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死にたがりの人魚姫

作者: 着込む人

ーーー○月×日ーーー


その幼い人魚は不思議な子だった。

私が世話をするよう命じられた彼女は、一言で表すなら美しい人形だった。


たゆたうブロンドの流麗な髪、宝石を想起させる紺碧の美しい瞳。

尾びれに散りばめられた鱗たちは、その全てが眩く幻想的に煌めき、その一枚だけでも見る者を虜にするだろう。


海底に棲む私たち人魚は一人の例外なく、皆それぞれ美しさを持っている。

だがその中でも、その幼い人魚は余りにも別格の美貌を持っていた。


初めてその子と出会ったのは、その可憐さとはまるで無縁の、海の底の底にある錆び付いた牢獄の中だった。

重々しい扉を開け中へ入ってきた私を、まるで感情の籠っていない蒼い双眸が迎えた。



ーーはじめまして。



余りにもその幼さとはかけ離れた淡白な目線に少し怖じけながら、刺激しないように笑顔で声をかける。

しかし、反応はない。

結局その人魚が私を見ていたのは2、3秒くらいで、すぐに壁の小窓へと視線を戻した。


つられて私もその窓からの景色を見る。

でもそこにはただ暗闇が広がるばかりで、何一つ見えるものなんてなかった。


光すら届かない、海の底のさらに底。

こんな所に閉じ込められるのは、極悪な大罪を犯した悪人か、よほどの危険な人物かしかいない。


この小さな人魚は、いったい何をしたと言うのだろうか。



ーーー○月□日ーーー


あの幼い人魚の世話を始めてから数日がたった。

相変わらず彼女は何をしても無関心で、一日中窓から見える深海の闇を見つめていた。


私は思い立って女王様に尋ねてみた。

彼女が何なのか。何であんな所に閉じ込めているのか。


曰く、彼女はなんでも次の女王になる素質を持った子らしい。

なるほど、それならあの尋常ならざる美貌や雰囲気も納得できる。


さらに女王様は、あの子は魔王様より頂戴したのだとも仰った。

そのせいか何度もここを出ていこうと暴れたらしい。

魔王様の元へ戻りたがったのだろうか。


しかし魔王様と言えばつい先日、数多の同胞を屠った勇者という少年を打ち倒したと聞いたばかりだったが。


そんな状況で、どうして人魚の子供など見つけ出したのだろうか。





ーーー○月△日ーーー


今日はしばらく考えてたことを実行に移した。

その幼い、将来の女王様になるかもというだけで軟禁されているその人魚を、連れ出すことにした。


何も逃がそうとしたわけではない。

ただ、何一つ感情の籠ってない瞳で、窮屈な檻の中から一日中闇を眺めるだけのその人魚が、余りにも不憫だったからだ。


ーーおそと、行ってみようか。


小さくて白い、可憐なその両手を握る。

力を少し込めるだけで壊れてしまいそうな繊細なそれは、とても儚さに満ちていた。

こちらを見つめた蒼い双眸は、相も変わらず何の色もない。

否定も肯定もしないまま、じっとこちらを見つづける。


ーー大丈夫、もしバレちゃっても、私が代わりに怒られるから。ね?


静かに手を引き、彼女を重い鬱屈とした部屋から連れ出す。

抵抗はしない、けれどどこか彼女の動きはぎこちなかった。


人魚の象徴である下半身の尾びれの動きが、まるでなってなく、どのように動かせばいいのかも分かってないように見える。

自分の尾びれを不思議そうに見つめる顔に浮かんだ疑問の表情が、私が初めて見た彼女の感情だった。


ーーあなた、もしかして泳げないの?


否定もせず、じっと送られる無言の視線が彼女の返事。


やっぱり不思議な子だ。泳げない人魚なんて滅多にいない。

赤子でさえ誰に教わるでもなく、泳ぎ方を習得するのに。


ーー大丈夫、私の手、離さないでね?


