馬車の中の人形劇
『…寵児はある日、落ち込んでいる者を見掛けました』
ロインの言葉は呪文の様に、静かに語り、世界を彩る。
『彼は気になって、その者へ声を掛けました。…すると彼女はおもむろに喋り始めました。止めど無く溢れ出して来るので彼はその者を引き入れました。――シルフェーン達が見ていない時に、彼女達には見えない所へ』
カチャカチャと音が鳴り、そして舞台は寵児とその人物の二人だけになってゆく。
『―――「あの場所であなたの事を吐き出すべきではありません。きっと彼女達がいい顔を浮かべない事でしょう」寵児がそう語ると、彼女―――落胆者は静かに話し始めました』
『…「私も元々はシルフェーン達と親しかったのです。最初は、特に様々な言葉をくれました。私は嬉しかったのです。……そして、私もまた彼女達と一緒に居たくて蒼い鳥の地へ足を踏み入れました。彼女達は歓迎してくれました。…だけど……命の話を皆で話し合っていた時、…あれからでした……彼女達が、私を避ける様になったのは」………』
『――勿論、彼女の話を聞いて寵児は心の中で何かを言いたかったそうですが、それを押し留めて落胆者の境遇を悲しみました。そしてシルフェーン達への不信が生まれ、彼女達も裏切り者になるのではないかと恐れたのです』
『そして不運とは重なるもので、ユキフィカが度々毒を吹き込んでいた事で寵児は毒に当てられてしまったのです。……吹き出した傷がユキフィカを退けましたが、落胆者との接触をシルフェーン達は見過ごしていませんでした』
『これこそ機会だ、と言わんばかりに彼女達は動き始めます。共に親しくしてゆく内に寵児が得た力に深い恨みと嫉妬を覚えていたシルフェーンはその力を奪い取ろうと、ソフィーティア達と企てていたのです』
幼子へ対して絵本を読み語る様に、ロインの穏やかな声はサザへ向けられる。
『あろう事か寵児は彼女達の思惑に恐ろしい程転がってゆくのです。ユキフィカが退けられたある初夏の迫る頃、リナテラは傷付き、シルフェーンは温かくも冷たく非情な女神の如く振る舞いました』
『全ては理不尽な行いを愛する我儘なシルフェーンの思うままに動き始めたのです』
『……やがて寵児は苦しみ、アンクァーから無責任だと罵られ、リナテラは目に見える様に毒を吐き続け、シルフェーンも更に追い打ちを掛けました。寵児は更に傷付き、そしてとうとうシルフェーンが彼に止めを刺すべく彼を抹殺すると宣言しました』
『「私の望みを全て飲まなければ、貴方を抹殺する。この蒼い鳥の地にも、どの地にも、全てでも、この世ですら生きてゆけない様にしましょう。言う通りにしなければ貴方のご家族もただでは済ましません」…』
『シルフェーンからそう脅され、寵児は彼女の要求を飲むしかありませんでした。……ですが、それでもシルフェーンは許しませんでした』
――ロインは嘆息し、歯車を動かす指が小刻みに震える。…何時の間にか団員達が演奏していたのか、物悲しい音楽が馬車の中に響いていた。
『シルフェーンは、もっともっと寵児に苦しむ様に仲間を動かしたのです。ペルゲーラもまた彼の言葉を拒絶し、同じ頃に彼と親しくしていたはずのクロエやスヴァルヒルダ、ハヤトゥエ、レオレーンも彼を否定し始めました。アユヴィーは徹底的に彼を拒絶し、ウォールリューは彼を徹底的に攻撃しました』
『……そして、彼は、居場所も、友も、全て失い、手放す事になったのです』
『エズケスも彼を緩やかな殺害に加担し、シルフェーンとソフィーティアは、更に彼から生き甲斐も奪い取りました』
物悲しい音楽は更に重みを増し、暗く、暗く、深くなる。
『―――生き甲斐までもを奪われた彼は、生きる意味も無いと全てを絶望の観測に置き、自らの命を絶ちました』
そして寵児は死に、彼の死を切っ掛けにシルフェーンは寵児の力を得てしまった。彼女が寵児の力を得て選ばれた時、ソフィーティア達は大いに祝福し、エズケスも大いなる福音を彼女へ授けたのです。
