ノマドの少女
「大変だっ!襲われているぞ…!!」
視界に飛び込んできた光景は、今まさに獣に少女が襲われている所。
数頭のノマドゴートが襲われたのか、少女と獣の周りに数頭倒れていた。――恐らく、既に絶命しているだろう。
サザが携えていた槍を手に取り、少女を襲う獣へ立ち向かってゆく。
「せやっ!!」サザが槍を一振り、獣へ向けて振るも獣はヒラリとかわしてしまう。
「くそっ」
――やはり槍を扱うのは慣れていないからか、攻撃を当てるのも一苦労する。
(ほんとにあいつの言った通りで良かったのかよぉ……!!)
あの時食堂で出会った大飯喰らいの言葉に不安を覚えた。
無論、獣も黙ってはいない。
サザが苦戦する中勢い良く飛び込んできた事で、サザは防戦一方に徹しざるを得なくなった。
こんな獣一匹に苦戦するなんて、サザは悔しそうに眉を歪めた瞬間、何故か身体がほんの少しだけ軽くなった様な感覚に囚われる。
「……!?」サザの身体がふわりと身軽になると同時に、獣の攻撃から身を守る為に構えていた武器を素早く持ち直して、獣の身体をスパリと切り裂いた。
「ひっ」へたり込んでいた少女は小さな悲鳴を上げたが、自分を襲っていた獣が目の前の青年の手で退治されたのを見ると、安堵に胸を撫で下ろし、顔をほころばせた。
「―――よし、大丈夫だったか?ほら、手を……」
「!!!」
サザが手を伸ばしているにも関わらず、少女は再び恐怖に怯え始めた。
「―――――お兄さん、後ろ!!!」
********
「えっ?」
少女の言葉にサザも後ろを振り返ると、先程の獣より明らかに大柄な獣がサザの背後に立っていた。
グルルル、と唸り声を上げて、ぎらついた眼差しでサザ達を捉える。
「俺の側から離れるなよ!!」
サザは少女を後ろへ控えさせ、守る様に立ち塞がる。
「グルルルル………!!」獣の唸りは一層強く増し、そしてサザへ向けて大きな爪を振り下ろした。
「ぐあっ!」
手持ちの武器でその一撃を何とか防いだが、柄を伝って響く振動にサザは尻餅をついてしまった。
「ぐっ………」
それでもサザは致命傷には至っちゃいない、と立ち上がり、大獣へ対して睨みを利かせる。
「退かないんなら………やってやるっ!!!」
サザは槍を強く握り締めた。
「喰らええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!」
―――ギン!!鍔迫り合う。槍の穂先と獣の大爪が交差し振り下ろされぬ様抑え合う。
彼の気迫に本能から一度恐れたのか、大獣は咄嗟に爪を振り上げて鍔迫り合いに持ってきたらしい。
力では大獣が上だが、サザも力を出して踏み留まる。一歩でも後退したら負ける。あの爪で、自分も少女も諸共殺されるだろう。
「このおおおおおおおおおおおおおお!!」サザは歯を食いしばった。獣の大爪の先がサザの目前にまるで覗き込む様にぎらりと突き付けられる。
しかし力の差は歴然としていた。大獣の方がサザよりも体躯が大きい分力の方も優れていた。――次第にサザの方が押され始め、必死に踏み留まろうとした跡が地面に付けられてゆく。
「くっう………!」
「お兄さん!!」
背後に座り込む少女の声がサザを呼び掛けている。必死さの中に不安がモヤのように混ざった、その声にサザはより必死に大獣から少女を守ろうと力を振り絞った。
(このままじゃ…俺もこの子も………!!)
サザが苦悶の表情に眉を歪めた瞬間、彼の身体に何かがぷつりと繋がった。
―――――!!?