ぎゅっと握ったその手は、驚くほどに冷たいものだった。



その後は二人で私たち人魚の海底の町を散策し、見て回った。

初めてここにやってきた者は皆、その美しさと神秘さに感動するものなのだが、彼女は顔色ひとつ変えなかった。



薄い布地を羽織るだけの彼女に、その瞳と同じきれいな碧の貝殻で作られた胸当ても買ってあげたりした。

うん、とても可愛らしい。

隠れてしまっていた細い肩やキュートなお臍が見えるようになり、開放的で涼しげだ。

ついでにたゆたっていた金色の髪を結い、パールの髪飾りで纏め上げる。

それらは彼女の幼い美貌を更に輝かせ、店員も感嘆の溜め息を漏らす程だった。

でも結局彼女は鏡の自分の姿になんの感情も見せず、その上からまた布を羽織ってしまうのだった。



サンゴの花園に行けば、そこには彼女と同じくらいの幼い人魚たちが、色鮮やかな魚達と共に戯れていた。

その子供たちは彼女を見るや否やその周囲をぐるぐると泳ぎだす。


ーーーかわいい!あなたどこからきたの?

ーーーきれー!このウロコさわってもいいかしら?

ーーーおひめさまみたい!

ーーーおなまえは?いっしょにあそぼ!


同年代の人魚と比較しても目映いほどの可憐さと美しさを持つ彼女は、瞬くままに子供達の注目の的となった。

だがそれをまったく意に介すこともせず、彼女はぼんやりといつものように虚空を見つめていた。

子供達の声など、まるで届いていないかのように。


同年代の子供とも、遊んだことがないのだろうか?