『彼女は寵児の肉体を加虐の限りで寸断し、己の難病をその血で癒やしました。被虐的な気質であると自負していた彼女は本性を露わにし、寸断した寵児の身体を都合の良い存在へと作り変えていきました』
天は彼女の絶対の味方と、確信して止まなかったシルフェーンはある日ソフィーティアと対談を交わす。
『ソフィーティアは言います。「お姉様、お姉様のその絶対的な力があれば、私の可愛いソフィアを私の愛おしい神の伴侶に出来るでしょう?」と』
懇願の眼差しを姉と慕うシルフェーンへ、ソフィーティアは向けていた。
『勿論、可愛い妹の様に愛していたシルフェーンはその望みを叶えるべく尽力します。ソフィーティアもまた絶対を確信し、己が掲げる言葉を神とその妻となるはずの娘ソフィアの二人を掛け合せた言葉に変えました……』
音楽がおどろおどろしく鳴り響く頃、御者をしている団員の声がその場に居る者達の耳に届いた。
「ロイン座長ー、みんなー、そろそろ分かれ道ッスよー」
…作り上げられた雰囲気とは全く異なる言葉が、一瞬にして彼等を現実へ引き戻した。
「ありゃりゃ、もう分かれ道ですか~」
ロインも手を止め箱を閉じて、元の場所へと箱を置く。
「すみませんねぇ、どうやら分かれ道の様です。所で貴方はどちらの道へ?」
ロインがいつものにっこりとした微笑みに戻ると、サザへ分かれ道のどちらへ進むのか訊ねる。
「ああ、俺は右の方から行こうと思って」
サザもまたいつもの様にパッと明るい表情に戻ると、分かれ道の右側を指差して答える。
「おお~、あちらはノマディアの方角でしたよね~、牧歌的で素敵な所とお聞きしてます~」
ロインは少しだけ郷愁を帯びた眼差しでノマディアの方角を見つめつつ、これまた楽しそうな調子で答えると、
「所で先程の話、続きの方は先日見ましたよね?」
にっこりと、然し蒼い瞳はサザを射抜く様に見つめている。
「あ…ああ、見たよ、復讐の精霊サナトと、ハジェメラ達の、復讐の話だったっけ」
サザはロインの瞳に軽い恐れを覚えたものの、先日見た劇の内容を言葉に出した。サザの答えに納得した様でか、ロインはまたにっこりと微笑みサザを祝福した。
「左様です、先日は当一座の歌劇を見て下さって本当にありがとうございます~、どうか貴方の旅路にナイエスの祝福あれ!!」
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「また何処かでお会い出来たら、よろしくお願いしますね~」
ロインや団員達がサザとの一時の別れを惜しむ様に手を振り左の道へ進んでゆく。
サザはそんな彼等へ手を振り見送りながら、その姿が見えなくなるまでそこに留まって、そして右側の道へ進んでいった。
「いやあ……あのロインって人、穏やかそうだけどちょっと胡散臭そうだし、それにあの目……ちょっと怖かったな、ははは」
サザがぽつりと呟く。
「でも悪い人じゃ無いってのは何となく分かってるというか、ええと」
そこに自分しか居ないのを分かっていながら、誰かに話す様な言葉を紡ごうとしている。
遊牧に良さそうな光景が広がる中をサザは歩きながら進んでいた。
…遠くの方に白い点の様なものが見えているが、恐らく家畜の類だろう。
(見た感じだと…あれは……ノマドゴートかな)
ノマディア付近だからなのか、ノマド族が居るんだな…と彼は呑気に思っていた。
「キャアアアアアアーーーーーーーーーーーーッ!!!!!!!!」
そんなサザの呑気な思いも、つんざく様な少女の悲鳴によって一気に霞んでしまう。
「何だ!?」
サザが悲鳴の聞こえた方角へ走り抜けた時、獣に襲われている民族服の少女が視界の中に入り込んだ。
2020/07/28追記:ちょっとだけ加筆修正を行いました!
劇団→一座
ロイン及びロインさん→ロイン座長
加筆部分に関しましては詳しく書くとネタバレになりかねないので伏せておきますが、向こうから言及があり次第加筆修正するかもしれませんのでご了承下さいませ。