ほんの僅かな一瞬の間に、サザの身体が見えない糸で繋がれた気がした。
妙な違和感がサザに戸惑いを生んでしまう。
四肢を細い糸が繋ぎ、まるで誰かが操っている様な感覚で――――――――
―――花が、柔らかな細蔓を伝って、蒼い花が咲き始める。
(うっ………何だ、この、感覚…は)
四肢を繋ぐ細い糸がしなやかな蔓に、どこかで見た事のある鮮やかな蒼い花が一斉に咲いて、サザは宙に浮いてしまったかの様な錯覚に落ちた。
――――――――。
「…………」
サザは鍔迫り合いの体勢のまま、我を忘れた状態になる。
「!?お兄さん!?お兄さん!!?」
少女が更に必死にサザを呼ぶが、サザは意にも介さない様な振る舞いだった。まるで少女の声は届いていないかの様に、体勢を変えない。
…しかし大獣がどれだけ力を出しても、サザはぴくりとも動かなくなっていた。
「―――――、」
何か、ぽつりと彼が呟いた瞬間、サザの身体は恐ろしい程身軽に飛び上がって大獣の顔を蹴り飛ばした。
「!!」状況を理解出来ない少女が恐れから身を小さくしてうずくまる中、鮮やかに獣の顔を蹴り飛ばしたサザは空かさず大獣の手を斬り落とす。
「グアァァァァ!!!!!」
大獣の唸り声が付近の森を伝い、やがて遠くの山々にまで轟いた。
草原の先ではモナドゴート達の群れがモナディアの方向へ走り去ってゆく。幸いにも大獣の叫びが周辺の害獣達を怯えさせているらしい。
「グゥゥゥッ!!」大獣も斬り落とされた手の恨みからなのか、立ち構えるサザへ怒りの矛先を全て向けた。
――突進。大柄な体躯の獣による突進を受ければ骨はバラバラに砕けるだろう。
サザは小さく息を吸い、武器を構えた。強く握り締め、少し光の弱まった瞳は向かってくる大獣を見据えている。
「―――"野山の暴王め、全ての蛮行を終わらせてくれる"」
まるでサザでは無い誰かが、サザの口を借りた様に発した。
そして彼は、彗星の様に鋭い一撃を大獣へ放つ。
「グルァアアァァァァ!!ギャフ、ガフッ、グァウ、ギャウ、ギャ、ギャ、ギュグ…グァ…………」
口の中から全身を貫かれた大獣は、その場でもんどりを打ち始め、血を吐きながら転げ回った後、身動き一つも取らなくなって絶命した。
********
「お兄さん、感謝、ありがとう!」
襲われている所を助けられたからか、ほっと安堵の息を漏らして少女はサザに感謝の言葉を伝えた。
「え?あ、えーと………??」
聞き慣れない言葉に、落ち着いた色合いの民族衣装。ノマドゴートを連れ歩いていたであろう様子から、少女はノマド族だと気付いた。
(ノマド族か……本では見たけど、初めて見るなあ………)
サザは初めて見るものへの眼差しを少女へ向けていると、少女は少し恥じらいもじもじとしている。
「…………。」
「あっ!?ごめん!!ジロジロ見て失礼だったよな!!!」
サザは慌てて謝るが、ノマド族の少女はぽっと頬を赤らめた後、サザの瞳を見てゆっくりと口を開いた。
「ア、アー…あ、いぇ、いぇね、お、おにー…いさん、ありが、とう」
ノマドの言語以外慣れていないのか、拙くたどたどしい言葉遣いでサザへ先程のお礼を述べた。
どうやら自身が話すノマド語では感謝の気持ちが伝わらないと思ったのか、共通語に言い換えたらしい。
「ん、ああ、こっちこそ、さっきは…いぇねす?つて俺の事読んでくれた?お陰で気付けたし、ありがとうな」
サザが少女へ礼を返すや、少女はまたぽっと頬を赤らめて傍で草を食むノマドゴートのふかふかの毛並みに顔を埋めた。
「めえぇ」
幸いにも生き残ったノマドゴートだけがのんびりと草を食みながら呑気に鳴いた。
********
「お兄さん!!」
ノマド族の少女が明るい声音でサザの手を取った。
「ノマド、わたし、歓迎、おもてなししたいの!!」
先程とは打って変わってはきはきと喋る少女にサザは苦笑を浮かべつつも、少女に手を引かれるまま何処か―――少女達ノマド族の国へ歩を進める事となった。
旅は寄り道してこそ、と残りのノマドゴート達の群れに紛れる様に、サザと少女はノマド族の国へ向かっていった。