ごめんね、また来た時に遊んであげてね。と子供達に告げその場を後にする。


ーーほら、みんな手を振ってるよ、バイバイって。


握った彼女の手を促し、子供たちのそれに振り返す。

その顔はどこまでも無感情で、仮面が張り付いているのはないかと思ってしまうほどだった。




端正で美麗なその幼い顔は、今日結局ほとんど変化することはなかった。

思えば、その淡い桃色の瑞々しい唇が開いて、声を発するのも見たことがない。


ーー♪


あの薄暗く、窮屈な檻の中への帰り道。

どうしても暗くなってしまいそうな空気を誤魔化そうと、私は歌を歌い始めた。


私の小さな頃から歌っている、大好きな歌。

明るく穏やかで、海底に差し込む日の光を思わせる旋律は歌うもの、聞くもの全員を優しい気持ちにしてくれる。

あぁ、懐かしい。昔はよく小さい妹と一緒に歌ったっけ。


歌いながらちらりと彼女の顔色をうかがう。

人魚の歌には、心を揺り動かす不思議な力がある。

もしかすれば、彼女の心にも何かが届くことはないだろうか。


ーー.....。


でも、やっぱりその幼い人魚はいつも通りの表情で、歌う私を静かに見つめているだけだった。







ーーー×月○日ーーー


とんでもない事件が起きた。

何もするにも興味のなさそうなあの子が、深海の牢から逃げ出してしまったというのだ。


女王様はあの子のことを余り公にしはしたくないらしく、捜索は側近の一部と私だけで行われた。


私は一刻も早く彼女を見つけるべく、様々な場所を泳ぎ回った。

もしかして二人で出掛けた町やサンゴ礁にいるのではないかと探してみたが、彼女の姿を見たと言う者さえいない。

あんなに美麗な容姿を持つ彼女のことだ、すれ違う人魚達の注目を集めない訳がないのに。


途方にくれていた私に、ある魚達の会話が耳に入ってきた。

「陸の近くの浅瀬で、宝石のような綺麗な鱗を見つけた」のだと。


陸、綺麗な鱗。

それを聞いたとき、頭の中で嫌なイメージが連鎖し繋がった。

もしあの子のような美しい人魚が、陸にいるニンゲンに見つかったらーーーー。


それからはもう大急ぎで必死に、ここから最も近い陸へと泳いだ。

無我夢中で尾びれをしならせ、手までもを使って水を掻き進む。


そしてついに陸地の側の海面まで浮上した時、そこに彼女はいた。


ーーー.....。


波打ち際の岩に腰掛け、月に照らされた金髪をたなびかせる幼い人魚。

そして彼女を取り囲み、ギラついた目で刃物を輝かせるニンゲン達。


とっさに「逃げて!」と大声で叫ぼうとした。

でもその窮地にいる彼女の、幼い人魚の顔を見た時、私は言葉を失ってしまった。


ーーー.....。


どこかほっとしたような、もしくは諦めたような。

そんな複雑な感情が混ざった薄い笑みを、その幼くあどけない顔にたたえていたのだ。


そしてその笑みを浮かべた彼女に、ニンゲンの一匹が近づいてーー


ーーー"#$)&¢¢@!!!!!!


私は声にならない叫びをあげて、水やら石やら貝やら魔力の塊やらを手当たり次第にニンゲン達に投げつけた。

半ばパニックになってたと思う、もうとにかくその子を助けなきゃという一心でぶんぶんと腕を降り続けた。

やがて投げつける物が見当たらなくなった頃には、ニンゲン達は皆驚き消え去っていた。


ーーー大丈夫!?何かされなかった!?ケガは!?


幼い人魚のそばに泳ぎより、小さな両手を握る。見たところ異常はなさそう。

あぁ、よかったと、心の底からほっと胸を撫で下ろし、彼女の瞳を覗き混むと。


ーーー.....。


おぞましい程に暗く濁った蒼い瞳が、私を見据えていた。

ゾクッ、と思わず背筋をぶるりと震わせてしまう。


そして次の瞬間、その閉じきっていた薄い桃色の唇が、僅かに開かれた。




ーーーせっかく、しねそうだったのに。




初めて聞いた幼い人魚の声は、鈴の音ように可愛らしく透き通り綺麗だった。

呟いた言葉の意味と、それに込められたどす黒い感情を抜きにすれば、だが。




ーーーもう、つかれたのに。はやく、しにたいのに。




パンッ


私は思いきり、その小さく丸いほっぺたをぶった。

そしてそれからの事は、よく思い出せない。

ただ目の前の幼い人魚がどうしようもない程あわれで、悲しくて、かわいそうで。


いったい何があればこんな幼い子供に、こんな事を言わせられるのだろうか。

いったいこの子はどんな辛い目にあってきたんだろうか。

顔を真っ赤に染めて、込み上げる衝動のままに彼女を怒り続けた。

涙を流しながら必死に、何度も、何度も。


でもその子は呆気に取られたように目を見開いて、なんで怒られているかもわからないらしくて。

それがさらに悲しくて、いたたまれなくなった私はその小さな身体を胸に抱き締めた。


ーーーダメだよ。死なないで。お願い.....


抱き締めた彼女は氷のように冷たかった。

せめて、わたしの暖かさが伝わるようにと、抱く腕に力をこめた。


ーーー.....。


嗚咽を漏らし、震える背中に小さな両手が添えられていたのに気づいたのは、長い抱擁を解いた後だった。







ーーーX月○日ーーー


あの子の脱走からもう数日がたった。

あのあと私は、顔を真っ赤にしたまま女王様の元へ向かい直談判しに行ったのだ。


あんな小さな子を狭い牢に閉じ込めておくなんておかしいですよ!

そのせいで逃げ出そうなんて考えるんです!

あの子がもし次の女王になったら今の女王様は軟禁されますよ。


失礼なこともたくさん言った気がするが、さすがに女王様も思うところがあったらしい。

なんと深海の監獄ではなく、私の家で共に暮らすことを許してくださったのだ。


それを聞いた私は大喜びで幼い人魚を家へ迎え入れた。

幸い、今はいないが妹が使っていた部屋や服がたくさんある、彼女が暮らすのに困ることはないだろう。


ーーーわぁ、とっても似合ってる!かわいいよ!


