのを遊女の歯ぐろめの水を捨てた溝と風流に見立てたもの。「揚屋町」は廓の主幹道路の仲の町の中ほどから北へ折れる通り。「田町」は廓外の南、日本堤に添う町。
ここで、廓内の妓楼の使用人がわざわざ日本堤から衣紋坂を下りて田町へ来るのは不可解であるが、冒頭に吉原近い町という印象を強めたいための作為と見ておきたい』
とある。(日本近代文学大系7泉鏡花集 P.568 補注419)
こう解説されても、何だか腑に落ちない気もするが、こればかりはもうどうしようもないので、この解説をそのまま受け入れざるを得ない。
私だけかも知れないが、総じて鏡花による位置関係の描写は分かりにくく、いつも頭を悩ませている。
また、捨吉の台詞に「遊女に時刻を訊くのと、十五日過ぎの日を言うなぁ、大の禁物だ」とあるが、これも同書によると、
『……(略)一刻も早く客をとりたいとあせっている遊女に時刻を聞いたり、月末の金策を気にしている遊女に十五日以後の日を言ったりするのは、相手の心をくまぬぶしつけと、廓内で戒めているのである』と解説されてある。(P.569 補注435)
このように、遊里における風習、常識などを知らなくては、理解しがたい言葉が多くあり、現代語に置き換える以前の問題として、その辺の知識を持たない無学、不勉強の筆者は、朝田祥次郎氏の注釈に助けられた。