色鮮やかな真珠のアミュレット、透き通った深い蒼の耳飾り、装飾された貝がらの胸当て。

それらを身に纏った幼い人魚の姿は、とても愛らしく、何より人魚としてふさわしい格好だった。


ーーー.....。


鏡に映ったその姿に彼女は、まるいほっぺを赤らめ恥ずかしそうに俯いてしまった。


あの日以降、こうして少しずつだが感情を見せてくれるようになっていた。

それは私にとってすごく嬉しいことだし、彼女にとっても悪いことではないはずだ。


ご飯だって今までは手をつけてくれなかったので、仕方なく魔法で栄養を分け与えていた。

でも今はきちんと私が作った料理を食べてくれるのだ。

それも何を作っても、本当に心の底から美味しそうに。

おぼつかないフォークやナイフの使い方もあいまって、彼女の食事の様子は微笑ましかった。


ただそれを見る度に、今までまともなご飯を食べたことがなかったのだろうかと暗い感情が覗くのだった。



この子の泳ぐ練習も兼ねて、町へもしばしば尾びれを運んだ。

まだぎこちなさは拭えないけど、最初に会った頃と比べればずいぶんとこの子も泳げるようになった。

まるでニンゲンのように手を使って泳ごうとする変な癖があるが、それさえ無ければすぐに上達するだろう。


ーーーわぁ、見て、スゴくキレイなコ。

ーーーなんて美しいウロコなのかしら。


すれ違う人魚達は、皆決まって振り替えり、その幼い人魚の後ろ姿を眺める。

海より深い碧の瞳、たなびくブロンドの髪、幼いながらも美麗で可愛らしい顔。

そして何より、宝石の如く美しく光輝くサファイアの鱗。

そんな恵まれた容姿を持つ彼女は既に人魚達の間で密かな話題になり、一目見ようと町で彼女を待ち構える者すらいるらしい。


ーーー.....。


手を繋いでいた筈の彼女が、いつの間にか隠れるように私の影に隠れ、背中にぎゅっとしがみついていた。

その顔は周囲の視線への恐怖と、僅かな照れが混ざった表情だった。


ーーーだいじょうぶだよ。


その小さな頭をそっと撫でると、彼女は気持ち良さそうに目を細めた。



ーーーねぇねぇ!あそぼー!!

ーーーわぁ、今日はなにしてあそぶ?

ーーーみてみて!こんなキレイな石がながれついたの!

ーーーきょうも泳ぐれんしゅう、てつだってあげる!


サンゴ礁で子供たちに混ざって遊ぶあの子を、ほほえましい目で眺めていた。

もう彼女たちはすっかりあの子を友達だと受け入れてくれたようで、最近では毎日のように遊んでいる。

最初こそ固く、戸惑いの色が濃かった表情も今では時おり子供たちと一緒に、年相応の無邪気な笑顔を見せてくれていた。


同年代の子と遊ぶことは彼女にとってとても新鮮なことらしく、楽しんでいるのが見てとれた。

意味のないじゃれつきや、些細な追いかけっこでさえ、はしゃいで夢中になっている。


ーーーそろそろ、かえろっか。


できることならもっと友達たちと遊ばせてあげたいが、あまり長い時間の外出は許可されてないのだ。


ーーー.....。


こちらへ泳いでくるの表情は、僅かだけ落胆の色が見える。

ごめんね、と小さく伝えると、後ろで子供達が手を降っているのが見え、それを教えてあげた。


ーーー.....ばいばい


私に促されるでもなく、彼女はそれに手を振って応えてみせた。

その表情には、幼くあどけない笑顔が浮かんでいた。




ーーー♪~~♪~~


家への帰り道。私はいつものように歌を口ずさみながら泳ぐ。

平和で、穏やかな日々だった。


すこし前、ニンゲン達と、それに担がれた勇者と呼ばれる幼い少年が海に棲む魔物達に牙を向いたことがあった。

あの時はこの人魚の世界も多大な被害を受けて混乱に陥った。

でも魔王様によってその勇者と呼ばれる少年が倒された以上、もうしばらくは平和が続くだろう。


ちらりと、握った手の先の幼い人魚を見る。

その表情はいつものように無感情だったが、どこか柔和なものに見えた。


....どうかこの子が大人になるまでは、この平穏が続きますように。


ーーー.....♪~.....


その時、口ずさんでいたリズムに、別の歌声が混ざる。

甘く、透き通り、海中に響きわたるような声が、波紋のように広がる。

小さく、か細い声だったが、それは確かに私にあわせて歌っていた。


ーーー♪~~♪~~



その子が、歌っていた。



私の歌にあわせ、まだ恥ずかしさがあるのか、消え入りそうな声で。

それでもその声は、信じられない程に美しく響き、聴く者全てを魅了してしまいそうだった。


いつの間に覚えてくれたのだろうか。

でも、私と一緒に歌ってくれていることが、とにかく涙が出そうなほど嬉しくて。

見られないように目元をぬぐいながら歌声に熱をこめた。


ーーー♪~~♪~~

ーーー...♪~....♪~....


二人で初めて奏でたその歌声は、どこまでも海の中を響き渡っていった。






ーーーX月△日ーーー



ーーー随分とここの暮らしに馴染んでくれたようだな。


その日私は、女王様に呼び出され謁見の間へとやってきていた。

ただ私だけではなく幼い人魚も一緒に、だが。


ーーー.....。


女王様の言葉に返事を返さず、私の背へと隠れてしまう彼女。

その表情はどこか固く、まるで出会った時のそれを思わせた。


ーーーふふふ、愛いな。もっと近くでその顔を見せてくれないか?


その手招きに彼女は、私の顔をちらと見上げ逡巡するようなしぐさを見せる。


ーーーだいじょうぶ。女王様は優しいお方だよ。


勇気づけるように言葉でその背を押してあげる。

すると僅かばかりの沈黙の後、彼女は握った手を離し、女王様の元へと泳ぎよった。


ーーー.....。


泳ぎがまだ少しおぼつかない彼女の小さな手をとり、女王様はその身体を抱き寄せた。

こうしてみると、絶世の美しさを持つ二人の人魚が重なる様はまるで名画のような圧巻の光景だった。

女王様という最も清らかで麗しく、艶やかな人魚を前にしても、幼い人魚の可憐さは決して曇るところはない。

なるほど、確かに彼女はきっと女王になれる素質を持っているのだと、私は改めて実感した。


ーーーーーーーー。


女王様が彼女を抱き寄せ、その耳元で何かを囁いた。


ーーー.....!!


そしてその次の瞬間、何を言われたのだろうか、幼い人魚の身体が大袈裟なほどにビクリと震えるのが見えた。


ーーーーーーーー。


更にその耳元で、続けて何かが囁かれる。

しかし彼女は、震えた後まるで氷漬けになってしまったようにピクリとも動かない。


そうして女王様は抱き締めていた幼い人魚を正面に抱え直す。

そして固まっている彼女の小さな手に、なにかをーーー装飾された鞘に納められた短剣を握らせた。


なんだろう、あれ。もしかして女王様の証だったり?


ーーーおい、○○。


女王様は未だ動かない彼女をくるりと反転させ、私を手招きした。

あぁ、どうやらお話は終わったらしい。

まったくなんだったんだろう、こんなすぐ終わるなら伝言でいいでしょ。


ーーーよし、じゃあおうちに帰ろう、か.....?


その子の手を握り、顔を覗き込む。


ーーー.....。


そこに浮かんでいた表情は、今まで見たどんな顔よりも感情に乏しく、生気の感じられないものだった。



ーーー×月×日ーーー


また、あの子がいなくなってしまった。


でもこうなるかもという嫌な予感はしていた。

つい先日、女王様への謁見を終えてからと言うもの、彼女の様子は明らかにおかしかった。


少しずつ見せてくれるようになっていた笑顔はまったく影を潜めてしまい。

お出かけしようと誘っても力なく首を振るばかり。

ずっとただ感情のこもってない目で、虚空を見つめるだけだった。


何より一番悲しかったのは、あの日以来、私を見る目に怯えのような色が浮かんでいたのだ。

出会った頃に逆戻り。いや、それよりもっと酷かったかも知れない。


でも、私にとってあの子が大切な存在だと言うのは変わらない。


私は再び、逃げ出した彼女を探すことになった。

家の回り、町、お店、女王様の城の中までも。



そのお城まで来たとき、私は側近や警備達の制止を振り切り女王様の居室へと無理やり乗り込んだ。

突然の侵入に驚いた様子だったが、知ったことではない。


いったいあの子に何を吹き込んだんですか!!!?

あんなにまだ子供の、小さな人魚を追い詰めて!!

もしあの子に何かあったら、私、私は.....!!


人目もはばからず泣き叫び、訴える私を女王様はあくまで静かに聞いていた。

そして私がひとしきり喋り終えると、そうか。とだけ呟く。



ーーーお前も、知っておかねばならないな。あの人魚のことを。



告げられたその言葉に、かぁっと頭が赤く染まったのが感じた。

あの子の事なら、あなたよりよっぽど知ってます!!

叫びそうになったのを手で制され、女王様はその口を重々しく開いた。



ーーーあの子は、生まれながらの人魚ではない。



?と、私の頭に疑問符が浮かぶ。

賢くない私には、その言葉がどういう意味なのか理解できない。

それってどういうーーー。その疑問を口にする前に、女王様の言葉が続いた。



ーーーあの人魚は元々、ニンゲンだったのだ。勇者と呼ばれた子供のな。


ーーー....え?



ニンゲン?勇者?あの子が?

意味がわからない、話がまったく繋がらない。


ふと、あの子と過ごした日々の記憶が浮かんでくる。

嬉しそうにご飯を食べる姿。おしゃれした自分に照れる姿。友達の人魚と仲良く無邪気に遊ぶ姿。手を繋ぎ、一緒に歌っている姿。

そして、ぎこちないけど、確かに自分に向けて笑う姿。

その彼女が、あの子が、ニンゲンで、勇者?


軽いパニックに陥り、思考が固まった私を無視し、その言葉は続いた。


先日、魔王様が勇者と呼ばれる少年を打ち倒し、捕らえたこと。

勇者を殺せば、その魂は転生し、別の勇者が生まれること。

ならば、悠久に近い長命を持つ人魚の身体へと閉じ込めれば、その魂を封じ込められること。


そして女王様と魔王様の二人の手により、ニンゲンだった勇者は一人の幼い人魚へと成り果てた。


それが、あの子だと。


私はその説明を、呆然とした頭で聞いていた。

感情の理解が追い付かない一方、理性は勝手に今までのことを納得していく。


あぁ、だからあの子はあんな深海の監獄に囚われていたのか。

だから、あの子は私や他の人魚を冷めた目で見ていたのか。

だから、あの子は泳ぎが下手だったのか。

だから、遊びも知らず、美味しい物も食べたことがなかったのだろうか。


思い浮かぶのは一緒にたくさんの時を過ごした、大事な、可愛らしいあの幼い人魚の姿ばかりで。

気づけば、私の瞳から涙が溢れ、玉となって水中に漂っていた。



ーーー飼い殺すつもりだった。だが。



感情の整理がまだ追い付かず、何が悲しいのか分からないのに、悲しくて胸が痛くて仕方ない。


ーーーお前といる様子を見て、我らの仲間として迎え入れるのも良いかもしれぬと思ったのだ。

ーーーだが、ニンゲンどもの哀れな操り人形だったとはいえ、我らが同胞を殺めた罪は重い。


女王様は、未だ泣きじゃくる私を見据えてこう言った。



ーーーお前の妹は、勇者が率いたニンゲンに殺されたな。



そして、心の奥底にしまっていた辛い現実を口にした。

決して忘れることはない、私の大切なたった一人の家族。

鮮やかなピンクの鱗が可愛くて、小さくて甘えん坊で、いつも私の側を離れなかった、大好きな妹。

突然のニンゲン達の襲撃により、私の腕の中で泡となり消え去った後でも、その部屋や服はそのままだった。


ーーーそれを、教えてやった。後はお前達の好きにするがいい。


私とあの子の、好きに?

私は、私は、あの幼い人魚を前にして、また以前と同じ言葉をかけられるだろうか。

まだ、あの子を愛せるのだろうか。


ぐらぐらとふらつく頭を抱えながら、私は女王様の部屋を去ろうと背を向け。


ーーーあぁ、そうだ。あの子に渡したナイフ、あれはーーーーーーー。


その背中に、女王様より最後の一言がかけられた。



城を後にした私は、今にも溢れそうな感情の渦を押さえ込み、再びあの幼い人魚の姿を探し始めた。

そしてサンゴ礁にやって来たとき、あの子の友達の人魚たちが私を見るや否や集まってきたのだ。


ーーーおねえさん、あのコとケンカしたの?

ーーーすっごく、かなしそうなカオしてたわ。

ーーーなにをきいても「ごめんなさい」って。


どうやらあの子は、ここの子供たちの前に姿をあらわしたらしかった。

どっちへ行ったか訪ねてみる。


ーーーほら穴の方に泳いでいったわ。

ーーーねぇおねがい。またいっしょにあそぼってつたえて。


分かった。かならず伝えるね。

その子達に礼を告げ、彼女たちが指し示してくれた方へと急ぐ。




薄暗く、陽の光も届かない洞穴の奥。

青白く淡い光を放つ苔だけに照らされるその空間は、私たちが初めて出会った深海の監獄に似ていた。


ーーーやっと、見つけた。


その幼い人魚は、冷めきった寂しい碧の瞳で私を見つめていた。

じっと、言葉一つ話さず、ただ私の目だけをまっすぐに。


ーーー.....。


そして、その小さな両手には、女王様から渡されたあの短剣が握られていた。

小さな子供に似合わない、鋭利で、何かを傷付けるための道具。


ーーー女王様から、聞いたの。あなたのこと。


ただーーーーーその握り方はおかしかった。

彼女は掴んでいるのは柄ではなく、鈍い光沢を放つ刃の部分で。

強く握ればそれだけで、その柔く白い肌が切り裂かれるに違いない。


ーーー....。


そして、彼女は何も言わず静かに、私の方へと柄を向けて。



ーーーころして、ほしい。しにたい。



私が泣き叫んでまで怒った言葉を、再び呟いた。

でも前とは違い、その瞳にはどす暗い感情ではなく、悲痛さに満ちていた。


ーーーずっと、言われたままに、魔物をころしてきた。

ーーー何も考えずに、それがただしいことなんだって言われて。


その小さな身体の奥から絞り出した声は、今までに無いほど感情に満ちていた。

悲しみと、虚しさと、罪悪感と。

言葉を紡ぎ出す桃色の薄い唇はぷるぷると震えている。


ーーー.....あなたは、死にたいの?


毛ぶるような金糸に彩られた、蒼穹の双眸を見据え問いかける。


ーーー死にたかった。ただ魔物を殺すだけの人生で。ずっと、そう思ってた。


ーーー私は、死んでほしくないよ。


ーーー..........。


ナイフを差し出した儚い両手が、僅かに揺れ動く。


ーーーどうして?

ーーー人間のせいで、ぼくのせいで、妹が死んだのに、なんで...!


語気が荒ぶるその声に、出来うる限りの優しさを込めて返す。


ーーーそうだね。あの子が死んだのは、とってもかなしかったよ。でもね。

ーーーあなたが死んでしまうのも、同じくらいかなしいの。


彼女をそっと抱き締めた。

私の腕に包まれたその小さな身体は、とても細く、儚く感じた。

強く抱けば、それだけで粉々になりそうな程に脆そうで。


ーーー.....人魚になって、暗い檻の中に閉じ込められて、ずっとここで苦しむんだって思ってた。

ーーーでも、あなたと会ってからは。本当に、毎日が楽しくて、知らなかった幸せばかりで。


嗚咽を漏らし、必死に言葉を絞り出す幼い人魚。

うん。と、小さく頷く。


ーーーでも....ううん。だから....だから、ごめんなさい。


瞬間、腕の中でその小さな肢体が震え、私たち二人を無数の泡が包んだ。

それらは次々とぽん、ぽん、と儚く割れるか、天に昇り、散っていく。

そして、抱き締めた腕の中から、その無数の泡は溢れでいていた。


ーーーぁ.....。


その幼い人魚の胸に、深々とナイフが突き立てられていた。

雪のような白く、透明な肌を裂いたそこから、彼女が泡となって漏れ出していく。

私の愛していた彼女が、どんどんとなくなってゆく。


ーーー....。


その瞳と目があった。

それはどこまでも穏やかで、落ち着いた目で。


ーーーあぁ.....。


静かに交わる私たちの視線の間に、溢れた泡が割り込んだ。

そこに写っていたのは、二人ですごした、かげないのない楽しい時間。


二人の人魚が手を繋ぎ泳ぎを練習する姿。

二人の人魚が美味しいものを食べる姿。

二人の人魚が嬉しそうにおしゃれする姿。


二人の人魚が楽しげに歌声を響かせる姿。



ーーーしらなかった、こんな、たくさんの幸せ。



美しい碧の瞳が、涙でにじむ。



ーーーでも、この幸せを奪ったのに、この幸せを手に入れていいわけがないから。



私は、少しでもその心に温もりが届くようにと、必死にぎこちない微笑みを作った。

今にも泣き叫びそうになる心を必死に抑えながら。

そして、その幼い一人の人魚は、それに微笑み返してくれた。


ーーーありがとう。おねえちゃん。


最後に聞こえたその言葉は、幻聴か現実かわからなかった。












どこまでも広く、深い海の底。

そこには、無数の人魚が幸せに暮らす世界が広がっている。

そしてその中にある色鮮やかなサンゴ礁で、小さな人魚達が遊び戯れていた。


ーーーあなた、むかしはもっとこわかったわ。

ーーーうん。でもいまはとってもやさしいよね。


そう戯れていた友達から言われた一人の幼い人魚は、少しむっとした顔になった。

また「昔」の話だ。わたしは「昔」なんて覚えてないのに。

『斬った者の記憶を消してしまうと言う人魚の秘宝に触ってしまった』彼女には、昔の記憶がない。


でもそれを悲しいと思ったことはなかった。

友達と遊び、おしゃれして、色んな美味しいものを食べる毎日が幸せだったから。

それに何より、大好きで大切な人がそばにいるから。



ーーー姫さま、そろそろお家にかえろっか。



おねえちゃん!と叫んで、その声の主に思いきり抱きつく。

頭を撫でられながら促され、彼女は友達に手を振った。



幼い人魚の小さな手を握ると、心の底から嬉しそうに無邪気な笑みを浮かべた。

そしてそれに、優しく微笑み返すもう一人の人魚。


ーーー♪~~♪~~

ーーー♪~~♪~~


彼女たちが幸せに暮らす家へ帰りつくまでの間。

広い海の底には、二人の人魚の美しく澄み通った歌声がどこまでも響き渡った。

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